第十九章 3

 グリムペニス日本支部ビル。一階にある食堂。


 目つきの鋭い、均整の取れた体格の黒人が、居心地悪そうに隅っこで一人食事をしている。

 実際居心地は悪い。ビルの中は綺麗で広くて快適で――だからこそ彼の好みではない。アメリカではギャングがたむろする酒場で用心棒(バウンサー)をし、そのうえ生まれも育ちもスラム街であった彼は、汚らしくて騒々しい場所の方が落ち着く。ついでに言うと、安全でもない場所の方が良い。


 彼の名はロッド・クリスタル。海チワワの幹部の一人として登録されているが、普段は用心棒稼業をして暮らしている。人手不足の際にのみ呼集されるという条件で、組織に入った。

 荒事が役目である海チワワでは、幹部とは即ち、特に秀でた戦士を指す。しかし指揮官としての仕事も稀にあるが故、ロッドは面倒臭くて海チワワには積極的に関わらないでいる。あくまで本業は、用心棒に留めている。

 だが最近では、ロッドが呼び出される頻度が増えてきた。


 腹違いの姉キャサリン・クリスタルに誘われて、ロッドが海チワワに入った理由は、単純に修羅場を求めているが故だ。幼い頃からスリルに溺れて、危険なことにばかり首を突っこんできて、それがロッドには染み付いてしまっていた。

 最期はきっと誰かに殺されるであろうとも思っているが、それでいいと思う。


 一時期、ロッドは社会でまともな生活をしようとも試みた。しかし結局駄目だった。無味乾燥な毎日に耐えられず、すぐにスラムに戻ってしまった。何から何まで自分とは合わなかった。特に人付き合いができなかった。


 食堂にはグリムペニス日本支部で働く日本人達が他にもいたが、彼等と同じ空間にいる事も、居心地の悪さに拍車をかける。日本に来るまでの間もそうだ。飛行機に乗っている一般人達といる事も嫌だった。彼等が憎らしいわけでも嫌っているわけでもない。同じ人間でありながら、中味はまるで違う事に、抵抗を感じて仕方がないのだ。


(やっと来たか……)


 食堂の中にカウガール姿の太ましい白人女性が現れたのを見て、安堵の吐息を漏らすロッド。

 やたら目立つその姿に、グリムペニスの職員達はちらちらと彼女を一瞥している。彼女自身もその視線を意識し、嬉しそうに微笑んでいる。


「ねえロッド、グリムペニスのボスのコルネリス・ヴァンダムと初めて直接会ったわ」


 ロッドの正面の席に腰を下ろすなり、キャサリン・クリスタルは夢見るような表情と口調で語りだした。


「彼、私に気があるかも。そして私も、彼に……ええ、私にはわかるのよ。数多の恋に溺れたビッチオブビッチの私に、それがわからないはずがないわ」

「二週間前の相手はもうどうでもよくなったのか?」


 姉のうわ言に付き合っても仕方無いが、それでもこれまでの居心地の悪さが吹っ飛んでくれたので、ロッドは話に付き合うことにする。


「ああ……バイパーね。そんなことないわ。ただ……あれから会ってないからね。二週間も経てば、想いも薄れていくわよ」


 ふっと虚しそうに息を吐くキャサリン。


「ヴァンダムは雪岡純子に本格的に戦争をするようだな」


 三狂と呼ばれるマッドサイエンティストの名は全て、海チワワの幹部なら知っている。彼等にとっては忌まわしき敵だ。海チワワの活動にあまり興味の無いロッドですら、雪岡純子の名は知っていた。


「だから薬仏市で活動していた私に声をかけたんでしょう?」


 異母姉のキャサリンは薬仏市で、象牙や鯨の密輸をしていたマフィアらを片っ端に潰してまわっていた。最近はチャイニーズマフィアと接触するために、一時的に安楽市に滞在していたが、つい昨日、都内にあるグリムペニス日本支部のビルへと呼び寄せられた。


「ジェフリーとエリックの代わりの戦士というわけだ」


 かつて日本を主な担当地域としていた幹部二人の名がロッドの口から出て、キャサリンは表情を曇らせた。


「エリック坊やは残念だったわ……。彼、ミャーミャーとしか言わなかったけど、私にはわかるの。彼、きっと私のことを愛していた。私も愛していたからわかるの。だっていつも私の顔を見て、笑いかけながらミャーって言ってたのよ」


 目を潤ませ、憂いの表情を浮かべて語るキャサリンに、それは絶対に違うと思ったロッドであるが、面倒なのでいちいち否定も突っ込みもしない。


「あの二人は海チワワの戦士達の中でも、格別の力を持っていたのだがな。単純に強いだけではない。ジェフリーはヤバいと思ったら無理せず即座に逃げる、その逃げ足の速さがウリだったというのに。そのジェフリーが仕留められたのが、俺には未だ信じられん」

「ジェフリー・アレン……」


 キャサリンが神妙な面持ちでその名を呟く。


「彼はシリアルキラーとして海チワワの中でも忌避されていたけど、私は彼のことを理解していた。彼は……本当は優しい人。あのいやらしい目と歪んだ笑みを見ればわかるの。そう……私はジェフリーに激しく惹かれていた。そんな私の想いに、きっとジェフリーも気がついていたはず」


