第二十九章 3

 大正の世より国に仕えてきた木島一族は、現在ではもう四人しか残っていない。

 時代が進むに連れて、一族の者が次第に離反していき、好き勝手に生きるようになっていった。裏通りに堕ちる者もいれば、表通りで普通に生きようとする者もいる。一族はそれを容認してきた。


「今時生き方を縛るなど有りえんからな。本人の意志に任せよう」


 それが先代頭目である樹の父の方針であったが、間違いなくその方針が衰退の理由だ。しかし樹は父が間違っているとも思っていない。


 木島の数の減少を、霊的国防に携わる支配者層の者は、木島の力そのものが衰退していると見なした。木島に仕事をあまり回さなくなり、たまに仕事が入っても、理不尽で危険な役目などを回された。その結果死者が出て、ますます木島は数を減らしていく事となった。

 支配者層の中でも比較的木島に目をかけてくれる白狐弦螺の推薦で、マッドサイエンティスト雪岡純子に改造してもらい、強き力を得る運びとなったが、四人全員が納得しているわけでもない。


「マッドサイエンティストなどという怪しい輩、私は信用ならん。片仮名呼びで分類される異名――この時点で信ずるに値せん」


 木島の館の居間にて、囲炉裏を囲んだ四人のうちの一人――最年長の林沢森造が、むっつりした顔で吐き捨て、茶をすする。年齢は七十から八十ほどに見える。老人ではあるが、体つきは大きい。腕も太く、胸板も厚い。まだ現役で戦っている身だ。


「森爺、わけわかんねーこと言ってんなよ。もう姫が決めたことなんだぞ。それにケチつける気かよ?」


 四人の中で最年少――まだ十代半ばと思われる少年が唇を尖らせる。やや目つきは悪いが、整ったその容貌は、紅顔の美少年と呼ぶに値する代物だ。後ろ髪だけを首と背中の境辺りまで伸ばしている。体も小柄だが、鬼の血を濃く引いている彼は、戦闘者として有望視されている。


「こらミキ、年上には敬意を払え」


 一族の棟梁である樹が、しっかりと背筋を伸ばして正座して、少年をたしなめる。


「やめてくれよ姫、それじゃ俺はこの偏屈爺にもオカマ野郎にも敬意払わなくちゃなんねーんだぞ? どっちも敬意に値するもんじゃねーだろ」


 少年――枝野幹太郎はへらへらと笑って憎まれ口を叩く。せっかくの容姿も、歪な表情で台無しにしている感がある。

 囲炉裏を囲んだ四人のうちの一人、和服を着た二十歳前後のロングヘアーの女性が、懐より和紙と筆を取り出し、和紙の端を片手で摘んだ状態で、器用に筆で書き出す。


『実戦経験も無い小僧っ子に軽く見られる謂われも無い』


 和紙を反転させ、達筆で書いた文字を他の三人に見せる和服の女性――芽室早苗。

 早苗は、見た目こそ完全に女性だが、肉体的には男性だ。性同一性障害で、心は女性のそれである。服装や化粧などで女性のように見せているが、性転換までには至っていない。声も男のそれであるがため、早苗は自分の肉声を発することを忌避し、常に文字での伝達を行う。


「そんなの、俺を認めてさっさと実戦投入しなかった姫が悪いんじゃないか。訓練では、早苗にも森爺にもひけをとってないだろ」

「技は磨かれている。才は有る。それは認むるが、心の鍛錬が不足したり」


 自己主張する幹太郎に、樹がぴしゃりと言う。


「でもそれもそろそろ十分だと見て、やっと実戦投入してくれるんだろ? やっと姫も俺を認めてくれたんだよな?」


 笑顔で確認する幹太郎に、樹は静かに頷いた。


「これより我等は禁断の領域に入る。さらなる力を求め、各々の肉体に改造を施さん。早苗と某はすでにその覚悟ができておる。幹太郎もその覚悟を示した。あとは実戦で技と心を磨くにあたらせる。そして森爺、雪岡純子殿を信ぜられざらば、お主のみ改造を免るる運びと致すが、如何に?」


