第二十七章 27

 殺し合いをしている最中、真はたまに相手のことが漠然とわかってしまう事がある。

 今が正にそうだ。目の前の白人は、強い信念の元に生きている。そしてどこか自分と似ている。何故かそう感じる。自分と同質の何かを持っていると。

 もちろん具体的な事などわからない。そこまでわかったら、最早テレパスだ。そんなものとは違う。

 相手にも自分の事が伝わっているかどうか、それもわからない。ただ、真はアドニスの事が何となくわかった。それだけだ。


 真の回避がやや遅れ、アドニスの銃弾が至近距離で、真の脇腹に直撃した。

 貫くか貫かないか50%と言われる防弾繊維は貫かれずに済んだが、銃弾の衝撃は真に強烈な痛みとダメージを与えた。


 痛みを堪えながら、体を動かす。裏通りに堕ちる前、純子によって本物の拷問以上の拷問訓練を積まされた真は、苦痛に対してかなり免疫がある。腹の中を衝撃でシェイクされながら、その痛みを無視して戦闘を継続する。


(利いてないのか?)


 真がほとんどひるむこと無く動くのを見て、アドニスは動揺した。有りえない事態だ。


(俺のように厚めのアーマーを着用しているのか? そのようには見えないが)


 昨今の防弾アーマーであれば、銃弾の衝撃もかなり防げる。ただし、行動に支障が出るので、あまり着たがる者はいない。


 真が駆けながら銃を三発撃つ。一発はフェイント、一発は行動予測、一発はアドニスの頭を狙った。

 頭を狙うのは仕方なくだった。胴を狙った方が、命中する確率も高い。雑魚相手ならともかく、アドニス相手では、できれば頭は狙いたくないところだ。しかし銃弾をほぼ完全に防ぐ防弾アーマーを着用しているとあれば、胴を狙う意味は乏しい。服に仕込んだ防弾繊維とは強靭さがまるで違う。


 激しく不規則にステッブを踏みながら、ほぼ勘だけで銃弾をかわすアドニス。


 幕切れは、二人の予想外の形と早さで訪れた。


 アドニスが銃を撃っていないのに、銃弾がアドニスの方から飛来し、真のすぐ横の壁を穿つ。

 そしてアドニスは白目を剥いて、崩れ落ちる。


(誰だ? いや、何が起こった?)


 視界内に誰もいない。気配は無い。


 アドニスは頭から出血している。どうやら銃弾がこめかみの辺りをかすめたようだ。そしてその衝撃で、アドニスは脳震盪を起こしたと思われる。


「まさか……」


 真は推測する。真の撃った弾の一つ――おそらくはフェイントの意図で撃った弾が、どこかに当たって跳弾として跳ね返り、アドニスの頭部をかすめたのではないかと。

 有りえない話ではないし、真も幾度かそういうケースを聞いたことはある。しかしそれによって、拮抗する敵との勝負があっさりついてしまうという経験は、初めてである。


「締まらないな……」


 真が呟き、頭の中で憮然とする自分の顔を思い浮かべる。そういう事も有りうるとはいえ、これは実に後味が悪い。せっかくの好勝負が台無しだ。


(まあ……勝ちは勝ちだ。実力の勝利ではないけどな)


 運も実力のうちという言葉があるが、真はそんな言葉を信じない。運は所詮運に過ぎない。運による勝利も勝利であるが、それを実力と吐き違えてはいけないとする。それはただの結果であると。


***


(おい……これはどういうこった……)


 葉山の変貌は顔つきだけではない。顔面を強打され、鼻骨も頬骨も上顎骨も折られ、歯も何本か飛び、顔面からは夥しい血が流れていたはずなのに、出血が止まっている。


(再生能力があるわけじゃないな。ダメージは残ったままだ。しかし血は止まっている。気合いで止めたとでもいうのか? あるいは血小板を大量に出した? アドレナリンの作用?)


