第二十三章 18

 月那美香とサラ・デーモンの、裏通りの是非をテーマとした公開討論が行われる事は、告知された当日のうちに、たちまち日本中に知れ渡った。


 ただの討論ではない。裏通りの存亡がかかっていると、告知サイトにはでかでかと大文字で煽られている。それはただの煽りではなく、結果次第では実際に裏通りの存続が危ないのではないかと、裏通り、表通りの双方で、囁かれ始めている。

 明日になればニュースや新聞や各情報サイトで騒がれまくるであろう。しかし情報のチェックに余念の無い裏通りの住人達は、それを待たずしてチェックを済ませていた。


***


 かつての義久の友人であり、現在は『ホルマリン漬け大統領』の大幹部である秋野香は、忌々しい想いで、告知サイトを見ていた。

 何が忌々しいかと言えば、義久が裏で糸を引いている事だ。そしてこの騒動の結果いかんで、裏通りそのもののありようが変わるかもしれないし、いくら権力者達の庇護下にあって警察すら抑えることができるホルマリン漬け大統領でも、その悪行が白日の下に晒されたら、ひとたまりもまない。


(義久が余計なことをしてくれたおかげでな。どこまであいつは俺に楯突くつもりだ)


 実際には、義久がこの仕事を断ったら、別の人間が実行しただけの話であるという道理も、香はちゃんとわかっている。それでもなお、頭にくる。


 今は動くに動けない。どうなるか見守るしかない。下手に手出しをして火傷を負うのは御免だ。


(ボスに相談したいと思ったのは久しぶりだ)


 行方知れずのボスならどういう判断を下すだろうと、香は考えてしまう。どうにもできないのだから、何もするなと言うだろうか? それともホルマリン漬け大統領の存亡にも関わる事だから、こちらも暗躍すべきと口にするか……。


(会話したこともあまり無いし、そもそも会ったのも数回だし、何考えているのかわからない人だからな……)


