第二十六章 5

 自分の親は正真正銘の馬鹿だったと、卓磨は思う。人間の幸せは、子供の頃にひたすら勉強をして、良い大学に入って、良い会社に入ってお給料をいっぱい貰うことが全てだと、そう頭から信じて疑っていなかった。その考えに取り憑かれていた。その考えを強要してきた。

 自分が取ってくる点数に一喜一憂していた母親の、あの気色悪い顔を思い出すだけで、反吐が出そうになる。最早それは狂気そのものだったと、自分の親を振り返って、卓磨は思う。


 大学に入った所で、ようやく将来のことを真剣に考え、卓磨はそこで自分が正気に戻ったと感じた。同じ大学に来ている学生達――彼等は何を思って必死に受験勉強などに人生の貴重な時間を捧げ、ここにいるのだろう? 確固たる将来の幸福のヴィジョンが見えているのだろうか? 少なくとも自分には全く見えない。

 自分の満足できるやりたいことがあれば、それはとても幸せかもしれないが、卓磨にはそれが見つからない。


 子供の頃に友達と遊びたい時に遊ぶ事もできず、こっそり遊びに抜け出したら親に悪鬼の形相で叱られ、無理矢理机の前に座らされ、参考書を山ほど与えられ、何の意味があるのかわからない文字や数字と戦わされたあの経験によって、自分がやりたいことが見つかる助けになるのだろうか?

 社会に忠実な奴隷ランク判定で高い成果と証を得ても、他人より高い年収を得たとしても、それで幸福になるとは、どうしても卓磨には思えなかった。


 大学に入ってすぐ、卓磨は親に反発し、家を荒らした。今まで言うことを聞いていた自分達の生き甲斐が――子供という名の忠実なペットが、突如怪物と化した事に、両親は縮こまって震えるだけだった。それを見て卓磨は余計にイラつき、親を脅し、貯金を全て出させて、家を出た。


 家出して一人暮らしを始めてからしばらくして、母親は死んだ。忠犬だと思っていた息子の裏切りと離別が堪えて、拒食症にかかって体を壊し、あれよあれよという間に衰弱して、肺炎で死んだという話だ。

 母の死は卓磨にも堪えた。何もかも放り投げてしまいたい気分に陥った。


 それでも大学に通い続けていたのには、理由がある。友人の洋二がいたからだ。

 洋二を見捨ててはならないと、卓磨は強く思った。彼は他人に言われたことは忠実にこなすが、自発的に何もできないという、困った性分の持ち主であった。そして付き合っているうちに、好きでそういう生き方をしているわけでも無い事がわかった。


 小さい頃から愚直で不器用。友達も中々作れず、遊んでいる級友を羨ましそうに眺めていたと洋二から聞き、卓磨は己と姿を重ねた。だがその遊べなかった理由は違う。自分は親のせいで、遊ぶことを一切許されなかった。洋二は自分から動くという事ができなかったのである。

 誰かに命じられないと、何もできない。誰かに手を引っ張ってもらえないとどこにもいけない。洋二はそんな男だった。言いつけられれば無心で集中して、驚くほどの成果を出す。天才と言っても過言ではないものであったが、その才能が発揮されたとしても、それは洋二自身が望んだものではない。


 卓磨はどうにかして、洋二の心を縛っている原因を突き止め、彼を解放してやりたいと思った。洋二の家族も訪ねて、どうしてこうなったかも聞き出そうとした。

 今まで友人など一切いなかった息子に、卓磨という友人が出来た事を、洋二の親は驚きと共にいたく感激していた。しかし洋二がこうなってしまった原因は、家族にもわからないという。洋二の両親も、洋二の事では悩んでいるようであった。

 洋二の親が、自分の親とは比較できないほどまともだったので、何となくほっすとる卓磨であった。


 聞いた話によると、洋二は子供の頃から、何かするように言わなければ、室内でも延々と何もせず虚空を見上げるだけであったという。

 外へも出かけない。空いている時間に、せめて勉強でもしろと言ったら、ずっと勉強し続ける。しかしその勉強にほとんど意味は無い。何しろ学校で一度習うだけで、大概のことは覚えてしまうし、計算ミスも一切無いという、極めて高い知能の持ち主であったから、繰り返し勉強し続ける事に何の意味も無い。


