第二十二章 13
その命は、断じて孤独ではない。心通う者が何人もいる。
己の中にいる。
命は使命を果たした。己の力を発揮した。己の中に取り込んだ者達の望みをかなえ、姿を変え、満足していた。
しかし命の旅が終わったわけではない。むしろまだ始まったばかりだ。
より多くの者と心を通わせたい。より多くの者の望みをかなえたい。それはきっと、より多くの者にとって幸せなことであり、自分にとっても幸せである。命はそう信じて疑っていない。
***
晃の得物は銃。睦月の得物は――現時点で見せているのは鞭のみ。共に距離を置いて戦う者同士である。
晃としては、鞭の届かぬ場所をキープしつつ、一方的に銃を撃ちたい所だが、中々そうもいかない。
睦月は常に自分の鞭がぎりぎり届く場所へと足を運び、変則的な動きで鞭を振るう。
睦月の攻撃を際どい所でかわし続ける晃。戦闘が始まってからすぐに、晃は防戦一方に追い込まれていた。
防戦に追い込まれている晃であるが、その表情にはまだ余裕が伺える。機を伺っている。
一方、晃の無駄の無い動きやフェイントのかけ方を見て、睦月は感心する。
(あはっ、この子、中々いいセンスしてるねえ。もって生まれた才っていうのは、中々貴重。鍛錬もしっかり積んでいるのがわかる。でも……)
蛭鞭が唸る。コンマ数秒でフェイントと読んだ晃はあえてかわさず、睦月に狙いをつける。
(積み上げた経験値は、俺の方が上だったねえ)
フェイントと思われた睦月の鞭が、そのまま晃の肩口から胸にかけて、正面から打ち据えた。ただの鞭でさえも肉を裂く痛打であるが、蛭鞭はさらに重さによる威力が増す。まるで鈍器と刃物を混ぜた武器を叩きつけられたような、そんな感触と共に、晃は仰向けに倒れる。
(いや……今のは……)
睦月は手応えに違和感を覚えた。
晃は鞭の一撃を食らう直前で体を引いていた。鞭で叩かれたはしたものの、身を引いた分、タメージは抑えられている。
仰向けに倒れた格好のままで銃を撃つ晃。
思いもよらぬ反撃に、睦月は自分が油断したと意識する。銃弾は睦月の胸部を貫く。
晃が素早く身を起こす。ダメージは軽くも無いが深刻でもないといったところ。痛みはあるが、動きに支障は無い。
さらに睦月が鞭を振ってきたので、晃は驚いた。防弾繊維を貫けなかったにせよ、銃弾の衝撃で少しはひるみそうなものなのに、睦月は全く意に介さずに攻撃を仕掛けてきたのだ。
鞭が横に、そして縦にと、続けて振るわれる。さらに斜めに鞭が振るわれるのを見切って、晃はかわした直後に撃つイメージを己の中で作り上げ、体にそのイメージを伝達する。そうすることで、すぐに動けるように。
斜め上からの鞭の一撃。横にかわすと同時に銃を上げる。照準のイメージも事前につけてあるので、構えとほぼ同時に撃つ。回避から射撃までの間、一秒も無い。かわしたと同時に撃っている。
最初からこうできなかったのかと言えば、中々難しいところだった。少なくとも晃の技量では、相手の動きまでちゃんと読み取られなければ、ここまで動けない。
晃の銃弾は、睦月の喉を貫いていた。
勝利を確信した晃であるが、次の瞬間、目を剥くことになる。
喉の銃創がすぐさま塞がり、睦月は平然と鞭を振るってきたのだ。
(再生能力持ちか? バトルクリーチャー用の溶肉液入弾頭使っておくべきだった)
睦月の鞭をかわしながら、晃は後悔する。
ふと、晃は背後に気配を感じた。それと同時に、体も動いていた。
後ろから来る何かの気配。視線で追わずに空気の揺らぎだけで肌で感じたそれは、晃が横に跳んだ直後、晃がいた空間を横切っていた。
(蜘蛛?)
