第十七章 22

 数年ぶりの大型バージョンアップのためのメンテナンスは、大半のプレイヤーの予想通り、予定時刻を大幅に延長した。

 匿名掲示板には『死ね』『無能』『バ開発』といった、愛情溢れる温かい励ましの言葉が連呼される。


 二時間半の延長を経た後に待っていたのは、バージョンアップ地獄である。プレイヤー達が一斉にバージョンアップを行おうとするため、入り口が詰まって弾かれまくる状態となる。ランチャーにインすることすらかなわない。インしてバージョンアップのデータのダウンロードが開始されても、このダウンロードがまた長い。

 ゲーム内に何とかインできたとしても、さらにその後にプレイヤー達を待ち受けるのは、不具合地獄である。有料デバッガーとしての腕の見せ所が問われる局面だ。散々宣伝していた謎の巨大生物マラソンのイベントに至っては、イベント自体が発生しないという深刻な不具合が発生していた。


「ふえぇ~、このゲームの去り際の最後のお楽しみにしてたのに、ひどい体たらくだねえ」


 数時間かけて最初にインしたみどりが、げっそりとした表情で呟く。純子、真、累の三人もインしようと頑張っているが、ゲームの中に入ることができない状態だ。流石にその間ずっとドリームバンドをかぶりっぱなしというのはキツいので、ゲームだけ起動して、バージョンアップのデータダウンロード及びインストールが済むまで、他のことをしている。


『みどり、入ることできたノネ』


 ビッグマウスがみどりを見つけて、テルしてくる。プレイヤーをサーチしてみると、知り合いでインできているのは彼女だけだった。


『ソロでもチェックできるコトは多いカラ、いろいろ回ってみてくるヨ。でも知り合いもほとんどいなくて、人数必要な遊びはまともにデキナイワ。それにイツ緊急メンテがくるかわからないノヨ』

「うっひゃあ、こんだけ苦労してインしたのに、またメンテで追い出されるかもしれないの!?」


 絶句するみどり。


『毎度のコトネ。毎度というには久しぶりだし、私達からすれば懐かしい空気だけどネ』

「こんなのがいつもいつも続いているのに、皆よくやるよォ~」


 それだけ皆このゲームが好きで熱中しているという事なのだろうが、熱の冷めているみどりからすると、理解しがたいし、そこまでしてこれ以上続ける気力も無い。

 やがて真と累もインする。二人共みどり同様にげんなりしていた。純子はまだ入れない状態だ。


「結構キツいですね……。待っている間、ずっと手が震えてました」

 安堵と疲労の両方を見せつつ、累が言う。


「ヤク中かよ。つーか御先祖様、まだ続けるわけ? みどりはもうこのゲームするつもりないから」

「辞める理由はありませんが……。真との約束ですから、もう廃プレイはしませんけどね」

「その方がいいよぉ~。ゲームは一日一時間」

「だから……ネトゲを一日一時間は無理が……」


 みどりに反論しかけて、累の言葉が不意に止まる。みどりも気配を感じ、振り返って空を仰ぐ。


「どうした?」


 累とみどりの様子がおかしいことを見て、真も二人の見る方を見て、それを視界に取られた。

 空を舞う三体の霊魂。しかもオススメ11の装備品ではなく、リアルの警察官の格好をした霊だ。


「あれは電霊か? でも……」

「はい。あれは電霊使いが、体は生かしたままプレイヤーとして呼び込んだものではありませんね。死霊の類です」


 電霊が自然発生してネットの中をさまようことそのものは、有り得ない事ではない。育夫のようにネトゲの中に居つく事もあるだろう。しかし三体も同時にいるというのが引っかかる。


