第二十二章 17
研究所の一階西側の探索を終えた真と累は、北側の探索途中に、階段から降りてきた数人の研究員達と遭遇した。全員、血相を変えている。
「君達は? こんな所を子供がうろついているとは……」
「これでも裏通りの住人だし、研究所内で起こっている騒ぎの調査で歩いている」
不審な眼差しを向ける研究員に、真が答える。
「ルシフェリン・ダストとヨブの報酬が視察に来ていると言ってましたが、それでしょうか?」
研究員の一人が小首をかしげる。
「僕らのことはどうでもいいだろう。あんたらこそ何しているんだ? いや、何があったんだ? 皆エントランスに避難してるぞ」
「凄い化け物がうろついてて、外に出られなかった」
真の問いに、青ざめた顔の若い研究員が答えた。
「部署が違うから詳しいことはわからないけど、あれがWH4かも」
「うちらは魔法少女製造研究部門だからねえ。部門設立してから、企画書さえまともに作れず三年も過ぎてるけど」
「あっちにまだ十人近くいるはずだよ。襲われてばれてしまって、ちりぢりに逃走し、うちらはここに立て篭もって、こっちに来ないのを祈ってたけど……」
「ったく、バトルクリーチャー部門はろくに管理もできんのかっ」
「二階へと移動したかもしれん」
一斉に喋りだす白衣の面々。
「今も言ったとおり、エントランスに皆集まっている。安全だからそっちに行ってくれ」
面倒臭くなって、適当にあしらっておくことにする真。
「ちょっ、そこまでエスコート頼むよ」
「僕らがそっちから来たんだから安全に決まってるだろ」
慌てて声をかける年配の研究員に、真は言った。
「エントランスが何故安全と言い切れるのかね?」
さらに年配の、いかにも頑固爺そうな厳(いかめ)しい面構えの白髪の研究員が、挑みかかるように尋ねてきた。
「純子がいますから」
累が答えると、その頑固爺研究員の顔が見る見るうちに明るくなる。他の研究員達も一斉にホッとして笑顔に変わる。
「おお、あの雪岡嬢がっ」
「マッドサイエンティスト界の希望の星が!」
「なら安全ね!」
「よーし、ママ、エントランスに向かって、純子ちゃんに議論ふっかけちゃうもんねー」
「ワシもワシも! 今こそこの世の全てのマッドサイエンティストが一丸となって、魔法少女の製作及び量産化に臨むべき! 雪岡君を説得できればその可能性は飛躍的に上がるっ!」
口々に喚いた後、研究員達はこぞってエントランスへと向かっていった。
「純子は特撮の方に御執心ですし、協力はしないと思いますけどね……」
どうでもよさそうに累がひとりごちる。
そのまま階段を二階へと上がった所で、二人は床に血が落ちているのを見つけた。
点々と続く血痕。大きさや血痕の間隔からすると、大した負傷では無いように思える。
真と累は顔を見合わせ、血痕を辿って歩いていく。
通路の曲がり角に血痕は伸びている。そこに気配を感じ、真と累は警戒する。
「あは……あはは……あははは……」
虚ろな女の笑い声が、通路の右側から聞こえてきた。
曲がり角を曲がると、前方の左右に扉がついている。そして血痕は扉の前で途切れている。
「あはは……あはは……」
声は右の扉か微かに聞こえてきた。
右の扉を開く真。中からいきなり襲われる事も警戒したうえで、すぐに対応できる気構えをしつつも、生存者であるなら驚かせないようにするため、ゆっくりと開く。パニくった生存者が驚いて、敵と勘違いして襲ってくるかもしれないからだ。
部屋の中を見渡しても、一見誰もいなかったが、声は明らかに部屋の中から聞こえてくる。どこかに隠れていると思われる。
「助けに来た。大丈夫か?」
真が声をかけてみる。
「貴方達みたいな子供が?」
用途不明の機材から女性研究員が顔だけ出して、恐る恐る問う。
「綺麗な子達……嗚呼……とうとう私、気が触れて幻覚見るようになったのかしら……痛っ」
「現実だ」
研究員の頬をつねって、短く言い放つ真。
「皆エントランスに集まっている。あそこなら雪岡純子がいるから安全だ」
ここに務めるマッドサイエンティスト達には、純子のネームバリューが効果覿面なので、最初から口にして安心させようと試みる。
「何ですって! 信じられない……。いや、伝説のマッドサイエンティストの雪岡純子がいるのなら、こっちに連れて来て、あの化け物をやっつけさせることはできない? 私以外にもまだ生きてる人がいるかもしれないのよっ!」
「僕らがその代わりだ」
またこの反応かとうんざりしつつ、真が答える。
「ということは、貴方達は雪岡さんのマウス? でも……何でケモミミついてないの? ケモミミ付き美少年マウスをはべらして、逆ハーレム作っているって噂だったけど」
「僕らはマウスじゃないし、噂もデタラメだ」
わざわざ口にするのも面倒な気がしたが、それでも誤解を解いておく真であった。
「脱走したバトルクリーチャーに襲われたのか?」
