第十九章 18
ビル前に倒れているグリムペニスの学生達は、全て死んでいるわけでもなかった。三名ほど、かろうじて生きている。
「実験台げっと~。あ、真君、殺しちゃ駄目だからねー」
嬉しそうに声をあげた後、真の方を見て念押しする純子。
純子が三人の襟首を掴んで引きずり、ビルの中へと入っていく。当然、真は手伝わない。
「よっ、おつかれさん」
「ただいま~、真兄」
真もビルの中に入ろうとした所で、義久とみどりがやってきて声をかける。少し後ろに、バイパーの姿もあった。
「あんたも来たのか」
義久に声をかける真。
「来て悪いのかよ。後ろにいるバイパーに雇われてね。海チワワとグリムペニスの情報を探っていたわけだが、そのオマケで中々いい映像が撮れた」
言って義久がビデオカメラを胸元に掲げ、ウインクしてみせる。
(相変わらず下手糞でひどいウインクだ。似合わないし)
そう思う真だが、黙っておく。
「バイパー、どしたー?」
一人離れた場所にいるバイパーを訝り、みどりが声をかけた。
「別に……」
居心地悪そうな面で視線を外しているバイパーが、ぼそりと答える。
「随分引きずるタイプなんだな。大体僕の方から喧嘩売って、普通に勝負して、負けたのは僕の方なのに、喧嘩売られて勝った方が引きずるっておかしいだろ」
バイパーの方を見て、意識して柔らかい口調で言う真。
「俺だって理屈じゃわかってるがね。まあ……気遣わせているのも何だし、なるべく意識しないようにするわ」
そう言って真達の方に近寄ってくるバイパーだが、その顔色は悪い。
「トラウマなんだからしゃーない。みどりが少し和らげてしんぜよー」
みどりがバイパーを見上げ、力を発動させる。
「少し楽になったっしょ?」
「あ、ああ……少しな。完全に消すことはできないのか?」
「心の回路を部分的に麻痺して遮断しただけだわさ。完全にトラウマ消すってのは、記憶消しても無理だよォ~。痛みは刻まれて残り続ける。場合によっては転生しても残るケースがあるんだぜィ」
みどりの話を聞いて、げんなりするバイパー。転生という概念は、現代では科学的に実証されているが、転生して記憶を失えば全てリセットになるという認識で通っているし、バイパーもそう思っていた。ところ転生後もなおトラウマが残りうるなどと、ひどい話を突きつけられたものだと思う。
「で、今後どうするんだ?」
バイパーが真に尋ねる。
「僕に聞かれてもな。決めるのは雪岡だ。こちらから攻めていくのか、それとも相手待ちか。あんただって、こっちの動向なんて気にせず、勝手にやっていいと思うぞ」
「そ、そうか……邪魔になったら悪いと気遣ったつもりだったが」
「協力し合う事もできなくもないが、そっちは遊軍みたいな形で攻めた方が、グリムペニスにしてみれば面倒なんじゃないか? あいつらの狙いは雪岡だしな」
「なるほど、俺はお邪魔虫ってわけか。わかった、それでいくわ」
真の提案に納得し、バイパーは不敵に笑ってみせる。
「デカい図体しておどおどしているより、そういう顔している方が似合っているな」
「お前は一体何様だ。つーか顔に似合わず口の悪いガキだこと」
真の率直な感想に、バイパーの笑顔が朗らかなものへと変わった。
***
ヴァンダムの部屋を後にし、自室に戻った勝浦を、日本支部幹部七人全員が待ち構えていた。皆険悪な顔をしている。
「何の用件で来たかはわかりますね?」
「ああ……」
幹部の一人に問われ、勝浦は神妙な顔で頷く。
「二十名のうち、無事が確認できたのは十一名です。六名の死亡が確認され、三名は行方不明です」
別の幹部がひどく淡々とした口調で報告する。
「勝浦支部長は、この事実に何とも思われないのですか? あのヴァンダムの太鼓持ちをまだ続けますか?」
さらに別の幹部が、怒気を露わにしてそう言ってきたのに対し、勝浦は本能的に身の危険を感じる。
案じていた事態がとうとう来たと、勝浦は思った。自分がヴァンダム側だと思われたらたまらない。
「強化吸血鬼ウイルスがまだ研究段階であることも見逃せないですよ。人間での実験は初めてですし、どんな副作用があるかも、不明だそうです」
