第十七章 27

 この日本に――それも都心の住宅街に、突然ゴーストタウンが出現した。

 超常の能力を覚醒させた者が大暴れして、人を殺しまくる話。そんな事態は、実は特に珍しい事でもない。歴史上、世界のあらゆる国で幾度となく発生しているし、国家機関はちゃんと想定してあるし、対処法もできている。


 細菌テロの可能性があるとして、住人達を避難させて、機動隊がバリケードを作って地域ごと閉鎖を完了。

 通常の銃器では歯がたたないため、一名の腕利きの妖術師を刺客として送り込み、その結果返り討ちにはされたものの、それによって問題を起こしている対象の性質も分析され、強さの程度も把握された。

 あとはそれに勝る力の持ち主を送り込み、処分するだけだ。居場所は把握してあるし、動きも密かに飛ばした無人偵察機でチェックしているので、ピンポイントでロケット弾等を使えばてっとり早く終わるかもしれないが、それ以前に、彼女によって幽閉されているという霊の居場所を聞きだせという指示を受けている。

 さらに言えば隠蔽工作も難しくなるので、できればスマートに解決を図りたい。そうなると、超常の力に長けた強者をぶつけるのが最適という結論に至る。


 封鎖区域境目のバリケード周辺には、機動隊の面々が並び、物々しい警戒態勢を敷いていた。一般市民は近づくことさえできないようにしている。


 そのバリケード周辺に、一人の少女が近づいていく。機動隊員の一人が彼女を近づけないよう、手をかざして制止をかけたが、次の瞬間、少女の姿が消える。

 後ろに足音が聞こえ、隊員が振り返ると、いつの間にか人垣を越えて自分達の背後を歩いている白衣の少女の姿があった。


「いいんだ。彼女は関係者だ」

 このバリケード周辺で指揮担当を任されている警察官が、隊員を制する。


「よりによって貴女が来たのか」


 整列した機動隊を飛び越えて入ってきた白衣の少女を見て、担当責任者である警察官は驚いた振りをする。実は彼女が来る事は前もって知らされている。


「ぱぱっと終わらせてくるよー」

「マウスに遊ばせるのではなく、本人が赴くとは珍しいケースだな」


 その警官は、少女の姿をしたそのマッドサイエンティストと面識があったし、彼女の事を知っていた。裏通りにも超常関係にも明るい人物であった。


「まあ、そんな気分の時もあるよ」


 はぐらかすように言うと、雪岡純子はバリケードの前に立つ。機動隊がバリケードをどかすと、純子はゆっくりと、封鎖された街の中へと入っていった。


***


 夜――無人の住宅街。


 マキヒメは自分の本名を思い出す。厚木真紀。これまでの人生の中で、この名で呼ばれるより、オススメ11の中でマキヒメと呼ばれた事の方が圧倒的に多いであろうことは、間違いない。親しみを込めて呼ばれたのも、こちらの名であろう。マキヒメ自身も最早、この名こそが自分だと認識している程だ。

 しかしもうその名で自分を呼ぶ者はいない。少なくとも直接呼んでくれる人はいない。そう意識すると、自分で下した決断ながら、悲しみが際限なく溢れだしてくる。


「何て情けない……」


 うずくまり、しわしわのよぼよぼになった手で、こぼれ落ちる涙を受け止めて呟く。

 弱く、愚かしい自分。きっと全てが誤った選択だったのだろう。しかし何故その誤った選択をしたのか、自分でもわかっていない。

 わかっているのは、自分が救われることはもう有りえず、破滅に向かってまっしぐらという事だ。

 一体どんな終わり方をするのかはわからないが、最後まで足掻いてやろうと思っている。大嫌いなこの世界を少しでもかき乱してやろうと。一方で、さっさともう終わらせて欲しい、自分を止めて欲しいという気持ちも強くある。


 ふと、目の前に人影が伸びているのを見て、マキヒメは影の元――横にある交差点の方へと顔を向けた。


 そこにいたのは白衣をまとったショートヘアの少女だった。しかも白衣の下はワイシャツネクタイに短パンにスニーカーという、妙ちくりんな格好である。

 少女がゆっくりとマキヒメに近づいて来る。近くに寄ってきた事と、街灯に照らされて、彼女の顔が露わになる。かなりのレベルの美少女。切れ長の目の中で妖しく輝く赤い瞳。


 唐突に現れたこの少女が、自分に用があるのは一目瞭然であった。


「また私を止めにきた超能力者の人?」

 マキヒメは座ったまま、顔だけ上げて問う。


 まだ十代半ばくらいの少女が相手とあって、躊躇を覚える。すでに十歳にも満たぬような子供も何名か殺害しているが、幾分がクールダウンした今のマキヒメからすれば、先ほどまでの激情に任せていた時とは違い、平常時の精神状態に近い。


「ううん、ただの通りすがりのマッドサイエンティストだよー。私はただ道を歩いていただけだし、私に敵対行為を働かない限りは、相手がどんな子だろうと私も手を出さないけど、どうする?」

「警察に封鎖された場所に一人で入ってきてよく言うわ……」


 余裕綽々といった感じの笑顔でぺらぺらと喋る少女を見て、マキヒメは彼女が敵である事を悟る。


「いい夜だ。ついこの間の話だったな。僕のつまらぬ愚痴を君に聞いてもらった時も、こんな感じの静かな夜だった。ゲームの中でも、リアルでも夜だったが」


 突然少女ががらりと口調を変えて喋り、マキヒメは驚愕に目を見開き、動悸が急激に早まるのを実感した。


「もうやめないか――なんて言う気は無いさ。マキヒメ、君がどんな悲しい目にあって、どれだけ辛い想いをして、そのようになってしまったのか、僕には想像がつかない。しかし人をそこまでするには、余程辛い目にあったのだろうと推察できる。だから、僕に向けて全て吐き出すといい。僕が全て受け止めてやる」

