第二十四章 エピローグ

-1923年-

 大地が怒り狂ったかの如く巨大な揺れの後、帝都を襲ったのは炎の地獄であった。


 蜜房は手前のさくらの家が燃えているのを見て、呆然とする。


「さくらがっ、さくらがまだ中にぃぃぃっ」

「やめろっ、もう助からないっ!」


 泣き喚きながら家に向かって入ろうとするさくらの母親を、近所の男達が必死に止めている。


「私が行って来ます」


 さくらの母親の方を向いて告げると、蜜房は炎の中に飛び込んだ。


「おいっ!」

 男達が叫ぶ。


 火に弱い獣符はこの状況では使い物にならないが、朽縄の妖術は獣符だけではない。気を増幅して物質的な力と変える術も多少は使う。獣符に比べて燃費が悪く使いかっても悪いので、滅多に用いないが、今この状況では役立った。


 炎と煙を念動力で退け、燃えさかる家の中でさくらはすぐに見つかった。脈を取ると、ちゃんと生きていたのでほっとする。気を失って倒れていただけだ。そのおかげで煙を吸い込んで一酸化炭素中毒にならずに済んだようだ。


「おおおおおっ、出てきたぞ!」

「よく無事で済んだものだ」

「さくらーっ!」


 蜜房がさくらを抱いて家の外へと出ると、近所の男達が驚愕と共に安堵し、さくらの母親が飛びついてきた。


「大丈夫、息はしていますから」


 母親にさくらの身を預けて、蜜房は微笑む。


 その直後、蜜房は道を多くの人達が同じ方向へと逃げている事に気がつく。


「皆どこに向かっているの?」

「さあ?」


 近所の男達に尋ねるが、彼等も首をかしげる。


「あんたら、どこ行く気だい?」

「皆、横網の工事中の公園に避難している最中だっ。あそこなら広いし、安全だろうってことでよ」

「下町の連中、皆あそこに向かっているようだぜ。あんたらも早く来た方がいいっ」


 近所の男が逃げている男に声をかけると、そんな答えが返ってきた。

 横網の公園とは、蜜房達がいる深川からは近い場所にあり、陸軍本所被服廠(支給する軍服を造り、管理しておく場所)の跡地を東京市が買い取って、公園へと改造工事をしている最中だと聞いている。


「よし、俺達も行こう」

「ええ」


 蜜房は近所の者と共に、皆が避難しているという公園へと向かった。


***


(綾音、無事ですか?)


 震災時、学校にいた累が、念話で綾音と連絡を取る。同じ雫野流の妖術師の、親しい者同士でのみできるテレパシーである。


(はい、帝国ホテルにいましたが、ここは崩れませんでした。父上も御無事で何よりです……が……)

(今学校を抜け出して、蜜房の家に着きましたが、蜜房の姿はありません。家も崩れています)


 綾音が蜜房の安否を気遣っているのを感じ取り、累は告げる。


 サイコメトリーの術を行使し、一帯の残留思念から記録を読み取り、行く先を調べた累は、近所の人間と共に、被服廠跡地を工事中である横網の公園へと向かったことを知り、愕然とした。

 あの場所がどうなったか、累はすでに噂で聞いて知っている。下町の大勢の人間が避難場所として詰めかけ、そして……


 大急ぎで公園へと向かう累。


 公演に着いた累が見たのは、この世に地獄が現出したかのような光景であった。

 辺りに立ち込める、人の焼ける臭い。

 比喩や誇張ではなく、文字通り積み重なる死体の山。文字通り辺り一帯を隙間無く埋め尽くした大量の死体。それらは全て黒焦げの状態であった。


 避難した者達は、公園に生じた大規模な火災旋風によって焦熱地獄を味わい、悉く死に果てた。巨大な炎の旋風は、人の身体、逃げる際に持ってきた家財道具、さらには荷馬車に至るまで空高く噴き上げたという話だ。


 火災旋風の見た目は、炎の竜巻そのものである。さらに地面においては、炎の竜巻に向かって、高温の空気、煙、そして炎そのものが吸い込まれて、煙もしくは炎の渦巻きのようなものが生ずる。その発生の仕組みは未解明の部分が多く、周囲の空気を取り込んで上昇気流を生じさせて炎を噴き上げる説、空気の壁に当たって噴き上がる説等、諸説紛々有る。

