第二十七章 24

 それは真が中学一年になって間もない頃の話だ。


 その日、真と母の美紗は、父親の見舞いに病院へと行ってきた。

 物心ついた頃、真の父は交通事故に会い、それ以来、生命維持装置を取りつけられ、脳死状態となって病院で寝かされたままだ。

 真が幼稚園児だった頃の事故であるし、父親の記憶もおぼろげながらにある事はあるが、ほとんど無いに等しい。


「父方の両親が、生命維持装置を外す見当もしてるってよ」


 電車の中で、美沙は硬質な声で真に告げる。

 真はどう反応したらよいかわからなかった。正直な気持ちを言うと、あまり哀しいとは感じない。父親との思い出がほとんど無いからだ。しかし母は違う。


「私は正直諦めてる。お前は……まあ、父親のことをあまり覚えて無さそうだな。あいつも忙しくて、中々家に帰ってこなかったし」


 美沙が苦笑する。刑事をしていたとは聞いている。


「どんな人だった?」


 今まで一度も聞いたことのない質問を、あえてここでぶつけてみる。


「ようやくお前の口からそれが出たか。どうでもいいのかと思ってた。それとも今の私に気遣いしてくれたのか?」

「いや、初めて興味が沸いた」


 少し意地悪い口調で問い返す美沙に、真は思ったことを素直に口にする。


「警察なんかやるだけあって、正義感が強い人だったよ。悪い事は許せないっていう真っ直ぐさが凄くて。まあ、多少融通が利かないのが難点だったけどな」


 そう言って、珍しく母が微笑む。


「あの手紙をこっそり見てやしないか?」

「いや……」


 母からもらった、父親が自分へ向けて書いたという謎の手紙。二十歳まで読むなという手紙。しかし母は読んでいるとのことだ。


「あの手紙の内容から察するに、ヤバいことに首突っ込んで、それで……。いや、お前が見てないなら言うのはよそう。今となっては、私なんかにはどうにもできないことだし、どうともする気は無い」


 この台詞は覚えていたし、真も気にはなっていたが、真が裏通りに堕ちて以降も、進んで調べる気にはなれなかったし、実際に調べようとはしなかった。手紙も開こうとはしなかった。

 警察官が車にはねられて、犯人も捕まらないまま。同胞が事件に巻き込まれて命を落とした場合は、一般市民の事件とは比べ物にならないほど力を注いで、全力で事件解決を図る警察でさえも、ひき逃げ犯はわからなかったという程だし、今になって調べても、犯人は見つからないだろうという考えもあった。


「父さんがちゃんと無事でいればね。私ももう少し心にゆとりが持てたかもしれない。お前に辛く当たらず済んだかも。まあ、言い訳だけどね」


 今でこそある程度打ち解けているが、小学生の頃、真は母親から辛い扱いを受けていた。美沙もそのことを反省し、後悔して引け目にも思っている。


「お前に愚痴るのも何だけど、私もいろいろと辛かったんだ。あの人を失って、混乱してた。その後も混乱しっぱなしで、元々子供なんか好きじゃないのに一人で子育てするのもキツくて、そのうえお前は変な奴だったし。いや、今も変な奴だがな」


 その変な奴になったのは、あんたのせいだろうと思う真であった。


 結局その時は、父の生命維持装置を外すことなく終わり、外す決断は、裏通りに堕ちた後の真によってなされた。


***


 魂魄ゼリー本拠地ビルに入ると、エントランスには死体の山が築かれていた。マフィア構成員の死体もあるが、多くは薬仏警察署の警察官達である。


「胸がすっとする光景だ。薬仏市民全員に見せてやりてーよ」


 散乱する警察官達の死体を見渡し、にやにや笑うバイパー。


「撮っておけばいいんじゃないか?」

「俺はそんな悪い趣味は持ち合わせてねーんだよ」


 真の何気ない言葉に、バイパーは顔をしかめる。


 それから二人は、上に上がる階段を目指して、通路を歩く。当然だがエレベーターなど使わない。開いた瞬間蜂の巣にされたら、ほぼ逃げ場は無いし、何よりエレベーターごと落とされる可能性がある。バイパーならどちらも耐えられそうだが、真はひとたまりもない。


