第十五章 10

 またあの夢か。

 夢の中で、俺は子供と向き合う。泣いている子供。


「誰も守れないのかな……」

 子供の俺が、俺を見上げて問う。


「守るために俺は自身を鍛えたし、雪岡研究所で実験台になって力を手に入れた。これまでだって、ずっと守ってきた。これからも守っていく」


 俺は子供を見下ろし、力強く宣言する。


「守れる保障はあるの?」

 子供の俺が、俺を見返して問う。


「神様は意地悪だよ? 知っているだろう? どんなに足掻いても、奪っていく。それどころか、足掻く姿を見て楽しむために、奪っていく」

「ああ、神様ってのはそういう奴だ」


 忌々しげに吐き捨てる俺。


「でも何もしないでおくことはできない。そうだろう? わかっていても足掻くんだよ。神様だって、余所見している事だってあるかもしれない。いや、余所見している事の方が多そうだ。性格悪い奴は間抜けが多いからな」


 そう言って俺は乾いた笑みをこぼす。子供の悲しげな表情は変わらない。


「いつになったらお前は泣き止むんだ? いつまで俺の夢の中に出てくるんだ?」


 俺の問いに、子供が何か答えようとした所で、目が覚める。


***


 俺とほのかは安楽大将の森をぶらつきながら、一日中他愛の無い話をしていた。俺はなるべく皮肉を言わないよう心がけていたが、結構な割合でうっかり口にしていた。

 ほのかはズレていると思ったが、自身で主張するように、純粋だ。変な話だが、純粋だからこそ、世間一般の奴等と比べてズレているように感じる。


 ほのかの純粋さは、悪さえも全力で受け止める所にある。それは非常に危うい性質だが、ほのかは自分でもそれを自覚している。だからこそほのか自身も言っていた。純粋であることは善では無いと。

 昔付き合っていた女が――清瀬がまさにそうだった。純粋であるが故、簡単にどんな色にでも染まり、おかしな男に騙され、堕ちる所まで堕ちた。いや、純粋なうえに芯がモロかった。弱かった。


 しかし喋っていてわかったが、ほのかは違う。こいつは正反対だ。芯がしっかりしている。筋も通っているし、なるべく通そうとしている。年齢不相応に大人びている所まである。明らかに強い心の持ち主だ。

 おっさん、しっかりと教育したんだな。裏通りの住人に育てられて、こんなにまともに育つとは、これまた皮肉な話だ。

 とはいえ、娘も裏通りの住人になってしまったから、そういう意味ではまともではないが。


 夜。自宅に戻るのもどうかと思ったので、安いビジネスホテルに泊まった。もちろん同じ部屋。

 昼といい夜といい、襲撃の気配がまるで無い。四葉の烏バーとのドンパチが忙しくて、こっちまで手が回せないのか?

 小金井の狒々爺が、抗争の方のみに注力するという正常な判断を下したのであれば、俺が組織を離れて、こうしてほのかの護衛をしている意義は薄くなる。奴等の戦力を二つに割くための、囮としてのニュアンスもあるというのに。


 午前四時。俺はいつもの夢から目覚めて起き上がり、部屋を暗くしたまま、椅子に腰かけてビールをちびちびと飲んでいた。


「眠れないのですか?」

 ほのかが声をかけてくる。


「違う。今起きたところだ」

「私もです。遼二さんが起きている気配がして」

「目が冴えちまったな。また寝るか?」

「いえ、私も意識がはっきりしてしまいました。少しお喋りでもしますか?」


 ほのかが身を起こす。俺もほのかも非常時に備え、服を着たまま寝ていた。


「ダベるのにいちいち断りいれるっておかしいだろ」

 苦笑をこぼし、暇つぶしにとテレビをつける。


『だからですねー、世の中全て自己責任じゃないですか。いくら不幸って言ってもね、じゃあ頑張ってその不幸から抜け出しなさいよと。薄幸のメガロドンの伴大吉は結局、自分を大事にして前向きに生きようとはせずに――』


 討論番組で、脂ぎった馬鹿面晒した中年男がしたり顔で、そんなことをぬかしている。俺は全身の血が逆流するほど激しい怒りを覚えた。


 あの部屋にかつていたあいつ。ぼろぼろになって路地裏で倒れていたあいつ。あれは全て自己責任か?

 小学生の時、いじめを苦にして自殺したあいつも自己責任か?

 俺を育ててくれたあいつの抱いていた苦しみも、その後癌で早世したのも、自己責任で切って捨てて笑うだけか?