 震災直後、至る場所で発生したこの火災旋風であるが、この被服廠跡のそれは、一際被害が大きく、後の発表によると三万八千人もの人々が、この火災旋風の犠牲になったという。


 普段ならこうした地獄の光景を見れば、うきうきして喜ぶ累であるが、この中に蜜房が混じっているかもしれないと考えると、流石に喜べる心境ではない。


『累ちゃん、私の死体なんて捜さなくていいから。黒こげの私なんて見てもらいたくないし』


 肉性を伴わない声が累の耳に届き、振り返ると、そこには気恥ずかしそうに微笑む蜜房の霊体があった。


『えっとね、朽縄一族に、私がここで死んだ事を報告してほしい。それと、ちゃんと空間操作の妖術も学ぶように伝えて。朽縄一族は空間操作術を学ばないからねえ。それさえ使えれば、私もこの状況で助かったのに……』


 言いながら、蜜房の霊体は累の体に抱きつく。累には肉とは異なる蜜房の感触が、確かに感じられた。


『累ちゃん、私の監視の目が無くなったら、もう無理していい子でいることもないわ。でもまた必ず会いに行くから……。そうしたらまた、無理矢理いい子にさせるからね』


 冗談めかして語りかける蜜房に、累は言葉が思い浮かばず、ただ力強く、蜜房の霊体を抱きしめていた。


『綾音ちゃんによろしく。じゃあ……また、ね。大好きよ、累ちゃん』


 最期にそう言い残し、蜜房の霊体はこの世から消え去る。


「ええ、また……」


 蜜房がいなくなってから、累はうつむき加減になって、別れの言葉を短く口にした。


***


-1945年-

 終戦直後、にぎわう町中をもんぺ姿の一人の少女が歩いている。年齢は十三か十四と行った所だろう。


 その少女の前に、アメリカ兵三名がニヤニヤと笑いながら立ちはだかる。体臭のキツさと、彼等の顔に浮かんだいやらしい顔が、少女に猛烈な不安と恐怖と危機感を呼び起こす。

 踵を返して逃げようとする少女であったが、米兵は笑いながら少女を後ろから片腕一本で抱きすくめて担ぎ上げる。


「誰かーっ! 助けてーっ!」


 少女が金切り声で悲鳴をあげるが、誰も助けようとはしない。人ごみでごった返しているというのに、誰もが見て見ぬ振り。それを見て、少女は絶望と共に涙する。

 米兵達は笑いながら、少女を抱えてジープに乗せる。多くの者が目撃しているが、日本人達は何もしようとしない。助けようとしない。できない。

 それを嘲るため、見せ付けるために、ジープはスピードを落として人通りの中をのろのろと走ってみせる。米兵達にしてみれば、必死で助けを請う娘一人助けられず、助けようとせず、我が身可愛さに目を逸らす日本人達が実に滑稽で、おかしくてたまらなかった。


 それはよくある光景の一つでしかなかった。誰にもどうにもできない。占領者と被占領者の立場であるが故、当然だ。


「おい、車止めろよ。どうせだからこいつらの前でやらないか?」


 米兵の一人が運転している同僚に、笑顔で声をかける。


「ああ、いいねえ。俺達がまわしている姿見て、後でこいつらはそれを思い出して一人でシコシコ慰めるんだから、サービスになるぜ」

「俺達はお優しい占領者だな。はははははは」


 ジープが止まる。そして公衆の前で少女の服をひきちぎり、強姦に及ぼうとしたその時であった。


「外道、許すまじ」


 がっちりとした体つきの老人がジープに駆け上がり、少女に覆いかぶさる米兵を片手でひっぺがすと、もう片方の手で首をひねって頭部を半回転させて、あっさりと殺害する。


「逃げろ」


 老境の粋に達した桃島弾三が、少女に告げる。少女は泣きながらジープから降りて逃げる。


「がっでーむっ!」

「さのばびーっち!」


 悪態をつきながら、同僚を殺した桃島に向かって銃を抜く米兵であるが、百戦錬磨の桃島の動きの方がずっと速かった。銃を抜いた二人の兵士の手をそれぞれ掴むと、米兵の腕をマッチ棒でもへし折るかのように、同時に片手で握り潰す。