 理由――いや、真実はわからない。だが現実として止まっている。そして看過してはいけない現象だと、バイパーは感じ取る。


(何が何やらわからんから、注意のしようがないが、それでも要注意だ。手加減していられないな。この言葉は使いたくないが――殺すつもりでかからねえと)


 ナイフを手にして悠然と佇む葉山と向かい合い、バイパーは呼吸を整える。


「同じ苦戦にしても、一対一の形でなら悪いもんでもないぜ」


 グリムペニスのビルでの戦いを思いだすバイパー。あれも苦戦ではあったが、複数相手に翻弄されて動きを封じ込まれ、非常にもどかしく、つまらない戦いだった。しかし今回はそんなことはない。


 バイパーが呟いてから数秒、お見合いが続く。葉山から動き出す気配は無い。バイパーも動こうとしない。様子を伺いあっている。


 待つのは性ではないバイパーの方から仕掛けた。


 いつもはバスケット仕込みの動きで、左右にステップを踏んで接近するのが常のバイパーであるが、今回は何の小細工も無しに真正面から突っ込み、葉山の胸の中心めがけて拳を繰り出す。


 葉山に接近して、バイパーは怖気を感じた。

 ある程度近づいてみて改めて感じる。別人のようになった葉山。おどおどしていて、虚ろな眼差しで、ふにゃふにゃしていて、所在無げで、何よりキモかった男が、もう今はどこにもいない。目の前に立つ男にある、抜き身の刀身のような存在感。熱い闘志を滾らす眼差しと、空気をも焼き焦がしかねないオーラの燃焼が、近づいただけで自分の肌を焦がすかのような錯覚にとらわれる。

 恐るべき反撃が放たれる予兆が確かにあった。火中の栗を素手で拾いに行って、突然炎が噴出して、全身火傷を負うようなイメージが。


 バイパーの拳が空を切る。拳が突き出される直前に、葉山は軽くステップを踏み、体を横に入れかえていた。


 葉山のナイフが閃く。下から上へと。


 ナイフは急所を狙う武器だ。斬る際は首を狙う。しかしこの使い方はまるで刀のそれだと、バイパーは思う。

 硬化と軟化による防御をしたにも関わらず、バイパーの腹部から胸部まで切り裂かれ、血が噴き出る。内臓には達していない。皮と肉が少々切られただけだ。


(筋繊維の方向めがけて切れ目を入れました。次はその切れ目を狙います)


 驚愕の面持ちのバイパーを見据え、葉山は声に出さずに宣言する。


 狙うのはナイフによる突きでも、斬撃でもない。

 ナイフで斬りつけた後、葉山は間を開けず、立て続けに攻撃を繰り出す。ナイフを持っていない方の手――手刀をナイフで作った切れ目めがけて突き入れた。


 内臓まで侵入を許す前に、バイパーはその葉山の手を掴んで止める。

 そのままバイパーは葉山の腕を引き抜こうとしたが、葉山の手は中々動かない。凄まじいパワーでもって、抵抗している。


(俺の力より少し弱いくらいか? これは人間の力じゃないぞ……)


 マウスとして改造され、人のそれを大きく上回る筋力を持つバイパーとほぼ互角など、普通の人間には有りえない。


 しかしバイパーの方が若干力は上回る故に、じりじりとであるが、引き抜かれていく。


「悪い手だな」


 完全に葉山の手を引き抜く。そしてバイパーは、葉山の手を両者の顔の間まで持っていくと、歯を見せて笑う。葉山は涼しい顔だ。しかしバイパーの方は脂汗を噴出している。


 葉山のこの謎のパワーさえなければ、葉山の腕を片手でへし折ることもできようが、それもかなわない。

 バイパーは葉山の手首を握ったまま、フリーになっている手で、葉山の顔面めがけてフックを放つ。


 片手を取られた状態でありながらも、葉山は上体を前方下に落として器用にダッキングしてかわすと、ナイフを突き出し、バイパーの腹の傷口の部分めがけて刺し込もうとする。


 だがバイパーもそれを読んでいた。掴んだ葉山の手首を引き、大きくねじる。それによって葉山の体は大きく振り回され、ほぼ密着に近かった両者の距離が開く。しかし手は握られたままだ。


