第二十四章 29

「雷近かったな。しかも何度も鳴ってたし……」


 波兵が不思議そうに空を見上げる。夜空は相変わらず晴れている。しかし先程西の空を見ると、雷雲が何度も雷を落としていた。今はその雷雲も嘘のように消えているが。


「突風といい、おかしいですね……」

 妙な予感を覚える累。


「また……近い所で、戦ってるみたいだ」


 妖気のぶつかり合いを感じ、波兵が告げた。累もそれを感じていた。


「行って……みますか?」

「ああ」


 累の言葉に、波兵は頷いた。二人共、興味本位の軽い気持ちであった。


***


 木島一族も弦螺も志乃介も、わりと近くで立て続けに雷が落ちる音を、戦いながら聞いていた。稲妻が光る様も時折見た。


 蝶治はそれどころではなかった。白い輝きが接近する度に、鋭い刃物で斬られる感触を味わい、実際に傷を負う。なりふり構わず白い輝きを殴りつけると、殴った手に斬撃を浴びせられる。

 弦螺は蝶治の攻撃を見切り、かわしたうえで、殴ってきた腕を、気の刃で斬りつけているにすぎない。弦螺は自分の姿を消してはいるものの、白い輝きそのものである。幻術を操作して位置や動きを分かりづらくしているものの、弦螺の動きに合わせて、白い輝きも動いている。しかし相対した者からすれば、何が何だかわからない。


 透明の敵であれば、まだ対処の仕方を考えるが、なまじ白い輝きという姿を伴っているだけ、困惑させられてしまっている。もちろんそれも、弦螺の計算のうちだ。


(大したことないなあ、この人。もういいや)


 弦螺は持てる力の五分の一も出していない。それなのに一方的に苦戦している蝶治に落胆し、さっさとケリをつけることにした。

 弦螺は空間を歪め、蝶治の背後に己の腕を出し、そのまま蝶治の背中に腕を突き入れる。


「ぐあああっ!?」


 体を貫く熱い感触と共に、血を吐き出すと、蝶治は前のめりに倒れた。一体どんな攻撃を受けたのかさえも、理解できなかった。


「おのれ……」


 倒れたままではとどめをさされかねないので、蝶治は苦痛をこらえて身を起こす。


「あっれえ、まだ生きてるんだ。流石は鬼だけあってしぶとーい」


 姿を現して、血まみれの腕を振って、弦螺は感心する。

 人間なら致命傷であったにも関わらず、蝶治は背中から腹を貫かれてもまだ、行動が可能なようであった。


 蝶治が仲間達の方を見ると、六人いた仲間のうち、すでに三人が志乃介に屠られていた。


(いかん……このままでは全滅する。とても太刀打ちでき……)


 絶望しかけた蝶治であるが、ふと、覚えのある強大な妖気が接近しているのを感じ取った。


「何だ……。何か凄いのが近づいてるぞ」


 志乃介が顔色を変えて、弦螺に警戒を促す。弦螺は表情を変える事無く、妖気が向かってくる方の空を見上げている。


「獣乃帝……」


 蝶治が呻き、安堵と共に再び倒れる。その呟きを、志乃介は耳にした。


(確か、敵の大将の名だ。それがここに?)