脚が刃で出来た、幼児ほどの大きさの蜘蛛の姿を目の当たりにする晃。
蜘蛛の攻撃をかわした直後を狙って、睦月が鞭を振るう。袈裟懸けに鞭の一撃を浴びせられ、再び倒れる晃。
今度はいい一撃をもらってしまった。痛打によるショックのあまり、体が動けない。
「あはっ、僕の勝ちだねえ。言っておくけど、この蜘蛛も僕の一部分みたいなもんだから、卑怯じゃないよぉ?」
蜘蛛を晃の体の上に乗せて、勝利を宣言する睦月。とどめをさす気は無いようだが、下手な動きをすれば即座に蜘蛛の刃が、自分に致命傷を与えるであろうと、晃は理解し、敗北を受け入れた。
***
凜が黒鎌による変則的な攻撃を行いつつ、時折亜空間を開いて銃を撃つ。
銃は右手の袖の内に固定しており、鎌を振るう際には鎌を両手で持つために銃はすぐに袖の中に引っ込め、銃を撃つ時には鎌を左手だけに持って片手で銃を撃つという、スイッチワークを行っている。
銃と鎌という二つの得物を巧みに操り、さらには銃撃の際に定番の亜空間トンネルを用いているにも関わらず、百合は難なく回避している。
(相当な手練ね。これだけ変則的な連続攻撃を仕掛けているにも関わらず、全部余裕をもってかわされてるし)
百合の速度と無駄の無い優雅で軽やかな動きに、凜は驚嘆していた。敵と自分の強さの差は、すでに肌で感じている。少なくとも体術に関しては、百合の方がはるかに上であると。しかし凜は臆することなく、仕掛け続ける。
突然、百合の体から白い煙のようなものが噴き出た。それは亜空間トンネルの出口からトンネル内にまで侵入し、銃を持つ凜の右手にまでかかった。
慌てて飛びのく凜。見ると煙を浴びた手が、白く蝋のように固まっている。
(動かないし、感覚も無くなった。これを頭や胴に浴びたらアウトね)
素早く右手に味噌を塗る凜。
「うふふ、よく今のをかわしましたわねえ。あっさり終わらなくて幸いですわ」
白煙が晴れたところで、百合が口元に手をあてて優雅に笑う。
(余裕ぶっているうちに、一気に畳み掛けてやる)
白煙で視界が遮られた際、凜は回避する一方で、こっそりと準備も整えていた。
「あら? 何かしら、これ」
その時、百合は気がついた。天井近くに、無数の茶色い固まりが浮かんでいるのを。
(気付かれたか。うまく死角をついてこっそりと浮かべておいたのに)
みそ妖術による不意打ちは失敗したと見なし、凜は術を行使することにした。
「みそメテオ!」
凜のかけ声と共に、宙に浮かぶ無数のみそが、流星群となって一斉に百合めがけて飛来する。
(何ですの、これは……)
後方に大きく跳んでかわす百合。床に落下したみそが潰れて飛び散る。具体的に当たったらどうなるのかわからないが、試してみたいとも思わない。
百合が跳んだタイミングを見計らって、凜がその場で黒鎌を横薙ぎに振るう。
亜空間トンネルの扉が凜の前方と百合の背後に開き、振った鎌の先がトンネルを抜けて、百合の後ろに出現する。
(それくらいはお見通しですわ)
凜がこうくることも、百合は警戒していた。凜が最初から亜空間トンネルを利用した攻撃を行ったから、警戒されていたわけでもない。そもそもオーバーライフであれば大抵が、空間を越えた攻撃をできるし、防ぐ術も心得ているし、常に警戒している。
念動力により力場を形成し、背後から襲いかかる鎌の刃を止めようとする百合であったが、もっと根本的なことを失念していた。
空間を越えて振るわれた鎌は、さらにそこで黒い液体となって飛び散り、百合の側面から前面へと回りこんだのである。
(あれま)
自分がうっかりしていた事に対しての戸惑いと呆れを覚えた直後、百合の目の前で油のようなドロドロした液体の飛沫から、硬質な黒い刃へと戻る。
黒い液体が刃に戻ると同時に、凜が手にした鎌の柄を己の体ごと引く動きを行うと、鎌の刃が百合の胴体を見事に両断し、百合の後方に作られた不可視の力場に引っかかった。