(潜在能力のリミッターが外れて、火事場の馬鹿力状態って所か? 筋力や反射神経が常人のそれを遥かに越えている)


 人間は常に力を抑えられている状態であるが、命の危険などに晒された際、無意識のうちに抑えられている部分が解放され、驚異的な能力を発揮する。それが所謂、火事場の馬鹿力だ。葉山は今おかしなテンションになったが故、それが外れたのではないかと、バイパーは推測する。


(だが体が頑健になったわけじゃあない。肉体の強度まではそう変わらない――だろ?)


 確信は無いが、いくら身体能力が上がっても、その部分に大きな変化は無いと考える。


 掴んだ葉山の手首を放す事無く、手前に引くバイパー。

 葉山の体が、再びバイパーの側に引っ張られる。その動きに合わせて――引っ張られたはずみで葉山の体勢が崩れている隙を狙って、葉山の胸部めがけて拳を放つ。


 確かなクリーンヒットの感触。しかし――

 葉山の体は破壊されてはいない。血こそ吐いたが、それだけだ。


(今のは……突き抜けるつもりで打った一撃だぞ……)


 クリーンヒットしたが、バイパーの拳は葉山の体で止まっている。バイパーの力をもってすれば、人体など容易く突き抜けるはずなのに。


 人の体では岩は砕けない。岩より人の方が強度も硬度も劣る。十分な運動力をもって接触すれば、人体の方が砕ける。

 だがバイパーは己の体の硬度を変えられる。さらには硬軟変化の組み合わせによって、衝突の際の反作用の衝撃も拡散できる。故に、人を凌駕した膂力と組み合わせて、岩をも砕ける一撃を放てる。


 そのバイパーの一撃を綺麗に食らって、葉山は肉体を破壊されることなく、耐えている。

 この時、バイパーは自分の考えが誤まりであったことを理解した。


(肉体の耐久力にも変化があるのか? いや……別の方法で防いだのか?)


 人は理屈を欲しがる。理由を知りたがる。この状況においてのバイパーは特に、その謎を、原因を知りたがる。何しろ戦っている相手の情報だ。


(その謎が解けなければ……同じ結果が繰り返される――か?)


 出血が止まった謎が、バイパーの脳裏に蘇る。


 葉山は死んでいない。肉体はもちろんこと、闘志もそのままだ。


 驚愕して動きの止まったバイパーの顔めがけ、葉山は頭突きを見舞った。

 バイパーは避けることができず、まともに食らった。硬化および軟化による防御は当然しているが、関節同様に、顔もそれらの防御を行うには適していない場所だ。つまり、防御の薄い場所である。


 渾身の力を込めて、さらに何度も頭突きを放つ葉山。鼻血を噴出しながら、バイパーは白目を剥き、掴んでいた手を離してしまった。

 当たり所が悪くて引き起こされた、軽い脳震盪。いくら頑丈かつ柔軟な肉体であろうと、こればかりはどうにもならない。脳を揺らす程の衝撃が来ないよう、防がないといけない。しかし食らってしまった。


「ジャーップ! ジャップ! ジャァーップ!」


 はっきりと攻勢に転じた葉山を見て、アンジェリーナが歓声と共に両拳を強く握る。


 一瞬意識が飛んだバイパーだが、すぐに覚醒した。


(この頭突きの威力も……まともな人間のそれとは思えねー……)


 そう思いつつバイパーは頭を引くと、しつこく頭突きを見舞ってくる葉山めがけ、自らも頭突きで応戦した。


 バイパーの放ったカウンターの一発で、葉山はあっさりとひるむ。足にきて、へたりこむ。頭突きの威力はバイパーの方が上だった。


 床に膝をついた葉山の顔面めがけ、バイパーは渾身の力を込めて膝蹴りを見舞おうとしたが、葉山はすぐに意識を覚醒させ、顔の前で両腕を交差させ、両腕に力を込めつつ、少しでも速く後方に跳んで逃れんとする。