 手を粉砕されて泣き喚く米兵二人の頭をそれぞれ片手で掴むと、桃島は首をぐるりと半回転させて、殺害した。


 周囲から歓声が上がるが、桃島は嬉しくもなんともない。むしろ軽蔑の念さえ抱いている。誰一人として、身を張って少女を助けようとしなかったのだから。


 他の米兵がそれを見て、仲間を呼び寄せる。


 桃島はこれから自分が如何なる運命にあるかも予期している。しかし後悔は微塵も無い。

 すでに銀嵐之盾は無く、次の当主へと継承を済ませた。桃島も七十に近い老齢の身である。娘一人救って、国土を踏みにじる鬼畜共の命を一つでも多く散らして逝けるなら、それでいいと考える。


 桃島の大立ち回りが始まった。素手で次から次へと米兵を屠るが、やがて銃弾が桃島の胸を一発、二発と貫いた。

 全盛期ならこんなにも早く弾を受けるようなことも無かったろうにと、桃島は苦笑いをこぼす。


「老いたな……俺も。まあいい。よしとする」


 全身に銃弾を浴びて血まみれになって崩れ落ちながら、満足げに笑う桃島。最期まで、誰かを――何かを護るという、銀嵐館の戦士としての本懐を遂げられたので、よしとした。


***


-1975年 九月-

 東京都調布市。とある老人ホーム。


「生まれたーっ! 今近くで悪魔の子が生まれたーっ!」

「朽縄さん、落ち着いて。朽縄さんに面会の方が来てるわよ」


 廊下で意見不明なことを喚く倉田志乃介に、看護職員が声をかけてなだめる。


 すでに八十を超える志乃介はボケがひどくなり、突然おかしなことを口走っては暴れだすなど、家族の手にも余り、まるで姥捨て山に持ち運ぶかのようにして、老人ホームへと入れられた。

 事実上の厄介払いをされた志乃介に、朽縄の一族の者は誰も会いに来ない。面会に来るのは唯一人のみ。


「やあやあ、志乃介。今日も元気にボケてるう?」


 浅黒い肌の美少年が、笑顔で志乃介に声をかけた。何十年経ってもその姿を変える事無く、白狐家の当主として君臨し続ける、白狐弦螺である。彼は不老不死化の術すら編み出し、さらにはオーバーライフとして、この国を闇から支配して管理するフィクサーの一人にまで登りつめていた。


「おお、悪魔の子じゃあっ!」

「ちょっとちょっと、とうとう僕のことも忘れちゃったのお?」


 志乃介の反応に、弦螺は哀しげな顔を見せる。


「いやいやいや、違った。おう、覚えてるよ。弦螺じゃろ。うん、忘れるわけがない」


 嬉しそうな笑顔でうんうんと頷く志乃介。それを見て弦螺もほっとする。


「じゃあ、あれは覚えてるう? 志乃介。昔、高尾山で妖怪達とどつきあいしたこと~。あれ楽しかったよねえ」

「おお、覚えとるともっ。弦螺が弱くてへっぽこで妖怪にやられそうだったのを、わしが颯爽と助けたんじゃっ。そして妖怪達の親玉――獣之帝によって、仲間が一人また一人と倒される中、最後にわしが奮闘して、見事やっつけたっ! わしがこの国を救ったんじゃよ。いやー、よかったよかった」

「そ、そうだねえ。志乃介のおかげで助かったよね、うん……」


 引きつった笑みを浮かべ、弦螺は志乃介に話を合わせてやる。


「うおおおおおおおおっ!」

「こ、今度は何?」


 突然大声で喚く志乃介。大声程度では、職員も注意しない。ここでは日常茶飯事だ。


「異世界へ行くための呼び水は何じゃと思う? 弦螺」


 志乃介が窓の外を見つめ、脈絡の無い話を切り出す。


「さ、さあ……。ていうかさ、異世界って何~?」

「トラックじゃあっ!」


 窓の外を走るトラックを見つめて、力強く叫ぶ


「いずれ遠い未来に、誰も彼もがトラックに轢かれて異世界へと赴く。そんな夢を見たんじゃあ! わしはその第一号になるぞいっ!」


 そう宣言するなり、志乃介は空間転移の力を発動させた。

 今より五十年ほど前、震災で亡くなった当時の当主の遺言により、それまで手をつけなかった空間操作術も、朽縄の高位術師達は学ぶようになった。ボケてもなお、志乃介がこの術を発動させたことに、弦螺は驚く。


