第二十九章 32

 霧崎のアジトへと訪れた亜希子、望、睦月、白金太郎の四名は、すんなりと霧崎のいる部屋へと通された。


「僕も死にかけていた所を霧崎教授に助けられた。蘇生した後も体が動かなくて絶望していた。それも教授が助けてくれた。だからこうして動ける。いろんなことを感じられる。生きていることを実感できる」


 手術室のような場所で、衰弱の激しいアドラーを寝台に寝かせて、望は霧崎に事情を説明したうえで、助けを請う。


「助けられる力があるなら、せめて目の前の助けられる人だけでも助けてよ。助かった命で、世界を感じられる。誰かと喋れる。世界に向かって何かが出来る。世界を少しだけ動かせる。それが命の素晴らしさだって、僕は教授に助けてもらって実感したんだ。だから……また助けてよ」


 望の懇願を霧崎は真顔で聞いていたが、やがて大きく息を吐いて立ち上がる。


「ふーむ、中々心をくすぐるのが上手いが……」


 何も合図を出されずとも少女が床に寝て、霧崎はその上を歩いていき、寝台に寝たアドラーを見る。すぐ隣には望もいる。

 霧崎がアドラーを覗き込む。すでに死相が濃い。


(手術にもう体が耐えられんだろう。しかし、だ。肉体の生命活動が途切れても、魂がしばらく留まることもある。手術で一度死のうと、その後蘇生するかもしれん。そうなるかどうかの賭けといったところか)


 霧崎はそう判断して少女達に目配せすると、少女達が立ち上がり、手術の準備にかかる。


「特例だ。助けよう。君の熱意に負けたよ。ここで拒めば、私の下僕達に軽蔑されてしまいそうだからな」


 苦笑いと共に霧崎が引き受けたので、望は安堵した。


「君の……名前、何だっけ?」


 アドラーが目を開き、望に声をかけた。今にも消え入りそうな掠れ声だ。


「佐野望」

「そうか。俺はシモン・アドラーだ。ありがとう……君と会えてよかった」


 微笑みながら礼を述べるアドラー。

 ふと、望は嫌な予感を覚えた。


「アドラーさん?」


 声をかけ、片手で体を揺さぶるが、反応は無い。

 脈をはかったが、止まっている。胸に耳をあてたが、心音も聞こえない。


「霊体が肉体から離れたようだ」

 霧崎が告げた。


「そんな……」

「蘇生措置を試してみてよ。そこにある電気ショックの奴さ」

「無駄だよ」


 望が肩を落とす一方で睦月が言ったが、霧崎はかぶりを振った。


「人口呼吸も蘇生措置も無駄だよ。心臓が停止しても、脳死に至らなければ――何より霊魂が離れなければ、死ではないが。肉体の死を受け入れて魂が冥界へと旅立ってしまっては、どうにもならん。それが死なのだ。心構えの問題もあったろうな。彼は君の言葉を聞いてなお、生きることを放棄した」

「どうして? 何でこの人は死を受け入れたの?」


 亜希子が尋ねる。


「これは想像に過ぎんがね。人を殺しすぎてしまい、生きるのに疲れていたのかもしれん。そういうタイプはわりといる。もしそうなら、望君から聞いた最後の言葉――望君が私に訴えた言葉は、彼にとっては大きな救いだったかもしれん。いや、そうでなくとも、彼にとっては嬉しい言葉であったろうが。だからこそ、そのような穏やかな顔で逝ったのだ」


 いつもの霧崎らしくもなく、神妙な面持ちで語る。


「もう少し早くここに到着しても、結果は同じだったろう。しかし、君達のしたことは無駄ではない。逝く前に彼の魂に潤いを与えたのだからね。うむ。中々の美談である」

「教授、最後の一言は余計よ」


 腕組みして満足げな顔で頷く霧崎に、半裸少女の一人が注意した。


***


 ビトンとポロッキーと他八名の兵士、木島一族の三人、そして真の計十二名が、霧崎のアジトへと向かった。

 いつの間にか百合はいなくなっていた。何かよろしくないことを企んでいるのだろうと、真は見る。


 大人数で警戒しながらアジトへと続く地下道を歩く。アジトのビルはさほど広くも高くも無い。五階建ての小さなビルだと、案内役のポロッキーが教えてくれた。

 アジト兼研究施設のビルへと地下から踏み込み、ビルの階段を上がっていく。霧崎らに存在

がバレていないはずはないが、霧崎の出迎えも攻撃も無い。


 幾つかの部屋を開けているうちに、一行は人の気配を感じて、自然と足を止めた。


「ふむ。ゲームを放棄して呉越同舟かね。まあ予期しなかった展開でもない」


 光と気配が漏れる扉の奥から、声がかかる。


 真が先行して扉を開ける。真、ビトン、そして木島の三名が室内に入る。中は手術室だ。

 兵士達は一応銃を構えていたが、アドラーやアドラーを助けてくれた者を巻き添えにする危険があるので、いきなり突撃して撃つようなこともせず、部屋の中にも入らず、しかし霧崎が逃げられないように入り口を固めていた。