「そんな……貴女がネナベオージ……?」


 あのキザったらしく達観した猫耳少年の中身が、目の前のどう考えても十代の少女と同一人物などとは、符号しがたい。しかしこの喋り方は、他人に容易に真似できるものではない。さらには表情も、ネナベオージのそれのように見えてしまう。

 見た目はともかく、これは間違いなくネナベオージだと、マキヒメは確信した。


「口調をいくら似せても、声までは流石に変えられないから、しまらないな」


 照れくさそうに笑うネナベオージこと純子。実際は声も声帯改造で変えられるが、流石にそれはやめておいた。


「嘘でしょ……。こんな奇跡が本当に起こるなんて……。いや、運命の悪戯なの? 散々私に意地悪した神様の最期のお情け? あるいは、これも私を苦しませるための罠?」


 立ち上がり、呆気に取られた顔で、うわ言のように呟く。

 自分はとうとう頭がおかしくなって幻覚でも見ているのだろうかとすら、マキヒメは思い始めていた。あるいはこれが夢なのか。


「こんなことあるわけがない。夢か幻覚か……。でも夢なら……覚めないでほしい」


 有り得るわけがない話だ。自分が一番想っていた人が、破滅寸前の自分の前に姿を現すなど。一体どんな奇跡だと。都合が良すぎてフィクションにも出来ない話だと。


「でも……何でもいいけど……嬉しいし、悲しい。貴方に会いたかったし、貴方に見せたくなかった」

「現実だ。夢でも何でもない。これこそがリアルだ」


 うなだれかけるマキヒメに、ネナベオージはきっぱりと告げる。


「育夫は僕がやっつけた。彼はもうオススメ11にインする事も無い。タツヨシもリアルで懲らしめている最中だ。ニャントンとは話をつけて、もう電霊を増やさない約束をした。累は、元々僕の家族だ。僕は育夫に殺された育夫の恋人明日香の霊に依頼され、育夫を止めるために動いていた。僕が明日香に目をつけられたのは、かつてのオススメ11の廃プレイヤーであり、リアルでも悪名高いマッドサイエンティストだったからだ。君と累が育夫に目をつけられたのは、オススメ11の廃プレイヤーであり、オススメ11に並々ならぬ思い入れをしていたからだ」


 マキヒメに全ての真相を語って聞かせるネナベオージ。


「どうして都合よくリアルで僕が君の前に現れたのか? 否、都合よく現れたのではない。偶然の積み重ねのように見える、必然の流れ。運命の四次元パズルが組み合わさった結果だよ。ここに僕がいる事も、有り得ぬ奇跡ではない。君と僕は同じ世界で同じ時を生きた、大事な仲間だからだ」

「仲間だから……何で来たの?」


 どういう答えが返ってくるか、多少恐怖しながらマキヒメは尋ねる。尋ねなくてもマキヒメにはわかる。だが、答え方というものがある。ネナベオージならではの答え方を期待しているが、そうではない答え方が返ってくるのが怖い。


「君が闇堕ちして育夫から授かった力で暴れていると聞いて、きっと苦しんでいることだろうと思い、ここに来た。止めるのは僕しかいないと思ったし、自惚れるようなことを言うが、君も僕に止めて欲しいんじゃないかと思ってね。フッ」


 最後の言葉を聞いて、マキヒメは嬉しさが怒涛のようにこみ上げてきて、胸が熱くなる。


(やっぱりネナベオージだ。ここまできて疑ってもしょうがないけど、でも改めてネナベオージだとわかって……それが嬉しい……)


 胸だけではなく目頭も熱くなるマキヒメ。


「僕はつい最近になって、君の正体を知り、そして君が行き場の無い憎しみを無差別にぶつけていることを知った。君は暴れるだけ暴れた後、どうあっても最後は殺される。憎き世界を敵に回して一人で戦い、憎き世界に押し潰される」


 そこまで言った所で、ネナベオージはマキヒメを指差した。


「それならば僕が引導を渡してやった方がいい。他の誰にも殺させはしない。僕の手で君の命を摘み取ってあげるよ。これは僕のエゴだが、君だってその方がいいだろう?」

「嬉しいけどさ……。本当に大丈夫なの? ネナベオージ。私にあっさり殺されちゃったりしない? 私、嫌だよ? 他の誰を殺しても平気だけど、ネナベオージだけは殺したくない」

「フッ、そこはこう言うべきだろう。愛する者だからこそこの手で壊したいと。少なくとも僕はそのつもりで来た」


 マキヒメを指していた手をぐっと握り締め、ネナベオージは不敵な笑みを浮かべる。顔は違っても、仕草や表情の作り方は全くもってネナベオージのそれだと、マキヒメはつくづく思う。


「僕を信じろ。信じて全てを僕にぶつけろ。やり場の無い怒りも憎悪も後悔も悲痛も、全て僕が受け止め、僕の魂に刻みつけてやる」

「わかった……。私、全力でいくけど、私に殺されないで、ちゃんと私を殺してね」


 笑顔で宣言するネナベオージに、マキヒメも笑顔でそう返した。取り返しのつかない領域に入ってしまった自分は、戦うことで、殺されることでしか救われないと、マキヒメは理解しているし、それをすんなり受け止める事ができた。

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