「ぎゃああああっ!」


 しかしコントロールを失敗してしまった。空高くに転移し、志乃介はそのまま落下していく。連続しての転移は不可能だった。


「こんな死に方じゃ駄目じゃあっ! あのトラックに轢かれないと意味が無いいぃぃっ! はっ!? これはまさか、さっき生まれた悪魔の子の陰謀か!? あの悪魔の子は、生まれたその時に、呼吸をしていなかった。生きる意志そのものが無く、そのままでは死ぬ所であった。そのまま死ねばよかったのじゃっ! 彼奴が遠隔思念でわしの術のコントロールを狂わしでべばっ!」


 落下しながら意味不明なことを喚き続ける志乃介であったが、途中で地面に激しく激突し、言葉は遮られた。


「志乃介ぇ~……」


 窓から外を覗き、志乃介が落下死する所を目撃した弦螺は、呆然とした表情で呻いた。


***


-1997年 暮れ-

 とある病院。


 猪園波兵は、成人するまではずっと累とつるみ、成人してからも累とはよく顔を合わせていたが、やがて結婚して家庭を持ち、仕事に追われるようになってから、次第に累とは疎遠になっていった。


 妖怪であるが、寿命は人と変わらず、病気にもなった。望み通り、普通に結婚し、普通に人間の子供を授かり、孫を授かり、普通に生きた。


 そして今、普通に癌になり、普通に死のうとしている。


「やあ……久ぶり」


 面会に訪れた累とは十数年ぶりの再会だ。全く変わらない子供の姿のままの累を見て、波兵は嬉しそうに目を細めて、声をかける。

 ちなみに家族以外は面会謝絶でと言われたが、お構い無しに入ってきている累である。


 皺だらけになった友人の手を握り締める累。


「望みが……かなったじゃないですか。普通の人生、堪能できて……」


 もうすぐ死ぬ親友に、累は笑顔でもって、まずそんな台詞を口にした。


「なははは、そうだな」

 子供の頃から変わらぬ笑い方をする波兵。


「雫野のおかげさ……。雫野と会っていなければ、あの時私が望んでいた普通の人生とやらも、手に入れられなかっただろう」

「そうでしょうか……。君なら、僕と会わなくても……」

「馬鹿だな。そういうことにしておけば、そう思い込んでいれば、美談だろうに」

「そうですね……」


 累の瞳が潤む。波兵は確かに自分にとっての大事な存在だった。


「獣之帝の転生とは、会えたかい?」

「いいえ……」

「そうか。余裕があったら、私も探しておいてくれ」


 波兵が目を瞑る。


「九十歳まで生きたかったが、無理だったみたいだ。あと少しだったんだがなあ。ノストラダムスの大予言も、当たるかどうか楽しみだったのに……。ゲームの続編も、漫画の続きも気になる。Windows98も御目にかからず……。はあ……まあいい。思い残したことを挙げていたらきりがない」


 いい歳こいて波兵は、漫画やゲームやパソコンやアニメに夢中になる老人だった。


「今でも、あの日のこと、鮮明に覚えているよ。高尾山から……三人で見た夕日。雫野の言った言葉……。私の人生の中で、一番美しい想い出のひとコマとして、心に焼き付いている」

「僕はその日の前……夜の町を二人で歩いた時のことが……印象的です」

「そうかい……。それは嬉しい……な。ああ……せっかく来てもらったのに悪いが……眠気がひどいわ……。ちょっと寝るよ……」

「はい、おやすみなさい」


 累が声をかけ、そのまま波兵の霊魂が飛び立つのを見送った。


「また会いましょう……。いえ、きっと会えますよ。どんなに年月がかかっても、きっと……」


 累はそう語りかけると、波兵の手を離し、部屋を出た。



第二十四章 そろそろ大正時代で遊ぼう 終

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