 それでもあのボスさえいれば、安心できるよい答えを出してくれるのではないかと、そんなことを思う香であった。


***


 始末屋組織『ほころびレジスタンス』の事務所。十夜が帰宅しようとする直前に、その告知を目の当たりにし、十夜は帰宅を少し待って、凜と晃との会話に付き合っていた。


「ちょっと騒ぎすぎね。まあ、白黒つけるにはその方がいいんだろうけど」


 裏通り表通りの双方の匿名掲示板で、告知の反応のチェックをしていた凜が、溜息混じりに言う。


「どういう意味?」


 凜が口にした白黒つけるのに良いという意味がわからず、晃が問う。


「つまり、事前に盛り上ればそれだけ、勝者サイドが勢いづき、敗者サイドは萎むってことじゃないかな」


 凜に代わって、十夜が答えた。


「必ずしもそうなるとは限らないけど、盛り上げている側は、そう考えているんでしょうね」


 凜が付け加える。


「僕達としては当然、月那美香を応援する側だけど、何だか歯がゆいなあ。一人の人間に全てを任せなくちゃならないとかさ」


 渋面になって晃が言う。裏通りという自分の居場所が奪われるなど、想像すらしたくもない。


「暴力ではなく、対話の戦いだから、そうなってしまうのは仕方がないね」


 本当に全く暴力が働いていないわけでもないけど――と、凜は口の中で付け加える。大月槻次郎が殺されたのが、その証拠だ。


「いきなり裏通りの存亡とか、そんなスケールの大きな話が降ってきて、多くの裏通りの住人は見守るしかない状況って……」


 何だかとてもおかしな話だと、十夜には感じられた。


「皆同じ気持ちだろうさー。きっと相沢先輩もねー」

「あんたはどんだけ相沢のこと好きなのよ」


 ここでもなお真のことを引き合いにだす晃に、凜は最早感心の域に入ろうとしていた。


***


 神奈川県薬仏市。

 暗黒都市の中でも最も治安が悪いこの都市は、現在の世の中の潮流でもお構いなしに、毎晩小さなドンパチを重ねている。


『クラブ猫屋敷』にて、バイパー、ミルク、ナルの二人と一匹も、件の討論の告知を見ていた。


「このひどい煽りは高田の仕業なのかねえ」


 かつて情報屋として雇った、気のいい大男の下手糞なウィンクを思いだしながら、バイパーは苦笑いを浮かべる。


『私の許可も無く、こんな話を勝手に進めやがって。関係者全てブチ殺してやりてーですよ。月那美香がいる時点で、どうせ純子のアホも裏で動いてるんでしょーが』


 険悪な声を発するミルク。


「美香ちゃんには是非頑張ってほしいにう。裏通りが無くなるのは勘弁にぅ」

「全くだな。しかし負けたとして、本当にそんな事態になるのかねえ」


 ナルの言葉に同意しつつ、同時に疑問を口にするバイパー。


『無くなる無くならないは置いておいて、その討論とやらで言い負けたら、ルシフェリン・ダストはさらに肥大化して調子ぶっこくのは目に見えてる。そうなったらアレだ。裏通りが実力行使でルシフェリン・ダストをぶっ殺しにいく展開もあるし、ルシフェリン・ダストを他の国々がこっそり資金や暴力で支援するって展開も、十分考えられるですよ』


 バイパーとナルには、ミルクの言葉が大袈裟には聞こえなかった。ミルクの読みはわりと当たる。


『結局これは外圧の一環だ。裏通りが暴力と産業を伸ばし、この国の礎となっているのを、日本が国家ぐるみで黙認している。それを気に入らない国々が、日本を弱体せんとしている。その他国の勢力に踊らされているのが、ルシフェリン・ダストのアホ共ってわけだ。たまたまサラ・デーモンが目立っているだけで、他の国の支援者もいると見た方がいいし、結果如何では増えますですよっと』


 そうなった場合、裏通りは本当に存亡が危うくなると、ミルクは見ていた。


***


 安楽市警察署裏通り課。


「芦屋さんと梅津さんはどう思います? このまま裏通りが弱体されていいと思います?」


 裏通りが起こす犯罪を担当する裏通り課の刑事である松本完は、堂々そんな質問を、同僚の裏通り課である芦屋黒斗と梅津光器にぶつけた。


「いいわけがない。今のバランスが最良だったのに、余計なことすんなって感じだ」

 梅津が吐き捨てる。


「裏通りは囲いだ。犯罪者属性を持つ者達の制限装置。見えない檻だ。こいつがあるから、見境の無い犯罪が抑制されている。誰もがそれを知っているかと思ったが、そうでもないみたいだ」


 その辺を理解しようとせず、裏通りの災禍に巻き込まれた者が裏通りを憎み、消滅を願っている事を思い、梅津は苦虫を噛み潰したようなに顔になる。


「美香がきっと勝つさ。何となく俺はそう感じるよ」

 爽やかな表情で黒斗が告げる。


「そういう流れを感じるんだ。今は美香の側に傾いている。最初に吊るし上げてボコボコにして、美香に火がついたのも明らかだしな。あの子を強力にバックアップしている奴等もいるだろうし」

「純子とかだな。俺は願望程度だ。もちろん美香に勝って欲しいね。勝ち負けの問題なのか知らんが」


 黒斗の言葉を受け、少し表情を緩ませる梅津だった。


***


 大島遼二はその日、シルヴィア丹下と稲城ほのかの付き合いで、かなりハードな仕事をこなした所であった。

 裏通りではもちろん、世界最高峰の情報組織である『オーマイレイプ』と真っ向から敵対する者達との抗争。それが一筋縄でいくわけもないと思っていたが、久しぶりに遼二は消耗しきっていた。


「今日は中々しんどかったなー」


 遼二と同じく、ほのかとシルヴィアに戦力として雇われた始末屋樋口麗魅が、タクシーの助手席で比較的元気な声を出す。


「麗魅さんのおかげで乗り切りました。あ、もちろんついでに遼二さんも。二人共、本当にありがとうございました」


 ほのかが礼を述べる。


「もちろんついでにってどういう日本語だよ……。ま、確かについでっぽかったけどな」


 後部座席にシルヴィアとほのかの二人の間に座り、ぐったりとしている遼二。ほのかは隣で遼二の肩や首をマッサージしている。


(霞銃の麗魅。こいつがいなかったらヤバかったかもなあ。明らかに俺より強い)


