第二十七章 25
「杏を殺した奴か」
真の様子が明らかにおかしいのを見てとりながら、バイパーは真を意識してその事実をあえて口にした。
「二兎を追う者は一兎をも得ず。復讐相手を二人に増やすってのもどうかと思うが、どうするよ?」
真の気持ちを落ち着けさせる目的で、バイパーは声をかける。
「俺はどっちかにしぼるのを推奨するぜ。まあ、どちらを捨てるかは言わずもがなだ」
バイパーは葉山を一目見て、見抜いている事がある。それ故に、葉山と真をやりあわせたくはない。
「殺し屋に殺されて、その殺し屋を憎むのも筋違いだろ。憎むべきは殺すのを命じた奴だ」
怒りを押し殺し、真が低く沈んだ声で述べる。その理屈は真とてわかっている。しかし感情面を完全に抑えきれるわけではない。
「どちらも相当できるな」
一方、真とバイパーの顔を一目見るなり、アドニスは久しぶりに心地好い緊張感を覚えていた。自分の力を思う存分出して、死の恐怖を色濃く感じながら戦える相手は、アドニスも歓迎する所だ。
(相手もきっと同じだろう。特にあの小僧はな。同類だ。見ただけでわかる。そして向こうも感じ取ってくれている。俺らみたいな人種は言葉を交わさなくても、向かい合っただけで、わかりあえちまうようにできている)
どちらかというと真の方を強く意識するアドニス。戦闘力ではバイパーの方がかなり上と見るが、自分に近い性質は真であると見なした。
「どうする? 一対一を二つの構図でいくか、それとも二対二で同時に戦うか」
葉山に話しかけるアドニス。
(あのデカいのは、俺では勝てるかどうか怪しいな)
バイパーを一瞥し、アドニスは素直に認める。肌が、肉が、内臓が、脳が、一斉に警告を出している。自分より格段に強いと。
「相沢真……」
葉山が悲しげな表情で真を見つめて、その名を呟く。
「知り合いか? やりにくいなら一対一を二組作って、お前はあっち相手するか?」
アドニスが葉山の顔を見て気遣い、親指でバイパーを指す。
「蛆虫の僕なんかにお気遣いありがとうございます。あの子の恋人を殺害したので……きっと……恨まれています」
「お前も知っていたのか」
葉山の台詞を受け、真が言った。
「いいえ、所詮蛆虫脳。今まで忘れていましたし、教えられるまで知りもしませんでしたけど、殺害依頼した百合に教えてもらいました……」
「仮にも殺し屋しているくせに、あっさり依頼者の名前バラすなよ……」
真が呆れる。アドニスとバイパーも啞然としている。
「ああ……ついうっかり。これも蛆虫であるが故。僕はもう駄目だ……生きてない方がいいんだ……。ついでに言うと一応殺し専門ではなくて、始末屋のつもりです」
「生で見ると噂以上にキモい男だな」
「ジャップジャップ」
バイバーが顔をしかめて言い、アンジェリーナも同意して頭部を二度、縦に振る。
「僕を殺したがっているなら仇を討たせてあげたい……。でも蛆虫だって蝿だって僕だって、生きている……。生きているからには生きようとしてしまう……。命を差し出したくても差し出せない。嗚呼……生命の業」
うつむいて床を足で小さく蹴り続けながら、葉山はぶつぶつと呟き続ける。
「始めるぞ……」
いい加減葉山についていけず、アドニスが大きく息を吐いて告げる。
「真、お前はそっちのイケメンをやれ」
「え?」
「お前じゃねーよ、キモ男」
バイパーの言葉に、顔を上げて反応した葉山だったが、吐き捨てられた言葉に愕然として、またうなだれる。
「このキモ男は俺が相手をする。おい、キモ男、こっちに来い」
「はい……蛆虫ですから、キモくて当たり前ですよね」
バイパーが手招きした後、踵を返して階段を下り、葉山もそれに従って階段を下りる。
「アンジェリーナは安全な所で待っていてください」
「ジャアァァップ!」
葉山の言葉にアンジェリーナは従わず、首を横に振って葉山に着いていく
「バイパー……」
「はっきり言ってやる。こいつはお前じゃ荷が重い。はっきり言わなくてもわかるだろうけどな」
何か言おうとした真であったが、バイパーは足を止め、それを遮るようにして言い放つと、そのまま階段を降りていった。
葉山が真の横を通り抜ける。その際に、彼は小声で真に告げた。
「ごめんなさい……」
申し訳なさそうに発せられたその一言に、真は一瞬力が抜ける。
(つくづくふざけた奴だ。謝ってどうなるんだ。謝ればそれで少し気が楽になるから、そのために謝ったのか? それとも僕の心をかき乱すためか?)
