第十八章 18

 久しぶりに亜希子は夢の中で、無銘の妖刀に宿る怨霊、火衣と出会う。


「今日の戦いはひどかったわ~」


 火衣が口を開く前に、亜希子の方から触れた。火衣もその件で現れたに違いないことは、亜希子にもわかっていた。


「あの時、真が来てくれなかったら、きっと私、負けてたよねえ。ていうか、私ははっきりと負けたと見ていいかな、あの戦いは。そう考えるとすごく悔しいわ」

「私の能力をさっさと使えばよかったのよ」


 穏やかな口調で火衣が告げる。相手の股間を引き寄せる能力の事だ。


「敵が複数いるからといっても、出し惜しみなんてしなくていいでしょ?」

「睦月がいる前であんな下品な真似したくなかったもの。まあ……そう考えたのが失敗だったわ」


 相手の股間引き寄せの後は、陰部切断を行わなければならない。それが決まりだ。達成させられないと、火衣の力が一時的に低下してしまう。

 そう考えると、強敵相手にはリスクも備わる能力とも言えると、ここで初めて亜希子は気がついた。


「亜希子自身がもっと自分を鍛える必要がある。そうすれば私が与える力も増し、乗算されて、さらに強くなれる」

「ジョーサンて何?」

「えっとね……足し算はわかる?」

「馬鹿にしないでよ」


 どう答えたらいいか、火衣はしばらく思案する。


「乗算は掛け算。つまり、私の力と亜希子の力が単純にプラスするんではなくて、亜希子の力が伸びれば、私が亜希子に与えられる力も伸びるから乗算なの」

「掛け算もわかるけど……」


 全く学校に通っていないコンプレックスを刺激されて、亜希子は憮然とした面持ちになった。


「実戦であえて私の力を封じて修行するのもいいけど、敵が強いとあれば、出し惜しみせずにいきなさい。もちろんタイミングを見計らうのは大事。失敗して能力低下を恐れて命を落としたなんて、もっと愚かなことでしょう?」

「うん、わかった。ありがとう、火衣。ていうか、江戸時代の幽霊なのにタイミングなんて横文字知ってるのね」

「貴女の側で貴女と同じもの見ているから、テレビやネットで新しい知識や単語は常に入ってくるからね」


 意外そうに言う亜希子に、火衣はそう答えた。


***


 雪岡研究所で一晩泊めてもらった睦月、亜希子、犬飼、咲の四名は、これに真を加えた五人で、咲の姉の華の墓参りへと向かった。


「これだけぞろぞろいれば、復讐しようとしている奴も襲ってきにくい、かな?」

「復讐なんてやろうとしている奴は大抵馬鹿だから、それでもなお襲ってくる可能性は濃厚だ。それに、あと何人いるのか不明だが、昨夜のように徒党を組むことも考えられる」


 出発前に、犬飼と真がそんなやり取りを交わしていたのが、咲は引っかかっていた。墓場で襲われて、姉の墓が荒らされるのは御免だ。


 同じ安楽市内ではあったが、華の眠る多魔霊園は結構遠い場所にあった。そもそも安楽市が複数の市町村を合併した巨大都市であるが故、場所によっては車や電車を用いても、それなりに時間がかかる。

 闇タクシー二台で移動し、到着したのは安楽市の東部。大分都心に近い地域だ。


 多魔霊園の中に入る五人。いくらなんでもこんな遠くまで復讐者が追ってくるとは思えないが、有りえないとも限らない。


「警戒していたが、途中から尾行している車は無かった」


 霊園に入った所でなお後ろを警戒しながら、真が言う。

 途中までは尾行車がいたのだが、運転手に頼んでまいてもらったのだ。そのために腕利きの闇タク運転手を雇った。


「安心して良さそうだな。だが仮にここで敵が現れたとしたら、それはあれだ」


 犬飼が意味深な言葉を口にする。彼が何を言いたいか理解したのは、真と睦月だけであった。


「何よ?」

 理解できなかった亜希子が尋ねる。


「ま、言わないでおく」

 肩をすくめて誤魔化す犬飼。


 それから睦月は墓石の前へと促される。睦月が殺した華の墓だ。


「その水撒く意味って何なの?」


 咲がひしゃくで墓に水をかけているのを見て、亜希子が尋ねる。


「わからない。ただそういう作法だからとしか」

 と、咲。


「死者が六道の内の一つの餓鬼道に落ちているかもしれないからだ。餓鬼道では常に飢え乾いてるから、その渇きを癒すために水をやるって考えだな」


 犬飼が解説する。


「何でそんな世界に落ちているかもしれないのよー? 可哀想じゃない」

「知らんよ。それが仏教の教義だからとしか言えない」


 口を尖らせる亜希子に、犬飼は微苦笑をこぼした。


「水をかけると死者の魂が一時的に現れるからという説もある」

 そう言ったのは真だ。


(現れてるか? みどり)

 興味本位でみどりに声をかける真。


(いーや。ただの迷信だわ。ていうかね、咲って子のお姉ちゃんなら、守護霊になって後ろにいるよぉ~)


 みどりが何気なく告げた事実は、咲に教えていいものかどうか迷う。


(ここじゃあたしがいないから言えないっしょ。教えるのなら、またあたしの所に連れてきた時にしよ。ま、切り札に取っておいた方がいいと思うけどぉ~)

(僕も同じ考えだ)


