第二十一章 26

 翌日の昼。相変わらず蔵は自分の能力の扱いの訓練に励み、怜奈はそれを時折眺めつつ、情報の収集を行っていた。


「ボスがファイアーブレスを吐いているだと? 座天使(ソロネ)の車輪に火をつけるつもりか」


 唐突にエンジェルがアジトに現れ、意味不明な言葉を口走る。


「大丈夫なのか?」


 エンジェルの顔色が明らかに悪く、無理している感があるのを見て、心配げに声をかける蔵。


「天使が目の前にちらついている。大丈夫ではない。しかし無理をすれば戦えるだろう。そして今は無理をすべき時だ」

「フラフラじゃないですかー。こんなのはとても戦力として勘定できませんよー?」


 怜奈が容赦ない言葉を浴びせる。


「ふっ、こんなの扱いか。まあ仕方無い。だが俺には天使の加護がある。それを加味すれば十分戦えると見ていいぞ」

「心配ではあるが、この状況で戦力が増えるのは嬉しい」


 無理して笑ってみせるエンジェルの肩を叩く蔵。


「来夢一人を助けるために全員犠牲になるのですか? 勝ち目があるならともかく、勝ち目は薄いですよ」

「無いのではなく薄いなら、勝ち目はあるのだろう」


 なお否定的な怜奈に、しかし蔵も食い下がる。


「多少コンディションが悪いという理由だけで、仲間を見殺しにはできん。完全に無理であるなら仕方無いとして」

「ボスは……例え完全に無理でも、来夢を助けに行きそうな気配ですね」


 怜奈の声に険悪な響きが宿る。


「さらわれたのが来夢でなくて、君でも当然助けに行く。私は人情派なんでね」

 きっぱりと言い放つ蔵。


「あー、もういい加減にしろ! 現実見ろ!」

 突如怜奈が喚きだした。


「あんたは自分がいい子ちゃんでいたいだけだろ! 実際やろうとしていることは、仲間を助けるために仲間を危険に晒すだけだ!」


 怒りに任せて喚く怜奈に、蔵は溜息をつく。

 怜奈は何が気に食わなくて昨日から反発しているのか、蔵にはいまいちわからなかった。確かに無茶をしようとしているが、それをここまで責められる謂われは無いし、自分が特別おかしいことをしようとしているとも思えない。


「君は危険なら仲間を見捨てるのが正解だと思うのか? それは薄情だと思うがね」

「綺麗事ぬかすな! 何が人情派だ! 死の商人していたくせにっ! あんたが売った火気兵器でどれだけの人が死んだかは考えてねーのか! 自分だけは手汚してねーつもりか!? そんな奴が綺麗事を口にしてもお笑い草だわっ」

「それとこれとは関係無い。君は白か黒の両極端な思考しかできないのか?」


 完全に切れて暴走している怜奈に対し、あくまで冷静に対処し続ける蔵。


「口を挟ませてもらうが、それでも怜奈が行かないという選択を下さないのは、怜奈もボスに同調している部分があるからじゃないのか?」


 エンジェルの指摘に、怜奈がはっとする。


「怜奈は納得しきれなくて、心が揺らいでいる状態――天使と悪魔が戦っている状態なんだろう。俺にはわかる。ボスを説き伏せて心から納得したいんじゃないか?」

「えっと……実は私は……自分の記憶がありません」


 やっと落ち着きを取り戻した怜奈が、突然己語りをしだす。


「気がついたら雪岡研究所にいました。で、ブルー・ハシビロ子でした」

「それはまた……」

「誤解しないでくださいっ。ヒーロー系マウスであることは気に入っていますー」


 絶句しかける蔵に、怜奈は力なく微笑みながら言った。


「でも、記憶の無いこと、自分が何者かよくわからないことって、やっぱり重荷なんですよねー。それで、以前務めていた始末屋組織でも、すぐにキレて大騒ぎして、それでいられなくなって……」


 そこまで話したところで、怜奈は黙ってうつむく。


 しばらくの間、沈黙が流れる。


「え……? 何ですかー? この空気、それにそのリアクション」


 全く反応が無いことを怪訝に思い、顔を上げて問う怜奈。


「いや、続きは?」

「いや……続きって、話は以上ですがー?」


 話の続きを促す蔵を意外そうに見る怜奈。


「脈絡が無いというか、君がキレやすい理由が、ただ記憶喪失を悩んでいるせいで情緒不安定だからと、そう言ってるようにしか聞こえないんだが……」

「だからそういう話をしたんですよー」

「それは私にキレた理由に対しての説明ではないだろうがっ」


 流石にうんざりして、蔵は声を荒げる。


「あうううう……ごめんなさい! よくわからないけど、とにかくやらかしてしまいました!」


 直角に体を曲げて、怜奈は謝罪する。わからないなら駄目だろうと思う蔵だが、もう正直面倒になっている。


「ボス! 私を殴ってください! ぐーで顔面を思いっきり! 一発で足りなければ何度でも! でも……どうかお許しください! 私はもうここでも捨てられたら、もう……心が折れて再起不ブーッ!」


 台詞途中に蔵の鉄拳が怜奈の顔面を撃ち抜いた。


「オッケイだ。これで不問としてやる」

「あ、ありがとうございまあすっ!」


 涙を撒き散らしながら、再び頭を深々と下げる怜奈。思いっきり鼻っ柱に食らわせてやったので、鼻血が出るかと思ったが、不思議と血は全く出ていなかった。


「君に悪いという気持ちが本当にあるのなら、改めようとする努力の姿勢が見受けられるなら、私は何度でも許そう」


 微笑を浮かべ、蔵は告げた。


「私とて本来他人を責める資格など無いのだ。失敗して、多くの部下を死においやった。地べたを舐めるような思いをして、そこから今這い上がろうとしている最中なのだからな。君らと一緒だよ。私をボスとして認めてくれているのなら、共に這い上がろう」

「ふっ、俺には今のボスの頭上に天使の輪が見える」

「ぼ、ボスちょっと格好いいですーっ」


 エンジェルと怜奈が口々に称賛するが、いずれも褒め方があまり嬉しくない蔵であった。


「ちょっとか……」

「少しどころではない。貴方は確かにボスの器がある。今まで一匹天使であった俺ですら、心打たれるものを感じたよ」


 エンジェルの声には力がこもっており、それを聞いて蔵は力が沸いてきた。


「中枢もバックアップをしてくれると言っていたし、一応連絡を入れてみる。期待はできないが」


 蔵が言いつつ中枢にメールを送ると、すぐに返信があった。支援するという返事であった。


(こんなに簡単に済むなら、最初からこの方法を選択しておくべきだったな。そうすれば怜奈もあっさり納得したろうに)


 自分の間抜けさ加減に呆れてしまう蔵。


「来てくれるそうだ。では早速行くぞ。踊れバクテリアのアジトへ」

「はいっ」

「捕らわれの天使を助けに行くこのシチュエーション、お父ちゃんにも見せてやりたかった」


 蔵の命を受け、怜奈が気合を入れて返事をし、エンジェルはいつも通り意味不明なことを口走っていた。

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