第二十九章 35

 霧崎は指先携帯電話のディスプレイを顔の前に出したままの状態で、何度も転がって攻撃してくる肉団子をかわし続けていた。

 ただかわしているだけではない。肉団子の方にはほとんど目もくれず、ディスプレイを指ではじいて、操作もしていた。


「準備完了だ。初めてなので、手間取ってしまったな」


 呟くと、今まであまり肉団子に目をくれなかった霧崎が、しっかりと向かい合う。


「しばし、堪えてくれたまえ。しかし名誉に思え。輝かしき最初の被験者になれることを」


 霧崎が語りかけるように言うと、突っ込んでくる肉団子に向かって手をかざす。


 かざした手に、赤ワインの入ったワイングラスが現れる。グラスを傾けると、グラスの中のワインがこぼれ落ち、地面につく前に空中へと舞い上がった。


 無重力空間を漂う液体のように、ワインが不定形な塊となって空を舞い、肉団子の直前で薄く大きく拡がったかと思うと、肉団子にへばりついた。

 肉団子がワインを浴びた部分から、赤紫に変色していく。赤紫の何かはたちまち肉団子の巨体の全身へと侵蝕していき、肉団子の全身が赤紫になって動きが止まる。そして酸化したように体表がぼろぼろと崩れ出し、やがては肉団子全てが崩れて、赤紫の塵の山ができあがった。


「全く躊躇無く殺しましたわね」


 少女達の肉団子の無惨な姿を見やりつつ、百合は言った。


「殺した? 何を言ってるのかね、君は。死霊術師のくせに、ちゃんと霊魂の流れを見ていなかったのかね」


 霧崎が百合の方を向いて肩をすくめる。


「霊魂は消えましたわよ。貴方が殺して冥界へ送りましたわ」

「つまりよく見ていなかったということだよ。殺してはいない。彼女達の魂は肉体から解放される前に、つまり冥界へと飛んで死ぬ前に、生きているうちにこっちの世界へと移した」


 指先携帯電話をかざし、にやりと笑う霧崎。


「雪岡君に感謝せねばな。電霊なるものの存在を教えてもらい、私も独自に研究していたのだ。電脳世界に霊魂を送る方法を。雪岡君も似たような能力が使えるそうだが、私も自分で編み出したよ」


 霧崎の言葉を聞いて百合は、累の強制的に霊魂をひっぺがして絵の中に入れる術や、純子が刹那生物研究所で見せた霊魂剥離能力を思い出す。


「一時的に電脳世界(サイバースペース)に霊魂を保管し、あとは別の体に入れ直せば元通りだ。それは今培養中でね。君のことだから、私の可愛い下僕達に手を出すことも想定していたのだよ。君の性格は実にわかりやすいね。ま、わかりやすすぎて少々つまらんが」


 つまらないというその一言は、百合の怒りの導火線に火をつけた。


「雨岸君、君にも感謝する。彼女達を殺しきらずに半死人に留めたことを。私の預かり知らぬ所で彼女達を殺していれば、私にはどうすることもできなかった。どうせ私を悲しませるため――生きてはいるがどうにもできない、救えないという絶望感を与えて、私の手で殺させるという嫌がらせ目的で、あえてそうしたのだろう。が、それがアダとなったな。いやはや、お粗末な芸術活動で本当に助かった。本当にありがとう」


 嫌味ったらしいネチネチした口調で言ったかと思うと、霧崎は百合に向かって恭しく一礼してみせる。


「それとも何かね? 私のように、相手に多少はチャンスを与える主義に変わったのかな? 少しは優しくなったというわけかな?」


 霧崎がそこまで喋った所で、百合は亜空間に待機させていた死体龍を霧崎の頭上に呼び出した。死体龍が巨大な口を開き、霧崎を食いちぎらんとする。

 マッチ棒のような体を横に倒し、地面すれすれ10度くらいの角度まで傾けて、死体龍の攻撃をかわす霧崎。その体は非常に不自然な格好で、片足の一部だけが地面と接しているだけだ。


「攻撃も防御も悉くトリッキーな人だねえ」

「そういうキャラ作ってるんだと思う」


 見学していた睦月と望が言う。


 百合も死体龍の不意打ちで倒せるとは思っていない。霧崎が回避した直後を狙って、霧崎の背後に義手だけを転移させて、至近距離から義手に仕込んだニードルガンを撃ちこむ。


 横80度くらいに傾いた霧崎の体が、横向きに何度も激しく回転して宙を舞ったかと思うと、いつの間にか義手の手首を掴み取り、地面に普通に降り立った。


「オーバーライフの定石すぎる手だ。体の一部や武器だけを相手の近距離に転移。しかし、だ。果たしてそれで死んだ者など、同じオーバーライフにいるのかね?」


 言いつつ霧崎は、掴んだ義手を眺める。


「良い義手だな。しかし私が、もっとよいものを造ってやらないこともないぞ? 私にひれ伏して謝った後で、一ヶ月ほど我が家のトイレの便座として生活すれば、その褒美としてな」

