第二十八章 4
自己紹介を済ました後、茶など飲みながら他愛無い雑談をしたり、あるいは真剣に症状の治療について語ったり、ドリームバンドを被ったり、隣の部屋と二組に分かれて会話をしたり、裏通りの情報の交換なども行って、ユマから見て、来訪者達にとってわりと有意義と思える時間が流れた。
ユマは月那美香のことをどうしても意識してしまうが、ドリームバンドを被ってトリップ中なので、話は聞けない。
(思っていたよりいい人というか、本当にクローンの救済のために頑張ってるのね。クローンの付き添いで、わざわざ足を運ぶくらいだし)
その辺は素直に認めないといけないと、ユマは改める。
人が急に増えても、それほどやかましくはないし、喋っていると問題の無い人ばかりという印象だ。特にユマが驚いたのは、あの悪名高い雪岡純子が、愛想がよくて気が回る人物であったことだ。
裏通りでは悪逆の権化として語られている彼女が、どう見ても悪人とは思えない。そもそも悪人なら、こんなに多くの人間を連れて、この施設を訪れもしないではないかと、ユマは考える。
「ユマさんはにゃんの仕事してる御方にゃのですにゃー?」
月那美香と同じ顔なのに、気の抜けた感じの表情と、にゃんこ言葉で喋る七号。
「私は盗聴器の製作と設置と探査を取り扱ってるの。フリーでね」
「ふにゃー、すごいにゃー。よくわかんにゃいけどドキドキする仕事だにゃー」
わけもわからず感心する七号を見て、この子は知恵遅れも少し入っているのだろうかと、ユマは思わず勘繰ってしまう。
ユマが盗聴関係の仕事を生業にしたのは、それこそ自分に適職だと思ったからだ。常に自分が誰かに見られ、噂されているという妄想に取りつかれているユマは、この仕事を行うことで、心の平衡を保っている。
この話をすると、「そんな仕事をしているからおかしくなるんだ」と言われるが、ユマにしてみれば逆なのだ。自分の被害妄想の性質をフルに活用できるし、何よりこんな自分への劣等感を和らげることが出来る事が大きい。
「実はあと一人……付き添い含めてあと一組だけ来るんだけど、大丈夫かなー?」
「ええ、問題有りませんよ」
純子の確認に、ペペは笑って応じたが、いくらなんでも手狭にならないかとユマは思った。
「よしっ、終わった」
ドリームバンドを外す美香。
「うちにあるのとは違うソフトがインストールされているな。七号も是非やってみろ」
美香が七号を呼び寄せる。ドリームバンドには容量その他の都合上、一つのソフトしかインストールできない。
「七号はこれだな。双極性障害用のだ。」
「そーきょくせーしんけんの使い手とか言うと、ちょっと格好いい気がするのにゃっ。ほにゃあああぁ」
ドリームバンドをかぶって、変なポーズを取って叫ぶ七号。
「こら! やめないか七号!」
調子に乗る七号に、美香がまたついつい声を荒げる。
「七号さん、愉快な方ですね」
「お恥ずかしい……」
真菜子が微笑み、美香は照れ笑いを浮かべる。
(真菜子さんはともかく、華子がほぼだんまりね……)
新人が大勢入って、居心地悪そうにしている華子を見てとるユマ。彼女はユマ以上に保守的なうえに人見知りが激しい。
「克彦兄ちゃんは毎日これかぶってるけど、こんなに種類がいっぱいあるんだ」
来夢もドリームバンドを漁りだす。流石に心の病を持つ者同士の交流施設だけあって、かなりの数が置かれている。ちなみに克彦はドリームバンドをかぶってトリップ中だ。
「健常者の方がかぶっても全く問題ありませんよ。心の疲れを癒してリラックスしてくれますしね」
ペペが来夢に向かって言った。
「空いてるならちょっと使わせてもらおうかな。これとか興味ある」
来夢が手に取ったのは、空中散歩という札のついたドリームバンドだった。
「ユマちゃん……ちょっと……」
だんまりだった華子が、ユマに声をかけてきて、視線で外に出るよう促す。
「ちょっと行ってくるね」
「はい、行ってらっしゃい」
ユマがペペと真菜子を意識して断りをいれ、華子と共に外へと出る。
「私……もう……来ないでようかな、ここ。でも、ペペさんやユマちゃんとは離れたくないし……」
外に出て二人っきりになった時に、ユマが予想していた台詞を華子は口にした。前にもこんな事が二度ほどあって、その度に彼女はユマに相談してきた。おそらくペペや真菜子にも相談していたであろう。
「騒がしくなった事にいらいらが募って……知らない人間が一気に増えて……やっていける自信無い。美香と七号って子は特にうるさいし、仲良くしていける自信が無い」
「華子さあ……それ、もう何度目よ……。新しい人が来る度に言ってるじゃない」
苦笑しつつなだめるユマだったが、今回ばかりは気持ちもわからないでもない。正直ユマも抵抗を感じている。
華子のこういう所に、ユマはうんざりしているが、特に華子とは親しくしていたいとも思っているので、しっかり聞いてやる。
「そうだよね……気に入らない人間がいるからっていうんで、逃げ回ってばかりじゃ……駄目だって、お姉ちゃんもいつも言ってる。いや、そもそも気に入らないと勝手に壁作っているの、私の方だし。理屈じゃわかってるんだけど……でも気持ちが制御できるか不安で……」