 手術室の寝台にはアドラーが寝かされていた。霧崎と、霧崎の下僕である半裸美少女軍団と、亜希子、望、睦月、白金太郎もいる。


「アドラーっ」


 寝台の上で寝かされているアドラーに、ビトンが声をかける。


「ここまで連れてきたけど、手遅れだったの」


 ビトンがアドラーの仲間と見て、亜希子が言った。亜希子とその周囲の少年達が、アドラーを助けようとしてくれた者達なのだろうと、ビトンは察する。


「そうか、感謝する」

 厳かな面持ちで礼を述べるビトン。


「貸切油田屋が私を狙うのはわかる。かつてより因縁のある間柄であるしな。しかし雪岡君のマウスである君達が、何故彼等と共に私と戦おうというのだ?」


 木島一族の三名を見て、霧崎が声をかける。


「元凶がお前だと理解したからだよ。お前が一番殺してやりたいと思えたからだよ」


 幹太郎が不敵な笑みを浮かべて言い放つ。


「ふむ。それなら雪岡君も同罪ではないかね」

「純子には俺達を改造して力をくれた恩義もある。それに純子を敵に回すってことは、真も敵に回さなくちゃならねえ。こいつにも恩義がある。どっちも敵に回したくねーっていう感情の方が強い。だから純子の悪の分も、お前にぶつけてそれでよしとすればいいって理屈だ。文句あるか?」

「ふふふふ、中々愉快な子のようだね。嫌いではない」


 幹太郎の返しを聞き、霧崎はおかしそうに笑った。


「遊びで人の命を弄びし外道、いずれにせよ許しがたし。されどミキが申したように、純子は我等の味方。御主には遠慮はいらぬ」


 樹も幹太郎と同じようなことを口にする。


「人を改造して戦わせて、そんなことして何が楽しいの? いや、楽しいからって、どうしてそんなことできるの? 人の命を何だと思ってるの?」


 望が切なげな口調で責める。


「やれやれ……熱いのは嫌いではないが、青臭いモラルを説くのは勘弁願いたいな」


 霧崎が肩をすくませてかぶりを振り、さめざめと溜息をつく。


「君達は何のために生きている?」


 ビトンや木島達に堂々と背を向け、霧崎は天を仰いで問いかける。


「望みをかなえるために生きている者はおらんのかね? 私は少なくともそうだ。大きな望みがある。夢がある。それに向かっている。雪岡君との遊びは、そのための過程でもある。私は確かに雪岡君と、リアルな特撮ごっこをして遊んでいるが、この遊びにも重要な意味がある。互いに研究成果を出し合い、己が望みをかなえるため、切磋琢磨しているのだからな。徒に多くの命を踏みにじっているだけではない」


 そこまで語った所で、霧崎は入り口にいるビトンや真達の方へと振り返って、真剣な眼差しを向ける。


「私は三狂などと呼ばれ、雪岡君やミルクと同格とされているがね。確かに技術力や、超常の能力では、彼女等と比肩するであろう。しかし、だ。あの二人の目的は小さい。雪岡君は、この世の全ての者に、超常の力を付与するという目的。ミルクは、人間社会を転覆して、妖怪や魔物が人の上に立つ社会を作るという目的。一見して壮大なる野心にも見えるが、私から言わせてもらえば、凡俗な発想だ。つまらぬ。私の夢はもっともっと果てしなく大きい」


 喋りながらまた天を仰ぎ、両手を大きく広げてみせる霧崎。悪役らしい芝居がかったジェスチャーだと、幹太郎と睦月は呆れていた。


「まずこの世界から私以外の全ての男性を根絶する。そして地球を女の惑星にする」

「ホロコーストでもしたいのか?」


 霧崎のその発言に、ビトンが目を剥いて問う。睦月と亜希子は半眼になって呆れていた。


「俺は、百合様と俺だけで、アダムとイブみたいになる方がいいなあ。ハーレムなんかいらない」


 白金太郎が言ったが、全員黙殺した。


「馬鹿な。チョビヒゲにやられた事を被害者意識の盾にする一方で、似たようなことをそのまま他者に行っている、下衆極まりない誰かさんらと一緒にするな。私がそのような野蛮で低劣な真似などするものか」