 そう思った矢先、それは現れた。


 夜空に空中制止した、桃色の肌をもつ全裸の妖。


「くぁあぁ……」


 鬼達と弦螺と志乃介をそれぞれ見て、獣之帝は唸り、そして笑った。


「志乃介は鬼がちょっかいかけないように見張ってて」


 緊張気味の声を発する弦螺。弦螺のこんな声を聞いた事など、志乃介は初めてであった。


「くぅ……」


 自分を見上げる弦螺の視線と闘気を感じ、獣之帝も弦螺を見て、彼が今から自分が戦う相手だと認識する。


 翅を羽ばたかせ、高速飛翔で弦螺に突っこむ獣之帝。


 弦螺の体が消失し、白い輝きと化す。幻術だけではない。弦螺の本体そのものも、空間を歪めて移動し、獣之帝の初撃をちゃんとかわしていた。


 獣之帝の上を取った弦螺は、両腕より気の刃を伸ばして、上空から切りかかる。


「くあっ」


 しかし獣之帝は、弦螺の位置を把握していた。攻撃も読みとっていた。斜め上へと飛翔して斬撃をかわすと、弦螺の横で制止していた。


 獣之帝が弦螺めがけて腕を振るう。


 弦螺の姿が消える。腕が振るわれた一瞬だけ、亜空間へと転移し、すぐ戻ってきた。


 今度は弦螺が腕を振るう。しかしその手首を獣之帝は掴み、弦螺の腕より生じる気の刃は獣之帝に届かなかった。

 弦螺の全身から白い輝きが発せられる。目晦ましの幻術のつもりであったが、獣之帝は動じることなく、弦螺の手首を掴んだまま、弦螺の腹部に膝蹴りを叩き込んだ。


「がはっ!」


 吹き飛ばされ、弦螺は空中で腹を押さえながら、目を剥き、口からは血反吐を撒き散らしていた。生まれて初めて食らう痛撃であった。


 背中から落下する弦螺。一応受身は取っている。


(連続しての空間操作は限度があるし、もっと連続できるようにするには、まだまだ修行が足りないなあ……)


 身を起こしながら、弦螺はそんなことを考える。


「くぅああぁ」


 獣之帝はというと、鬼達の方に顔を向け、さらには遠くを指差しして一声発する。逃げろという意思表示だということは、すぐにわかった。


「かたじけない……」


 礼を述べ、蝶治は立ち上がる。無事であった鬼達もその後に続く。

 志乃介は逡巡したが、この場に留まることにした。いざとなったら弦螺を助けなくてはならないと。よもや自分が、弦螺を助けるような危機を目の当たりにするなど、これまで想像もできなかったが、今対峙している敵は、そこまで至るかもしれないと思えた。


「くぅぅぅぅぅぅぅ……」


 天を仰ぎ、獣之帝は長く唸り続ける。そして天高く腕を上げ、指を指す。

 隙だらけであったが、弦螺は弦螺で、身を起こし、呼吸を整えて体勢を立て直すのに精一杯だった。


 上空に雷雲が立ち込める。しかし弦螺も志乃介も、獣之帝が呼び寄せたなどと想像できなかった。

 雷を落とされるとは思わない弦螺であったが、何か危険な攻撃が来ることはわかった。放たれる攻撃の気配を読み取り、回避するタイミングをうかがう弦螺。


「くぁっ」


 腕が振り下ろされる。弦螺が空間転移する。


 雷鳴が鳴り響き、その場を転移して離れた弦螺の体が吹き飛ばされた。わりと近くにいた志乃介も、大きく吹き飛ばされる。弦螺達が乗ってきた車も吹き飛ばされた。


「か、雷!?」


 横向けに倒れたまま、驚愕の叫びをあげる志乃介。


「かわしたはずなのに、吹き飛ばされた……。雷だけじゃなく衝撃波でも攻撃してるのか?」


 うつ伏せに倒れた弦螺が呻く。正確には、稲妻が空気を三万度にまで熱し、空気が膨張した爆発によって吹き飛ばされたのだが、志乃介にはそのような知識は無かった。つまり雷そのものが衝撃波を伴う。雷鳴もこの空気の瞬間的な膨張の爆発音である。


「おかしいな……雷食らってないのに、痺れてる……」


 弦螺が掠れ声で呟き、自分の手を見る。落雷の直撃をかわし、衝撃波も術によるガードで防いだが、地面を伝わった側撃雷は防ぎきれなかった。命は取り留めたし、意識もある。だが動くことはできない。


「術で電撃を出すのではなく、雷そのものを呼ぶなんて……とんでもないぞ」


 そう言って志乃介が獣之帝を見上げると、空に向かって腕を上げ、人差し指を立て、さらに雷を落とさんとしている。


(弦螺は転移でかわせるかもしれないけど、俺は……ヤバい)