 通路を少し歩いただけで、通路の奥から無数の殺気が感じられた。

 真とバイパーは二人揃って同じタイミングで足を止める。遮蔽物もろくにない通路にて、通路奥の部屋に潜む魂魄ゼリーの構成員を迎える構えだ。


「お前のじーさん、ちょっとおかしくね? 戦うためにお前のこと呼び寄せておいて、それでいて部下をけしかけてくるとかさ」


 バイパーがけだるそうな仕草で、垂れてき一房の前髪をはねあげる。


「RPGのダンジョンみたいな演出して、僕達を楽しませてくれているつもりなんじゃないのか? 屋上にいるボスまでスムーズに一直線でも、つまらないと気遣いしてくれて」


 懐の中に手を入れ、真が微かに腰を落とす。


「どっちにしろ雑魚との戦闘なんて、時間潰すだけだから、いらねーんだよなあ」


 そう言った直後、バイパーは横の壁を思いきり殴った。轟音と共に壁に穴が開く。ただの威嚇で、それ以上の意味は無い。


「いきなり何やってるんだ?」


 真がジト目でバイパーを見上げた。


「いや、コソコソ隠れている奴等を驚かしてやろーと思って」

「僕が驚いた。一番近いし」

「そっか……。何か……悪い」


 バイパーが苦笑しかけたその時、通路前方の左右の扉が開き、部屋からマフィア構成員数名が手だけ出して、銃を撃ちまくってくる。


「何だ、あの引け腰は」


 運よく当たればいい程度に、こちらの姿も確認せずに撃ってくる敵を見て、真は呆れながら、扉から出ている銃を持った手を一つずつ確実に、撃ち抜いていく。


 悲鳴と共に銃が落ちる。


 埒が明かないと見たのか、中から無事なマフィアが何人か一斉に飛び出してきた。

 しかしその瞬間、真が反応して射殺していく。

 そのうちの二人ほどは、防弾繊維に阻まれて一命を取り留めたが、バイパーが投げた壁の欠片が顔面を直撃し、先に逝った仲間の後を追った。


 あっさりと殺気が途絶える。生存者はいるようだが、すでに戦意は無いようだ。真とバイパーが、マフィア達の潜んでいた扉に、ゆっくりと近づいていく。


 左右の部屋にはそれぞれ、最初に手を撃たれたマフィアが、撃たれた手を押さえていた。明らかに怯えた様子で、無造作に覗き込んだ真とバイパーを見ている。

 相手に戦意は無かったが、バイパーは容赦無く彼等にパンチやキックを一発ずつ入れていき、その一発で致命傷を与えて、きっちりととどめをさしていった。


「真面目な話、こいつらは胡偉に命令されていたと思うか?」


 死体を見下ろし、銃の弾をリロードしながら、真が声をかける。


「ただの侵入者と見て、自発的に襲ってきたってことか?」

「うん、命令が伝達されてないとかさ。あるいは……もう一人のボス、マードックの独断かもな」


 魂魄ゼリーには二人のボスがいて、その二人が今薬仏市にいることは、真とバイパーも知っている。


「胡偉が殺されても困るから、胡偉に内緒で部下に殺害命令ってことか?」


 有りうると思いつつ、バイパーが確認し、真が頷く。


「後者なら、それなりに腕の立つ奴も差し向けてくる可能性が高い」

 と、真。


「ボス戦前の中ボス戦つーことか」


 バイパーが歯を見せて笑い、また歩き出す。真もそれに続く。


 階段を発見した二人は、またそこで足を止めた。階段の上から何者かが降りてくる音が聞こえたのだ。

 足音の主は三つ。足音をさせずに歩く事も、気配を隠すような事もしようとしない。相手の察知などお構いなしに、堂々と階段を下りてくる。

 だがその足音の主のうちの二つを聞いて、真とバイパーは警戒を強めた。無意識の足運びだけ聞いてもわかる。一定以上の強者だと。


 足音は三人分であったが、階段を下りて現れたのは、一人の白人男性だった。アドニスだ。


「いい顔をしている」


 計らずとも、アドニスを一目見て、祖父と同じ感想を抱く真。


「おお、確かにイケメンだな。俺達の美的感覚での話だが」


 口角を片方だけ吊り上げて笑い、バイパーも言った。


 間違っても美形というわけではない容姿だが、表情はふてぶてしく、男臭さがこれでもかというくらい凝縮されたその面構えは、一部の同性を惹きつけるものがある。濃密な人生を送り、ひた向きに生き続けた者であることを伺わせる。

 加えて、その身から発せられる闘気は、幾度も死線を越えてきた男である事がわかる。


(かなりできるな。あの爺の前哨戦には勿体無いくらいだ。是非ともやり合いたい……)


 強敵とまみえた事への喜悦と共に、真がそう思ったその矢先――


「ジャアアァアアァァァップ!」


 真には聞き覚えのある叫び声が響いた。改造された彼女を何度か見たことがある。


「な、何だっ、あいつは……」


 現れたイルカ人間を見て、鼻白むバイパー。


「こら、アンジェリーナ。危ないから引っ込んでないとダメだって、何度言わせるのですか……。いくら不死身でも、流れ弾に当たれば痛いでしょうに」


 イルカ人間を追いかけるようにして、長身痩躯の日本人が現れたのを見て、真は全身の血が逆流するかのような錯覚にとらわれた。


「葉山……」


 真がその男の名を呟く。指先が震えて冷たくなり、動悸が早まっているのが、嫌というほど実感できた。

 その男と顔を合わせるのは初めてであったが、裏通りのネットで、その男の名も顔も出回っているので、知っている。勿論、自分の恋人を殺した張本人だという事も。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る