 テレビを消す。


「言葉が人を殺すこともある」


 ぽつりと呟く。もし、今テレビの中で喋っていた馬鹿面識者と、実際に会うことがあったとしたら、俺は躊躇無く殺してやる。それだけの罪をこいつは犯した。


「どうしました?」


 やり場の無い殺気を放っている俺に、ほのかが不審げに尋ねてくる。


「世界は何でこんなに理不尽なんだと考えちまった」


 昼間のほのかとの会話を思い出す。多分ほのかの方もそれを思い出しているだろう。いや……こいつの考えはかなりズレているから、わかんねえな。


「哀しいですよね。哀しいことがいっぱいですよね。理不尽をねじ伏せる力がある人はそれでよいかもしれませんが、その力も運も無い人も沢山います」

「力のある奴は、力の無い奴の気持ちがわからなくて、冷酷で残忍だ。そいつらを一人残らず殺してやれば、いい世の中になるとは思わないか?」

「いや、全然思いませんけど」


 即座に否定するほのかに、俺はカッとなる。


「世の中本当の意味で幸福な人間なんてごくごく一握り。そいつらは何で幸福なのかというと、不幸な人間の血をすすって幸福なだけ。しかも偉そうに『自分が不幸なのは自己責任』だとまで、血をすすった相手の前で笑ってのける。そんな奴等を殺して何が悪いんだ?」

「その人達を殺しても、同じような人達がまた現れると思いますよ?」


 ほのかの冷静な一言に、俺の怒りが急速に薄れていく。

 昼間のしょうもない会話の続きを、今またしているかのようだな。


「年下の餓鬼に諭されるとはね……」

「私、父が遼二さんのことを気に入ってる理由が、わかった気が――」


 言葉途中にほのかは表情を引き締め、立ち上がる。


「します」


 言葉の続きを短く告げ、部屋の窓を見やるほのか。おいおい……俺とほぼ同じタイミングで反応しやがった。腕が立つと初対面でも感じていたが、こいつに護衛なんて必要なのかね?


「虫の報せって奴かな。二人共同じタイミングで目が覚めたのは」


 第六感が働いても不思議ではない。お喋りしながらも、昼もずっと警戒していたし、寝る時も警戒しながら浅い眠りだった。警戒すればするほど、感覚の鋭さは増していた。敵が建物の近くに接近しただけでわかるほどに。


「神様の気まぐれな親切かもしれませんね。だしたら神に感謝ですね」

「神様ってのは最低最悪の屑だから、どんな気まぐれを起こしても感謝する必要はないぜ。俺は一度として感謝したことしないし、今後もしない。祈りもしない」


 窓の側に立ち、外の様子を見る俺。

 これは中途半端な腕の奴はやらない方が良い行為だ。襲撃者に察せられて、撃たれてお陀仏となる可能性も高い。俺はそんな間抜けではないから、警戒したうえで様子を探る。まあそもそも、撃たれて弾が当たったところで、死にやしない体だからな。


「四人か。離れた所に潜んでいるかもしれないが」


 視界内には見知った顔もあった。放たれ小象の武闘派幹部、立川一誠がいる。


「戦うなとは言わないが、一応は護衛対象だから、なるべく安全な場所から援護に徹しておけ」


 ほのかの気の強さを考えると、何もせず隠れていろと言っても、絶対聞かない気がしたので、こう言った俺だが……


「彼等の狙いが私であれば、私を殺すわけにはいかないのですから、私も戦列を共にする方がより優位になるというものです。それどころか私が前に出た方が有効でしょう。殺せない私が、殺しにかかってくるのですからね」


 うーん……思った以上に言うこと聞かない奴だった。


 守るべき対象ではあるが、戦力になるなら、共に戦わせた方がいいという理屈はわかる。手出しできないという条件も活かした方がいいだろう。本人もやる気満々だしな。しかし――


「今迫っている奴等が俺の手に余る手強い奴なら、その手は有効だろうさ。いや、そうするしかないだろう。その時は頼む。だが最初からそんな手を使うこともない。万が一ということもあるしな。お前がいない方が俺にとっても気楽なんだ。ここは聞き分けてくれ」

「わかりました。その代わり、危険と判断したら私の独断で、前に出て戦わせていただきます」


 断りを入れたうえではあるが、説得が通じてほのかが引き下がってくれたので、俺はほっとする。


「じゃあ、行こうか」

「はい」


 銃を抜き、俺が先に部屋を出た。

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