 爆風と雷撃のダメージによって、志乃介はしばらく動けそうにない。


「お頭っ!」


 と、そこに聞き覚えのある声がかかり、志乃介と弦螺は声のした方を向いた。獣之帝も攻撃を中断し、そちらに向く。

 そこには、泣き顔で獣之帝を見上げる累と、恐怖しながら見上げる波兵の姿があった。


「何だよ、この感覚……。腹にも首にも背中にも……凄く……」


 空に制止したその美しい妖を見た波兵は、激しい恐怖が全身につたうのを感じていた。蛇に睨まれた蛙という言葉を思い出す波兵だが、実際には獣之帝は、波兵のことを見ていない。

 帝が興味を抱いたのは、累の方であった。


「お頭……やっと会えた……。こんな唐突に……。でも……やっと会えました……」


 ぐちゃぐちゃの泣き顔と掠れた泣き声で、獣之帝に話しかける累を、弦螺も志乃介も波兵も獣之帝も、怪訝な面持ちで見る。


 忘れられぬ魂の波動でもって、累は獣之帝を一目見て、かつて自分が恋焦がれた人物の転生だと、見抜いていた。

 いつか会えると信じて、しかしいつになっても会えずに悲嘆に暮れて諦めかけ、それでも諦めきれず、果てしない時間を彷徨い、再会を待ちわびていた相手と、何の前触れも無く、とうとう再会を果たして、累は歓喜と動揺のあまり、涙と震えが止まらずにいた。


「うぐっ……うううぅ……何百年……この時を待ったか……。御頭……うぅぅ……」


 自分を見て泣きじゃくり、語りかける累を見て、獣之帝も懐かしい感触を覚え、ゆっくりと地面に降りて、累の方へと歩んでいく。

 累も獣之帝の方に歩み寄り、触れ合える距離まで来た所で、こらえきれずに飛びついた。


「くぅ?」


 自分に抱きついて泣く累に、獣之帝は怪訝な声をあげつつも、左手でしっかりと抱きとめ、優しい微笑を浮かべて、右手で頭を撫でてやる。

 獣之帝は累を抱いたまま、静かに浮遊する。自分に甘え、すがってくる者を放ってはおけないし、これ以上戦ってもいられないと、そう判断したかのように。


「待てよっ」


 二人の下に走り、それを止めようとする波兵。獣乃帝が累を連れ去ってしまう予感がしたのだ。


「くうぅあぁぁ」


 獣乃帝が小首をかしげ、波兵に向かって手を差し伸べる。

 波兵は自然とそれを掴む。すると一気に波兵の体を片手で持ち上げて、累と波兵の二人の体を抱えて、獣乃帝は夜空に飛翔した。


 志乃介と弦螺は、その光景を呆然と眺めていたが、やがて自分達が助かったことを意識し、安堵した。


***


 蜜房と綾音が暴れている妖怪達を見つけて斃すため、車を走らせていると、とぼとぼと道を歩いている弦螺と志乃介の姿を見つけた。


「あの子達、様子が変ね」

 蜜房が呟き、二人の前に車を止める。


「貴方達、車は?」

 車に乗ったまま声をかける蜜房。


「あ、みっちゃん。車は壊されちゃったよう。俺達、負けちゃったよう……。すっごい強いのいた。累ともう一人誰か、連れ去られちゃったよう」


 憔悴しきった弦螺の報告を聞き、蜜房と綾音は目を丸くして顔を見合わせた。二人の敗北といい、累の拉致といい、どちらもにわかには信じ難い話だ。


 さらにもう一台車がやってきて止まり、泣き顔の宗佑が降りてきた。


「桃島がやられた……。雷を操る妖に」


 宗佑の報告を聞いて、今度は弦螺と志乃介が顔を見合わせた。


「俺をかばって、俺を逃がして……殺されたっ! 畜生!」

 悔しげに叫ぶ宗佑。


「僕達もその雷を操る妖怪と戦っていたんだよう。で、負けちゃった」

 宗佑に向かって弦螺が言った。


「確かに獣之帝と言っていた。あれが……敵の頭か。あんなとんでもない化け物が……」


 木島蝶治の言葉を思い出し、志乃介が両手で己の肩を押さえ、震えながら呻く。


「あんなのに勝てるのかな……僕達」


 弦螺もいつものお気楽さを見せず、沈鬱な表情で呟く。


「とりあえず……今できることをしましょう。まだ町の中で妖怪達は暴れているし」


 うなだれる三人の男達に、蜜房が声をかけた。

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