第二十四章 30

 江戸時代。とある山々に、白龍の一族が住んでいた。


 白龍達は近隣の村々に対して、定期的に生贄を捧げるよう要求していた。龍からすると、人間に生贄を捧げさせるのは、自分達が敬われ、畏れられている事の証であるとするためである。

 若き龍の七鱗輝からすると、その考え方は非常に馬鹿馬鹿しいと思っていたし、生贄の強要も快く思っていなかった。

 龍達の何名かは、普通に人里に降りていって、人の姿で交流する。人とは仲良くやっているのに、どうして生贄を強要するのか。彼等を哀しませて平気なのかと、いつも七鱗輝は心の中で問いかけていたが、口には出せずにいた。


 ある時、七鱗輝は村の一つにて、一人の娘と親しくなった。七鱗輝と娘は互いに情を通わせるようになり、娘に会うためにその村へと頻繁に足を運ぶようになった。

 七鱗輝は悪い予感を抱く。この娘は美しい。故に生贄にと要求される可能性があると。

 後から冷静になって考えてみれば、その悪い予感が的中する可能性の方がはるかに高いわけだが、まだ若い七鱗輝にはそれがわからなかった。


 悪い予感は的中し、その娘が生贄として選ばれた。七鱗輝と恋仲であることも、白龍達は知ったうえで、情けをかけることなく生贄として選んだ。


 生贄にされたからといって、すぐに食われて殺されるわけではない。大抵は時間をかけて龍達の慰み物にされた後で、龍のうちの一匹に食い殺される。この食する龍は、順番で決まっている。

 生贄の娘は子を孕むことがあり、生まれたのが龍である場合はそのまま子の世話を行い、しばらく育てた後に、龍の子が物心つく前に生贄の娘は食い殺される。人の子を孕んだ場合は、里に返される。この場合が唯一生きて帰れる可能性であった。龍より返されて龍の血を引く人の子を孕んだとされる娘は、里では大事にされる。

 故に、生存の可能性もあると、七鱗輝の父親や親しい龍に諭されたが、それで納得がいくわけもない。龍達の慰み物にされる事も、断固として拒んだ。


 七鱗輝が掟に抗うと、元々この悪しき風習を快く思っていない何人かの龍達も、七鱗輝に賛同した。

 かくして龍達の間で争いが起こった。争いは七鱗輝達の勝利で終わったものの、七鱗輝は集中的に攻撃され、かつて美しかったその体をぼろぼろのくすんだ灰色へと変えられ、自らのことを灰龍と名乗るようになった。


***


 高尾山にある獣之帝の住処につれてこられた累と波兵は、そこで一夜を明かした。


 朝、妖怪達が大量の食事を運んでくる。獣之帝の分だけではなく、獣之帝の性欲処理のためにさらってきた娘達の分もある。累と波兵の分もちゃんとあった。


「ひょっとしてさ、俺らも獣之帝に慰み物として捧げられたとか、思われてない?」


 獣之帝や娘達と並んで朝食をとりながら、波兵がそんな冗談を口にする。

 朝食が終わると、獣之帝は早速娘達と交わりだした。累と波兵がいるのもお構い無しにだ。昨夜もここへ帰ってきてからすぐに交わっていた。


「もー、またかよ。あれ、可愛い顔してどんだけ性欲過剰なんだよ」


 広間の中を少し離れた場所へと移動し、波兵が寝転がって、溜息混じりに言う。洞窟の広間には草が生い茂っており、寝心地は悪くない。


「御頭も……そうでした」

 獣之帝の方を見て、懐かしそうに微笑む累。


「村を襲っては、略奪と陵辱の日々……懐かしいものです。御頭は娘を組み敷いた後、口直しと言って……僕ともよく交わりました。ああ……あの頃に戻りたい」

「そっかー……」


 うっとりとした顔で語る累を見て、波兵は苦笑いを浮かべる。


「御頭を失い、僕はずっと……御頭とまた会える日を夢見て、数百年もの間生き続けてきました。ある意味……愚かな選択です。普通に寿命で死に……、転生の枠に戻りさえすれば、縁で惹かれあい、前世で深く関わった者とは……再会できるというのに、それをしなかったのですから……。僕はこの命を維持したまま、思い出を持ったまま、御頭の転生との再会を望み……今、ようやくかないました」


 波兵の苦笑いに気付かず、嬉しくて仕方無いといった表情で、累は述懐していた。


 その獣之帝が娘から離れ、二人の方へと向かってくる。


「くぅぁっ」

「うわっ」


 獣之帝が波兵に抱きつき、頬ずりを始める。


「俺は女じゃないぞっ」


 いやいやするかのように拒む波兵だが、獣之帝は離れようとはしない。


「ただじゃれているだけ……だと思います」


 累が羨ましそうに波兵を見ながら言う。


「猫かよ」

「くぅぁあぁぁ」

「何なんだ、こいつはっ」


 獣之帝とくんずほぐれつしながら、呆れ笑いを浮かべる波兵。最初に感じた時の恐怖はもう綺麗さっぱり無くなった。あまりにも本能の赴くまま無邪気で純粋な獣之帝の姿を見ていたら、恐怖など無くなってしまった。もちろん戦うことを想定したら、話は別になるが。


