第二十章 5

 そこは明治から昭和初期まで、平井村と呼ばれた土地。


 丘の上から、彼は村を見下ろす。田んぼ、畑、古めかしい家の数々。まさに村と言った感じの村ではあるが、家の数はわりと多く。家同士が密集している。人口密度だけで言えば、かなり多い。

 もっとも、住んでいるのは人だけではない。彼はその事実も知っている。


「いつまでこんな辺鄙な所にいなくちゃいけないんだ」


 村の景色を見下ろしながら、彼――朽縄明彦はうんざりして吐き捨てる。

 色素が抜け落ちたかのような、真っ白な髪と真っ白な肌は、人ならざる者であるかのような神秘的な印象を見る者に与える。あどけなさが過分に残る中性的なその顔立ちは、際立った美貌であるが、人相はあまり良いとは言えない。幼い頃から常に不機嫌で、険がある表情しか人前では見せず、それを隠そうともしなかった結果、そうなってしまった。


「明彦様……我等は今ようやく定められた月日を目前にし、反旗を翻した所です。今しばしの辛抱を」


 明彦の背後にいる、コートですっぽりと身を包んだ少女が告げる。その肌は紫であり、額からは角が一本生えている。口には牙と呼んで遜色無いほど尖った犬歯が二本、チラついている。


「我等ってどこまで含まれるんだ? 人もか?」


 この村には、人と妖怪が混在して生活している事を、明彦はすでに知っている。


「この村の多くは足斬りか腕斬りの血族ですが、その全てとは言いません。御存知の通り、好戦派と穏健派に分かれていますし、人は――明彦様の前では言いにくいのですが、我等の奴隷として扱われております故」

「別にいいよ。俺は人間至上主義者じゃない」


 人ならざる少女の言葉を、皮肉げに笑い飛ばす明彦。


 この村は、二種類の妖怪達によって支配されている。腕斬り童子と、足斬り童子。


「陛下の力が完全に取り戻されるまで、今しばし御辛抱を」

「完全とやらになるには、どうすればいいんだ? 左京も青葉も、断片的にしか教えてくれない」


 明彦が村の指導者二人の名を出す。


(本当に聞きたい事は、完全とやらになって、どんなメリットがあるのかなんだがな……。左京は、その辺は抽象的にしか言わない。望みがかなうだけの力は得られると言うだけで)


 そう思う明彦であるが、指導者であり、全ての計画を指揮する左京という妖怪がはっきりと答えないのだから、その辺は聞いても無駄だと諦めている。


「俺は騙されて踊らされてるんじゃないのかね? ま、どうでもいいけど。どうせ元々何も無い人間だし」

「何も無い事はありません。明彦様は我々にとって要。明彦様が持つのは陛下の体。陛下を取り戻すには、魂が必要なのです」


 少女が恭しく告げる。それはもう何度も聞いた話だ。


「呪わしき怨敵の腹より出でし、麗しき帝の体を備え持つ明彦様に、陛下の魂を降ろすことで、獣之帝が真に蘇り、大願が果たされます」


(ふざけんな……)


 少女の台詞を聞いて、明彦は口の中で毒づく。その台詞の裏に隠された真相も、真意も、すでに明彦は聞いて知っているからだ。


「八重、お前等は人の運命を弄んで、それが楽しいのか? それも崇高な目的のためだから許されるとか、そんな風に解釈して、俺に対して何も悪いとは思っていないのか?」

「楽しいとは思っていませんし、正直な本心を語るのであれば……申し訳ないとも思っています。ひどい話であるとも」


 怒りに顔を歪め、責める口調で問う明彦に対し、八重と呼ばれた妖怪の少女は伏し目がちになり、神妙な口調で答えた。


(こいつも指導者の一人だし、何考えているかわからない事務的な奴だが、時々人間味を見せるんだよな。一緒にいると落ち着くっていうか。少なくとも左京に比べれば大分マシだ)


 八重を見ながら、明彦は思う。


「ところで、獣之帝を復活させる前に、喧嘩売っちゃって平気なのか?」


 話題を変える明彦。今、村の妖怪達の半数近くが、外に出払っている状態だ。その目的は、ある勢力と抗争するためにである。


「むしろ復活させる前だからこそ、邪魔者は排除しておかねばならないのです。陛下を復活させて陛下の力に頼ってからでは遅いのです」


 八重のその弁は納得いかない。どう考えても逆だと、明彦は思う。


(占いだの風水だの運命の導きだの何だのといった、曖昧な左京のプランに大勢が振り回されているように見える。あほくさ)