 口惜しいが認めざるを得ない遼二である。


「いいってことよー。またいつでも頼んでくれよ。なははは」

「おいおい、何か大変なことになってるぞ」


 麗魅の笑い声が、目の前にディスプレイを出したシルヴィアの言葉によって遮られる。


「見ろ、これ」


 シルヴィアが同じ画像のディプレイを二つ追加し、遼二とほのか、助手席の麗魅の方へと飛ばす。


「おおお、私の大好きな月那美香さんが、とうとう裏通りの命運を背負い、宇宙の彼方に飛び立つ勢いで、にっくきサラ・デーモンの討伐に乗り出したではありませんか」


 告知サイトを見て、ほのかが興奮した声をあげる。


「知り合いだし、今度サインもらってきてあげよっか?」

「いえ、お気持ちは嬉しいですけど、結構です。サインという文化自体が私の好まざる所ですが故に」

「そっか」


 麗魅の申し出をやんわりと断るほのか。


「裏通りではもうすっかり話題になっていますよ。この両者の戦いで、裏通りの存続も左右されるのではないかとね」


 髭面のタクシードライバーが口を開く。


「上っ面しか見ない安っぽい偽善者達許すまじです。もし月那美香さんが敗れても、私と遼二さんが第二第三の月那美香さんとなって、ルシフェリン・ダストと戦いましょう」

「いや、わけわからん」


 一人燃え上がり意気込むほのかに、疲れきった表情で遼二は呟いた。


***


 日本に潜入滞在する中国特殊工作部隊『煉瓦』の面々も、告知サイトは目にしていた。


「李磊、もし裏通りが弱体化したら、私達の仕事もやりやすくなりますね」


 煉瓦の隊長である王秀蘭が、副長の李磊に向かって言う。


「ルシフェリン・ダストに協力するんですか?」

 李磊が問う。


「まさか。そんな命令は受けていません。しかし、私が本国の高官であれば、その命令を速やかに下す所です」

「なるほど、隊長殿は本国のお偉いさん達は無能であると、ディスってるわけだ」

「曲解しすぎです。しかし……歯がゆいのは事実です」


 からかう李磊に、秀蘭は小さく溜息をつく。


***


 月那瞬一はホログラフィー・ディスプレイを見て、震えていた。


「姉ちゃん……ここまでビッグになるなんてな」


 かつて姉に対抗して、姉より大物になると意気込んで裏通りに堕ちた瞬一だが、その差はどんどん開いていくような気がしている。そして今回の件で、さらに大きく開いた。


「もう俺の手には届かない存在になっちゃったのかな」

「そんなことないよ。諦めたらそこで裏通りライフ終了よ」


 落ち込む瞬一の頭に手を置いて慰めたのは、瞬一が所属する卸売り組織『溜息中毒』のボス、高城夏子であった。


「お姉さんに電話して、励ましてあげたら? きっと瞬君の声聞いたら、お姉さん大喜びして、その分パワーになると思う」

「うん……頃合見て、声かけてみる」


 自分なんかの声で本当に励ましになるのだろうかと疑問を抱きつつも、瞬一は姉に電話してみることに決めた。


***


 南アフリカ共和国最大の都市ヨハネスブルグにある、ヒルブロウ地区と呼ばれる場所の安いモーテルの一室に、日本人が二人滞在していた。


「あの美香ちゃんが裏通りを背負って立つとはねえ」


 髭面の体格のいい男が、ディスプレイを眺めながら面白そうに言う。


「裏通りの住人は、何の変化も無いと思っているみたいだな。裏通り消滅なんて有りえないと」


 髭面の男――四十万鷹彦が、呆れきった表情になる。


「それこそ有りえないのですが、わからないのですね、これ」


 鷹彦の正面に座った童顔の小柄な日本人が、眼鏡をずりあげながら嘲笑をこぼす。


「ああ。裏通りの奴等も、日本人らしい平和ボケしていやがる。昨日と今日も同じなら、明日もこのまま変化が無いと、世界は変わらないと、信じて疑っていない」


 かつて自身も日本の裏通りの住人であった鷹彦であるが、海外生活が長かったせいで、日本人の感覚が理解しがたくなってしまった。


「あっさりと変わってしまうものですのにね。少なくとも私達は、世界が一変する光景を何度も見てきましたし。ええ。世界は些細なきっかけで変化するものです」


 小柄な日本人――希代の革命家と呼ばれ、間違いなく歴史に名を刻むであろう男――天野弓男は、確信を込めて言い切った。


