第十八章 16

 睦月、亜希子、真、咲、犬飼の五人は、亜希子の治療と安全な寝場所確保のために、雪岡研究所を訪れた。

 犬飼と咲も、紺太郎に顔が割れているし、狙われる危険性もあるということで、同行することになった。


「あははっ、純子久しぶり~。相変わらず非人道な人体実験しまくってるらしいねえ」

「おやおや、睦月ちゃん。自分の足で私に解剖観察再改造されにきたのかなー?」


 再開した睦月と純子が、そんな軽口を交しあう。

 すぐに亜希子の治療に入る純子。亜希子を寝台に寝かせ、怪しげな薬を塗ると、傷が見る見るうちに塞がっていく。


「明日墓参りに行くけど、それまでに亜希子は治る?」


 亜希子の傷が塞がったのを見た限り、平気そうではあるが、一応確認する睦月。


「見た目はひどいけど、傷自体は深くないから平気だよー。ていうか何で墓参り?」

 純子が睦月に尋ねた。


「殺した奴に墓参りなんかされて、咲のお姉さんが喜ぶらしいからさ」

「そういう他人事めいた言い方やめて」


 睦月の皮肉めいた物言いに、むっとした声をあげる咲。


「別に他人事のつもりでなんか言ってない」

「じゃあ皮肉? それとも自虐? いずれにしても癇に障る。姉さんは馬鹿だからあなたを許すに違いない。でも姉さんがあなたを許したからって、私まで許せるわけじゃない。ただ、姉さんが救われることに、ほっとするだけ」

「わからないねぇ。それで救われるって、おかしいよ」


 睦月は一応咲の要望を聞き入れたものの、心の底まで納得したわけでもなかった。


「姉さんはそういう人だったからとしか言えない……。性善説を信じて疑わないような、そんな人だったから。すごくいい人だった。なのに殺されちゃってさ……」


 悔しげに言う咲に、睦月は言葉を失くしてうなだれる。


(やれやれ。加害者の立場なんだから、ひたすら反省しているポーズでもしてりゃ、被害者様は気が晴れるのに、何でそこで盾つくかねえ)


 睦月を見て、にやにやと笑いながら、そんなことを思う犬飼。


「ちょっとさァ、もうそれ以上睦月を責めるの、やめてくんない?」


 亜希子が険のある顔で先を睨み、口を挟む。


「あなたにとっては家族を奪った殺人犯だろうけど、私にとって睦月は家族みたいな間柄だし、大事な友達なのよォ。睦月が過去にしてきた事とかも、心底どうでもいいのっ」


 睦月をかばう亜希子を前にして、咲は押し黙る。ここで自分にとっては殺人鬼だからと言い返したくは無かった。そこまで憎悪を募らせるような発言をすると、きっとあの世で姉が哀しむし、おまけに姉に叱られそうな気がした。

 それに咲は知っている。睦月もある意味で被害者なのだ。あの百合という白ずくめの女の言葉が真実であれば、睦月を殺人鬼になるように育て上げた百合こそが、諸悪の根源だ。


「どうでもよくはないだろう。そっちの気持ちも考えてやれ」

 真が見かねてたしなめる。


「でもこの子は私や睦月の気持ちは考えてないじゃん」

「亜希子の気持ちはともかく、睦月の気持ちを考えても仕方無い。憎むべき加害者なんだし」


 真のその言葉が、睦月の胸にチクリと突き刺さる。


(他の奴が言うならともかく、真に言われると堪えるなあ……。俺も、沙耶も……)

 睦月がうなだれたまま、渋面で思う。


「俺は自分が償いきれないほどの大罪を背負っているのは自覚している。でも、法に従って裁かれる気は無いし、そもそも法では俺は裁けないし、殺せない。でも咲が望むことに付き合うくらいはできる。だから明日、付き合ってくるよ」


 落ち着いた静かな口調で述べる睦月。


「咲ちゃんはやっぱり普通の人なんだよねえ。表通りの価値観ていうかさ」

 純子が言った。


「人殺しだから許されないみたいな倫理観、私は持ってないし、多分咲ちゃん以外、ここにいる誰も持ってないよ。真君も口で言ってるだけ。私達には無いんだよ。上っ面だけの倫理観ていうものがさ。この前も言ったけど、私は睦月ちゃんよりもっと人殺してるけど、何も思わないよ? 睦月ちゃんだけじゃない。私も真君も亜希子ちゃんも人を殺している。多分だけどそこにいる犬飼さんもね。でも、だから何なのー? 表通りの価値観でいくら許せないと言われても、私達は馬耳東風なんだよねえ。私達、善人てわけじゃ無いんだし」

「つまり純子から見ると私は、自分の姉を殺された恨みから睦月を責めているのではなく、人を殺したからという事実だけで責めているのか?」


 純子が何を伝えたいのか察して、咲は挑みかかるかのような口調で純子に言った。


「睦月に呪われた殺人鬼としての烙印を押し、そのうえでしおらしくしていろと、そういう態度を取る権利くらいはあるだろう。身内を殺されたのだから」


 そんな咲を擁護するかのような物言いの真であったが、その擁護の口ぶりがまた睦月寄りというか、皮肉っぽいというか、完全に常識からずれた代物であったため、咲は純子の言わんとしていることをますます理解してしまった。


