第二十九章 10
改造手術を終えた望は、翌日から霧崎研究所の一室にてリハビリを行っていた。
特に違和感無く動けるが、大事を取って、今日は一日軽いリハビリをこなして様子を見ようと、霧崎に言われている。
半裸の少女達の指示を受けつつ、リハビリをこなしながら、望はずっと亜希子のことを考えていた。
命は助かったし、体も動くようになったが、その代償として、おかしな人間の玩具にされてしまった自分。再び生きて亜希子に会えるのだろうかと、不安で仕方がない。
(これで僕が死んだら……亜希子を二度哀しませることになっちゃう。それだけは何としてでも避けないと……)
自分の体がもうまともな人間のそれではないことを、望は知っている。しかし悲観している場合ではない。これから起こりうる試練を乗り越え、無事に日常に戻るためには、それも前向きに受け入れなくてはならないと考える。
(亜希子に会ってから、僕も少しは成長したんだな。前の僕なら、こんな風に気持ちを早く切り替えることなんてできなかった)
望は気弱で控え目なうえにネガティヴな所が多い少年だった。自分に全く自信が無く、コンプレックスも強い。行動力も乏しい。
だが亜希子と付き合うようになってからは、念願の彼女が出来たからにはこのままではいけないと思い、望なりに変わる努力をしてきた。亜希子もそんな望の姿勢をしっかり見守ってくれているし、亜希子に見守られているということを意識しただけで、力が沸いてくる。
休憩に入り、ふと指先携帯電話のディスプレイを開いてみると、亜希子からメッセージが幾つか入っていた。
自分の現在の境遇を考え、どう返信したものかと悩む。このまま心配をかけたままでは不味い。
思い切って電話をかけると、亜希子はあっさりと出た。
「心配かけてごめん。僕は大丈夫だよ。今まともに動けるようにリハビリしている所」
『今どこにいるの? 会いに行っていい?』
亜希子の声を聞いただけで、温かくも甘酸っぱい気持ちで胸が満たされる。いつもそうだが、今回に限ってはいつにも増して、強く、大きく、深く、激しく感じられる。
「あ、会えるのかな……。ていうか、住所がわからないな」
「霧崎研究所だ。地図にもちゃんと載っているぞ」
電話をしている所に、霧崎が乗り物半裸美少女軍団と共にやってきて、声をかけた。
「教えてもいいんですか?」
「君は何か誤解していやせんかね? 私は別に、君を監禁しているわけでもないのだぞ」
確認する望に、霧崎は苦笑いを浮かべる。
『聞こえた。じゃあ今から会いに行くね』
「うん、待ってる」
電話を切る。
(まさか霧崎教授……亜希子のことも実験台にしちゃうとか……いや、それはないか。何のかんの言いつつ、分別ある人みたいだし)
人をすぐに信じてしまうのが自分の悪い癖だと、望は自覚しているが、霧崎はおかしな人間でありつつも、信じられる一線をぎりぎりで越えない所にいると思えた。
「ふっ、彼女か。青春はいいものだ。そして、生きていてよかったであろう」
いつものようにニヤニヤと薄気味悪い笑みをひろげ、霧崎が言う。
「はい……教授にいろいろと世話になったおかげで……」
「君にだけは真実を教えておくか。君を動かせるようにしたのは私だが、君を脳死から回復したのは別の者だ。君は知らないだろうが、三狂の一人、草露ミルクに頼んだ。もし縁があって会うことが出来たら、礼を述べておくがよい。まあおそらく、その縁は無いだろうがな。何しろ人前には決して姿を現さぬ者であるし。そして私自身もミルクに第二の脳を作る方法を教授してもらったので、今後脳死の者であろうと、霊魂が冥界に飛んでいなければ、蘇生は可能になる。もしくは死の直前に霊魂をキープして、別の体に入れ替えるという芸も可能だ」
また霧崎が長広舌を始めたが、望には半分くらいしか話の内容を理解できなかった。