「いや、正確には、変えてきた――ですけど」

「それちょっと自慢たらしくて嫌味っぽい」


 付け加えた弓男の言葉に、鷹彦は笑いながら突っこんだ。


***


「サラ・デーモンですか。デーモン一族……懐かしいですわね」


 ティーカッブの中に紅茶を注ぎながら、百合は邪な笑みを浮かべた。


「あ、ママが何か悪い事企んでいる。ひょっとしてこの討論、ブチ壊すつもりなの?」

 亜希子が尋ねる。


「亜希子……私が笑っているだけで何か企んでいると決め付けるのは、およしなさいな」

「あはっ、じゃあ何で笑ってたのさ」


 そう尋ねたのは睦月だ。


「私が彼女の一族の頭――ミハイル・デーモンを殺害しましたのよ。あの頃は……」

 言いかけた言葉を飲み込む百合。


(あの頃はまだ純子と共にいましたわね)


 亜希子と睦月の前で、このような台詞を口にして聞かせたくないと思って、百合は引っ込めた。


「その娘だか孫だか姪だか知りませんが、私のいる日本に来て好き勝手しようとは。あまり目障りなようでしたら、ミハイルと同じ目に合わせてさしあげましょうかしらね」

「同じような目って? あ、やっぱ言わなくていい。どうせろくでもないことだから」


 尋ねかけて、亜希子は質問を引っ込めた。


(その質問には答えませんけれどね)


 口の中で呟くと、百合はティーカップを口に運んだ。


***


 始末屋組織『プルトニウム・ダンディー』は、ようやく安楽市の中心部に、アジトを移すことができた。

 ボスの来夢と、帰る家の無い克彦は、相変わらずアジトが我が家の生活である。しかし怜奈とエンジェルは、ちゃんと帰宅する。


 だがその日は、月那美香とサラ・デーモンが裏通りの命運を賭けて公開討論に臨むという告知を見てしまい、エンジェルと怜奈も遅くまで残って、すっかりその話題で盛り上っていた。


「ボスの言うとおりです。とってもふざけてますよねー。裏通りに堕ちた人達の気持ちを全然知らないで、片面だけ見て否定して」


 ぷんぷん怒りながら怜奈が喋る。


「裏通りが無くなるなんてことあるのかな? 俺、今更表通りなんて戻りたくないよ」


 うんざりした面持ちで克彦。


「安心して、克彦兄ちゃん。そんなこと絶対無いから」

 克彦の方を見て微笑みながら、全裸の来夢が告げる。


「何でそんなこと断言できるんだ?」

「ルシフェリン・ダストがこれ以上調子にのるようなら、俺がこいつらを皆殺しにしてあげるからだよ。そんなこともわからないの?」


 からかうように言う来夢に、それが冗談ではないとわかった克彦は苦笑いをこぼした。


「裏通り消滅とまではいかなくても、弱体化はありうるぞ」


 エンジェルが言うと、来夢は窓の外を眺め、不敵に笑う。

 窓の外には、パンダの形に切られた植木が生えていた。前のアジトから持ってきたものだ。


「もし裏通りの立場が今より悪くなろうと、俺達はこの世界を捨てない。どんなに弾圧を受けても、ここで生きる。戦う。例え一般人を虐殺してでも生き延びる。この世界そのものが俺の命。命を守るためなら何でもするよ? 当然だよね? うん、当然のこと」


 涼しい顔で言い切る来夢が完全に本気だとわかり、怜奈は怖そうな目で来夢を見ていた。


(この子は齢十二にしてすでに、魔王の片鱗を見せている。とんだ堕天使だ)


 来夢を見下ろし、エンジェルが口元に微笑をこぼす。


(俺はとことん来夢に付き合うだけさ。来夢とは死ぬまで離れないし、来夢の見ている方向と同じ方だけ、俺はずっと見ているから)


 来夢と二人きりだったら、今脳裏に思い浮かべた台詞を躊躇いなく口に出す克彦であったが、怜奈とエンジェルのいる手前では、恥ずかしくて言えなかった。


***


 犬飼一はにやにやと笑いながら告知サイトを見ていた。


(義久、頑張っているなあ。あいつはやればできる子だって、俺にはわかっていたんだ。小説家の勘ていうか。うん、あいつは主人公になれる器だ)


 以前のヴァンダムの来日時に雇った事を思い出す。


(いずれまた使ってやるかな。もっとも扱い方を間違えれば、こっちにも牙を剥きかねない奴だから、用心しないとな)

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