第二十章 9

 クローンとして生を受けた十一号は、調教施設で最低限の教育を終えた後、早々と出荷された。


「お前は商品として作られた命だ。紛い物のコピーだ。まともな人間ではない。その自覚を持ち、御主人様となる者に気に入られるよう、献身的に仕えろ。それがお前の幸福にも繋がる」


 調教施設にて自分のレゾンデートルと運命を思い知らされ、悲観へと導くに至った台詞。恐らく一生忘れまい。

 比較の対象が存在するからこそ、嘆き、怒り、羨み、妬み、憎む。ただ商品であるからと告げられ、仕込まれただけであれば、こんな感情は生まれなかったであろうと、十一号は思う。そして後々、冷静にこう思う。あの調教施設の方針として、あの台詞をクローン達に言うべきではなかったのではないかと。


 不安と諦観を抱えて十一号が売られた先で待っていたのは、召使が何人もいる大きな屋敷と、一人の少年だった。

 少年は十一号の姿を見て、目を丸くして驚いていた。その後、彼の表情には喜びと怯えが同時に宿った。


「本当に……月那美香なんだ……」


 十一号が仕える事になった少年――朽縄博は、自室にて十一号の顔をまじまじと見つめながら言った。


「私はクローンよ。本物ではないから」

「あ、喋り方が違う」


 指摘され、十一号はオリジナルを似せて喋った方がいいのかと思う。オリジナルは常に叫ぶような気持ちの悪い喋り方をしていたし、リクエスト次第ではあれを似せて喋るようにと言われていたが、正直とても抵抗が有る。調教施設では、そんな喋り方をしていた人達は一人もいなかった。すでに人とは異なる事をするのは恥ずかしいという感覚も備わっている。


「わっ、私は月那美香のクローンだ! よっ、よよろしく御主人様!」


 照れを消しきれずに上ずった声で叫び、赤面して目を逸らす十一号に、博はおかしそうに微笑んだ。


「無理しなくていいよ。自然のままで。嫌なことを無理にやらせて、いじめたりしないから」


 博のこの時の台詞は、今でも覚えている。その時は多少の違和感があっただけだが、後々になって、どうしてあんな台詞を吐いたのか、よくわかった。

 現在十二歳になる博は、小学五年生の際に学校でいじめられて、不登校児になっていた。月那美香の大ファンだった彼は、月那美香も学校ではいじめられていたというエピソードを話していた事に、特に惹かれていたという。親の前でもよく月那美香の話題を挙げていたため、孤独な博の話し相手として、十一号を買って博に与えたという経緯だ。


 博はとても優しく気が回る少年であり、十一号のことを常に気遣い、普通の友達のように対等に接しようとしていた。十一号もそんな博に合わせて接するよう心がけた。

 クローンとして生を受けた事への引け目も忘れるくらい、博と過ごした時間は楽しかった。


 しかし幾つか抵抗のある事もあった。一つは、博と一緒にテレビを見て、そこにオリジナルの月那美香が映ることだ。

 調教施設で見た時から、叫んで喋っている変人という印象だが、テレビに出てくる際のその眼差しは、常に真剣で気迫に満ちている。確かにオーラのようなものが、画面越しにでも強烈に伝わってくる。歌っている時などは、文字通り鬼が宿っているかのような、鬼気迫る顔だ。特異すぎるキャラなので評価は分かれるが、好きな人間はとことん好きになるというのも頷ける。


「この人も昔は、僕みたいに学校でいじめられていたなんて……僕には信じられない。それがどうして、こんな風になれるんだろう」


 ある時、博はぽつりと十一号の前でそう漏らした。

 人生経験の乏しい十一号であるが、その答えくらいはわかる。


「きっとオリジナルは嫌な想いをいっぱいして、それに負けたくないと思って頑張ったんだと思う」

「僕はずっと負けたままなのかな……」


 十一号の手を握り、博は悔しそうな顔で呟く。

 その時の十一号は、気の利いた台詞が思いつかなかった。後になって、あの時に言ってやればよかったと思う言葉は幾つかあるが、吸収率と学習力が並外れているとはいえ、それでもまだ幼かった。


