第二十一章 27

 来夢は克彦と同じ部屋で一夜を明かし、昼になってから、克彦の方から今後どうするかという話題を振った。


「ここから逃げるか? 獅子妻の奴は、来夢を利用して何かしようと企んでいるみたいだしな。さもなきゃ仲間に引き込むのを諦めていないかも」


 そこまで喋ったところで、克彦はふと思う。


「もし踊れバクテリアと戦ったお前の組織が全滅したら、お前はどうする? 仇を討つために俺達と戦うか?」

「ムカつくからきっと復讐する。それに俺、裏切りはしない。克彦兄ちゃんと一緒にいたい気持ちはあるけど。でもさ、克彦兄ちゃんにも裏切るなって言ってたけど、気が変わった。あの爬虫類みたいなボスは好きになれない。あんなのの下にいない方がいい」

「ははは、俺もあまり好きじゃないよ」


 克彦としてみたら、来夢をここから逃がしたいと思っている。そのためには、踊れバクリテアを裏切っても構わない。そんなに思い入れのある組織でもない。

 ノックがする。獅子妻かと思って少し警戒する克彦。


「こっそり話聞いちゃったんだが……。ここ、壁薄いから内緒話は注意しとけよ」


 そう言って現れたのは、犬飼だった。


「逃げるなら手引きしてやるぞ」

「は?」


 にやにや笑いながら告げた犬飼を、克彦は胡散臭そうに見る。


「小説家のおっさん……。あんたは獅子妻のオトモダチじゃなかったのか?」

「お友達だから楽しませてやろうと思っているんだ」


 わけのわからない答えが返ってきて、克彦は顔をしかめる。


「わかる」

「いや、何がわかるんだよ。わからないっての」


 一方で来夢は頷いていたので、克彦が苦笑しつつ突っこむ。


「うーん……」


 腕組みして思案する克彦。犬飼という男の申し出は、とても信じられない。罠の気配がぷんぷんする。


「逃げるのは無しだ」

 やがて決心した表情になり、克彦は言った。


「来夢、お前の組織の奴等と戦って殺すぞ。そうすればお前は俺と仲間になれる」


 これは嘘だった。犬飼の手前、騙すつもりで言っている。

 来夢ならば自分の嘘を見ぬいてすぐに察してくれるはずだと、克彦は信じている。今までどんな嘘をついても、来夢はどういうわけか高確率であっさりと見抜いた。


「それは無理。もし克彦兄ちゃんがそのつもりなら、俺も戦う。俺は克彦兄ちゃんを他の人に殺されたくないから、俺が克彦兄ちゃんを殺すね」


 克彦を見上げ、にっこりと笑う来夢。それを見て通じたと思い、克彦も笑う。


「そんな台詞がさらっと出るとは、獅子妻の言うとおり面白い奴だな」


 来夢を見て犬飼が言った。


「つーかそれなら、克彦が来夢の組織に入ればいいんじゃないか?」


 犬飼が提案したが、克彦はかぶりを振る。それが最良の選択であるが、犬飼を信じていないので、演技をしておく。


「こいつはそれも駄目って言うんだ。裏切りはよくないって。こいつの理屈に付き合うと、結局俺ら二人で殺し合いしないといけない。ま、俺もそれでいいと思えてきた。獅子妻が言うには、踊れバクリテア自体、長くもたねーらしいし。それなら俺が来夢に殺される形が一番いいや。あるいは、来夢と心中するつもりで、俺が先に来夢を殺して、その後で俺も殺されてあの世で一緒って形もいいし、どっちに転んでも俺にとって悪くねーぜ」


 克彦の言葉を受け、今度は犬飼が腕組みして考え込む。


「うーん……最近の十代って、こんな刹那的で破滅的な考え方するのかなあ。人生はこの先長いし、その間にいろんなこと経験して、成長していくんだぞ」


 説教臭いことを口にするのは自分のキャラではないと思う犬飼であったが、ついつい口を出してしまう。


「俺はお前らの考え方、三文小説的には面白いと思う。けどな……薄幸のメガロドンの連中は本当にもう、破滅に向かってひた走るしかなかったが、お前達はあいつらとは全然違う。好きな者同士で、手を取り合って生きればいいだろうに」

「でもさー、小説家のおっさん。俺、もう疲れてる。一年間ずっと一人でそこら中歩き回って、世界への憎しみに押し潰されそうで、正直しんどかった。だから最後に来夢の顔だけでも見に、安楽市へ帰ってきたし、それもかなったから、もうどうでもいい気分になってるんだよ」


 これは演技ではなく、半分以上、克彦の本心であった。


「まだ俺の中で、憎しみや怒りはくすぶっているし、暴れ足りないから、踊れバクテリアに入ったけど、獅子妻の言うとおり、いつ死んでもいい気分……だったんだ」


 不意に犬飼が口に人差し指をあてて、ディスプレイを出す。その一瞬だけ、克彦は言葉に詰まった。ディスプレイに書かれている文字を見た二人が、目を大きく見開く。


「それでも俺は、お前達は生きるべきだと思う。逃げろよ。無駄死にする必要はない」


 なおも説得する犬飼。しかし――


「俺が克彦兄ちゃんと一緒に逃げるって言ったら、克彦兄ちゃんも逃げてくれる?」


 来夢が言う。


「そりゃあ……来夢が言うなら、断れないかな……」

「じゃあ逃げよう」


 来夢が立ち上がり、克彦もそれに続き、二人揃って部屋を出た。


***


 獅子妻が、克彦と来夢がいた部屋に向かう途中、廊下で犬飼と遭遇した。


「あいつらなら逃げたぜ」

 犬飼が先に口を開く。


「貴方が逃がしたのだろう。どういうつもりだ」


 憮然とした面持ちで獅子妻。犬飼には一目置いているが、今回のことは流石にどうかと思う。


「あの位置からでも会話が聴こえてたわけか。すげー耳だ」

「聴こえていることも承知していたのだろう?」

「死なすには惜しい二人だと思ったからさ。それの何が悪い? そもそも俺は自分の意見を口にしただけで、奴等を逃がしたわけじゃない。あいつらが自分で決めたことだ。ていうか別に逃がしてもいいだろ。大目に見てやれよ」