 膝蹴りは両腕の丁度交差した部分をとらえた。

 後方に避けた分、威力が死んだという事もあるが、葉山の腕はバイパーの渾身の膝蹴りを食らいながらも、折れてはいない。


 バイパーが大きく踏み込んで、追撃をかける。自らの交差した腕によって、視界が遮られた葉山。顔の前で交差された腕を避けて、バイパーの右フックが飛ぶ。


 今度は避けることができなかった。まともにこめかみに拳を食らい、前のめりに崩れおちる葉山。

 今のフックとて、常人が食らえば頭蓋骨が粉砕されて、一発で致命傷だ。だがそんな感触は無い。岩を殴ったよりも固い感触に、逆にバイパーの拳が痛んだ程だ。


 それでも葉山には深刻なダメージだった。完全にダウンした。


(もう立つなよ……。いや……)


 祈りかけた自分に向かって、かぶりを振るバイパー。


「立てよ。まだ立てるだろ。さっさと立て」


 バイパーが静かな口調で声をかける。ダウンしたが、葉山の炎のような闘気は未だ燃え盛っているのが、バイパーには見てとれた。そんな相手に、立つなと祈りかけた自分が馬鹿らしく思える。


 葉山はゆっくりと身を起こす。自分を睨む葉山の眼差しを、バイパーは睨み返す。


 二人が同時に動く。互いへ向かっていく。葉山が体勢を低くしてナイフを、バイパーが拳を振るう。


 葉山はバイパーの死角である、バイパーから見て左側を意識して動く。バイパーの左目は溶肉液にやられて閉じたままだ。


 バイパーの拳は空を切り、葉山のナイフは――刃が折れて床に転がった。

 ナイフでまたバイパーの傷口を狙った葉山であったが、バイパーは傷口に神経を集中し、傷の断面すらも硬化していた。


 折れたナイフに葉山が気を取られたその瞬間――針の穴に糸を通すかの如く、ほんの一瞬の隙を狙い、バイパーは拳を繰り出す。

 放たれたバイパーのアッパーカットが、葉山の顎をとらえていた。


(やはり……骨が砕けた感触は無い)


 大きくのけぞり、倒れていく葉山の身体を見送りながら、殴った拳にひりつく痛みを意識しながら、バイパーは考える。


(謎はいろいろとある。こいつのこの異常な耐久力も、さっき感じたアルラウルネのざわめきも。こいつには普通じゃない何かかがある。それを知る術は無いがな。あるいは生きたままミルクの元に連れていって研究させれば、判明するかもだが)


 完全に意識を失い、床に大の字で寝て、闘志も途絶えた葉山を見下ろし、バイパーは大きく息を吐く。今度という今度こそ決着がついた。


「ぼろぼろだな」


 葉山を見下ろして呟くものの、自分の体も相当やられてぼろぼろであることを意識し、おかしくて笑ってしまう。


「ジャーップ! ジャプジャプジャップジャアップジャアアゥァウァウアァァァァァアアァァップ! ジャアアアァップ!」


 倒れている葉山の体の上に、アンジェリーナが喚きながら、背中から覆いかぶさって両手を広げた。


「ジャップゥゥッ! ジャアアァアァァァァップ! ジャップ! ジャアァアァップ! ジャップジャップジャップ! ジャ、ジャ、ジャ、ジャジャジャジャジャアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァァップ!」


 葉山を守る格好で、バイパーを見上げて懇願するかのように喚き続けるアンジェリーナを見て、バイパーは決まり悪そうに舌打ちする。


「シラけたわ……。糞が」


 葉山とアンジェリーナに背を向け、すっかり乱れて前に垂れまくっていた髪を血塗られた手で整え、オールバックに戻しながら、バイパーは真のいる方へと向かった。

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