 もう一つ抵抗を覚えたのは、博の兄である明彦の存在だ。


 顔を合わせた時、いつもじろじろと十一号のことを見てくる明彦は、何を考えているかわからないし、大して会話もしない。声をかければ挨拶はする程度だ。

 女性と言っても通りそうな柔らかい輪郭と小さな顔で、それでいて目は大きく、綺麗と言うのに躊躇わない容姿だ。しかも肌の色は異常に白く、髪の毛も真っ白だ。しかしその際立った容姿とは裏腹に、いつも不機嫌そうな顔をしている。

 見つめられても不快感というほどのものは無かったが、どうしても本能的に抵抗を感じる。明らかに性的な目で見られていたからであろうとわかった。


 そしてある時、明彦はとうとう十一号を押し倒した。


「何であいつだけなんだよ。俺には何もくれず、専用の奴隷まで買い与えやがって……」


 十一号に覆いかぶさり、間近で見つめ、悔しそうな顔で明彦はそんな台詞を口走っていた。


「俺にも使わせろ。お前は奴隷なんだし、俺だって買い手の息子なんだし、俺が使ってもいいだろ」


 使うという言葉の意味が何かは、十一号にもわかる。性知識や性行為の仕方も、調教施設で映像を見せられて教えられている。


「私は博お坊ちゃんとはそんな行為をしてはいないよ」


 明彦を諭すように、柔らかい口調で十一号が告げた時、明彦はより悔しそうな、そして苦しそうな顔へと変わり、十一号から離れた。


「今の……忘れろ。絶対に誰にも言うなよ。言ったら殺してやる」


 物騒なことを口走り、明彦は立ち去った。この時、十一号の中で明彦に対して決定的な不信感が植え付けられてしまったが、同時に哀れみも覚えていた。


 博に向かって、明彦のことをどう思うか、聞いてみる。


「僕ともあまり話したことが無い。いつも……怒ってるっていうか。キツそうっていうか。でも……僕ばかり可愛がられていたから、きっとそのせいだと思う」


 言いにくそうに、博は兄の事を話した。


「心配なの?」

 十一号が問うと、博は頷いた。


「うん、心配。それにさ、父さんや母さん、おかしいよ。何で兄さんにはあんなに冷たくするのか。でもそれを僕が言うのも……」


 それは十一号の目から見ても疑問だった。朽縄夫妻は、長男の明彦を露骨に冷遇している。特に母親の朽縄寛子はひどかった。堂々と罵りもしている。

 使用人達も明彦を避けている。いや、十一号も寛子に言われた。明彦に何を言われても、明彦の言うことだけは一切従わなくていいと。自分達と博の言うことだけ聞いていろと。おそらく使用人達も同じことを言われているのだろうと、十一号は察した。


「できれば……僕だけでも兄さんと仲良くしてあげられたらいいなとか、そういう気持ちはあるんだけど、でも……母さんと父さんがあんなんだから、僕が兄さんと仲良くしたら叱られそうだし、兄さんも僕を嫌ってるみたいだし……。僕、やっぱり月那美香みたいになれないね。月那美香だったら父さんや母さんを叱り飛ばして、兄さんともちゃんと仲良くして、家族皆を仲良くさせるんじゃないかと思う」


 博にそう言われ、オリジナルの月那美香が朽縄一家を怒鳴り散らしている姿が、容易に十一号には想像できて、笑いがこみ上げた。


「少し、勇気を出して動いてみて、それが良い結果に繋がれば、さらに大きな勇気を出せるようになり、さらに大きく動けるかも」


 吸収率がいいとはいえ、生後三ヶ月も経っていない十一号の乏しい人生経験で、精一杯考えたうえで、意見してみる。


「どんな結果になっても、私は絶対に博お坊ちゃんの味方だし、支えるつもりでいるから。守るから」


 十一号が口にした台詞に、博は嬉しそうに、そして照れくさそうに微笑んでいた。

 だが、この時の台詞を言わなければよかったと、後になって十一号は後悔する。


 博が死ぬ時、自分に助けを求めただろうに、側にいて欲しかったろうにと、考えるだけで十一号は気が狂いそうになる。負の感情に支配され、泣き叫びたくなる。

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