第二十六章 13

 ほころびレジスタンス事務所。


「またホルマリン漬け大統領から依頼がきてるよ?」


 十夜がメールボックスを見て声をかける。


「晃、今回は断った方がいい」


 凜が鋭い視線と声で、拒絶を促す。


「僕も断る気でいたよ。でも参考までに凜さんの理由を聞かせて欲しいなあ」

「落ち目だから」


 晃の質問に、侮蔑を込めて言い切る凜。


「落ち目の側に着くなんて馬鹿げてるわ。この争いは間違いなく殺人倶楽部側――純子が勝つよ。そもそもうちらは純子の方と懇意だし、こないだのあれは特例みたいなもんでしょ」

「なるほどねー」

「晃はどうして断る気でいたの?」


 十夜が尋ねる。


「何度も関わっているうちに、お得意様みたいな間柄になるのは、ちょっと嫌だなあってね。凜さんも言ったように、僕等本来は純子サイドだしねえ」


 肩をすくめて微笑み、晃はそう答えた。


***


「殺人倶楽部とか、純子はまたとんでもないもの作ったもんだねえ。そんで、ホルマリン漬け大統領と抗争かあ」


 雨岸邸リビング。ソファーに寝転んで、顔の上にディスプレイを投影した睦月が、裏通りのニュースサイトを見ながら言った。サイト運営は情報組織『鞭打ち症梟』だ。


「ママ、ちょっかい出したりしないの?」


 亜希子が小太刀――妖刀『火衣』の手入れをしながら、百合の方を見る。


「他人のゲームに乱入して滅茶苦茶にするのも、それはまたそれで趣向としては面白いものですけれど、今回は気が乗りませんわ」


 編み物をしながら顔を上げることなく、百合は言った。


「どうもあの殺人倶楽部というもの、純子の発想とは異なりますわ」

「そういう小説があるんだよ。それをモチーフに作られたものなんだ」


 と、睦月が教える。睦月はその小説の作者と面識もある。それはもちろん黙っておくが。


「『殺人倶楽部に入ろう』でしょう。知っていますわ。一時期世間を騒がしていたことがありましたから。小説の影響を受けて実際に人を殺した者が複数現れ、殺人倶楽部に入ろうは相当叩かれていましたわよ」


 巷で話題になった程度の知識でしか知らない百合だが、その知識さえ無さそうな睦月と亜希子に解説する。


「あの小説、俺読んだな。バッドエンドですっきりしない終わり方だったし、好みじゃなかったけど、あの本の熱狂的なファンは多いとか」


 白金太郎が言う。


「ハマる人にはハマる系な作品ということですかしら。純子が何故そんなものに感化されたのか、それも興味はありますが……」


 機会があったら調べておく程度に保留しておこうと、百合は思った。


***


「篭城戦に入れば、困るのはホルマリン漬け大統領の方だよー。何かしら決着をつける形の提案をしてくるだろうねえ。見栄えのいい、ゲーム的なものでさ」


 雪岡研究所リビング。ゲームをしているみどりに向かって、リビングの棚に並べてある戦隊もののフィギュアの埃をハケで取りつつ、純子が言った。


「純姉はわりと後出しの方が多い気がするわあ。先手打つこともあるかもだけど」

「ケースバイケースだけれど、私ねえ、見所ありそうな子の場合、できるだけ相手に先手とらせる主義なんだあ」


 みどりの言葉に、純子はにやりと笑う。


「だって、どれだけの力があるか見てみたいじゃない? その子が鍛え上げ、磨きぬいた力を受け止めてみたいって思っちゃうんだよねえ。ついでに、それが面白い能力とかだったりすると、見て楽しんでみたいしさあ」

「いかにも純姉らしいっていうか、わかりやすーい」


 わざと呆れたような声を出すみどり。


「ま、ホルマリン漬け大統領に関しては、そういうつもりは無いよー。言っちゃあ悪いけど、底の割れている組織だし」

「だからどんな手で来ても対応できるって過信してるのかな~。いつぞやはそれで失敗したんだよォ~?」


 かつてグリムペニスによって、純子が公衆に晒し上げられたことを指摘するみどり。


「たまには足元すくわれるくらいあった方が楽しいけど、一度私の足元をすくった相手に対しては、敬意も表して、二度目は全力でいくから」


 フィギュアの掃除を終えた純子が、ソファーに腰を下ろし、目を細めて不敵な笑みを浮かべる。純子のこういう笑顔は、あまり見たことが無いみどりである。


***


『火捨離威BBA』は、数年前に猫捨終造(ねこすてしゅうぞう)なる初老の男が設立した、表現規制団体である。


 健全な青少年育成の名の元に、PTA過激派とも結託し、創作物における過激表現を血眼になって探し、出版社やテレビ局に一斉抗議を行うのが、この団体の主な活動内容だ。時として会員同士で集り、ディスカッションなども行う。

