第二十一章 28

 蔵、怜奈、エンジェルの三名は、純子から送られたレーダーを頼りに、鬼マークが三つ集まったまま動かない場所へと訪れた。間違いなくそこに、踊れバクテリアの面々も潜んでいる。

 中枢にもすでにその場所を伝えてあるし、中枢の精鋭が派遣される手筈になっているが、いつ来るのかはわからない。


「中枢の兵士と合流してから突入する方がいいですよー」

「いいや、それでは警戒されて逃げられる可能性が高い。向こうには転移の能力者もいるのだ」


 怜奈の意見を蔵は取り下げる。


「まずこちらも三人だけで来たと思わせ、油断させる。中枢が到着する少し前くらいに中に入り、交戦状態に持ち込む。そしてできるだけ長引かせて粘る」

「ふっ、そしてここぞとばかりに中枢の兵士が天の御使いの如く、助っ人として颯爽と登場し、奴等は慌てふためき、神の御許へ飛ばされるわけか」


 蔵の意図する所を察して、エンジェルが言う。


「それが理想のシナリオであるがな。うまくいけばいいが」


 中枢の兵士が現在どの辺りにいて、あと何分くらいで着くかも、ちゃんと把握している蔵である。


「もう少しここで時間を稼ぎたいが、我々がここにいる事を察知されている可能性もある。そうなると、いつまでもここにいる事が不自然と思われるかもしれん。そろそろ行くとしよう。中に入ったら、最低五分は粘る。会話で引き伸ばしてもいい」

「わかりましたー」

「銃声は死天使(サマエル)の叫び」


 蔵の命に応じて、怜奈とエンジェルが先陣を切って、オンボロ工場の中へと入る。


 シャッターは開きっぱなしであるが、暗くて中の様子はいまいちわからない。シャッターの先が何の作業場かもよくわからない。

 警戒しつつ入ってみると、ベルトコンベアやら、空っぽのコンテナやら、フォークリフトやら、その他用途不明の機材が並んでいた。


「ようこそ。プルトニウム・ダンディーの諸君」


 三人に声がかかる。灯りがつき、一人の男が姿を現す。


「私は獅子妻茄郎。踊れバクテリアの首領だ」

「蔵大輔。プルトニウム・ダンディーのボスだ」


 向こうが自己紹介してきたので、一応それに合わせて蔵も自己紹介する。会話の引き伸ばしによる、時間稼ぎという目的もある。


(嫌な目をしている。いや、嫌な顔と言うべきか。あの人を見下した目つきは福田に似ているが、酷薄そうな人相は福田からは感じられなかったものだ)


 獅子妻を見て、かつての部下のマッドサイエンティストを思い出す蔵。


「来夢から貴方達の情報は大体聞き出した」


 獅子妻が口にしたその言葉に、蔵は怒りと怯えを同時に覚える。


「拷問したのか?」

「いいや。素直に話してくれた。問題はあるまい? それとも拷問されても喋らなかった方がよかったのか?」

「いや……」


 ほっとする一方、無表情に語る獅子妻を見て、ますます印象が悪くなる。真もいつも無表情だが、彼は会った時から、明らかに感情の変化が見ていてわかった。


(だがこいつは……まるで人間と話している気がしない。変温動物と向かい合っているようだ。純子や来夢も初対面で、普通の人間とは別物という印象を感じたが、こいつはもっと……禍々しい)


 一つだけ確信できるのは、他者の痛みや情がわからず、斟酌もしないタイプだということだ。蔵は今までに何人かそういう人間を見てきているので、顔――特に目つきを見て、何となく勘でわかってしまう。


「さて、提案だ。手を引いてくれ。頼む」


 抑揚に欠けた口調で告げる獅子妻の言葉に、蔵は笑ってしまった。


「人に物を頼む言い方か? しかもそのようなことを言われて、はい、そうですかと帰れると思っているのか?」

「来夢は返す。彼に暴力的な扱いもしなかった。人質として使う気も無い。交渉材料としても使う気は無い。そちらに返す。それをこちらの誠意と見てくれ」


 小馬鹿にしているわけではなく、獅子妻が大真面目に頼んできていることに、呆れる蔵。


「それは交渉材料として使うつもりでいるだろう」

「誠意と言った。交換条件も提示していない。一方的に返して、貴方達の判断に全て任せるという、実に非合理的なやり方だ。だからこその誠意だ。個人的にはあの子は是非仲間に引き入れたい。説得する自信もある。だがそれをあえて無条件で解放すると言っている。ここでの交渉がどうなろうとな。ただし、例えここで交渉が決裂して、貴方達の組織が壊滅し、あの子が踊れバクテリアに入りたいと望むなら、拒む理由は何も無い」


