第二十九章 29

 亜希子は中々アドラーに近づけなかった。アドラーの刃羽根がとにかく厄介だ。ひとたび腕を振るわれると、驚くほど広範囲に大きく広がり、何重にも何十もの小さな刃が続け様に飛来するため、回避の目測が非常に困難である。

 中距離からでの戦いを得手としている睦月と、ダメージを受けても容易く治せる白金太郎がメインで戦い、亜希子は様子見に徹していた。


「誰か近づいて来る。足音が……この人と似ている。訓練された兵士の歩き方とでもいうのかな。とにかくこっちに来る」

「どっちから?」


 望が報告し、亜希子が耳を傾ける。


「あっち」


 望が指した方向は、アドラーの後方だった。

 数秒後、脇道から一人の兵士が姿を現した。


「アドラーか」


 仲間の怪人変身後の姿は把握しあっているので、兵士はそれがアドラーであることもすぐわかった。


「待って! 僕達は戦う気は無かったし、この人とも普通に話していたのに、突然この人が襲い掛かってきたんだ!」

「白々しい……」


 望が呼びかけたが、兵士は鼻で笑い、怪人へと変身を始めた。


 追加でやってきた兵士は、全身の体色が真っ黒に変わり、目だけが黄色くなって光っていた。目玉はあるが、これも先程まで青かった瞳が、黒くなっている。


 睦月の刃蜘蛛がアドラーに襲いかかっているのを見て、真っ黒怪人は刃蜘蛛に狙いをつけて、攻撃した。

 真っ黒怪人が自分の足元めがけて拳を打ちつけると、アドラーのすぐ前方から真っ黒な腕が現れ、刃蜘蛛を下から殴りつける。


「白金粘土リルー!」


 白金太郎が真っ黒怪人を狙ってドリルを繰り出したが、真っ黒怪人の体が地面に引きずり込まれるようにして高速で消える。

 その直後、白金太郎の背後の地面より、真っ黒怪人が頭から飛び出してきて、白金太郎を背後から蹴り飛ばした。


「影と影を結んでワープするみたいなもの?」


 真っ先に正体を見抜いたのは望だった。亜希子が驚いて望を見る。


「いや、ワープと言えばワープだけど、正確には違うか。空間の歪みが見える。影を出入り口にして、凄い速さで移動している感じかな」


 望の目には、真っ黒怪人が影を入り口とした亜空間トンネルに高速に引きずり込まれ、短い亜空間トンネルを移動して、白金太郎の影を出口として現れる様が、全てはっきりと見えていた。


「影から影へあんな高速で飛びまわるんじゃあ、かなり厄介だねえ……」


 刃羽根鳥怪人のアドラーより、新たに加勢として現れた真っ黒怪人の方が手強いと、睦月は見る。


「黒いのは私が引き受ける。望、サポートお願い」


 望の能力の正体がどういうものか、何とはなしにわかってきて、亜希子が要請する。


「わかった」


 亜希子が自分を指名して頼ってきたことに、こんな状況であるにも関わらず、望は思わず顔を綻ばせてしまう。


「行くよ、火衣」


 静かな呟きと共に、真っ黒怪人の前に亜希子が進み出る。真っ黒怪人も亜希子を自分の敵と認識しつつ、己の影の中に、一瞬で足から飲み込まれるようにして消えた。


「動かないで、亜希子。そのまま前を見てっ」


 望ににつかわしくない鋭い声での警告に、亜希子は従う。亜希子の影か、亜希子の背後か横のどこから飛び出てくるかと思ったら、そうではないらしい。


「ようするに、自分の影に引きこもって、私が警戒してきょろきょろ周りを見た瞬間、飛び出てきて正面から襲うつもりってことよね~?」


 望の警告一つで、敵の目論見も望が伝えたいことも見抜いた。

 舌打ちと共に真っ黒怪人が自分の影から飛び出る。そしてまた再び潜る。


「僕の方に来てる。でも……」


 望のその言葉に、亜希子は血相を変えて望のいる方にダッシュをかける。


「大丈夫だよ。僕も霧崎教授に改造されているんだ。周囲の空間は全て把握できる。作られた亜空間も、空気の振動――音も含めてね」


 望が穏やかな口調で言い、その場を数歩飛びのいた。


「なるほど。影が移動すれば、出口に設定していたトンネルの門も閉じてしまうのか。つまり、元の場所に戻るしかなくなる。入り口は消えないみたいだけど」


 真っ黒怪人が作っていた亜空間も、望には全て認識できていた。目で見たわけではない。脳が超感覚によって、周囲の空間の在り方を全て認識している。


『超常の能力者の脳組織を脳に移植し、同様の力を得ることは、かなり不確実な賭けだ。雪岡君はよくやっているようだがね。しかし、だ。脳死に至り、脳のコピーをする段階となれば、その危険度は下がる。そのうえ、最初から培養するのであるから、能力の性能を強化することもできるかもしれん。君のコピーとなる脳は四つほど潰したが、試みは何とか成功したよ』