「そして君の死にたくないという気持ち、生きたいという強い気持ちがあったからこそ、君は死なずに済んだのだ。霊魂が肉体に留まっていたからな。もし霊魂が肉体から離れていたら、それで完全なる死。誰にも蘇生はできなかったであろう。もちろん生きたいという思いが強かったから、必ず死なないというものでもない。現時点で死と生と霊の法則は、不明点が多すぎて……」
「霧崎教授ってどういう人なんです? サイボーグ技術で人助けをしたかと思ったら、悪の怪人達と戦うなんて……」
長くなりそうな話を遮って、質問する望。
そもそも悪の怪人だの正義のヒーローだのが、フィクションだけではなく現実にいるという事に、驚きを禁じえない。
「私には大いなる夢がある。そのためには、技術の革新が求められる。そのために君の協力が必要なのだ。君が正義のヒーローとなって、悪の怪人達を助けるということ。それは単なる人助けではなく、私の夢の実現のためでもある。サイボーグ化による補助も夢の実現のためだ。富と名声を得る事も、夢の実現のためだ。もちろん、私の技術が世の役に立ち、人から感謝されるのも、悪い気はしないがね」
うっとりした顔で語る霧崎に、望はいろいろと思う所があった。
(こんなおじさんになっても、人前で恥ずかしげもなく夢かあると、嬉しそうに言い切るなんて……。僕には……大きな夢とかそんなものなくて、ただ毎日を追われるようにして生きている)
念願の彼女は手に入れたし、少しずつ自分がいい方に変わってきていることも実感し、それなりに満足していた。しかし霧崎の話を聞いて意識してしまう。きっと霧崎のような凄い人は、本人が言うように、それに見合った大きな夢を持っているに違いない。
自分もいずれ大きな夢を持ちたい。見つけたい。夢をかなえるための生き方をしてみたいと、望は漠然と思い始めていた。
***
望からの電話が入った後、亜希子はすぐさま霧崎研究所へと訪れた。
百合からも偵察してこいと言われたが、望とこんなに早く会えるとは思わなかった。もしかしたら何事もなく取り戻せるかもしれないと、亜希子は期待する。
『油断は禁物でしてよ。物事は大抵思い通りにいかぬものですわ。神様という底意地の悪い御方は、人を苦しめて遊ぶのが大好きですからね?』
出かける前に百合が、亜希子にそう忠告したことを思い出す。
(ママに言われてもねえ……。ていうか、ママは神様になりたくて、人を甚振るのが好きなのかって思っちゃうわ)
お前が言うな的な台詞ではあったが、忠告は一応心に留めておく亜希子であった。
「純子の研究所とはいろいろ違うのね~」
研究所の中を半裸の美少女に案内されて歩きながら、亜希子が呟く。見た目が巨大な洋館であり、中は洋館と研究施設がごっちゃになっているというカオスっぷりである。
応接室へと着いた所で、亜希子は半裸の美少女と二人っきりになる。
「ねえ……どうしてそんな格好してるの?」
訊いてはいけないような気もしたが、あえて口にしてみる亜希子。
「教授の趣味なんです」
案内の半裸の美少女が、あっさりと答える。
「恥ずかしくないの? 嫌じゃないの?」
「もう慣れましたし、嫌ではないですよ。教授が望むことですからね」
「一体どうしてこんな仕事してるの?」
「皆霧崎教授のことが好きですしねえ。一緒にいて面白い人ですし。それに私達全員、教授に命を救われたんです。それに加えて、他に行き場が無かったという人もいます」
笑顔で語る半裸の美少女は、嘘をついている様子は無かった。
「教授のハーレムは中々人には受け入れられないものですからね。特に女性には、不快感を覚える方が多いようで」
「趣味の悪さもさることながら、ハーレム作るって発想もキモい」
言いたいことをきっぱり言う亜希子。
「教授曰く、現実にハーレムを作るのには苦労する――だそうです。特に一人一人への気遣いが大変だと。その辺、教授はとても頑張っていますよ。私達の心をきっちりと捕えていますしね。そして教授曰く、人間は生物設計的には一夫多妻の生き物であるし、男性がハーレム願望を持つことは極めて自然――だそうです。むしろ男性でそれを否定するのは奇異であるとのことです。まあ、私も以前は男でしたから、その気持ちはわかります」