「そ、そうよ。私はうっかり一人はぐれちゃって。ホラー映画とかだと、はぐれた一人から先に殺されるのが定番だから、きっと私も死ぬと思って、震えてたの」
「基準をホラー映画にするのもどうかと思いますが……」
今にも泣き出しそうな青ざめた面の研究員に、累が突っこむ。
「でも野生の世界の肉食獣だって、はぐれた一匹とか弱い個体を狙うわよ。それにあのバトルクリーチャー、同僚を頭から丸呑みにしていたのよ……。人間が食べられるところを見るなんて……夢に見そう」
「階段とその下は大丈夫だ。僕らが来た方向だからな。それよりこの血は……」
血痕はさらに部屋の奥の扉へと続いていた。奥の扉は開きっぱなしだ。
「化け物はそこから出ていったわ」
真の疑問に答えるかのように、研究員が言った。
「化け物があちこち動き回って、僕らが来た方向に行かないうちに、さっさとエントランスに避難した方がいい。階段までは送るから」
「わ、わかった……」
真の言葉に、研究員は神妙な顔で頷く。
「真、変な想像……しませんでした?」
研究員を階段まで送り、彼女が隠れていた部屋まで戻ってきた所で、累が声をかける。
「何?」
「いえ、今の人の言葉で……。真と僕がケモミミつきで、純子に奉仕している所とか、想像しなかったかなーと……痛たたたっ」
「全然想像しなかったけど、お前が余計なこと言うから想像しちゃっただろ」
「痛い痛いっ」
累の鼻の頭を引っ張ってつねりながら、真が言った。
その後、部屋の奥の扉から、別の通路へと出た真と累は、血の滴る方向へと歩いていく。
「気づくのが遅かったですが……」
不意に累が立ち止まってかがむと、床に点々と落ちている血を指した。
「この血、落ちてから時間が経っています。もう乾いている。それと……」
累が顔を上げ、前方を見据える。いや、視線の先は通路の前方の曲がり角にあった。滴る血も、角の所で途絶えているので、曲がり角の先へと続いていると思われる。
「その先から、かなり強い血の臭いがします」
「強い血の臭いはしていたが、僕には正確な位置まではわからなかった。近くとしか」
「純子ほどではありませんが、僕も結構嗅覚は優れている方なので」
二人が通路を曲がると、床に大量の血が飛び散った痕があった。
「ここで何人か殺されたな」
「しかし血痕の主がまだ逃げのびているようですね」
さらに奥へと血痕が続いているのを指す累。
血痕の追跡を続ける二人。しばらく歩いていくと、血痕が途切れた。
「ここで食われたか? しかし殺された際の飛沫血痕が無いな」
「いいえ、まだ生きているようですよ。そこに」
累がエアダクトを指した。
「ダクトに逃げるってのは定番だけど、ちゃんと蓋も自分で閉めたのかな」
喋りながらエアダクトの蓋を外す真。
「おおっ、君は雪岡純子の殺人人形君ですか」
エアダクトの中いた初老の男が歓喜の声をあげた。
「僕のこと知っているのか」
「私は裏通りにはそれなりに精通していましてね。雪岡君ともわりと付き合いは長いです。助けにきてくれたんですね?」
「ああ、皆エントランスに避難している。雪岡もいる。でも研究所内にはWH4というバトルクリーチャーが彷徨っている」
真の言葉に、研究員が沈鬱な面持ちになる。
「ええ、私も襲われましたし、私の見ている前で、同じ魔法少女製造研究部の研究員達が殺されました。私だけ運が良く生き延びましたが……」
「他にも結構生き残りはいたぞ」
「おお、それは僥倖。しかし……魔法少女の製作を夢見た同志達が、魔法少女の完成を拝む事無く他界したのが、本当に悔やまれます。こうなったら私は何としてでも生き延びて、彼等の無念を晴らすためにも、魔法少女を造りあげなくてはっ」
両手を握り締め、闘志を燃やす研究員。
「そのWH4ってのがどっちに行ったかわかるか?」
「そこの階段を上っていったが……三階や四階には誰もいないはずです。しかし……それが妙ですな。何故誰もいないはずの上へと向かったのか。奴は人間を求め、食いたがっているような気がしました」
おおよそ必要な情報を得た後、真と累は研究員をすぐ近くにあった階段ではなく、自分達が上がってきた階段まで見送った後、初老の研究員が隠れていた場所まで戻って、彼が指した階段を三階へと上った。
***
命はその鋭敏な感覚で気がついていた。
自分を探す者の存在を。自分に近づいて来る者達の存在を。
命は食事の最中だった。ただ食欲につられて、食べているだけ。
食するは虫達。味もあるし、空腹もそれなりに満たせる。少しずつ食べる。
虫を食べても、栄養になるだけだ。虫に高度な知能や願望など無い。
命の使命は――その命ができることは、知性有る者の願望をかなえることだ。
食事を取りながら、命は感じていた。接近してくる者達がいることを。
命に近づく、二つの命。そのうちの一つに、自分と同質の物が宿っていることまで、命は感じ取っていた。
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