第十九章 15
ヴァンダムはテレビ電話の最中に、ワーナーからメールで報告を受け、カンドービルで雪岡純子と交戦状態に入ったのを知った。
画面には、年配の黒人女性が映っている。歳はヴァンダムより上だ。その双眸には旧式の視覚補助装置がつけられている。
「グリムペニスの学生メンバーが、交戦に入ったようだ。海チワワの戦士も加勢している」
その事を今まで喋っていた相手にも報告する。
「二十人全員、強化型吸血鬼ウイルスに感染済みでね。それらが海チワワの戦士三人と組んでいる。戦力としては申し分ない。ただメーメーと鳴くだけの羊の群れは蹴散らせたが、血に飢えた牙の生えた羊達ではどうなるかな?」
『相変わラズひどいコトをしマスネ』
非常におかしなイントネーションで、電話の向こうの女性は言う。しかし彼女の喋り方がおかしいのは、仕方の無い話だ。彼女は幼い頃から、聴力が無かった。そして滅多に補助機をつけようとしない。そのおかげで、自分の声が聞こえない状態で喋り続け、喋り方そのものがおかしくなってしまった。
テレビ電話をしている今だからこそ、視角と聴覚の補助機もつけている。他ならぬグリムペニスのおかげで科学文明の発展は停滞しているとはいえ、医療関係はそこそこに進歩している。障害者を補助する技術も開発されている。ただし、人類全体の科学技術があまり進歩していない状態で、一つの分野だけが目覚しく伸びることなど有りえない。あくまでそこそこだ。
「とはいえ、仕留められるとは思えん。私は荒事に関して門外漢であるが、それくらいはわかる。彼女は相当にしたたかだ。単純な暴力だけで仕留められるようなら、私以外の彼女を敵視するオーバーライフが、とっくに仕留めているであろう」
ヴァンダムにしてみれば、たった今火蓋を落とされた戦いが負け戦であろうと、全く問題は無い。
「私は私のやり方で勝利するさ。これはそのための布石だ」
純子も予想していたであろう、暴力という手段へのシフト。それを彼女の予想に合わせて実現させたという事――それだけが重要だ。ヴァンダムの考えを悟らせないための、目くらましとして。
『ソレで命が落とさレル者もイルのは嘆かわしいコトです』
「しかしそれは彼等自身が選択して決断した事だ。私は一切強制しておらんよ」
電話の相手が自分を責めてくるのは想定済みであったが、彼女を哀しませてしまった事にも、自分が責められる事にも、ヴァンダムはあまりいい気分ではない。
彼女の名はケイト・ヴァンダム。コルネリス・ヴァンダムの妻であり、夫コルネリスよりもずっと有名な人物だ。
ケイトは慈善事業の活動家であり、『国境とかマジファック糞喰らえ医師団』他、多くのNGO団体の顔役として所属し、また多額の資金援助をしている人物でもある。その資金は彼女自身の稼ぎもあるが、夫であるコルネリス・ヴァンダムの援助も相当ある。
ただしヴァンダムは妻の活動の助けをしている事は、一切口外していない。単純に照れ隠しという問題でだ。妻の活動や知名度を利用しようともしない。儲けのためなら何であろうと利用するヴァンダムではあるが、妻ケイトに関してだけは、その対象外となっていた。
『関与シテイル時点で、貴方の責任逃レはできませんヨ? 私は貴方が犯した悪行の分の何倍モ、人を救い、主に許しを請いましょう。主ヨ、罪深きわが夫コルネリスを許しタマエ』
電話中に大真面目に祈りを捧げ始めるケイト。流石にヴァンダムは、この場で軽口を叩くことはしない。いや、できない。
ヴァンダムはこの妻を女神の如く慕い、敬い、愛している。実在する聖女とまで呼ばれているケイトであるが、冷徹で酷薄なヴァンダムの目から見ても、それを抵抗無く認められる。彼女は常に慈悲と慈愛にあふれている。その慈悲は、自他共に認めるサイコパスであるヴァンダムにささえ降り注ぎ、彼の氷の心を解かした程だ。
「私の悪行で失われる命よりも、君が救う命の方が何千倍、何万倍も多い。それでも主とやらに許しをわざわざ乞う必要があるのかね。そんな傲慢な主とやらに、君が祈りを捧げている事そのものに、私は軽い苛立ちを覚えてしまうよ」
タイミングを見計らい、皮肉でも冗談でもなく、包み隠さぬ本音を口にするヴァンダム。
キリスト教の傲慢な神など信じないし、祈る価値も無い。それよりも、実際に多くの人々を救っているケイトの方がずっと尊い存在であるに違いないのに、そのケイトは、神とやらに祈り続けている。この構図が、ヴァンダムには理解しがたいし、気に入らないし、受け入れられない。