 咲がどう心変わりするかもわからないので、ここぞという時までその情報は口にしない方がいいと、真も計算した。


「お線香立てて拝む時はしゃがんでね。私が最初にやったでしょう」


 立ったまま手を合わせる睦月に、咲が注意する。


「いろいろ作法あるのね~。死者を悼む気持ちだけじゃあ駄目なんだ」

「作法は気持ちを表すための儀式とも言えるな。周りにアピールするためのな」


 亜希子の言葉に反応して、犬飼が茶化すように言う。


「私も拝んでいい?」

「どうぞ」


 睦月が終わった所で亜希子が申し出て、咲が亜希子に線香を渡す。


「えーっと、睦月は超反省しているので、どうかお許しくださいっと。ナムナムナム……」


 咲を意識して、わざわざ口に出して言う亜希子であったが、咲はそれを聞いて憮然とした顔で溜息をつく。


(でも姉さんが聞いたら、美しい友情とか何とか言って感動しちゃって、効果覿面なんだろうな)


 そう思うと、怒るに怒れない咲であった。


 不意に亜希子が急に勢いよく立ち上がる。真、睦月も目の色を変え、犬飼も皮肉げな笑みを口元に浮かべる。


「尾行者はいなかったんじゃなかったの?」


 亜希子が真に問う。咲以外の四人共、四方八方から殺気が迫っているのを感じ取ったのだ。


「うちらの中に裏切り者がいて、情報を流している。尾行者がいないってことは、予めこの場所を知っていて待ち伏せだからな」


 犬飼がにやにや笑いながら言った。先ほど途中で口にするのをやめた言葉は、このことであった。


 やがて殺気の主達が姿を現す。完全に五人を取り囲む形で明らかに三十人以上の人間が、墓場のあちこちに沸いている。

 彼等は皆手にナイフや包丁やハンマーや金属バットや銃を持ち、憤怒の形相を睦月へと向けていた。しかもその中には、老人や小学生くらいの子供まで混じっている。目は血走り、歯を剥き出しにし、口の端からは涎を垂らし、正気とは思えない。


「墓参りの途中で悪いが、ゲームの始まりだ。くふふふ」


 その中の一人――ひどく目立つ格好をしていた男が、くぐもった声をかけてくる。

 男は頭部を防弾マスクで覆っていた。マスクと言っても目の部分だけはちゃんと見える。防弾仕様の強化アクリルだ。体も防弾繊維の服ではなく、動きづらそうな防弾プレート仕込みのスーツを着こんでいるのがわかる。手足の間接部分もカバーしているも代物だ。裏通りでは見かけない代物である。


「何なの、あの変な服」

 と、亜希子。


「警察の一部で採用されている奴だな。SATが投入される際に、指揮官クラスが着る」


 真が解説する。防御面では優れているが、機動性が著しく欠けるため、隊員が着ることはないと聞いている。


「ライフル弾も溶肉液も通さないから、銃弾で仕留めるのは困難だな」


 方法次第では決して不可能だとも思わないが、それにしても銃による殺害は念頭から外した方がいいと判断する。衝撃くらいは通るかもしれないが。


「鯖島花子。この名を知ってるか? 俺の娘だ。お前に殺された」


 防弾スーツの男が、真っ直ぐ睦月を見つめて言った。


「鯖島恒星。俺の名だ。お前に娘を殺される前までは、ただの社畜だった。お前を殺すために、人生の全てを投げ打った。俺の何もかもをブチ壊した。準備は万端だ」


 マスクの下で歪んだ笑みをひろげているのが、開いている目の部分から、睦月には見えた。


「世の中、近視眼的な奴ばかりだ。目先のことしか見ようとしない。それは大衆のみならず、政治家や学者連中ですら変わらん。先を見る目が必要だ。それが俺にはあった。だからこそ俺の能力に合わせて長い時間をかけて準備をしたし、お前の行動もずっとチェックしていた。ぞろぞろと徒党を組んでいる時点で、他の連中が先を越すのも難しいだろうと判断し、俺は安心して準備できた」

「ぺらぺらとよく喋る人だねえ。何しにきたの? お喋りなら他所でやってよ」


 一向に戦おうとせずに喋り続ける鯖島に、睦月が不敵な笑みを浮かべて煽る。


「くふふふ、それはそうだ。俺はお前を殺すことだけを、復讐だけを考えて生きてきた。そのお前に、俺のことをなるべく知ってもらったうえで、死んでもらいたいからな」


 鯖島が指を鳴らす。すると今まで取り囲んでいた憤怒の集団が、少しずつ動き出した。


「まさかこれ全員……」

 睦月が呻く。


「くふふふ、違うぞ。お前に殺された者の遺族ではない。全く無関係な人間だ」


 鯖島が笑いながら、睦月の疑問に答えた。


「お前のことなど元々知らなかったが、俺の怒りは共有させてある。怒りと憎しみと恨みを増幅させて与えてある。理性が無くなったわけではないが、限りなく無い状態に近い。俺の能力はそう……言うならば指向性暴徒量産だな。ああ、もちろん俺自身がリクエストした」

「あの馬鹿……」


 鯖島の話を聞き、頭の中で忌々しげに舌打ちする真。赤の他人を見境無しに巻き添えにする迷惑極まりない能力を、こんなイカれた男に付与した純子に、怒りと呆れを同時に覚える。


「喋りたいことはまだまだあるが、聞いてくれるか?」

「いいや、聞きたくも無いよ」


 からかうように問う鯖島に、睦月が蛭鞭を取り出し、殺気を膨らます。真と亜希子も臨戦態勢に入る。


「いいや、一つだけ聞いてくれ。俺は一つだけお前に感謝していることがある」


 鯖島はマスクの下で真顔になり、睦月をじっと見つめてこう告げた。


「お前は俺を狂気の毒沼から救いだし、人間に戻してくれたんだ」

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