 キャサリンはふざけているのではない。これで大真面目なのだ。大真面目に誰彼構わず、自分に恋心を抱いてしまうと思い込む、被愛妄想(エロトマニア)の持ち主であった。


「ジェフリーとエリックは幾度となく、雪岡純子の殺人人形――相沢真という奴とやりあっている。二人を殺したのはこいつか?」


 ディスプレイを出して検索し、ロッドは一人の少年の画像を出す。しかし反転させて姉に見せたりはしない。どういう反応が返ってくるかわかりきっているからだ。


「もしそうなら嬉しいな。手強い相手とやりあいたい。俺の中にあるのはそれだけだからな」


 拳で平手を叩くロッド。常に修羅場と強者を求めているこの無骨な男は、動物的な勘と天性のセンスでもって、これまであらゆる修羅場を生き延びてきた。銃を持った集団相手でも、素手で切り抜けてきた。


「でもね、ロッド。あまり期待しない方がいいわ。どうもミスター・ヴァンダムは、荒事無しで解決したがっている。私達は彼の思惑が外れた時の保険のようなポジションよ」


 キャサリンのその言葉を聞いて、ロッドは少し落胆する。保険でわざわざこんな遠くにまで呼ばれて、何も無しで帰らされてはたまらない。


「そういうことは先に言ってほしかったな。そうすれば来なかったのに」

「そう言わないの。もし何も無かったら、一緒に薬仏市に行って暴れましょ。あっちにはブチ殺さなくちゃならない奴が山ほどいるから」


 弟を気遣って誘いをかけ、脂肪まみれの顔いっぱいに愛らしい笑みを広げるキャサリンであった。


***


 キャサリンとロッドが食堂で会話をしていた頃、同じグリムペニス日本支部のビルの会議室で、主要学生メンバー達と支部長の勝浦が、ディスカッションを行っていた。

 勝浦は支部長という立場でありながら、偉ぶるようなことも全く無く、時間の許す限り、親身になって若いメンバー達とも付き合う。純粋かつプライドの高い学生メンバー達も、そんな勝浦には多大な信頼と好意を寄せている。


「確かに世論調査したら、環境保護科学文明廃棄デモに賛同しない声が七割以上だね」


 時折メンバーから出る不安の声に対して、勝浦は柔和な笑みと共に告げる。


「でも流れはこちらに来ている。勝てる。今の結果よりも、先を見ることがもっと大事だ。そうは思わないか?」


 力強い口調で言い切る勝浦に、メンバー達はうんうんと揃って頷く。

 それを見て勝浦は胸が痛む。


(辛い現実など認めさせるな。彼等はそれを見たいとは思わないし、認めるなど論外)


 ヴァンダムの指南を思い出す勝浦。


(大衆を侮るな。最大の勢力は大衆だ。これをどう味方につけるかが全てと言っても過言ではない)


 そう念押しするヴァンダムではあったが、普段のヴァンダムの言動を聞いていると、彼こそ大衆を見下しきっているように思えてならない。


「雪岡純子っていうの、いろいろ調べてみたんだ。裏通り関係のサイトも、回れるだけ回ってみた。高いお金払って、情報組織っていうのが運営しているサイトにも入会してみたよ」


 善太がディプレイを投影して話し出す。


「まるで漫画の世界覗いてるみたいだったけどさ。この人、裏通りでもすごく有名で、しかも危険らしいよ。一人で裏通りの組織相手にも喧嘩しているし、グリムペニスや海チワワともずっと敵対してるって」


 海チワワの名を出そうか出すまいか迷ったが、善太はあえて出してみた。

 はっきりと言われていないが、その組織の名を出すのはタブーのような空気になっている。表向きは、海チワワとグリムペニスは関わりの無い組織という事になっているからだ。しかし善太が調べてみた所、裏通りの情報サイトでは、海チワワはグリムペニスの下部組織である前提で語られていた。


「そのうえ凄い悪人みたいで、実験台にされて死んだ人の話とか、怪物にされちゃった人とか、脳みそだけにされて仮想世界で永遠に拷問されている人とか、いろいろ出てきたよ」

「それ本当に本当なの?」


 清次郎が疑わしげに尋ねる。


「詐欺サイトとか踏んでない?」

 他のメンバーも胡散臭げに問う。


「本当だって。俺だってちゃんと調べつくしたよ。裏通りの情報サイトだって一つだけ見たわけじゃない。幾つも見たうえで言っているんだ」


 その費用は全てグリムペニスの資金から出してもらった。


「でもこっちは平和的にデモ行進するだけだし、おかしな手出しはしないでしょ。そんなことしたら警察に捕まるだろうしね」


 と、桃子。他のメンバーもうんうんと頷く。


「ただねえ、デモメンバーは鍵のかかったSNSで募集してるけど、ちょっと反応悪いんだよねえ」

 難しい顔になって桃子が言った。


「マッドサイエンティスト云々、裏通りどうこうの時点で、警戒されちゃってるみたい。いろんな意味でね。変な方向に走り出してるとか、そんな指摘まであるし」

「いつもより、人数が少なくなるかもってことか」


 善太が言った。


「目的は繁華街に集まって、ビルの中にまで突っこむことですからね。そしてビルの地下にあるという雪岡研究所まで押しかけます。それを考えると、返って人数は多すぎない方がいいでしょう。繁華街にそんなに大人数で押しかけても迷惑ですし」


 やんわりと諭す勝浦であったが、メンバー達の何人かは不服そうな面持ちだった。

 勝浦の言葉とはいえ、迷惑という言葉が不服だった。プライドの高い彼等はこう受け取った。自分達は正義の行いをしているのだから、周囲にとって迷惑等という、そんな意識そのものを持つことが嫌であると。

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