 嘲る霧崎に、ビトンは顔をしかめ、拳を強く握りしめる。


「性転換ウイルスを世界中に拡散する気か」

「その通り。流石は真君だな。うんうん、賢いぞ」


 真の指摘に、にんまりと笑って頷く霧崎。


「現時点では不可能だがな。そもそも今の性転換ウイルスは、女も男へと変えてしまう。これでは無意味だ。男を女にするだけに留めなくてはいかん。そして、私の目的はこれだけではないぞ。ただ単に世界規模のハーレムを作りたいだけではない。地球を女の星にするのだ。つまり、森羅万象、この世のあらゆるものを女にするっ!」


 霧崎が力強く叫び、細い手を顔の前まで上げて、拳を握り締める。


「例えば私が住む神殿の床も柱も壁も天井も、全て女体で覆い尽くす。否、女体によって造られた宮殿にする。私の住む神都の道路も全て女体で埋め尽くす。神殿以外の建造物も全て女体製とする。車も女体で出来た車体とする。郵便ポストも女体だ。皿とコップも女だ。金槌もスリッパもカーテンもストーブも椅子も机もそろばんもペンも紙も女だ。電車と線路と駅のホームも全て女を敷き詰める。つり革もシルバーシートも女体だ。建造物だけではない。植物も人間の女の形になるように遺伝子操作して作りかえる。花や葉を完全に失くしてしまうのも寂しいから、植物女の体からそれらも生えたり咲いたりするように遺伝子改造だな。野菜や果物も全て、人間の女の形状になるようにする。無論、動物も鳥も昆虫も全て人間の雌の姿にする。ケモミミと尻尾と羽根くらいは原型を残していいな。線虫もアメーバもプランクトンもリケッチアもプラナリアも、残らず女にしよう。顕微鏡を覗くと、微生物が全て女体化している世界――素晴らしいと思わんかね? 自然物も全て女体にしてやる。富士山も女体が敷きつめられる。ギアナ高地も女体状としよう。世界三大瀑布もどうにかして女の形にする。世界中の深海の海底も、あますことなく女体で敷きつめねばならん。マリアナ海溝の底も女体でびっしりだ。活火山も当然女体だ。噴き出るマグマも女体化する。噴煙だって女体だ。世界中の遺跡も女体まみれにしよう。ピラミッドも古墳もアンコール・ワットもモアイもパルテノンもマチュ・ピチュも、全て女体で覆い尽くされるようにする。空に浮かぶ雲も全て女の形になるようにする。しかしここまでは所詮地球レベルでの話。いずれは宇宙の隅々まで女体化させねばならん。地球の形も、楕円球から女体の形に造りかえる必要がある。夜空に浮かぶ月も、女体として映るようにする。星座も女の形のみだ。太陽を含め、宇宙の全ての恒星を、女の形にする。もちろん、全ての惑星、衛星、彗星に至るまで女体化だ。ブラックホールも当然、女体状になるようにしなければいかん。全宇宙の星雲全て、どこから見ても女体として映るように、恒星の配置替えが必要だな。ガス雲も必ず女体状に広がるように、宇宙の法則を創りかえる。マクロの世界の手入れだけではない。ミクロの世界も女体にせねば。ありとあらゆる分子、原子、素粒子、一切合財全て何もかも女体にしよう」


 両手を広げ、恍惚の表情で壮大な野望を語り終えた霧崎に、半裸の美少女達は笑顔で拍手したが、他の面々は呆然とするか、シラけた顔になっていた。


「ふ~……やはり卑小な凡俗には、この崇高な夢と浪漫と理念と情熱が理解できぬようだね。まあそれも致し方なし」


 せっかく長広舌で夢を語ったにも関わらず、リアクションの薄さにがっかりとした霧崎が、残念そうな口調で言った。


「ここでは運動するには狭いな」

 呟き、霧崎が部屋の窓を見る。


「窓を開けてくれたまえ」


 霧崎の言いつけに従い、少女の一人が窓を開ける。


「とおっ!」


 掛け声と共に、霧崎の枝のような細い体が勢いよく跳び、窓の外へと飛び出た。


「ここ五階……」


 望が呟き、窓の外を見ると、道の真ん中に平然と佇む霧崎の姿があった。


「教授が……女から降りた……」

「寝る時もお風呂でもトイレでも、ずっと女の上から降りることの無い教授が……」

「あれは本気の証ですよ……。教授が久しぶりに本気です」


 少女達が緊迫の面持ちで口々に言う。


 外の道路に出た霧崎が、懐中時計を取り出して、視線を落とす。


「百四十五日と十三時間二十一分ぶりだ。私が女より地に降り立つのは」


 ニヤリと笑い、霧崎は飛び降りてきた窓を見上げる。


「さあ、来るがよい! 私を女の上から降ろしたこと、とくと後悔させてやる!」

「いや、自分から降りたんでしょ……」

「だよねえ……」


 得意気に叫ぶ霧崎を見下ろし、亜希子と睦月が呆れきった顔で言った。

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