「逆でしょう? 貴方が土下座して、造らせてくださいと懇願しなさいな。要りませんけどね」


 挑発する霧崎であったが、百合はにやりと笑って言い返すと、義手を霧崎の元に残したまま、空間を閉じる。

 直後、義手が爆発を起こした。

 至近距離で爆発を食らい、霧崎の細い体が吹き飛んだ。


「や、やった?」


 やってないフラグの言葉を疑問系で呟く亜希子。しかし今の爆発は完全に直撃していた。事実、腕はもちろんのこと。上半身の半分以上が粉々に吹き飛んだ状態で、地面に転がっている。頭部に至っては原形が失われている。


(やってはいませんわ。ダメージは与えましたけど。いえ、正確には再生する分の体力を消費させましたけど)


 百合が心の中で呟きつつ、亜空間ポケットからスペアの義手を取り出してハメる。


「ふむ。中々貴重な体験だな。爆発を至近距離から食らうというのも」


 瞬時に欠損した肉体を再生させると、霧崎は起き上がり、呟く。体だけではなく、服も復元している。


「中々よいぞ。うむ。楽しいぞ。雨岸君、君のことが気に入りそうだ。ああ、君は私のことが気に入らないと言ったが、それは君が懸想する雪岡君が、私と仲がよいからだろう? 君が真君にちょっかいをかけたのも、そうした嫉妬だ。いやはや、実に呆れたね。実に醜いね。そして実にお笑いだ」


 霧崎がディスり終えた所で、再び死体龍が攻撃を仕掛ける。今度は巨体を降らせて霧崎の体を押し潰さんとしたが、霧崎は直立したままの格好で、高速で地面を滑って回避する。


「私の足の裏の摩擦を一時的に失くしてみた。するとこういう面白いことが起こる」


 離れた場所で止まり、解説する霧崎。


「さてと……いい加減この状態も落ち着かないな」


 呟き、霧崎が空間転移する。


 自分の近くの空間が歪む気配を感じ取り、百合は身を翻したが、目の前に現れた霧崎は大きく跳躍すると、百合の頭の上に乗った。


「あはぁ……凄いバランス感覚」


 器用に片足で百合の頭の上に乗り、両手を真横に伸ばして立っている霧崎を見て、睦月が感心する。


「君とも遊んでやったのだ。君に人並みの恩義や礼儀があるのなら、私に対してその礼を返さねばならん。私は常に女と触れていないと、落ち着かないタチでね。プラス、自分の足で地を歩くのも非常に抵抗ある。君が私の馬となって、私の研究室に運ぶのだ。それが君の責務と知れ」

「ふざけるのも大概にしなさいな」


 百合が上体を大きく振って、霧崎を振り落とそうとしたが、霧崎はその直前にジャンプして、また片足で百合の頭の上に着地する。


「お、俺の百合様を穢すなあぁあぁあああぁぁぁっ!」


 真と戦っていたはずの白金太郎が、偶然その光景を目撃してしまい、咆哮をあげ、百合と霧崎めがけて突進する。


「む、あれは君の恋人か。うむ……それは……少し悪い事をしたな」


 向かってくる白金太郎を見て、霧崎は表情を曇らせて言うと、転移して百合の上から消えた。


「いえ……違いますわよ」

 勘違いも甚だしいと、憮然とした顔になる百合。


「ゆ、百合様ああぁぁ~」


 目の前で、泣き顔になっておろおろする白金太郎を無視し、百合は霧崎のいる方へと顔を向ける。かなり離れた位置に立っている。


「さてと、あまり時間を空けてもいられない。私の可愛い下僕達を蘇らせなくてはならぬ故、ここでお暇するよ。ああ、勝ち負けで言えば、私を退散させるに至った雨岸君の勝ちということで構わんぞ。三狂たる私に勝ったと、自負するがよい。自慢するがよい」


 小馬鹿にしきった口調と表情で言い放つと、霧崎はさらに瞬間移動して姿を消した。


 徹底的におちょくられて、わなわなと震える百合の横に、亜希子がやってきて声をかける。


「人の神経を逆撫でする事に関しては、ママに負けないよね、あの人」

「亜希子……それこそ霧崎に勝ちを譲ってよろしくてよ」


 亜希子の一言で怒りが解かれたのを実感し、百合は疲れきった顔で大きく溜息をつき、肩を落とした。

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