 洋二は家族にも中々自分の心を見せず、かといって反発しているわけでもない。感情も見せるし、家族を慕っているのもわかる。だが自分の気持ちをうまく表せず、誰かに言われなければ何もできない洋二が社会に出て行く事を考えると、洋二の両親はずっと不安であったという。


「ありがとう、卓磨」


 ある時、洋二は礼と共ににっこりと笑ってみせた。照れくさそうに微笑むことは何度もあったが、ここまで満面の笑みを見せたのは初めてで、卓磨は驚いた。


「僕なんかのこといろいろ気遣ってくれて……」

「いやいや……俺は本能の赴くままだから」


 照れくさそうに言う卓磨。


「本能?」

「こうしたいと思ったからこうしている、それだけなの」


 尋ねる洋二に、卓磨は誤魔化すように言った。ダチが困ってるなら助けるのは当然と答えようとしたが、恥ずかしくて言えなかった。


「お前だって今の自分のままで満足しているわけじゃなんいだろ? でも一人じゃどうにもできないなら、手を差し伸べて助けてもらうってのもありじゃないか?」


 卓磨が問うと、洋二の笑顔が曇った。


「うん……自分で自分のこと決められない自分ていうのが、おかしいってことはわかってるし、どうにかしたいけど、どうすればいいのかわからなくて……」

「どうにかしたいって気持ちがあるのなら、理想の自分を目的にして頑張ればいい」


 そう言いつつ卓磨は、この時、洋二を少しだけ羨ましく思った。マイナスからプラスにする目的とはいえど、目的は目的だ。目的があるというだけで、とても羨ましい。


「うん、頑張ってみる」


 再度満面の笑顔になって、洋二はいつになく力強い声で言った。


***


 まず四人の敵のうち、二人をうまく自分に引きつける事からして難題である。


 冴子と血まみれ会員が自分の敵を見定めて攻撃しにいったが、残り二人が素直に卓磨に来たかというと、そうはならなかった。


 一人は卓磨に来たが、残り一人は冴子と戦っている者への援護へと向かってしまう。

 冴子は近接戦闘を得手とする。一方で敵はいずれも銃という飛び道具を持ち、しかも荒事に慣れた襲撃者だ。いくら冴子でも苦戦を免れない。卓磨が相手をする方がずっとマシだ。結局冴子の振り分けが正解だ。


 卓磨が自分へと銃を撃ってくる者をスルーして、冴子に向かう二人目を、自分に引きつけようと突っこんでいく。

 すると最初に卓磨に攻撃してきた者は、卓磨がどうしたいのかあっさりと見抜いたようで、卓磨を無視して血まみれ会員の方へと向かい、二対一が二組で、卓磨だけが誰も相手をしていないという、最悪の構図になってしまった。


(糞っ、何やってんだよ、俺。頭使え、俺。こんな時どうすればいいのか)


 学校でも塾でも参考書でもお受験合宿でも、こんな時どうすればいいかは習わなかった。当たり前だ。


(このままじゃ不味い。どうする? どうすればいい? 洋二……)


 すがるように、洋二のことを思い浮かべる。


 洋二は計算ミスを一切しない、コンピューターのような頭の持ち主であった。きっとこの状況でも、即座に計算して、正解をすぐに出すだろう。


(計算……)


 ふと卓磨は閃いた。


(小学生低学年レベルの、単純な一桁の足し算引き算じゃないか。本当何やってんだよ、俺。パニくってこんなこともすぐ思いつかなかった。本当に馬鹿だ)


 この状況でほぼ確実に自分が二人引きつける方法はある。実に簡単な問題だった。


(ちょっと冴子、我慢しててくれ)


 心の中で呟き、卓磨は血まみれ会員の方へと向かい、血まみれ会員と殺し屋二人の間に立ち塞がる。

 血まみれ会員との間に立ったことにより、これで一対一が二つの二対二か、さもなくば、敵二人が卓磨に集中するという形になった。背後や横から攻撃した場合、確実に一対一が二つになってしまう。敵の前に立つことが重要だ。加えて言えば、自分の背中側に冴子がいる形にならないといけない。


 そしてここから確実に自分に二人を向け、冴子から一人引く方法は――実に簡単だ。引き算と足し算だ。


「あっちの援護に行ってくれ!」

「あいよっ」


 血まみれ会員に声をかけ、冴子が相手をしている二人のうちの一人へと向かってもらう。これで予定通り、卓磨が二人引きつける格好となる。

 敵は卓磨が二人を担当しようとしている事も見抜いていたが、この状況になってなお、卓磨をスルーするというのは、今度はそれぞれの位置的に、敵側が難しい。というか、この期に及んでやる気にならない。そうなるとまた卓磨がしつこく入れ替えや二人担当へと回ることになり、落ち着いて戦えない。