 今回の集会は、これまでで最大規模の人数が集った。広い会場を借りて、会長である猫捨終造が重大発表を行うというので、全国から会員が足を運んだのである。


「どんな発表があるんざましょ」

「政治家の偉い先生に訴えて、漫画やアニメやゲームやラノベを厳しく取り締まる法律を作ってもらうとか、そういう嬉しい発表かもしれないざますわよ」

「あーら、そうだととっても嬉しいざーます。ていうか、いっそ漫画だのアニメだのゲームだのラノベだの、全部無くなるといいざます」

「全くざます。そうすればうちの子も、真剣にお受験に取り組むに違いないざーます」

「うちの子がだらけてるのも、そういった悪い媒体があるせいざます」

「あ、でもBLとレディコミの規制だけは勘弁ざます」

「それは大いに同意ざます」

「BLとレディコミは芸術枠だからノーカンざましょ」

「ところで殺人倶楽部が実在したっていう話。あれ本当ざましょうか?」

「くだらない小説ばかり書いた、犬飼一とかいう悪書作家のせいざーます」

「あんな不埒な輩が脳減文学賞取るとか、理解に苦しむざます」

「ところで随分と床が濡れているざますね」

「あーら、私も気になっていたんざます。水拭きしっぱなしでべちょべちょざます。何で乾拭きしないんざましょか」


 ぺちゃくちゃと会話しつつ、会員達は足元が濡れている事を気にするものの、その理由まで深くは考えなかった。


『皆さん、静粛に。携帯はマナーモードに設定してください。これより火捨離威BBA会長、猫捨終造による重大発表があります』


 マイクで告げられ、ざわめきが止む。


 壇上に初老の男が現れるが、いつもとは違い、ヨレヨレのシャツにスラックスと、随分とラフな格好をしていた。いつもはシックなスーツ姿だというのに。


『えっとー、実は私は、皆さんを騙していたことをここでお詫びします』


 猫捨終造の突然の発言に、再びざわめく会場。


『私がこの団体を設立したことそのものが、全てこの時のための悪戯でした。そもそも猫捨終造などという男はいません。私の正体は――』


 言いつつ猫捨が自分の顔の皮をめくる。初老の男の下から、壮年の男の顔が露わになる。


『皆さんの大嫌いな犬飼一でしたとさ。どう? このサプライズ』


 へらへらと笑う犬飼の顔を見て、会員達は呆気に取られた。夢かと疑い、頬をつねる者まで現れた。表現規制団体の創立者が、実は表現規制派達が目の仇にしている作家の一人であったなどと、想像できるはずがない。しかもそれを明かすなど、仰天のあまり言葉を失い、固まってしまう。


『しかしまあ、こんなのは序の口。本番はこれからさ。本日は皆さんのために、愉快なパーティーを開催しようと思って、集ってもらいましたよ~』


 犬飼がライターを取り出す。


『バーベキューパーティー、存分に楽しんでくださいねっと』


 ライターに火をつけ、床へと放り投げる。

 たちまち会場が火の海へと包まれ、無数の絶叫がこだました。


(ゆっくり見物したいけど、そうもいかないんだよなあ。こっちも煙に巻かれちまう)


 予め引火性が強く無臭の液体を大量にまいておいたおかげで、火はあっという間に会場全体を覆い尽くしていた。この液体は、犬飼が無臭の引火性液体というものを手に入れることができなかったために、純子に頼んで特別に作ってもらったものだ。


 予め確保していた脱出ルートを用いて、外へと出る犬飼。他の扉は全て外から鍵を閉めておいたし、通路も炎で覆い尽くすようにしておいたが、最初の点火でほぼ全滅しただろうと思っている。


「こいつは因果応報だからな。自分達のしでかしたことが周り巡って、こういう形で降りかかった。文句も言い訳もできないだろ。結果が全てだ」


 外に出た所で、業火に包まれる会場の中で焼け死んだ者達を意識し、語りかける。


(この時のために時間と労力かけただけあって、爽快ではある。どんなにご立派な理屈をこねようが、こいつらは所詮、自分の気に入らない物を潰したいというだけの奴等だからな。その自分達が気に入らない物を、好きな奴等だっているんだし、弾圧されるそいつらの気持ちは無視だ。だから俺も、こいつらと全く同じことをしてみましたよ、と。しかし……)


 浮かない表情になる犬飼。


「相変わらず人殺しは面白くないな。うん。人とは思わずにいようとする努力が必要な時点で、人殺しは楽しめない」


 本来仇敵である表現規制団体を立ち上げてその頭となり、規制派の人間を会員としてできるだけ多く団体に勧誘し、一箇所に集めて、会場で油をかけて火あぶりでまとめて規制派を殺害するという遊びは、思ったより楽しくなかった。


(何より、準備に手間がかかったのがいただけない。俺のやり方としては、非常に見苦しいぞ。車の前に猫を放って玉突き事故を起こすように、空気が乾燥した日に煙草を投げ捨てて大火事を起こしてみせるように、小さな力で大きな惨事を起こすやり方がよいのにな。綺麗でスマートなやり方が思いつかなかった。でもまあ、俺の一番嫌いな奴等が大分減ってくれたし、これはこれで良かった。それに何よりも……)


 自分の書いた本が昔から規制派によって激しく槍玉にあげられていたので、意趣返しのために、この長期プランを実行した――のではない。いや、それもあるが、それよりもっと重要な理由がある。


(放っておくと、そのうち優がこいつらを殺しかねなかったからな。光次さんを小説家として持ち上げた連中はどうしょうもないが、こっちはどうにでもなる。そして優の本当の憎悪と怒りは、こいつらにこそ強く向けられていた。その原因が俺にあるっていうのが、何とも尻がこそばゆいぜ。しかしだからこそ、放っておけない。こんな奴等の汚い血で、優を穢したくはない。過保護かもしれんがね)


 それこそが、犬飼がわざわざ自分で組織を作ってまで、自分を叩いた連中を集めてまとめて殺した、最大の理由であった。


(殺人倶楽部に入ろうなんて小説書いたけど、俺には人を殺したい気持ちも、実際に殺してみて面白いと思う気持ちもよくわからんから、本当に殺した奴や、殺したくてうずうずしてる奴が見ると、歪なのかなあ。今度優の仲間にでも聞いてみるかねえ)


 燃え上がる会場に背を向けて立ち去りながら、犬飼は思った。

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