 純子の言うとおり、ここにいる裏通りの住人達とやらは、表通りの住人が持ち合わせる罪と罰の観念を、根本的に持ち合わせていない。感情や欲望に忠実で正直という風に、咲には受けとれた。

 睦月も一応悔いてはいるからこそ、その態度を咲の前で多少は示すが、何十人も殺したという事実に対して、あまり重い罪の意識があるようには見えない。咲が目の前にいるからこそ、咲に対してのみ悔い、謝っている。心からの謝罪の念はあるが、それだけだ。罪そのものは大して省みていない。咲の目にはそう映る。

 そしてそれが異常であると、彼等は皆気付いてもいない。いや、彼等の価値観からしたら、咲こそが異常者ということになる。少なくとも純子はきっぱりとそう言った。


「墓参りはいいけど、墓でもまた襲撃されるんじゃないのか?」

 話題を変えるようにして犬飼が口を開く。


「お前さん、一体どれだけ刺客を改造したんだ。そもそも同時期に八つ裂き魔への復讐依頼とか、明らかに仕組まれているとしか思えないのに、何の疑問も無く改造していったのか?」

「ネットで誰かが有志を募ったとかじゃないのかな~?」


 犬飼の問いに、微笑みながらとぼけた口調で言う純子。


「睦月が目当てだということも、わかっていてそいつらを改造したんだな? お前は」


 その純子に視線を向け、確認するかのように問う真。


「睦月、亜希子、お前達は音頭を取っている奴に心当たりは無いのか?」


 純子の答えを待たずに、真は二人の方を向いて尋ねる。


「知らない」

「あはっ、知っていたらそっちを抑えにいくさぁ」

 即座に答える亜希子と睦月。


「白い女よ」


 明らかに睦月がとぼけているのを見て、咲はその者の存在を口にした。

 その時、睦月と純子が真顔になったのを犬飼は確認した。何故睦月が隠しているのかも、純子までもが表情を変えたのかも、犬飼にはわからなかったが。


(あの白ずくめ女、ここで口に出すのってやっぱタブーなのか? 何となくそんな気配はしていたから、俺も黙っていたけど。存在自体を誰かに知られるのが不味いってことか? 誰にだ?)


 犬飼は真を一瞥する。


(こいつか? 勘だけどな)


 犬飼の視線に気づくこともないほどに、真は咲の言葉に強く反応していた。


「その白い女と連絡は取れるのか」

「いいえ。電話は非通知でかけてきたし、実際に会ったのも一度だけ。でも、自分が睦月を作ったと言っていた。多分そのことは睦月にも内緒にしているつもりなんだと思う。睦月が気がついているかどうかわからないから、今まで言わなかったけど、今、睦月を見てわかった。気がついているって」


 咲の話を聞き、真は睦月を見た。睦月は観念したような面持ちで、大きく息を吐く。


「わりとつい最近なんだけどねえ。それを知ったのも。いや、薄々勘付いていたっていうか、段々そうじゃないかと思えてきた。亜希子が俺と似たような出自だって事を知って、ああ、やっぱりなって思えたけど」


 睦月が話す内容を、亜希子はどこまで触れるつもりなのかと、少しはらはらしながら聞いていた。


「それ以上は言わない方がいいって」


 亜希子が寝台から降りて睦月の方に向かい、睦月の耳元で囁く。


「私もママには頭にきているけど、例え今皆でママをやっつけにいっても、逃げられるだけだと思うわ。もうちょっと機会を見た方がいい」


 亜希子の言葉は半分本心で半分は嘘だった。亜希子は百合を現時点では殺したくない。百合から得られるものがまだあるはずだし、もっと徹底的に百合のことを暴きたいと考えている。


(みどり、こいつらの心を覗いてくれ)


 一方真は、他人の心を覗く行為が嫌いであることを承知のうえで、この場にいないみどりに頼んだ。

 この場にはいなくても、真と精神を直結させているみどりは、真の感覚を共有しているので、今のやりとりもちゃんと研究所の自室から見て聞いていた。


(白い女が、シスターの情報通りの女かどうかをだ)


 真はその呼び名だけで直感した。シスターに自分の復讐相手を映した画像も受け取っている。さらに加えて言えば、睦月を意図的に殺人鬼として育て上げた事、その睦月に対して遊び半分で復讐者を差し向ける事や、その復讐者達の改造に純子を利用するやり口からも、自分の復讐相手なのではないかとこじつけられる。


(ビンゴだよ~。でも真兄、早まったことしないでよォ~?)

(わかってる)


 注意するみどりに、頭の中で頷く自分を思い浮かべる真。


(早まったことはしないが、機を逃しもしない)


 五年以上もの間探していた復讐相手に、ようやく手が届きそうになっていることを意識し、真は喜悦を覚えていた。

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