それは一瞬の出来事だった。凜の動きだけ見れば、一秒もしない内に、鎌を横に振るったかと思ったら、即座に引いただけのアクションである。
胴を真っ二つにされ、血と内蔵を撒き散らして床に倒れる百合の姿を見て、丁度晃との勝負を追えた睦月は、目を丸くした。
「やりますわね」
自分の迂闊さに最早怒りを覚えつつ、逆に凜に対しては素直に称賛の感情を抱き、百合は微笑みと共に呟く。
百合が呟いた直後、ぶちまけられた内臓と血が、巻き戻し映像でも見ているかのような速さでもって、身体の中へと戻っていく。両断された体もぴったりとくっつく。
ゆっくりと立ち上がる百合を見て、凜は鎌を構えたまま慄然とする。
「私も過ぎたる命を持つ者のはしくれですので、この程度では死ねませんわ」
嘯く百合であるが、再生能力に関してはあまり長じていないし、それを隠すことすら出来ていない。
(再生そのものは早くても、俺みたいに綺麗に元通りってわけでもないし、消耗も激しいってことかねえ)
睦月が百合の顔と足元を交互に一瞥し、判断する。全ての血が戻ったわけでもなく、床にはかなり血が残っていた。そのうえあまり顔色がいいようには見えない。睦月の目から見て、微かではあるが、百合の顔には確かに疲労の色が伺えた。今の再生を行ったためだろう。
睦月は晃との勝負に決着を付けたが、百合と凜の勝負に水を差すような真似をせず、静観の構えを取っている。百合が敗れるどころか手傷を負うとすら思っていなかったが、凜に思わぬ一撃を入れられたのを見て、後で亜希子にこのことを教えてやろうと心に決めていた。
「随分と多芸でいらっしゃること。次はどう楽しませてくださるか、御目にかかりたい気もしますが、まさか私に一撃見舞うとは思っていませんでした。お遊びはここまでといたしますわ」
百合が宣言すると、両手を前方にゆっくりと突き出す。掌を上にして、まるでおねだりをするか、さもなければ、誰かから何かを受けとろうとしているかのようなポーズに、睦月と凜の目には映った。
「わかりやすい強がりね。余裕ぶっていても倒せると見下していた相手に、一発入れられて、泡くってるだけでしょ。それともキレてるの?」
口では挑発する凜であるが、百合が動揺しているようには、凜の目からも見えなかった。しっかりとダメージは受けたが、まだ十分に余裕はありそうだ。
百合の両方の掌から、無数の半透明の顔が噴出した。それらは全て怒りや恨みが張り付いている。夥しい数の怨霊である。
凝縮された怨霊群が巨大な奔流となって凜へと放たれる。食らえば多数の怨霊に同時に憑依され、一瞬にして発狂する。速度は目で追えない程でもないが、何よりその横幅はたっぷり10メートル以上ある。とてもかわしきれるものではないと思われた。
この光景を、霊を使役する術師が見たら、大抵の術師は、単純にその怨霊の数に絶句することであろう。どれだけの力を持てば、これだけの怨霊を同時に使役できるのかと、絶望的なまでの力の差を感じることであろう。それほどの強力な術を行使している。
(例え亜空間に逃れようと無駄ですわよ。そのまま亜空間の中まで追撃してさしあげますわ)
凜が逃れるとしたらそれしかないと、百合は踏んでいた。そして凜が亜空間トンネルを開いて逃れようと、百合は亜空間の扉を強引にこじ開けて、逃れた亜空間の中にまで怨霊群を入れるつもりでいる。
死霊術師としての圧倒的力量をもってして、極めてシンプルな、怨霊の数量による圧殺。百合が持つ術の中でも極めて強力な攻撃である。あまり百合の好む戦い方では無かったが、確実に仕留める選択を取った。百合が最も好む戦い方は、純子と同じく近接戦闘である。
しかし凜は、亜空間移動で逃れようとはしなかった。
「みそがあれば何でもできるっ!」
突然凜の口から意味不明な叫び声が発せられ、百合と睦月は呆気に取られた。
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