「いくぞ……」


 小さく呟き、卓磨は左足で軽く一度足踏みする。


 二人の殺し屋が銃を撃ってくる。卓磨はかわそうとしない。その必要も無い。


 四発の銃弾が、卓磨の前で、まるで見えない壁を穿って食い込んだかのように、空中に制止していた。

 やがて弾は地面に落ちる。


 さらに卓磨は足踏みを一度行う。やはり左足で。


 殺し屋達がさらに銃を撃つが、結果は同じ。


 業を煮やしたかのように、殺し屋の一人が手榴弾を抜き、投げつけて退避した。もう一人も慌てて後退する。


(これは不味いか)


 自分の能力の容量を超えるかもしれないと恐怖しつつも、卓磨は左足で足踏みをして、能力を発動させる。

 目の前で爆発が起こる。手榴弾の威力は控え目であり、爆風は血まみれ会員や冴子には届かないが、どう考えても卓磨は爆死しているであろう規模の代物であった。


(やっぱり……防ぎきれなかった……)


 だが、卓磨は生きていた。仰向けに倒れ、血まみれであったが、爆風の威力は、能力でかなり防いだ。


 卓磨の能力は、左足で足踏みすることで、自分の周囲のエネルギーを吸収するという代物だ。銃弾の運動エネルギーも、単純なパンチやキックにかかる力さえも、限りなく無にしてしまう。吸収したエネルギーは蓄積される。

 右足を踏むことで、蓄積したエネルギーを自分から半径10メートル以内の任意の場所で、解放することができる。ただし、いつまでも蓄積しているわけにはいかない。三十秒以内に蓄積したエネルギーを解放しないと、自分を中心にそのエネルギーが解放され、相応のダメージを受けてしまう。


 寝転がったままの状態での足踏みでは駄目だ。ちゃんと立った姿勢で行わないと、能力の引き金とならない。


(立てない……。ヤバい……立って足踏みしないと、ここで……俺の体で運動エネルギーが爆発する……)


 爆発のショックとダメージにより、体がうまく動いてくれない。死の恐怖にとらわれる卓磨。


 死を意識したその時、洋二の笑顔が、卓磨の脳裏によぎる。


(俺が死ねば、洋二が俺だけに訴えた気持ちも、俺の前で見せたあの笑顔も、誰も知る者はいなくなってしまう。あいつの記憶を消さないためにも、俺は死ねない。それに……生きていればまた俺は、どこかの誰かの力になれるかもしれない。こんな俺でも誰かを守れるかも)


 わずか三秒の間にそこまで一気に思考すると、卓磨は歯を食いしばり、少しずつ身を起こしていく。


(俺も……馬鹿な親とはいえ、守られて育てられてきた。今度……お墓参りに……そして謝りに帰ろう。俺の中でけじめつけるためにな)


 ふと、そんなことを思い、卓磨は身体を入れ替えて四つん這いになり、そこから腕の力も使って一気に身を起こして、直立した瞬間に右足を踏んだ。


 殺し屋二人のいる間で、爆発が起こった。銃弾数発分と、手榴弾で蓄積した分のエネルギーの解放。


「こんな所で死ねるかよ。こんなつまらない俺なんかでも、死ねない理由は沢山だ」


 血まみれで不敵に笑うと、再び崩れ落ちる卓磨。丁度冴子と血まみれ会員の二人も、敵を撃退している光景が視界に映る。


「その傷は竜二郎に治してもらいましょ。あいつがちゃんと回復の力をストックしていればいいけど」


 冴子がやってきて、卓磨の傷口の特にひどい箇所に、ハンカチを巻きながら言う。

 それら冴子が竜二郎に電話をかける。


『こちらも襲われました。どうやら刺客達は今日一斉攻撃するように、ホルマリン漬け大統領から依頼されているようですよ。会員達が襲撃を受けた報告が相次いでいます』

「報告できるのは、撃退した奴と、逃げおおせた奴だけか。一応俺達も報告して無事をアピールしておこう」


 竜二郎の報告を受けて、卓磨が言う。

 冴子と血まみれ会員が頷き、殺人倶楽部専用のSNSに、襲撃された報告と生存の報告をそれぞれ入れた。

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