 妖怪達は、今ここにいる八重を含めて三人の指導者がいるが、計画の全てを取り仕切っているのは、左京という名の足斬り童子であった。

 そしてこの八重という少女の妖怪は、足斬り童子でも腕斬り童子でもない。


「それに、明彦様の御希望で、すでに一年も前に先走って動いています。申し訳無い事に、失敗してしまいましたが」

「銀嵐館の警護が解けるまで、一年もかかったしな。お前等の計画実行まで解除されないかと思ったよ。まあ、タイミングはどっちでもいいんだが」


 一年前、明彦はこの妖怪達と出会い、自分が彼等の計画の要であり、さらには自分の出生のルーツも全て聞かされた。その際、明彦は彼等にあることを頼んだ。

 その頼みとは、自分の家族の殺害だった。しかしあっさりと失敗してしまい、明彦の父の朽縄忠は、銀嵐館に護衛を頼み、手出しが困難となった。


 銀嵐館は足斬り腕斬りらにとっても、いずれ雌雄を決する敵であったが、一年前の時点で事を構えるには時期が悪いと諭され、明彦はずっと我慢していた。

 一年経ってその時期がやってきて、なおかつ偶然にも父の朽縄忠が銀嵐館の警護を解いたため、明彦はその旨を足斬り腕斬りに伝え、父と弟を殺害させた。


「十一号を捕まえてくるのも忘れるなよ。あの時一緒にさらいそこねやがって……」


 大きな目を細めて、八重を睨みつける明彦。

 今の明彦のはっきりとした望みは、十一号だ。


(他は……漠然としている。とにかく俺のこの呪われた人生が救われればいい。どんな形でもいいから)


「すでにそちらにも手勢を差し向けました。うまくいくことを祈りましょう」

「絶対に捕まえてみせます。安心してお待ちください――とは言わないんだな」


 八重の控えめな言葉に対し、明彦はせせら笑った。


***


 美香が銀嵐館の本家を訪ねるのは、初めてである。それ以前に銀嵐館と関わった事自体、これまで無いが。

 その豪華な洋館は明治時代末期に建てられ、何度も改築されたと聞く。銀嵐館の呼び名は、当時はこの洋館が銀箔をたっぷり使用した外装であったためと、激しい嵐で町の建物が破壊されまくってもこの館だけは健在した事が由来だそうだ。

 最初は、護衛業は華族だった当主の道楽から始まったが、そのうち本格化していき、国内でも最高クラスの護衛一族へとなったのである。


 客室に通された美香は、待っている間にネットで情報を漁っていたが、目ぼしい情報は得られなかった。


 五分もせずに、ノックと共に目当ての人物は現れた。さらに、美香が知る別の人物も同伴だった。

 一人は目当ての人物――銀嵐館の当主にしてオーマイレイプの最高幹部、シルヴィア丹下。もう一人は凄腕のフリーの始末屋として名が売れている、樋口麗魅。後者とは美香も面識があるし、情報交換などで会話をした事が幾度かある。


「こっちの麗魅は、仕事の都合で同伴させてある。口の固い奴だから、気にせず何でもしゃべってくれ」


 お嬢様っぽい見た目とは裏腹に、ラフな口調でシルヴィアが切りだした。


「朽縄から話は聞いているが、何が聞きたい?」

「朽縄の分家が、足斬り童子と腕斬り童子という妖怪に襲撃されたと思われる件だ! 襲撃される前は、銀嵐館が護衛をしていたと聞く!」


 美香が何を知りたいか察して、シルヴィアは露骨に難しい表情を見せる。


「依頼者のこと、ほいほい話せるわけねーだろ。お前は仕事する時に守秘義務を果たさねーのか?」

「そこを何とか頼む! 依頼者の一家は銀嵐館の警護が途切れた直後に襲われた!」

「俺んとこが、その襲撃者を知ってて、情報を流したとでも?」


 また露骨に表情を変化させ、不機嫌そうな顔になるシルヴィア。ここに来る前に美香は、前もってどんな人物か調べてみた所、感情を容易く人前で表しすぎる人間という話であったが、その話そのままである。特に負の感情は隠そうともしないとのことだ。


「そうは言ってない! だがタイミング的に考えれば、誰かがその情報を掴み、流していたとしか思えん!」

「意地悪すんなよ、シルヴィア。この件はあんたとも無関係じゃねーだろ」


 にやにや笑いながら、美香への助け舟を出す麗魅。声のかけ方からして、両者が親しい友人同士だと美香は判断する。


「意地悪とかそういう問題じゃねーし」


 嫌そうに横目で麗魅を見るシルヴィア。


「足斬り童子と腕斬り童子に、貴女達二名も襲われたと聞く! 私の追っている件にも本当にその妖怪達が絡んでいるのであれば、何かしら協力しあえるかもしれない! だから、情報を分けてほしい!」