 どのような改造がされたか霧崎に聞いた時のことを、望は思い出す。


『元の持ち主の人格が影響されることもあるが、君の場合はそれも心配いらない。君の脳に移植した脳組織は、かつてタブーの一人とされた、谷口陸という男のものだ。私の最高傑作である黒斗君ですら手を焼きまくった男であるし、死体は絶対に引き取ると決めていたよ。特に脳をね。そして崩れないようにずっと培養液に入れておいたのだ。ああ、もちろん谷口君はもう死んでいるよ。霊魂は見当たらない。たまに脳移植で霊魂と精神がセットでついてくることもあるが、霊魂が無いのだから、その心配もしなくてよいだろう』


 後になって望は、その谷口陸という人物のことを調べて驚いた。日本の歴史でも稀に見る、凶悪連続殺人犯であり、しかもその事実は表通りのメディアでは公表されることなく、隠蔽されていたのだから、さらに驚きだ。


 亜希子は望の呟きを聞いて、真っ黒怪人が元いた場所に戻るのを見越し、走る向きを変えて、誰もいないのに残っている影へと突っ込んだ。


 真っ黒怪人が現れたと同時に、小太刀を突き刺す亜希子。真っ黒怪人はこれを咄嗟に右腕で受けて防いだが、腕を貫通した小太刀が、腹部にも少し突き刺さった。


 両者が離れる。亜希子の一撃は、真っ黒怪人の内臓には届いていないし、動くのに深刻な負傷があるほどのダメージでもない。しかし一撃を加えた精神的なアドバンテージは大きい。

 真っ黒怪人が影を使わずに移動する。アドラーの方へだ。ばらばらに戦うより、二人で組んで連携を取って戦う方がよさそうだと判断した。


 その真っ黒怪人の首が、宙を舞った。


「えっ?」

「はっ!?」

「へ?」


 望、亜希子、白金太郎がそれぞれ声をあげる。睦月は声こそあげなかったが、呆気に取られている。


 真っ黒怪人を殺したのはアドラーだった。視界に入るなり、攻撃を仕掛けていた。


「この人、敵味方の区別もないくらい頭壊れてたの?」

「ちょっとびっくりしたけど、そう考える方が自然だよねえ」


 亜希子と睦月が言ったその時、アドラーに変化が起こった。


 変身が解け、人間の体へと戻り、膝をつく。肩からは大量の血が流れている。

 肩の負傷だけではなく、変身そのものが暴走の結果であったが故に、肉体的にかなり衰弱しているのが、目に見えてわかった。頬はこけ、元からくぼんでいる目はさらにくぼみ、頭髪は真っ白になり、全身に血管が浮いて見え、肌は土気色だ。そのうえひどく荒い息をついている。


「う……うああぁ……ううう……」


 自分が同僚を殺してしまったことも覚えているらしく、首をはねられて倒れている兵士を見下ろし、アドラーは嗚咽を漏らし始めた。


「殺してくれ……」


 泣きながら懇願し、その場に突っ伏すアドラー。


「これって霧崎の仕業? こんな悪趣味なことするのね」


 まるでママみたい――と、口に出さずに付け加える亜希子。


「霧崎教授……こんなことをするような人なのかな? 違うような気がする。何かの手違いかも」

 望が言った。


「どうしようか? お望み通りトドメさしてやる?」

 白金太郎が尋ねる。


「この人をこのまま放っておくわけにはいかないし、霧崎教授の所に連れていこう。そして治してもらおう」

「本気ぃ?」


 望の言葉を聞いて、睦月が驚きの声をあげる。


「死にかけて苦しんでいる人を放っておけないよ」


 当たり前のようにさらっと返すと、望はアドラーを担ぎ上げようとする。睦月も溜息をつき、アドラーを起こすのを手伝う。

 望がアドラーを背負い、歩き出す。


「やめろ……またおかしくなって、君達を襲うかもしれないんだぞ……」

 アドラーが言う。


「そうかもしれないけど、だからといって置いていけるわけもないよ」

「また襲いかかってきたら、四人がかりで押さえ込むわ~」


 望と亜希子に続け様に言われ、アドラーはふとある事を意識した。


(ここは日本だ。あの呪われた地ではない。あの地の者なら、敵に情けをかけるなど、全く有りえない……)


 生まれ育った国、町、そこで憎みあう者達のことを思いだす。


「少し……話をしていいか? ただの与太話だ」


 しばらく歩いた所で、アドラーが口を開く。


 自分はもう長くない気がする。そう予感して、アドラーは死の恐怖と寂しさを紛らわせたくて、そして今まで溜め込んでいたことを誰かに聞いてほしくなった。


「私が兵士になったのは……姉の仇を討つためだった」


 望に背負われたまま、アドラーは口だけ動かした。


「自慢の姉だったよ。美人で、本人もモデルになる夢があって、しかしモデルのオーディションに行く前日のバスの前で、自爆テロにあって、私の見ている前で吹っ飛んだ。美しかった顔もぐちゃぐちゃになって、ひどいもんだった」