華子の言葉に、ユマは軽いショックを受けた。それは自分も同じだ。いや、同じどころかかなり大きい。
少しは認識を改めたとはいえ、ユマはあの月那美香が特に気に入らない。美香を意識する度に、美香が喋る度にイラついてしまう。
(私にも言えることだ。嫌っていようが何であろうが、彼女が悪い人間ではないのは確かだし、これからもここに来るんだから、私の方が悪い意識持たないようにしないと、華子に偉そうなことを言っている手前でも格好がつかないよ)
華子の台詞のおかげで、大事なことに気付けたと意識するユマ。
「私も頑張るから、華子も頑張ろう」
「ユマちゃんも?」
「うん。私も華子と似たような部分、あるからさ。神経質さでは華子に負けてないよ」
冗談めかして言うユマに、華子は微笑みをこぼした。
「純子が明らかに爆睡してるぞ。これをかぶったまま寝ても平気なのか!?」
ユマと華子が安息所へと戻ると、美香がペペの方を向いて尋ねていた。
「平気ですけど、寝ているのならスイッチを止めて外してあげた方がいいですね」
と、ペペ。
「どういうものか気になるから、私も使わせてもらっていいか?」
「どうぞどうぞ」
美香が伺い、ペペはにっこりと笑って了承する。
その三十秒後くらいに、美香も寝息をかきはじめた。
「疲れているのかしらね」
それを見て、真菜子がコーヒーカップを片手に呟く。
「裏と表で二束の草鞋だし、その間にクローンの子の世話もしているんだから、きっとハードなんでしょうね」
寝てしまった純子と美香の上に毛布をかけながら、ペペが言った。
(やっぱり……別次元の存在にしか思えない。私よりはるか高みにいる……。そんな人が、側にいるのが、しんどい……)
ペペの言葉を聞いて、ユマは再び陰鬱な気分に陥った。
***
夕方。全員帰って、一人になってから、窓の外を見て黄昏るペペ。
闇の安息所の一日がまた終わった。夕方の一人のこの時間、いつもペペは心地好い虚脱感に包まれている。
ペペは裏通りに堕ちてから、フリーで殺し屋をしていた。
裏通りに堕ちて殺し屋になる以前は、鬱病を患っていた。あの時は本当に辛かった。ペペは鹿児島の田舎の村で育ったが、田舎者の家族は、鬱病を理解してくれない。苦しむペペに対して、甘えで一蹴だ。
この理解されないという事こそ、心の病を持つ者にとって最大の苦しみだと、ペペは思う。
体の怪我や病気は理解してもらえるが、目に見えない心の傷や病は、理解されない。甘えで済まされてしまう。済ましてしまう。苦しんでいても蔑まれるだけ。
ペペはとうとう我慢できなくなり、家を飛び出し、裏通りへと堕ちた。
ペペは訓練を受けてフリーの殺し屋になった。フリーの殺し屋といっても、最底辺のチンピラで、表通りからの汚れ仕事の請負をしていた。争いは極力避けて、料金の安い楽な仕事だけを選んだ。それでぎりぎり食いつないだ。
人を殺すという仕事は、欝の緩和に効果的だったとペペは思う。少なくとも自分にとっては。
しかし、とある理由で、ペペは殺し屋をやめた。
長らく苦しみの中にあったペペには、ただ一つだけ、大事なものが残されていた。しかしそれさえ失ったショックで、自らの手で人を殺す気にはなれなくなった。
ペペは思う。人々がもっと仲良くできれば、自分のような悲劇を味わうことなく済むと。人の心が落ち着いて豊かになれば、皆仲良くできると。同じ境遇、同じ苦しみを抱えた者同士なら、仲良くもできると。
裏通りの住人にも心の病に犯された者は、きっと多いはずだ。そうした者達を見つけ出し、救わないといけない。そんな使命感を見出し、闇の安息所を開いた。そして――
(このいい子ちゃんぶりっ子が……まだ仲良く仲良くとうわ言みたいに言ってるの?)
ペペだけに聞こえる声が響く。
(とっくに破綻している事に気がついているくせに。気がついているから……私が貴女の代わりに……してあげ……)
「やめろっ!」
もう一人の自分に向かって怒声をあげる。もう一人の声が止まる。
ペペは日々嘲笑に悩む。自分を嘲るもう一人の自分。綺麗事にこだわる自分と、本能の赴くままの自分。二人の自分がいる。
カウンセラーという位置づけで、管理者を務めている身でありながら、ペペも心の病に侵されたままだ。しかしそれはひた隠しにしてきた。
「貴女みたいなのがいるから……争いが生まれて、人を傷つけ、苦しめるのよ」
蔑みをこめて呟き、ペペは窓から離れ、ソファーに崩れ落ちた。
***
マッドサイエンティスト久留米狂悪の不審は頂点に達し、苛立ちと共に疑惑へと変わっていた。
己の研究の協力者から、全く連絡が来ない。
闇の安息所という場所で、実験は行われる予定だった。実験結果を逐一知らせてくれと言ってあったのに、一向に連絡が無い。こちらから電話をかけても出ない。
何か不測の事態が発生したのか、あるいは……協力者の裏切りか。真相を確かめるべく、久留米は情報屋を雇って調べさせることを決意した。
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