「うんうん。同じ問題抱えてそうな奴が来てくれたわけだから、先に協力関係結んだ方がいいぞ。互いに勝手に動いていたら、わからない所で足引っ張り合う可能性だってあるんだしね」


 真摯な口調で嘆願する美香と、さらに助け船の追加を出す麗魅に、シルヴィアは大きく息を吐く。


「二人揃って強引だな……。もうちょっとまともな交渉できねーのかよ。でもまあいいか。そういうのも嫌いじゃねえ。でも俺が守秘義務違反したってこと、絶対に誰にも言うなよ」


 初めて笑みを見せ、シルヴィアは言った。


「無論!」

「その件は今丁度調べていた事だ。朽縄分家の警護を取り仕切っていた担当者に話を聞いた所、朽縄忠は一年以上も警護の依頼をしていたそうだ。わざわざうちに一年以上も依頼って時点でただごとじゃないが、何に狙われているかもはっきりと言ってくれた。腕斬り童子と足斬り童子だ」

「狙われていた理由は!? 経緯は!?」


 核心部分を促す美香。


「一年前、朽縄忠はこの二種類の妖怪に襲撃を受けたらしい。だが襲撃者にしてみたら場所とタイミングが悪かった。奴の仕事場で襲おうとしたが、殺されそうになったところで社員複数名に見つかって、逃走したんだと。んで、以後うちの護衛を受けてからは、全く姿を現さなかった。一年経って、朽縄忠は安心して護衛を解いたら、そこで襲われた、と」

「その間は、銀嵐館の復讐を恐れたのか!? それともガードが固すぎると見たのか!?」

「まあ、それは向こうの都合だ。俺らは知らねーよ」


 美香の問いに、肩をすくめるシルヴィア。


「復讐を恐れたとかガードが固いとかの理由だとさ、昨夜に銀嵐館の当主であるシルヴィアが襲われたのも、何なんだって話になるぜ? 奴等は相当戦力に自信があるんだろうし」


 麗魅が突っこむ。


「ああ、さっぱりわからねーな。俺を堂々と襲うくらいなら、何で銀嵐館の護衛中は、一切手を出さなかったんだ? どんな事情なのか、いくら考えてもわからねえ。ま、それは置いといて、話を戻すが、朽縄忠は自分が襲われた理由をずっと調べていたらしい。でもわかったのは、二匹の妖怪と先祖の因縁だけ。それなら本家だって襲われてしかるべきだし――失礼」


 シルヴィアがそこまで話した所で、電話を取る。緊急用の回線が鳴ったのだ。


「こりゃたまげたわ」


 ディスプレイに映ったメッセージの内容を見て、シルヴィアが眉根を寄せて唸る。


「どうしたよ?」

 麗魅が問う。


「朽縄一族――本家と、白狐家、さらにはうちの分家も同時に、腕斬りと足斬りの襲撃を受けたとよ」


 シルヴィアが口にした言葉に、美香と麗魅も少なからず驚いた。


「奇襲だったせいで、白狐は二人ほど殺られたらしい。朽縄も護衛に死者を出し、おー、うちは流石に死者ゼロか。へっ、護衛屋の面子は保たれたな。つーか本家であるここに来ずに、分家に行くとか、奴等の情報力は結構おろそかなのか?」


 不敵な笑みをこぼしつつ、シルヴィアは言う。


「それはやはり先祖の復讐のつもりなのか!?」


 と、美香。襲撃された者達に共通するのは、かつて腕斬り童子と足斬り童子と戦った者達という事だ。


「そうとしか思えねーな……。どこに潜伏していたのか知らねーが、百六十年もの年月をかけ、力をつけていたってわけだ。とんだ復讐のロングパスだぜ」


 その時、美香の電話も鳴る。相手は十三号だ。

 送られてきたメールを見て驚いた。


「うちも襲われたそうだぞ!」

「は? お前ン家の先祖も昔、うちらの先祖と一緒に獣之帝と戦ったのか?」


 美香の言葉に、シルヴィアが尋ねる。


「知らん! そんな話は聞いた事がない!」


 そう答えつつ、美香は十三号からのもう一つの報告を不審がる。


(十一号を探していただと!? 妖怪に狙われるような理由が、何かあるのか!?)

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