第十八章 22

 下は紺のジャージ、上はシャツ一枚という格好の中年男は、顔を真っ赤にして、怒り心頭といった形相で睦月を睨みつけていた。


「うおおおお!」


 男が咆哮をあげると、その上半身を膨張しはじめる。シャツが破れ、筋骨隆々となった体が朱色に染まっていく。さらには体中の至る所から何本も、大きく沿った刃のような刺が生えてくる。


「おまわりさん、こっちです」


 警察署の中から警察官を呼び寄せる犬飼。


「うがあああっ!」


 全身朱色の刺男が再度咆哮をあげ、睦月へと飛びかかる。

 抱きつくようにして飛び掛ってきた男の攻撃を、睦月はあっさりと避ける。

 犬飼に呼び寄せられた警察官二名は、その様子を見て銃を抜き、警告も無しに発砲する。


「流石は安楽市に配置された警察官だけあるな」


 一切躊躇せず、慄く様子さえ見せず、突如現れた謎の怪人を銃撃してのけた警察官二名を見て、犬飼は感心と呆れが混ざったような笑みを浮かべる。


「僕らは手をださない方がいい。ややこしいことになる」


 蛭鞭を体内から出した睦月を、真が手をかざして制する。


「でも警察官が危なくない?」

「松本が来たから大丈夫だ」


 咲の問いに、真がそう答えた直後、パンっという軽い爆音と共に朱色刺怪人の足元で小さな爆発が起こり、怪人が倒れ、ピクリとも動かなくなった。


「何、今の?」

「クレイモア――指向性対人地雷だろう。多少威力は抑えてあるみたいだが」


 亜希子の問いに、真が答える。


「お前等警察の前で暴れるといい度胸だねえ」


 二十代前半と思しき背広姿の青年が現れ、真達に声をかける。裏通り課の刑事、松本完であった。


「こちらは被害者だし、事情聴取は今芦屋や梅津にされてきたばかりだよ」

 と、真。


「そっかー、じゃあ面倒で嫌だろうけど、もう一度事情聴取付き合ってね。そうでないと俺が困るんだ。俺も君等のこと助けたんだから、今度は俺を助けると思って付き合ってね」


 笑顔で松本に促され、一向はまた警察署内に逆戻りとなった。


***


 雨岸邸――リビングルーム。

 ディスプレイを空中に幾つも投影し、百合と白金太郎は、復讐者の一人が刑事に倒される様を見ていた。


「睦月とほとんど交戦せず、刑事に倒されちゃうとか」


 予想だにしなかった展開に苦笑いを浮かべる白金太郎。


「あの人は復讐心にとらわれて見境を無くしていたようですわね。よりによって精鋭揃いの安楽警察署の前で襲撃をかけるなどとは」


 情報組織『鞭打ち症梟』に頼んで、睦月達を尾行し、動画を撮影して送ってもらい、交戦の様子を見学して楽しもうとしていた百合だが、しまらない結末に呆れていた。


 他の戦いもこれまで見学済みだが、鯖島との戦いだけは見ることができなかった。尾行者が多魔霊園まではついていけなかったからだ。彼等が多魔霊園に行くことは、行く前から把握済みの百合であったが、情報屋達に伝えるのをうっかり失念していた。しかし鯖島の死亡は確認済みである。


「五人PT組んでいるようですし、復讐者側は超不利ですよ。それなのに今の奴は堂々と一人で突っ込んでいきましたが」

 と、白金太郎。


「その理屈で言うなら、鯖島は数で押す戦法を用いて結局負けましたけれどね。その際も警察に邪魔されたとのことですし。二度も警察に介入されるなど、白けますわね。正直、勝ち負けは気にしませんわ。元々睦月が暇そうにしていたから、遊んであげるのが目的ですし。純子も楽しませてしまうのは癪ですけど、この際それは度外視しましょう」


 亜希子や真が助っ人として加わるのはまだ許容できるとして、警察がしゃしゃり出てきて、睦月を守るという格好になるのは、いくらなんでもいただけないと、百合は思う。それでは何のために手間をかけて、復讐者達をセッティングしたのかわからない。


「そう言えば雪岡純子は姿を現しませんね」

「私達と同様に、こっそりと人を雇って撮影して、見物しているのでしょう。直に姿を見せないのは、私が絡んでいると見て、警戒しているのかもしれませんわ」


 純子が自分のことなど歯牙にもかけないことは、百合もわかっている。しかし真が絡んでいるとなれば、話は別だという事も見抜いている。おそらくは真を意識して、あえて出ないようにしているのであろうと。