 樹が森造に問いかけると、森造は頭をかいて大きく溜息をついた。


「信用ならずとも、私は姫の決定に従うよ。木島と共にあったこの命、全て木島のために捧げる。純血の鬼もとうとう姫一人になってしまった。もちろん国中探せば、他にも純血の鬼はいるだろうが、木島には最早おらんだろう」


 渋い表情と悲哀を漂わせる口調で森造。


「純血とまではいかなくても、血の濃い俺と姫の間になら、また純血の鬼が生まれる可能性が高いだろ? やっぱり俺が姫の婿候補だね。そうなる運命なんだよ」


 そんな森造とは対照的に、朗らかな顔で喋る幹太郎。


『エロ餓鬼、自重しろ』


 早苗が憮然とした面持ちで、達筆で書いた和紙を幹太郎の顔面間近に突きつける。幹太郎は和紙をひったくり、丸めてゴミ箱へと放り投げた。

 鬼の女性は滅多に生まれない。人との間に子を作る度に鬼の血と力は薄れ、弱まっていくが、鬼の血を引く女との間には、高い確率で、強い鬼の血を持つ、純血と呼ばれる鬼が生まれる。そして鬼の女もまた、全て純血種となる。

 だが鬼の女の個体数は少なく、滅多に生まれない。故に木島のみならず、鬼の女は自然と高い地位につく。


「一族の存続のため、そうならなければならぬのだぞ? 然らば幹太郎よ、お主は某の伴侶に相応しき男になるべし。今の未熟なお主など、某の眼中に入らず」

「言ってくれるなあ……姫。これでも俺頑張ってるだろ。いつになったら認めてくれるんだよ。どこまでやりゃ満足するってんだよ」


 ムキになって噛み付く幹太郎であるが、樹は澄まし顔のまま茶をすする。


「その台詞、某もいい加減聞き飽きておる。お主が今の自分に満足していようと、我等は一人としてお主を一人前とは認めぬ。お主が今の自分に満足して歩みを止めれば、おぬしはそれまでの者。人は一生歩き続け、鍛錬し続けしものぞ」

「いや、人じゃなく俺ら鬼だし……。はあ……わかったよ、畜生め」


 不貞腐れた顔で幹太郎は茶碗を取り、中の茶を一気に呷った。


***


 佐野望が入院している病院に、その奇妙な二人組が訪れた。

 一人は身長190を優に越える長身の男。すれ違った看護士は、褐色の肌と盛り上った筋肉の組み合わせが、艶かしい光すら放っているように見えて、思わず見とれてしまった。その精悍な顔つきも、十分美男子の範疇に入る。

