第二十三章 16
内装からして値段がお高めと思われる喫茶店に入る、義久とヴァンダム。
テレンスはすぐにその後を追おうとはせず、店の前で、ヴァンダムの傍らにいる白人女性と黒人男性の二人組と、会話をしていた。
「二人共御苦労様。ごめんなさいネ。ボス特権で外回り役やらせてもらっちゃって」
「何が特権なの?」
テレンスの言葉の意味がわからず、キャサリンが尋ねる。
「ヴァンダムさんは現在の業務上、そこまで動かない人でしょう? 義久さんは逆に動き回る人だから、わがまま言って電車に乗せてもらっています」
「なるほど、公私混同か」
悪戯っぽく笑って言うテレンスに、ロッドが納得する。
「ミスター高田、中々素敵な方じゃない? 私、今からボスと役割交換してもらおうかしら」
店の中から義久の顔をじっと見つめ、乙女の表情になるキャサリン。
テレンスが、指先携帯電話のカメラをキャサリンに向けて撮る。
「ん? ボス何撮ってるの?」
キャサリンが訝る。
「交代はしてあげられませんけど、顔だけ撮って、後で義久さんに見せてあげようと思いましてネ。もし向こうも気に入ったら、今回の一見が終息してから、お会いしてみてはいかがですか?」
「まーっ、ボスったらどんだけ部下思いなのっ。前のボスとは本当大違い! 真剣にラブしそうっ」
テレンスの配慮にキャサリンがはしゃぐ。
「その台詞、何十回目ですか? では外の見張りはよろしくデス」
テレンスが喫茶店の中に入っていき、キャサリンとロッドはそのまま外に残る。
自分達より年下で、日頃からフレンドリーに接しているテレンスであるが、キャサリンもロッドも彼の事をボスとして心底敬服している。
一方、店内のヴァンダムと義久は、窓から離れた席で向かい合って座っていた。
「まず私の子供の頃の話をさせてもらおう」
そう言ってティーカップを口元に持っていき、一口つけてから、語りだす。その時、丁度良くテレンスが席にやってきて、義久の隣に座る。
「私は子供の頃、所謂サイコパスという奴だった。利得しか頭になく、他人の心を全く気に留めない、ひどい子供だった」
今でもサイコパスと陰で散々言われているじゃないかと、心の中で突っこむ義久。
「ある時、クラスの同級生が親に虐待された末に、親を殺してしまい、警察に捕まった。同級生達は皆逮捕された子に同情していた。それが子供の頃の私には理解できなかった。『法治国家において犯罪を働いた者は悪。だから逮捕された。その犯罪者に対して何故同情するんだ?』と私が大真面目に発言したら、ドン引きされたよ。悪魔でも見るかのような目で皆が私を見ていたんだ。しかし当時の私にはそれが理解できなかった。私の考えこそ世の中のルールに照らせば正義であるのに、何故私が悪者扱いなのだと、納得できなかった。教師から親にこのことを伝えられて、無心論者だった親は問題視して、私を教会へと連れて行くようになった。そこまで私が問題児扱いされることも、全く理解できなかった。そのまま大きくなって大学を卒業しても、わからないままだった」
述懐するヴァンダムの表情は渋いものだった。
「今の私には理解できるし、あの時のことが恥ずかしくて仕方が無いし、自分があのままであったらと考えると、恐ろしくてたまらない。今のワイフと会わないままであったら、私はきっと人の姿をした怪物のままであっただろう。私は彼女に救われた。私も裏の世界に堕ちた可能性は十分に有りうる。まあ、今でも片足を突っこんだ状態ではあるが」
片足どころか胸までつかっているような気がしたが、義久は言わないでおいた。
「さて、ようやく本題だがね。君も元来、こちら側の人間ではないのかね? 何故そちら側にいる。私はそれが不思議なのだよ」
ヴァンダムに指摘され、義久は己を見つめなおす。
彼の指摘は的外れではない。きっと自分の経歴を調べたうえで揺さぶりをかけているのであろうが、腹の底に押し込んだ事実でもある。
妹の無惨な死を目の当たりにし、人の死を娯楽や商売にしているような連中が蠢く世界である、裏通りの存在をずっと憎んでいた。裏通りにいる住人は悪党ばかりだと決め付けていた。しかも悪そのものである裏通りが、権力にすら介入して報道を妨げる力を持っていることに、例えようも無い悔しさを覚えていた。
しかし自分も裏通りに堕ちて、そこでしか生きられない人達と触れ合っているうちに、義久の中にあったドロドロとした気持ちが、薄れていってしまったのである。
その一方で、裏通りを完全に認められるようになったかと言えば、そういうわけでもない。認められない気持ちも未だに残っている。
「考えている所をすまない。勘違いをしないでほしいが、どちらの陣営につくかはっきりしろと責めたてているわけではない。私に責めたてられねばならない謂われも無いしな。私は二極化思想や陣営分けが嫌いな人間だ。そういった、思想の立ち位置を画一的にしか捉えられず、思想が極端に固まっている人間は愚昧な輩だと思っている。それは人ではなく、人の姿をした羊だ。中立であること、中庸であることこそが、普通であるし、正常であると私は思う。例え、迷いの渦中にあろうとな」
言いながらヴァンダムは、その視線をテレンスの方へと向けた。テレンスは曖昧な笑みを浮かべ、逃げるようにして義久の方に視線を向け、肩をすくめて見せる。
両者のやりとりを訝りつつ、義久は、ヴァンダムがテレンスの事情をいろいろと知っていることを、今のやりとりを見て理解した。
「私が言いたいことは、今いる君の居場所は君には合わない。それだけだ。思想が極端に偏っていようといまいと、裏と表の二つの社会があるのなら、そのどちらかに属する事となる。月那美香のような二束の草鞋履きもいるだろうが、彼女の心の拠り所は間違いなく裏だろう。しかし君はどうだ? どちらかというと表通りの住人のメンタルでありながら、裏で活動する君。それがひどく歪に見える」
再びヴァンダムの視線がテレンスへと向く。
「そこにいるテレンスも君と通じる部分があるがな。彼は、目的を遂げるまでは、海チワワにいる意味もあったが、目的を遂げた今となってはな……。テレンスもそのうち然るべき居場所を見つけて、海チワワを後にするだろう」
(目的?)