「ニューハーフさん?」
最後の台詞に、亜希子は驚いた。
「完全に性転換しましたし、その気になれば子供だって産めますよ? 脳構造の変化、子宮の存在、女性ホルモンの影響等で、メンタリティも女性のそれになってしまいました。霧崎教授の作った性転換ウイルスは御存知ではないのですか?」
「知ってるよ」
亜希子も知識としては仕入れてある。霧崎の事も昨日のうちにいろいろ調べておいた。サイボーグ製作だけではない。バイオテクノロジーの分野でも、霧崎は権威である。雪岡純子のレッドトーメンター、草露ミルクの吸血鬼ウイルス、そして霧崎剣の性転換ウイルス、この三つが世界三大人造ウイルスと呼ばれている。
やがて応接室へ霧崎と望が現れた。もちろん霧崎は半裸の少女達を多く引き連れている。彼女等の上を踏んで歩いてきている。
それより驚いたのは、つい先日まで寝たきりだった望が、ちゃんと二足歩行で歩いていることだ。
「望っ」
「あ……亜希子……」
椅子から立ち上がり、飛びつくように抱きついてきた亜希子を、望は驚きながらも受け止め、抱き返した。
「ふむ、ゴスロリ彼女か。病院で見たな。それはそれで良い趣味とも言えなくも無い、かな。望君の恋人というから、もっと質素な女の子を想像していたから、少々意外だ」
亜希子を見るなり、顎に手を当てて、霧崎が言った。
口には出さないが、霧崎からすれば趣味が合わない。というか女は素肌を晒してしかるべきというのが霧崎の信条であるため、露出がほとんど見受けられない亜希子の服装には、極めて否定的だ。
「望君は全身をサイボーグ化することで動けるようになったが、当分私の所で管理する。今日もリハビリを行っていたところだ」
亜希子を意識して告げる霧崎。嘘はついていない。管理してどうするかは口にするつもりもないが。
(やっぱりこいつ……望を帰す気は無いのね。ママの読み通りだったわ。ここで、望との再会を喜んでばかりいられない。探りを入れないと……)
そう考えると、亜希子は望から離れ、霧崎を見る。
「望は本当にリハビリ中なの? 何かおかしくない?」
亜希子の指摘に、望は身を震わせて驚き、霧崎は興味深そうに笑う。
亜希子はここであえて露骨な探りを入れてみた。自分をアピールせずに、怪しまれずに済ませるよりも、探りを入れて怪しんでいる事をあえて知らせていくスタイルにしろと、百合から指示されていた。
『霧崎剣とはそういう男ですわ。純子に負けず劣らずの好奇心の塊であり、愉快犯。興味を抱かせ、怪しまれることで逆に、余分に情報を引き出すことも出来ましてよ。あるいは、協力的にさせることもできるでしょう』
百合の言葉が脳内で蘇る。
「ふむ。何がおかしいと思ったのかね?」
細い顎に手をあてたまま、霧崎はにやにやと楽しそうに笑いながら尋ねる。
「リハビリ中にしては、普通に歩いているみたいだし、どうしてしばらく管理する必要があるの?」
「私が彼を治したのだが? その私の判断に素人の君がケチをつけてどうするのかね?」
にやつき笑いをはりつかせたまま、平然と言い返す霧崎。
「これは私の勘だが、君はどうも表通りの住人とは言いがたいね。裏通りの者……かな? それにしても、あまり裏通りにも染まりきってはいないようだが」
霧崎の指摘に、亜希子の顔色が変わる。よりによって望の前でそんなことを口にされるとは……
(こいつ、私より何枚も上手だ……)
言い返す前に、矛先を強引に逸らされたことで、亜希子は動揺し、上手い返しが思い浮かばなかった。
(亜希子が困ってる……。僕のせいで……僕を案じて……。僕が何とかしないと……)
望も、亜希子が霧崎に不審を抱いて探りを入れていることを、大体察した。
「望君はそのことを知っているのかね?」
霧崎が望の方を見て問うが、望は何も言わず、ただ亜希子の方を見て小さく微笑んだ。その顔を霧崎に見られないように、顔の角度を上手くズラしたうえで。