しかもその神とやらがいるのであれば、妻のケイトに対し、ひどい試練を授けた者ということになる。彼女は視角と聴覚の両方に障害を抱えているのだ。日本では盲ろう者と呼ばれている。
ケイトは世界中にいる自分と同じ障害者達の支援にも、力を入れている。たまたま力を持った彼女だからこそできる御業とも言えるが、ケイトのその行いは、彼女が生まれもって障害を抱えていたからこそなされたのではないかと、ヴァンダムはいつも思うのだ。
そして神がいるのなら、神がそこまで仕組んでケイトという存在を創ったという事になるし、そうなればやはり神は、妻にひどい仕打ちをした悪しきものとしか解釈できない。
その悪の化身に祈りを捧げる、敬虔なクリスチャンである妻ケイト。そんな風に意識すると、ヴァンダムは、まるで妻の魂が神に犯され続けているかのような、そんな錯覚にさえ陥る。
『私は貴方が主の心に背き続けてイル事実に、胸が痛みます。デモ、いつか貴方もわかってクレルと信じ、祈り続けていマス』
「ふっ、どうにもならない平行線だな」
ケイトの口からヴァンダムの心をさらにかき乱す台詞が発せられるが、ヴァンダムは諦めたように大きく息を吐く。
「私は君こそが女神だと思っているがね」
恥ずかしげも無く言い切るヴァンダムに、ケイトは照れくさそうに笑う。
「私が神と認めるのは形而上の存在などではなく、君のように、自分を投げ打って多くの他人に尽くす偉人のことだ」
かつてはそんな人種を偽善者として一笑に付していたヴァンダムであるが、ケイトと会ってからは考えが改まった。
『オヤ? それなら多額の援助をしてくだサル貴方も、神様トイウことになりマスネ』
「む……」
ケイトにからかわれ、ヴァンダムは言葉に詰まる。
金の亡者であるヴァンダムだが、彼は金を稼ぐことそのものを好む人物であり、贅沢の類は一切しない。故に、稼いだ金の大半は、妻の活動資金へとあてている。
ケイトはそれを夫の罪滅ぼしと受けとっているが、ヴァンダムにはそのつもりは無い。ただ、妻に対して敬愛を示しているに過ぎない。
「どうせ使い道など無い金だからだ。家内の仕事の手助けをするなど、亭主としては当然のこと。大したことではあるまい」
ヴァンダムなりに精一杯に反論したつもりであったが、どうにも締まらないことは、喋っていて自分でもわかっている。
(わかりきっている事だが、かなわんな、ケイトには……)
心の中でヴァンダムはシャッポを脱いでいた。
***
(始まったか)
カンドービル前に向かって、カメラを構えて撮影しながら、口の中で呟く義久。
流れ弾が来ないように、十分に離れた位置から、高性能カメラで戦いの様子を映し、後で情報組織『鞭打ち症梟』のサイトに上げる予定であった。バイパーの許可もとってあるし、純子達にも許可を取るつもりでいる。
「ちっぱいくらーっしゅ!」
突然聞き覚えのある声と共に、後ろから何かが義久を襲った。
「説明しようっ、ちっぱいくらっしゅとは、ロリでもないよっしーに貧乳を押し付けて楽しむ、みどりの必殺技であるっ」
「いや、意味わからんし、撮影の邪魔しないで」
いきなり飛びついておんぶしてきたみどりに向かって、苦笑しながら言う義久。
「へーい、それはそうとよっしー、おひさ~」
「応、久しぶり。みどりは何しにきたんだ?」
「よっしーが来てるの知ってたから、挨拶及び、何かあったら守ってやるつもりでだよォ~」
「そいつはありがたい……。で、今の俺は臭くないのか?」
以前抱きつかれた時に臭いと言われたのがショックで、義久は体臭を消すべく様々な努力を行った。
「うっひゃあ~、言われてみれば臭くない。上っ等。よっしー、頑張って臭い消したんだね」
「もう一つ質問だが、俺がロリコンじゃないって何でわかるんだよ。ロリコンなら抱きつかないのかよ」
「みどりには何となくわかる~。ロリコン判定センサーがついてるとでもいうかなァ。みどりに性的反応起こすような奴は、キモいから寄り付かねーよ。バイパーは別としてなー。あれはロリコンでも特別にオッケイだわさ」
(バイパーってロリコンだったのか……そんなイメージ無いけど……)
こんな所でみどりにあっさり性癖をバラされているバイパーに、義久は同情した。
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