 もう一人は、頭に猫耳カチューシャなどをつけた少年だ。これまた綺麗な顔をしていると、看護士は思ったが、彼女の好みは、長身の男の方であった。


「病院とか入るの久しぶりにぅ」


 少年が呟く。その手には大きなバスケットが持たれている。


「知り合いの見舞いとかで何度か訪れたことはあるが、あまり好きな空間ではないな。臭いも雰囲気も……いいものじゃない」


 オールバックにした頭髪から、一房前に髪が垂れてきたのを後ろに払い、長身の男――バイパーは言った。


「確かに息苦しさはあるにぅ。お年寄りが多いせいもあるにぅ」


 少年――ナルこと榊原鳴男も同意した。


 目的の部屋に着いて、バイパーもナルも揃って顔をしかめた。少し広めの個室に、燕尾服を着た痩せ細った男が、半裸の少女二人を椅子にして座っていたからだ。

 ベッドには呼吸器をつけられた少年が寝かされている。佐野望だ。


「久しいな、バイパー君。そして君は初対面だったかな。霧崎剣だ」

「ナルだにぅ。はじめましてにぅ」


 霧崎の女椅子に引きながらも、挨拶するナル。


『他に人はいないのか?』

 空気を震わせて音声が発せられる。


「いねーよ」


 バイパーが答えると、ナルの持つバスケットの蓋が内側から開けられ、一匹の白猫が飛び出してきた。


『こいつか……。霊魂はまだ飛んでないようだが……精神状態はどうだ? ナル』


 白猫――草露ミルクが、望とナルを見やり、尋ねる。


「強い執着で踏みとどまっているにぅ。でも……もしお医者さんに死亡宣告されたら、きっと飛んでいってしまうにぅ」

『そうか。で、わざわざ私を呼び出してまで助けたいとは、こいつはお前にとってそんなに重要な奴なのか?』


 ナルの言葉を聞いてから、ミルクは霧崎の方を向く。


「会った時にはすでにこの状態であったし、会話もしていないな」

『はあ? そんな奴をどうして?』

「どうしてだと? わからんのかね。私が無駄足になってしまうからだ。それは許せん。この私が駆けつけて、成す術が無かったなど、そのようなこと、断じてあってはならぬことだ」

『いや、成す術ねーでしょ、実際……。だから私を呼んだんだろうに』


 芝居がかった口調で喋る霧崎と、いささかげんなりしたトーンで話すミルク。


「成す術はあったぞ。この私の呼びかけだからこそ、ミルク、君は来てくれた。違うかね?」

『自意識過剰野郎が』


 ニヤリと笑う霧崎に、ミルクが吐き捨てる。


「それに、だ。ドラマチックだとは思わんかね。医者にも匙を投げられた命が、死の淵から蘇り、そのうえで正義のヒーローとなるのだぞ。もちろん改造するのは私だ」

『フランケン・シュタイン博士と、その怪物じゃねーか……。まあ、蘇生させるのは私だがな』


 ミルクが望のベッドの上へと乗る。


「どうやって蘇生させるんだよ……もう脳が溶けて、死んでるようなもんだろ」

 バイパーが疑問を口にする。


『以前も一度脳死からの回復をしたことがある。今回はわりと時間ギリギリだが、こいつの脳をもう一つ作り上げる。その昔、累から教えてもらった雫野流妖術の奥義――第二の脳の作り方を応用してな。霊魂さえまだ肉体に留まっているのなら、記憶や感情は霊魂のほうに宿っているから、そのデータを新しい脳に転写するという寸法だ。んで、古い脳と入れかえれば、はい元通り』

「まるでパソコンのお引越しみてーだな……」

『実際そんなもんですよっと』

「つまり死者蘇生は、パソコンの引越しと一緒って覚えておけばいいのか?」

『いや、そもそも死んでねーよ。これは現代医学の定義上での死であって、私に言わせれば霊魂がまだ肉体から離れていないなら、死じゃないですしおすし』


 バイパーと喋りながら、ミルクは望の遺伝子を解析しにかかる。


「教授と同じこと言ってますね」

 椅子になった美少女が言う。


「うむ。同じ見識だから話が早い。ミルクも草露流の優秀な妖術師であるしな」

『これから使うのは、雫野流の妖術だけどなー。ま、多分成功する。せっかく蘇生させるんだから、純子との遊びであっさり死なすんじゃねーぞ』


 精神集中する一方で、会話もこなす。これもミルクが二つの脳を持つが故の芸当である。


『あ、それと、治したのはお前ってことにしとけ』

「私には無理だと、ここの友人には言ってしまったのだがね。まあよい。わかった」


 ミルクの要望に、霧崎は小さく息を吐いて承諾した。


***


 亜希子の元に、武麗駆から電話がかかってきた。


「本当に……? 本当なの?」


 望が意識を取り戻したと聞き、自分の頬を何度もつねる。その目には涙が滲んでいる。


「望……助かったって……」


 泣き崩れながら、同室にいる百合を見上げて、かすれ声で亜希子が報告した。


(脳死の状態から助かる? そんなこと、本当に有りえますの?)


 一方で百合は、激しく不審を抱いていた。

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