何でテレンスのような男が、海チワワのようなテロ組織にいるのか、義久は不思議であったが、やはり彼には彼でいろいろ深い事情があり、なおかつ海チワワがテレンスに合わない組織であることが、今のヴァンダムの話で何となくわかった。
「一つ気に入らないことがあるな」
義久が口を開く。
「おかしな思想にどっぷりかぶれている連中の親玉が、そいつらを蔑む発言しているというのもどうかと思うけどな」
人を羊扱いしていることを指している。
「事実だからな。彼等は人ではない。人の皮をかぶり、人のDNAを持ち、人としての人権を与えられた羊なのだ。私には人には見えない。そして彼等のような者達を管理して善導することには、大きな社会的意義がある」
悪びれることなく言い切るヴァンダム。
「グリムペニスの羊達に限った話ではない。社会はそういう者達が現れるように出来ている。何の取り得も無い底辺の者達が、おかしな思想に寄る辺を見出し、依存する。一つの思想やそれに属する陣営を素晴らしいと思い込み、己が陣営の思想にハマっている自分もまた特別な存在だと思い込み、おかしな運動にのめりこむ。これらは陣営の区別無く、全て同じレベルの存在だ。羊だ」
そうした構図があるのは、新聞社に務めていた義久は当然知っている。だが蔑むような気持ちは無い。ましてや畜生扱いなど、聞いていて良い気分はしない。
「しかしその羊達も管理されていないと、悪さをする。一番厄介なのは、一つにまとまって社会に――体制に牙を剥くことだ。故に封じておく。彼等が結託しないように、対立する複数の思想陣営を作って、互いに噛み合わせるように煽るのは、特に効果的だな。政治屋も彼等におもねって票を集める。彼等の未熟な知能程度と未成熟な精神に合わせた、くだらん書物が出版され、それらが売れることで出版業界も潤う。おっと、新聞もそうだな。元新聞記者の君ならよく承知しているだろう。羊達は社会の最底辺にいて搾取され続ける存在だが、その自覚は無い。自分が優れた特別な存在だと思い込んでいる。羊飼い達に取っては、非常に都合がよいな。大人しく毛を刈り取られて、しかも喜んでいるのだから」
「じゃあ俺も羊飼いですか」
「そうなるな。彼等から搾取していたのは間違いないだろう?」
ヴァンダムが微笑む。新聞記者時代のことを指摘しているのは明白だった。マスコミは特に、そうした者達を意識した商売をしている。それは紛れも無い事実だ。
(俺は自分を見て見ない振りしていたのに、凄くクリティカルな揺さぶりをかけられちゃったなあ。流石はコルネリス・ヴァンダム。大物でありながら、一介の情報屋にすぎない俺のこともしっかり見ていた。見抜いてきた。それが凄いわ。でも……)
「何でそんなことを俺に話してきたんです?」
ただの気まぐれのおせっかいなのか、それとも敵に回りそうな自分を動揺させて裏通りから引き剥がそうとしているのか。ヴァンダムという人物の性格を考えれば、後者だと思える。
「はっきりと言われないとわからないのかね?」
真顔でヴァンダムは言った。
「私の下で働かないか? 君にはそれが一番合っている。羊飼いという生き方こそ、君に最も適している」
思いもよらなかった突然のこの勧誘に、義久は固まってしまった。
***
「優秀なトップは、優秀な人材を見逃さないです」
ヴァンダムと別れて喫茶店を出た後、歩きながら、テレンスがそんなことを口走る。
「ミスター・ヴァンダムに目をかけられてスカウトされるくらいだから、義久さんは相当凄い情報屋さんなんでしょうネ」
「まだ日が浅いし、大した実績もねーよ。でも、目をかけられていたのは驚いたな。まあ、海チワワのトップである君をわざわざ護衛につけた事も、納得できたけど」
自分の何が気に入ったのか、義久には全く理解ができなかった。自分を騙そうとしている可能性も考えたが、それにしてはヴァンダムは真剣に話をしていたように思える。
「スカウトされて嬉しくなかったですか?」
「正直、すげー嬉しかったよ。俺は根が小市民だからな。あんな……世界を股にかける有名人に認められるなんて、嬉しくないわけがない」
考えておくという曖昧な答えを返してきたが、即座に断らなかったのは、義久も惹かれる部分が多少はあったからだ。
(もっとも、向こうの目論見はそれだけじゃないだろうけどな)
ヴァンダムが自分を勧誘してきたのは、他にも狙いがあるのだろうと、義久は考えていた。
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