 犬飼の言うことにも一理あるとし、獅子妻は反論できなくなる。犬飼がそそのかしたのは事実だが、逃げる手引きをしたわけではない。


「いや……どうやら戻ってきたようだ」


 工場入り口に二つの足音が響いたのを聞き、獅子妻は言った。

 獅子妻と犬飼の二人で、作業場へと赴くと、アジトを出たはずの克彦と来夢が戻ってきていた。


「おや? 忘れ物か?」


 おどけた口調で犬飼が二人に声をかける。


「二人でいろいろと話したんだよ。で、やっぱり戦うっていう結論」

 肩をすくめる克彦。


「俺はどっちにつくか、最後まで迷っておく」

 と、来夢。


「悩み迷う年頃だからなあ」


 元いた部屋へ戻る二人の後ろ姿を見送りながら、犬飼がへらへらと笑う。


「私にはよくわからない。あのくらいの歳の頃の自分がどうだったかも、忘れてしまった」


 興味無さそうに言う獅子妻。実際興味が沸かない。そしてそんな自分が非常に淡白な性質であることも自覚がある。そのおかげで、今まで人付き合いが上手くできなかったことも。


***


 再び二人きりになる来夢と克彦。

 あの時犬飼が出したディスプレイには、幾つかの指示が書いてあった。


『この会話は全て聞かれている。そもそもこのアジトの中では、獅子妻に全ての会話が筒抜けだ。逃げた振りをしてさらに戻ってくることで、獅子妻の油断を誘え。来夢はぎりぎりまで迷うと告げたうえで、最終的には克彦と戦え。そして――』


 その後の指示を思い出し、克彦は不安になる。


『うまくいくかな?』


 獅子妻に会話を聞かれないように、ディスプレイに文字をうち、来夢に見せる克彦。


『面白そうだからやってみる。あの犬飼って人は信じていいと思う』


 来夢も同様に宙に浮かぶ画面に文字をうちこんで、チャットで会話する。


『俺もそう思えた。少しは、な。全部は信じられない』


 克彦はどうしても犬飼に胡散臭さを覚えていた。理屈ではなく、本能的に避けたいタイプと感じられた。


 それからしばらく、二人は他愛無い雑談を交わして時間を潰していたが、こちらに向かってくる足音を聞く。


「奴等が来たぞ」

 ノックと共に獅子妻が告げた。


「相手は三人だ。ロドリゲスと君で応戦しろ」

「こっちは二人なのにか? 獅子妻は戦ってくれないのかよ」


 この期に及んでまだ戦わないつもりの獅子妻に、克彦は呆れ果てる。


「もし君らが殺されたなら、私が仇を討とう」


 獅子妻としては自分の顔を一切晒したくない。協力して戦った方が、生存率が高くなるのはわかっているが、それよりも自分の存在の秘匿を優先したい。

 できるだけ人目につかず、仲間を犠牲にしても自分だけは生き抜いて、より多くの災厄を世に撒き散らしたいと考える。


 しかしその方法は兵器を使った大掛かりなテロではなく、実験台となった代償によって得た、自らの体でなくてはならないとう、そんな美学まである。


(木田は死んだ。ロドリゲスと克彦が死んで、その時になってようやく私の出番だ。踊れバクテリアが壊滅したと油断した所で、また一暴れしてやる。死んだ三人の命も無駄にしない)


 それが獅子妻のプランである。そして理想である。それ故、今ここで克彦とロドリゲスが刺客に殺されたとしても、諦めはつく。


(二人が死んだら、もちろん仇も討たねばならない。それは本心だ。まあ、死なない事に越したことはない。しかし克彦が不満を抱くのも当然と言える)


 克彦の不満は、考えるまでもなく当たり前の事と言えるが、獅子妻がそれを理解したのは、今、まさにこの時になってようやくであった。


「獅子妻が出るつもりなく、あくまで安全圏にいるなら、俺も戦わないわ。馬鹿馬鹿しい」


 そう吐き捨てる克彦に、獅子妻も溜息をついて折れた。


「わかった。君達は補佐に徹しろ」

「補佐?」

「私一人で戦おう」

「はあ?」


 思いもよらぬ獅子妻の言葉に、啞然とする克彦。今までずっと安全圏に引っ込んでいたと思ったら、今度は逆に自分一人が出るなどと言いだす。


「何か企んでるのか?」

「そうではない。私が不利になるほど強者であったら、手助けしてくれればいい。そうでなければ、黙って見物してくれればいい。私が戦うなら、君達はおそらく必要あるまい」


 驕りたかぶるわけでもなく、いつもの淡々とした口ぶりで言い放つ獅子妻。


(そんなに自信があってなお、一人だけ引っ込んでたのか)


 別の意味でさらに呆れる克彦であった。

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