謝って許されるようなことではないとわかっていながら、それでも謝罪を口にする。表通りの住人ならそれでいい。しかし殺しを生業にするものがそれを口にした事が、真を憮然とさせた。
(僕の心をかき乱すため……ではないか。それならまだマシだが、今の言葉はこいつの本心なんだろうな。だから……だからこそ許せない。自分を蛆虫だのと自虐している事からしてみても、こいつは悲観する自分に酔っている屑だ。しかしそれでも……こいつの謝意は、本心でもある)
心底キモいが、根っから腐っているわけでもない。そんな男だと真は感じた。その時点で憎みきれない。
「俺としては、お望みの組み合わせとなった」
真に向かってアドニスが言った。
アドニスと向かい合い、真は目の前のアドニスに神経を注ぐ。
(葉山にかなわないのはわかるとして、こいつも中々どうして……僕と拮抗しているか、あるいは僕より少し上くらいか)
こうして向かい合っているだけで、アドニスから放たれる静かだが濃密な闘気の圧に押され、恐怖が首筋と背中をいったりきたりするのを感じる真である。
真の強烈な殺気も他者をひるませる。真もそれを意識して殺気を放つ。だがこの男は自分のそれとは全く質が違うと、真は感じる。ただその場にいるだけで、ただ見つめているだけで、相手を圧倒するような、異常なまでの存在力がある。
アドニスは無造作に銃を抜き、無言のまま戦いを開始した。
真も反応して、横に動きながら銃口をアドニスに向けるが、アドニスはその場から動こうとはせず、ただ銃を構えただけだ。
真が先に二発撃つ。一発はフェイントで回避先予測して撃ち、もう一発はアドニスの胸部を狙ったが、アドニスは避けようともしなかった。
胸に銃弾を食らった衝撃にも、ほとんど身じろぎすらしないアドニス。
(防弾繊維じゃないな。裏通りの住人にはあまり見かけないが、相当強固な防弾プレートを着こんでいるのか? 何にせよ、銃弾が当たっても平気な何かがあるという事か。しかも、弾に当たることに慣れているな、こいつ……)
アドニスの反応を見て、真はそこまで一気に推測する。
真が撃ったのを見計らってから、悠々とアドニスも撃った。いつ撃っても構わない。そんな余裕を持っているかのように、真には見えた。
アドニスが撃ったのは一発であったが、真は回避できなかった。脚を狙われていた事もわかったし、避けようと動いたが、その動きに合わせて銃口も動き、引き金が引かれた。
(僕も――)
銃弾はただ肉を突き破るだけではない。同時に衝撃を伴う。
銃で撃たれたことのある人間など、戦禍に晒された国でも無い限り、そう多くはないだろう。もし初めて撃たれたとしたら、その痛みと衝撃で混乱し、正常な判断力を無くすはずだ。
(慣れている。この感覚――鉛弾が体に当たる感覚に――)
知り尽くしている痛みと衝撃を受けても、真の心は揺るがない。次にすべきことも見失うことはない。
太股を貫かれ、真の動きが鈍ると見ていたアドニスだが、真は右斜め前方へと移動し、さらに左斜め前方へと、ジグザグに動いて迫ってくる。
この行動にはアドニスも意表をつかれた。その行動に加え、明らかにダメージを負っているのに、それを感じさせない動きの鋭さにも、驚きを禁じえない。
(銃の腕では劣ると見て、接近戦に切り替えるつもりか)
そう判断したアドニスであったが、違った。真が接近を試みたのは、その思考にいざなうための動きだった。
真が駆けながら、アドニスに向かって銃口を向け撃つ。頭部を狙って一発と、フェイントの一発。
アドニスはここで初めて、動いてかわす。
(あれだけ激しく動きながら、精密に狙って撃てるとはな。瞬間的に銃をしっかりと固定している)
真の射撃に、感心するアドニス。銃を撃つ際に重要なのは、ブレを防ぐための固定である。コンセントを服用していても、激しく動きながらその固定を維持して、一瞬で狙いを定めて撃つなど、離れ業としか言いようがない。
(最高だ。思った通りの、最高の相手だった)
鳥肌を立てながら、アドニスは自然と笑みがこぼれる。
(この小僧は、今この場に至るまでの間、どれだけ戦場を駆け抜けてきた? どうすればこの歳でここまでなれる? その磨きに磨いた心技体、存分にぶつけてこい。敬意を込めて、俺がお前のその旅を終わらせてやる)
真がさらにアドニスに接近する。アドニスが楽しそうに笑っているのを真は目の当たりにし、つられるようにして、無意識のうちに真も微笑みをこぼしていた。
(楽しいな)
真が声に出さずに呟く。どんな勝負事にも言えることだが、自分と実力が拮抗している者との戦いは白熱する。そういった者と巡りあえること自体が僥倖だ。
殺意と敬意を込めて、アドニスは真に向かって引き金を引いた。
***
真とアドニスから十分に引き離したと思われる場所で、バイパーは足を止めた。完全に一対一を二つに分け、どちらかが途中で加勢に行く前に、どちらもケリがつくようにした。
もちろん長引けばその保障は無いが、そう長引くとも思えない。
あの二人の力は拮抗していると、バイパーは見ている。もし同じ場所で戦い、葉山が自分の隙をついてアドニスの支援をしたら、それだけで一気に真には不利になる。一方で自分は、真の邪魔をしたくないとも思っていたが故に、こういう形にした。
遠くから銃声が響く。
「向こうはおっぱじめたようだぜ。じゃ、俺らもやろうか、キモ男」
バイパーが歯を見せて笑い、拳を鳴らす。
「キモ男ですし蛆虫ですけど、精一杯頑張らせていただきます」
「ジャアアアァアァァップ!」
テンションの低い葉山に渇を入れるかのように、アンジェリーナが握り締めた右拳を突き上げて叫んだ。
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