 獅子妻の話に二つ、聞き逃せない言葉があった。まず一つ目はこの男が来夢を気に入ったということ。もう一つは、来夢が踊れバクテリアに心が傾いているかのように、ほのめかしたことだ。

 無条件で解放するという宣言を強調している辺りで、それは事実なのではないかと、どうしても疑ってしまう。


「ひょっとして動揺しているんですか? 耳を傾けちゃ駄目ですよー」


 怜奈が蔵の心を見透かしたかのように、耳元で囁く。その小声も獅子妻に全て聴こえている事は、蔵達にはわからない。


(あの女……どこかで見たような? 喋り方や声も、誰かに似ているような……)


 一方獅子妻は、怜奈に見覚えがあり、思い出そうとするが思い出せない。


「来夢からこちらの事情も聞いているのなら、そう簡単に引けないという事もわかっているだろう? 雪岡純子と中枢が絡んでいるのだぞ」

「しかし貴方達が命令されて選択無しに動いているとも思えない。そんな強制はしないだろう?」


 指摘と共に、獅子妻が初めて微笑をこぼす。


(思った通り、嫌な笑い方だ。冷笑という言葉がぴったりの……)


 獅子妻に対する蔵の嫌悪感がますます募る。


「引き受けた仕事をそうほいほいとも放り出せない」

 蔵がきっぱりと告げた。


「そうか、交渉決裂だな」


 その一言と共に、獅子妻の体から殺気が立ち上る。これまでの冷たい空気が、一気に熱くなるような、そんな気配だ。

 蔵が何も言わずとも、怜奈とエンジェルの二人が、全く同じタイミングで前へと進み出た。


 獅子妻が己の服に手をかける。

 怪しい動きと判断し、エンジェルが銃を抜き様に撃つ。

 獅子妻はそれを小さな動きで避けると、そのままボタンを外してシャツ以外の上着を脱ぎ、足元に落とした。さらにベルトを外してズボンも脱ぐ。


「怪人に変身するから、その際に服を破きたくないって感じですかねー」

「御名答。下着は諦めるしかないな」


 怜奈の読みに対し、面白くも無さそうに言うと、獅子妻の体に変化が起こった。


 全身の筋肉が膨れ上がり、剛毛で覆われる。上半身の特に胸と肩の筋肉の盛り上り方が異様だ。筋肉だけではなく、骨まで膨張したように見える。

 何より大きな変化は頭部だ。口が大きく裂けて牙が覗き、頭からは獣の耳が生えている。顔面も毛で覆われている。

 ありていに言えばそれは、狼男であった。それ以外に表現しようがない。


(まさかこいつ一人で我々を相手にするというのか? ボス自ら? そんなはずはない。どこかに仲間が潜んでいるはずだ)


 向こうは向こうで策略を巡らしているに違いないと、蔵は踏む。

 狼男へと変身を遂げた獅子妻が、四足になって猛ダッシュをかける。狙いはエンジェルだ。


(エンジェルは本調子ではない。向こうにもその情報が伝わっているのか?)

 蔵がエンジェルを見やる。


 エンジェルは落ち着いて銃を二発撃つが、獅子妻は先程同様、最低限の動きでかわし、そのままエンジェルに肉薄する。

 鋭く尖った爪を供えた、大きく膨張した手が振るわれる。エンジェルは大きく上体を逸らして、すんでのところで攻撃をかわす。


 そこにブルー・ハシビロ子となった怜奈が横から迫り、獅子妻の頭部めがけて右フックを放つ。

 獅子妻は太い左腕でガードしたが、ヒーロー系マウスとなった怜奈の攻撃は、ガードした腕にもダメージを与えているようで、狼フェイスが苦痛に歪んでいる。


 だが獅子妻が怜奈めがけて腕を振るうと、怜奈の体が文字通り宙を舞って、大きく後方へと吹き飛ばされた。


 隙を突いて、エンジェルが至近距離からさらに銃を二発撃つ。今度は二発とも、獅子妻の胸と腹に当たった。


 次の瞬間、エンジェルの顔色が変わる。獅子妻はほとんどひるむことなく、エンジェルめがけて蹴りを放つ。エンジェルは後方に飛びのいてこれをかわそうとしたが、かわしきれずに腹部に爪先を食らい、怜奈同様に宙を舞って大きく吹き飛ばされた。


 怜奈、エンジェルの二人の猛者が、続け様に圧倒されるという光景を見て、蔵は啞然とする。


「言い忘れていたが、雪岡曰く――製作当時の時点で私の性能は、全てのマウスの中で四番目の戦闘力という話だ」


 狼男になっても、先程と変わらぬ声と喋り方で、獅子妻は告げた。


「もっとも、製作した後――成長してからの順位付けの変動もあるそうなので、現時点で、彼女から見てどの程度の順位かは不明だがな。それでもそれなりに強い方ではあると思うぞ」

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