(亜希子にとっては触れられたく無い事ってのはわかった。亜希子を苦しませないために……安心させるために……)
望のその心遣いは亜希子にも伝わり、亜希子は安堵と愛情の念で胸が溢れかえる。
「亜希子は僕に隠し事をしてたのか?」
そのうえでなお、望は亜希子を問い詰めるように、キツい言葉を浴びせた。
突然の豹変に、驚いた亜希子であったが、直前の望の微笑を思い出し、どういうことか察する。
二人して、霧崎を騙してやり過ごすためだと。望は亜希子が霧崎に探りを入れようとした事も見抜いていた。そして霧崎のほうが上手で、下手に突っつくと逆に火傷することも。そして実際霧崎側から、亜希子の脆そうな部分を突いてきた。
ならば、喧嘩別れという演技をして、有耶無耶にしてしまう方がいいと考えた望である。
「僕は亜希子を信じていたのにっ。僕に隠し事して、危ないことに関わっていたのかっ!?」
明らかに普段の望のキャラでは無い言動にょって、亜希子には望の意図が全て伝わった。
「望だって何か隠してない? リハビリとか管理とか、この人に騙されてない?」
亜希子もそれに合わせる。合わせつつ、同じことを蒸し返す。
望から答えが返ってくることは期待していない。望の口からも言えないような事情があるのは、間違いない。
「人の気も知らないで、あれこれ突っ込んでこないでくれよ。僕がどんな目にあったと思ってるんだあっ!? あ……。僕はここから動けない。僕を治してくれた霧崎教授がダメと言ってるから、ダメに決まってるだろ」
(の、望……)
声を荒げようとしてトーンがおかしくなった望に、亜希子は吹きだすのを懸命に堪えていた。大声を出して怒るなど、これまでの生涯で、片手で数えるほどしかしていない望には、演技をするにしてはハードルが高すぎた。
「ふむ。知らない方が良いと言う事も、世の中にはある、か。例え恋人同士でも、隠し事くらいはあってよいものだな。ましてや望君は、君のことを思って喋らずにいる苦しい立場だとしたら? 君は彼を余計に追い詰めて、苦しめることになるなあ?」
ネチっこい口調で霧崎が、亜希子に向かって言う。
(騙されてくれたみたい……。でも、肝心の情報を聞き出すのは無理ね。何もわからないままってわけでもないけど)
収穫はあった。望の安否は確認できた。望と抱きあえた。望と心が通じて、うまいことやりすごした。そして望が明らかに、何か危険なことに巻き込まれようとしているのも、察することができた。
「私、今日はもう帰る。望の馬鹿っ、嫌いっ」
吐き捨てて、亜希子は乱暴な足取りで部屋を出て行く。
(嘘だよ、大好きだよ)
部屋を出た所で歯噛みしながら、泣きそうな表情で、声には出さずに告げておく。
望にもわかっていた。最後の言葉は逆だと。亜希子が不機嫌になることはこれまで何度もあったが、あんな態度で不機嫌さを表したことなどない。実にわかりやすい演技であり、実にわかりやすい本心の伝えた方だった。
「望君、いいことを教えてやろう。恋人間で喧嘩をした時にはだな、男が勝ってはいけない。負けてやるものだし、例え男の方が筋が通っていても、喧嘩をしてしまったことそのものに、男の方から謝るのだ。例え許してもらえなくても、ひたすら平謝りをせよ」
口に出さずに通じた二人のやりとりなど、全く気付いていなかった霧崎が、得意気にレクチャーする。
「ま、口喧嘩で女性に勝つなど、そもそも至難ではあるがね。相手が恋人であれば、勝ったところで自慢にもならぬ、恥ずべきことであるしな。そして最良なのは、喧嘩そのものをしないことだが、それはそれで難しい話だ。つまり、起こってしまってからのケアが大事だな」
霧崎のこのレクチャーだけは、心に留めておこうと望は思った。望の性格からすると、素直に感心できる話だった。
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