 何を思ってアドラーが語りだしているのかわからないが、とりあえず歩きながら黙って話を聞く一行。


「私は復讐のために銃を取ったが……心の中ではずっとひっかかっていた。自爆テロを行ったパレスチナ人の少女は十四歳だった。丁度エルサレムの――パレスチナとイスエラルの境界線付近に暮らしていて、毎日イスラエル人から酷い嫌がらせを受けていたという。彼女はイスラエル人に集団強姦され、助けに入った家族は目の前で殴り殺されたのだそうだ。それを訴えたところで、パレスチナ人がどんな目にあっても、警察は取り合ってはくれない。それが聖地(エルサレム)の現状だ。私がもし彼女の立場なら……きっと同じことをしただろう。実際同じことをしているしな。兵士になり、何人もパレスチナ人を殺した。私も恨まれ、憎まれ、殺したいと願われる者の一人になった。我々の教義では、我々の殺人と侵略は全て正義であると説いているし、それを盲信している者も多いが、私にはもう……信じられない……」


 信じられなくなったのは、日本に来てからだった。しばらく日本で暮らしているうちに、日本人という奇妙な人種と、日本という国の空気に触れているうちに、アドラーの魂にこびりついていた毒のようなものが、次第に抜けていってしまったのだ。それと同時に、幼い頃から教え込まれていた教義の傲慢さにも気付き、民族の誇りなどという呪いからも解放された。

 アドラーは知っている。自分はたまたまそうなっただけだ。たまたまいろんな要因が重なり、日本での出合いや出来事があって、感じることや考えることがあって、価値観が変わってしまった。仲間の兵士の中には、まるで考えが変わらない者もいるし、自分のように変化した者もいる。


「私は……日本に赴任して、正直ほっとしていた。日本に来てから十三年も経つが、あの憎しみに満ちた聖地(エルサレム)から解放され、魂が浄化されて、人に戻った気がする。今……体が化け物にされてしまったのは、罰なのではないかと、そんなことも考える……」

「どうしてそんな話を俺らにするの?」


 空気を読めない白金太郎が、平然と問う。亜希子と睦月が白金太郎を睨む。


「もしかしたら……ここで死ぬかもしれない。その前に……誰でもいいから、吐き出しておきたかった。私がずっと心に溜め込んでたものだしな」

「いい歳して、未成年四人相手にそんなこと吐き出す大人とか、かっこわるぐべあ!」


 余計なことを言う白金太郎を、睦月と亜希子がほぼ同時に、全く手加減無しに左右から殴りつけた。


***


 よりによって、悪事の首魁の一人である雪岡純子と遭遇してしまった、怪人兵士ネーサン・ポロッキーは、己の不運を意識しつつも、今すべき最善の手を模索する。

 戦うなと、交渉して貰えと言われた。その件については、仲間にもすでに伝達してある。真の言葉を信じるなら、つまり交渉して戦いの回避も可能という事だ。


 問題は、相手がどういう人物かわからないので、どのような交渉をすれば話を上手い方向に持っていくことができるか、それもわからないということだ。


「えっとー……君が霧崎と戦っている雪岡純子ちゃん?」

「そうだよー」

「えっとー……好きな食べ物とか何かな?」

「んー? カップラーメンかなあ」

「じゃあ……俺が生きてここから出られたら、カップラーメンをお礼に沢山送るから、その解毒剤入りケース、俺にくれないか?」


 引きつり気味の笑顔で、自分でも馬鹿馬鹿しいと思う内容の交渉をふっかける。

 純子が真顔になるのを見て、これはヤバいと思うポロッキー。


「お、おちょくってるわけでもなくて……いや、カップラーメン以外の高級な何かでもいい。いや、俺にできることなら頑張ってするから、できれば穏便にそいつを渡してほしい」

「じゃあ実験台になってほしいかなー」

「それはもうキツい……。今の時点で霧崎に改造されて、化け物にされたってのにさ。他の方法で、どうかここは一つ……」

「じゃあカップラーメンでいいかな。実験台にするにしても、こういう形のギブアンドテイクもどうかと思うし」


 言いつつ純子は、ケースをポロッキーに手渡した。


「ポロッキー、無事だったか」


 ポロッキーが安堵の吐息をつくと、ビトンが連れてきた兵士達が六人ほどやってきた。

 兵士達は純子を見て警戒するが、ポロッキーが解毒剤を渡してもらったことを告げ、警戒を解く。

 その後、純子とポロッキーは別れる。


「ポロッキー。解毒剤を二つも手に入れたのなら、一度門に向かい、解毒剤を保管した方がいい。一人で二つも持ってうろうろして、敵襲にあって二つ共失う危険性もある」

「そうだな」


 兵士の一人に促され、ポロッキーは門へと向かって歩き出した。兵士達も着かず離れずの距離を維持し、その後を追った。

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