「勝浦支部長、もう一度問います。貴方は何とも思われないのですか?」
「少なくとも我々は耐えられません。全てを公表してもよいのではとさえ、考えています。貴方はどちらにつくのか、それをはっきりさせてほしい」
幹部達が口々に問い詰めてくる状況に、勝浦はむしろほっとしていた。
「皆がそう思っていてくれた事に、私もほっとしているよ」
大きく息を吐き、勝浦は心情を打ち明けた。
「私も君達と全く同じ想いだ。しかし……言いなりになるしかなかった」
絞りだすように告げた勝浦の言葉に、幹部達の表情が若干柔らかくなる。
「ウイルスで肉体強化した者に、今の所何か悪影響は見受けられているのか?」
勝浦が尋ねる。
「それさえ不明です。先程も申したとおり、人間で試すのはこれが初めてだそうですからね。理論上は、通常の吸血鬼ウイルスと同様に、血を欲するようになる程度らしいですが、実際はどうなるか……」
幹部が答える。
「刺し違えてでもヴァンダムを何とかすべきだ」
「簡単に言うが、あんたがやるのか?」
「家族ごと殺されるかもしれんぞ。何しろあの悪名高い海チワワがついている」
「彼の犯罪を明らかにできないか?」
「もみ消されるのがおちだろう」
幹部達が口々に喋りだす。最早ヴァンダムとは完全に敵対する流れの空気になっている。そして勝浦もその流れに巻き込まれている。
「もっといい手がある」
一人が提案する。
「今ヴァンダムが敵視、始末しようと躍起になっている雪岡純子と、手を組めばいい」
その提案に、何人かは表情を明るくしたが、何人かは暗い面持ちのままであった。
「ヴァンダムを売る形か……」
「昔、雪岡と敵対したとある組織が内紛して、ボスを裏切って雪岡に首を差し出したが、その組織の幹部も全て、容赦なく実験台にされたという噂があるぞ」
「『善意のアビス』だろう? その噂はおそらく事実だ。あの組織は抗争後、ボスと幹部全て、死体も残さず行方知れずだからな」
「しかし敵の敵と組むくらいしか、我々の有効手段はあるまい」
最後にそう言ったのは勝浦であった。勝浦はこの時、決断した。
「雪岡純子と手を組み、ヴァンダムの打倒に協力しあう形で話をもっていこう。できれば学生メンバーに、これ以上手を出さないでもらうことも、懇願してみるさ」
勝浦の決定に、室内が安堵と不安が入り混じった空気に包まれる。
(これで動き出してしまった。もう後戻りできないぞ)
決断し、宣言してみてから、勝浦は震えていた。小市民でしかない自分が、途轍もなく大それたことをしようとしている事実。恐怖しないわけがない。
***
勝浦がヴァンダムに反旗を翻す宣言をしてから、十数分後。
ヴァンダムの部屋の扉がノックされる。
「どうぞ」
扉が開き、三人の男が室内に入ってくる。いずれも日本人だ。
「うまくいきました」
一人が微笑みながら言った。先程まで勝浦の部屋にいた幹部であった。他の二人も同じだ。勝浦にヴァンダムの非道を訴えていた幹部である。
「勝浦は雪岡純子と手を組むことを宣言しました」
「それは何よりだ。よくやってくれた」
三人の幹部に向かって、にっこりと笑いかけるヴァンダム。
「勝浦が私に不満を抱いていたのは知っていたが、このように役立てる事ができるとはな」
ヴァンダムは日本支部の幹部三名に、自分への不満を他の幹部全員にも抱くように煽らせたうえで、さらに勝浦に明確な叛逆を促すようにと指示していた。
「他の幹部四名も不満を抱いているようですが、そちらはどうなされますか?」
全ての幹部がヴァンダムと通じているわけではない。ここにいる三人だけである。
「放っておいてもよいが。動きは逐一知らせるようにな」
「了解です」
幹部三名が頭を垂れ、部屋を出る。
「彼等が私を謀っているという可能性も、もちろん考慮のうえではあるがね」
今報告に来た三名を意識し、ヴァンダムは呟く。
「私がやってもらいたいのはお遣いだからな。それが実行されればそれでよい」
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