「ずるい……ですよ。僕も」

「あー、はいはい。貸してやるよ」


 獣之帝の両脇を後ろから掴み、累の方へと押し付けようとする波兵。

 と、そこへ灰龍が現れる。


「やあ、悪事の首魁」


 皮肉っぼく声をかける波兵。


「昨夜は、人間の術師達の抵抗が思いのほか激しく、こちらの戦力の半数以上を失ってしまった。その中には、かなり強力な妖もいたのだがな」


 その割には大して残念そうでもない顔の灰龍である。


「雫野累殿、帝と親しそうだ……という強引な理由で頼むのも、変な話ではあるが、我々に力を貸してくれないか?」


 灰龍が累の方を見て、あまり期待はしていなさそうな、世間話でもするかのような軽い口調で助力を乞う。


「正直……悩ましいです。僕は貴方達のしている事に……別に反発があるわけでもないですし、御頭の転生がいるわけですから、むしろ協力したいという気持ちも……あります。でも、僕の……身内が、すでに貴方達の敵という立場ですから……今更こちらに加わる事もできませんし。せめてあと……七年早く会っていたら……」


 本当に苦しそうに言う累を見て、灰龍は特に落胆もしなかった。多分拒否されるとは予想していたからだ。


「なるほど。しがらみがあるのでは仕方無い」

「迷いも……ありますけどね。僕もこの世界を引っくり返したいと……常々思っていますから。でも……それをやってしまうと哀しむ人達のことも……頭にこびりついています」

「似ているな、私と」


 累の話を聞き、遠い目になる灰龍。


「私も自分が何をやっているのか、本当にこれで正しいのか、迷っている。迷いながら一つの方向に進んでいる」


 灰龍のその言葉に、波兵は驚いた。灰龍が信念をもって、迷いなく人の世を滅ぼして、妖の世を築こうとしていたのだと思っていたからだ。


「私はかつて人間を救うために、人間を不当に扱っている妖達と――私の同胞である白龍達と戦った」


 苦い思い出を呼び起こしながら、灰龍は語る。


「同胞の多くを殺め、私もその代償として、身を焦がされて醜い姿へと変わり果てた。灰龍の名の通りにな。人間達からも感謝された。しかし……」


 言葉を切り、瞑目する灰龍。最も嫌な記憶が蘇る。


「その後、身を張って救った人間達から裏切られた。よくある話だ。しかし……全ての人間に裏切られたわけでもないが故に、心底恨むこともでききれずにいる。裏切られ、追い立てられた私を必死でかばってくれた者達もいたしな。おかげで私はこうして今も生きている」


 裏切られた過去を語る灰龍に、宗佑の心の傷が疼く。


「人を憎みきれないのが、あんたの悲劇ってことか」


 話を聞いて、波兵の灰龍への見方が、これまでと変わった。ただの支配欲や破壊欲だけの単純な男では無かった。


「ああ……本心はずっと、どっちつかずのままだ。しかしどっちつかずのままであるからこそ、片方を振り切るために、人の世と存在を否定する方向へと動いている――と言ったところか」

「でも結局は裏切られて、憎む方に走ったんだろう? 裏切った奴を悪としたんだろう?」


 波兵の指摘に、灰龍は微笑をこぼす。


「そう単純に割り切れないから苦しいという話をしているのだが、伝わらなかったかな? 裏切られたからといって、全て憎むようになるなど、私の心はそんなに単純にできているものではない。人を救いたいという私の気持ちは本物だったし、人間達と温かい時間も過ごした。だから私は私なりにいろいろ迷い、悩み、苦しみ、考えたうえで、ようやく人と相対する方向に踏み切ったのだ。復讐のためというわけではない。恨む気持ちも有れば、慈しむ気持ちも両方有るのだ」


 述懐しながら灰龍の脳裏には、過去の様々な思い出が蘇っていた。心なしか、その瞳が潤んでいるように、波兵の目には見えた。


「誰もが二つ以上の気持ちを抱えることが有りうる。そして悩み苦しむ。しかし、だ。一つの答えに向かうしかない時もある。私は今、一つの答えを選んで向かっている最中だ。間違いか正解かはさておき、な」

「ある意味、似てるな……俺と。憎いのに憎みきれないという、変な状態だよ。俺も……」


 灰龍の話の区切りを見計らって、波兵が言う。灰龍は話を続ける。


「妖の多くは、元を辿れば、人によって人を造りかえられて生まれた物だ。人の勝手な都合で造られ、利用され、畏れられ、疎まれ、恨まれ、殺される存在。私はこの構図が嫌で嫌で仕方がない。そしてこの構図を作っているのも、他ならぬ人間だ。人の世が続く限り、この構図はずっと続く。私はそれを断ち切りたい。妖が悲と非を背負い、厭われ続けることなくするためには、それしか思いつかない」

「妖の力が強いと言っても、その数は知れていますよ……。人の世を覆すなど、難しいでしょう……」


 累が指摘するが、灰龍は小さくかぶりを振る。


「できるのだ。もちろん私達だけでは無理だ。しかし獣之帝がいれば、それは可能だ。帝は龍族の力すら遥かに凌駕する。昨夜も数多の強者と戦い、退けたそうではないか。獣之帝の力があれば、成る」


 急に陶酔した面持ちへと変わり、灰龍は断言する。


 累が波兵にじゃれついたままの獣之帝を見る。確かに強大な力を秘めているのはわかるが、あくまで灰龍とその配下の野心であって、獣之帝はそんなことを望んでいるように思えない。

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