 純子が出張れば、真のガードをしていると百合に見られる。百合にそう見られないように、純子はあえて出ない。そう百合は考えていた。いや、見透かした気になっていた。


「ひょっとして雪岡純子を燻りだそうとしていたのに、うまくのってこなかったので、百合様はがっかりされてるのですかあ?」

「まあ白金太郎……。貴方にはつくづく感心させられますわ」


 口元で両手の義手を合わせて、言葉通り心底感心した口調と、朗らかな笑みを広げる百合を見て、白金太郎は青ざめた。無自覚であるが、また地雷を踏んだことだけは察知した。


「その才能――言わなくてもいいことをナチュラルに口にして、人の神経を逆撫でする才能、私はこの世で最も評価しておりますのよ。おかげで私も、こうして罰を与える悦びを得られますから」

「ふががががあああーっ!」

「どこまで入るかしらねえ。あ、吐いたりしたらさらなる罰ですわよ」


 白金太郎の口の中に義手を突っ込み、笑顔でそのまま押し込み続ける百合であった。


「罰を与えるには、本当に罰を与えたくなるだけの――人をイラつかせる者でないといけませんのよ。そういう意味で白金太郎、貴方は私の宝物ですわ。睦月に負けず劣らずの頑丈さで、多少無理しても死にませんしね」

「はぐっ、はがががっ、はまがっ」


 喋っているうちに、そろそろ嘔吐しそうな気配を感じ取り、百合は白金太郎の口から手を引き抜く。


「それはそうとして、あの鯖島の能力は、捨てがたいものがありますわね」

 百合は思案する。


「残るは四人。零を入れても五人。彼の能力を利用して、駒を一つ増やしてみましょうか。いえ、一つ駒を奪ってみましょうか。というわけで白金太郎、警察所内に侵入して、鯖島恒星の死体を回収してきなさい」

「ええっ!? そんなの無理ですよっ」


 百合の命令に、白金太郎は狼狽して首を横に振る。


「そこを何とか頑張ってらっしゃいな。貴方なら頑張ればできましてよ。例えば、死体の振りをして潜りこむとか」

「あ、なるほど」


 ぽんと手を打つ白金太郎。それなら得意技だ。


***


 警察による二度目の事情聴取の後、睦月達五人は喫茶店の中でくつろいでいた。


「助けてもらったのはありがたいけど、その後が大変だったね。真、お疲れ様」


 明らかに疲れた様子を見せる真に、亜希子がねぎらいの言葉をかける。


「芦屋が済ませた後に、助けたからという理由で、同じ内容の事情聴取をもう一度とか、同じ案件として融通利かせる事が出来ないのかよ……」


 真が愚痴る。睦月は当事者だがメンタル的に不安定、亜希子は世間知らず、犬飼は傍観者、咲は被害者遺族だが完全に表通りの住人と、他のメンツには任せられないので、二度とも対応した真であった。


「つか、さっきの復讐者は能力もよくわからなかったまま退場だったな。ただ刺生えてただけか?」

 苦笑しつつ犬飼。


「動きを見ても大したこと無さそうだったし、こっちは五人なのに、一人で向かってきたし、しかも警察署の前とか、純子の改造失敗して頭までおかしくなってたんじゃないの~」


 亜希子が冗談めかして言うが、案外そうかもしれないと真は考える。


「復讐目当ての人数を雪岡から聞いた。残るはあと四人だ」


 空中に映したメールの画面を見て、真が答える。


「このままぶらぶらと歩いて復讐者を誘き寄せて全て殺すのか?」

「うちに帰ったら、うちにまで来るのかな?」


 犬飼と亜希子が口々に言う。


「方針は変わらないよ。で、うちに帰るってのは流石にないよう」

 と、睦月。


「咲はいつまで一緒に来るの? 墓場では助けてもらったけどさあ。また敵が襲ってくるだろうし、巻き込まれて咲に危害が及ぶっていう展開だけは、俺、嫌なんだけど」

「もう少しいる」


 睦月の問いに、うつむき加減で言葉少なに答える咲。咲は咲で考える所があったが、今皆がいる前で口にしたくはない。睦月にだけは、話してもいいと思うが。


「で、今夜はどうするの? また研究所に戻る?」

 窓の外を見て、睦月が真に伺いをたてる。


「ホテルワラビーに泊まろう。敵を誘き寄せるためにな」

 答える真。


 ホテルワラビーは中枢によって、裏通りの住人も争い御法度の中立指定された建物であるが、復讐者達はほぼ表通りの住人であるが故、そんなことは知らずに襲撃してくる可能性がある。


「ホテルワラビーは最近警備が強化されたぞ。音頭を取ってる奴が裏通りに精通しているなら、中にまで入らないように指示するだろうさ」

 犬飼が言う。


「中に入らなくても、外で待ち構えることはできるし、誘き寄せにはなるだろ」


 真も窓の外を見た。すでに外はオレンジに染まっていた。

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