『おい真。純子はまだインできねーのか』

 聞き覚えのある癖のある女の声で、真にテルがかかる。


「輝明か。まだバージョンアップにひっかかってるよ」

 相手はダークゲーマーこと星炭輝明だった。


『電霊がやたら増えまくってるって話だぞ。本当に育夫を倒したのか? メンテ中に倒すって話じゃねーのかよ』

「こっちでも見た。しかもこれは生霊ではない。死霊の類だ。空飛んでるし、背広姿とか、リアルの格好してる」

『死霊じゃプレイヤーの頭数にはならないのにか? おかしな話だな……』


 不審がるダークゲーマー。


 それからしばらくの間、三人はバージョンアップでどう変化したのか、実際に歩いて確かめたり、ネットで情報をチェックしたりしていた。


「フッ、遅ればせながら、やっとインできたよ」


 三人の前に現れたのは、純子そのままのキャラではなく、ネナベオージの方であった。


「そっちで入ってきたのか」


 真が嫌そうに言う。真はこのキャラがはっきりと嫌いだった。中身が純子でないとしても嫌っていただろうが、中身が純子だと思うと余計に嫌で仕方がない。


「すまない、真。マキヒメとデートの約束があるんだ。楽しい一時を過ごしてくるよ」

「イベントは発生してないぜィ。不具合だとさ」


 キザったらしい口調で言うネナベオージに、みどりが告げる。


「それより純姉、電霊がそこかしこに増えてるらしいよぉ~? あたしらもさっき見かけたし。しかも死霊の方だよ」

「フッ、どちらの情報も、インする間に掲示板を見て知っているさ。死霊が増えている理由は、ニャントンが何かしたのかと勘繰り、確認しようと思ったが、彼もまだインできていないようだ」


 純子にもこの事態は見当がつかない。育夫の仕業かと思って問いただしたが、彼も知らない様子であった。育夫と明日香をオススメ11から引き離した直後に、このような事態が発生している事が不思議であった。


『ネナベオージ、やっとインできたわ』

 ネナベオージに、マキヒメからのテルが届く。


「フッ、僕も今インした所だ。しかし残念なことに、イベントが起こらないらしい」

『知ってる。しかも新アイテムの中に、店買い値段より店売り値段の方が高いものがあるらしいから、緊急メンテがきそうよ』


 マキヒメの報告を受けて、ネナベオージは苦笑する。どう考えても設定ミスであろうが、そんなアイテムがあれば、売り子の前で延々とそのアイテムを買い、その場ですぐに売ることで、いくらでも金を増やせてしまう。放置しておけば大インフレが起こり、ゲーム内の市場は大混乱となろう。

 テルしている間に、緊急メンテナンスを告げる公式アナウンスが流れた。


「せっかくインしたのに追い出されるわけかぁ……。んで、またあのログイン地獄? もうやってらんないよォ~。みどり寝るね」


 心底うんざりした様子で、みどりがログアウトする。それを追うようにして、真と累も無言でログアウトした。


『せっかく楽しみにしていたイベントなのにね……』

「安定するまで待つしかないな」


 マキヒメとネナベオージは泣く泣くログアウトした。


***


 緊急メンテのためにリアルに戻ったマキヒメ。彼女がいたのは、高架下の駐車場だった。傍らには一組の男女の死体が転がっている。


「メンテのおかげで電霊をもっと増やせるね」


 虚ろな面持ちで呟き、立ち上がる。

 ふらふらとおかしな足取りで歩く、憎悪に満ちた眼差しの女性を目の当たりにし、通行人が一瞬ぎょっとしたが、すぐに目を逸らして横を通り過ぎようとする。


 その刹那、マキヒメの体から電撃が発生し、通行人の体を直撃する。

 しばらくの間、通行人は電撃にうたれて立ったまま体をがくがくと震わせていたが、やがて倒れて動かなくなる。


「ママー、今あの人の体がピカピカ光ってたー」

「指さしちゃいけませんっ」


 その様子を目撃した四歳か五歳くらいの幼女と、その子供の手を連れて慌てて逃げようとする母。

 少し距離が離れているが、電撃の渦が届くかどうかの実験も兼ねて、力を発動する。普段より広範囲に渦が発生し、親子の体を電撃が貫く。


(これ、かなり広い範囲に出せるのかな。それなら人の多い場所に行って一度にかなりの人数も電霊にできるね)


 実験結果に満足し、倒れた親子を見下ろし、にんまりと笑うマキヒメ。


(もっともっと大勢の人をこのくだらないリアルから解放して、あっちに送ってあげないと)


 ドリームバンドをかぶらないかぎり、ゲームのプレイヤーにはなれないが、育夫や明日香のようにゲーム内に電霊としては留まるし、別の意味でにぎやかすことはできると、マキヒメは思った。

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