第十五章 7
「おー、見事な汚さですね。ザ・ずぼらと言ったところでしょうか。男性の一人暮らしってこんなものなのですか?」
室内の様子を見て、全く遠慮の無い感想を述べるほのか。ひょっとしてこの辺はおっさん似か?
「男の部屋。脱ぎ散らかされた靴下に問おう。君の相方はどこだい? 積み上げられた雑誌に問おう。下の子は何週間重みに耐えているんだい? ここはずぼらな王が治める、ずぼらの王国。どんよりとした男臭漂う王都、国民は諦観の中、所謂放置プレイ。整理と言う名の革命を求める声も、最早遠い。掃除という名の改革すらも、記憶の彼方」
な、何だ、こいつ……いきなりポエム始めたぞ。
「どうでしょうか? 遼二さん」
ほのかが俺の顔をじっと見つめ、真顔で問いかける。
「何がどうでしょうかなんだよ。つーか、掃除くらいしてるわ。片付けが捗らないだけで」
「今の詩の感想を尋ねました。遼二さんの口から、その程度の言葉しか出てこないという結果から導きだされる答えは、私もまだまだということですね」
一人で何やら納得している。やっぱり詩だったのか。
「変な女だ」
息を吐き、こちらも遠慮なく思ったまま言ってやる。顔はドストライクだが、中身は相当アレのようだ。
「私が少しズレているのは、自覚が有ります。遼二さんは普通の女性がお好みですか?」
小首をかしげ、真顔のまま尋ねてくる。
「それよりな、何でいきなり名前で馴れ馴れしく呼ぶかねえ。いくら変だろうがズレていようが、最低限の常識は学習しとこうぜ」
「父がいつも遼二さんのことを名で読んでいましたし、父が遼二さんの話題を挙げる時、私も遼二さんと呼んでいましたから」
「なっ――」
ほのかの口からついて出た衝撃の真実に、俺は固まった。あのおっさんは……
「おっさん、自分ン家で頻繁に俺のこと話してたのかよ……」
「はい。話を聞いてて、相当お気に入りなんだなーって思っていました。息子にしたいとも、よく言ってましたしね」
「……」
おっさんがそこまで俺のことを大事に思ってくれていたのは嬉しいし、照れるが、そんなことを知って、今後どんなツラして俺はおっさんと向き合えばいいんだ。どうしても意識しちまうだろ。
「で、ここに来た理由は、お前も把握しているわけだな?」
「はい。最も良い選択肢は、私が所属している組織に守っていただくことですが、私もまだまだ新参ですし、組織に迷惑をかけたくありません。また、放たれ小象の棟梁に私の身を差し出せば、不毛な争いにもピリオドが打たれ、小さな世界にしばしの間かりそめの平和が訪れることも、承知してはおりますが、それを踏まえたうえで私は、己の身を差し出したいとは思いませんし、父も私の気持ちを尊重し、守ってもらうようにと言われて、ここに参りました」
こいつは喋り方が微妙に変というか、所々独特な言い回しが混ざるおかげで、慣れるまで、会話が疲れそうな気がする。
そしてこいつは一つ勘違いしているな。ほのかは自分が小金井に差し出されれば、それで事が丸く収まると思っている。こいつは小金井がどんな奴なのか知らんのか? いや、そんなわけはないな。情報組織にいると言っていたし。
「それで争いがなくなり、死人がなくなるのでしたら、私が人身御供になるのもやぶさかではないと考えるのが、普通の親ですが。私の父親がそのようなろくでもない親ではなかったことは、とても誇らしく思います」
「それのどこが普通だ。アホか。自分の娘を差し出すとか」
「娘を政略結婚させるなんて話、フィクションでもノンフィクションでもありふれていますよ? でも父は私のことを考えて、それをはねつけてくれました」
「それこそが普通だ。それとな、小金井との和睦のための政略結婚にもなりえねーよ」
おっさんの性格考えれば、そんなことするはずがないしな。もしも組織のために自分の娘を差し出すなんて真似したら、俺は一気におっさんのこと嫌いになっちまうわ。
「私達はすでに普通ではない世界で生きていますし、私が承諾すれば、抗争は終わり、余計な死人も出なくなります。そういう面から見れば、父のしたことは必ずしも褒められたものではありません」
こいつ……餓鬼のくせして、何かやたら達観してやがるな。自分の父親つかまえてこの言い草。しかも助けてもらってこれかよ。気にいらねー。
「だからその認識は間違いだと言っておく。小金井って爺はな、すげー欲深いんだよ。女も欲しければ金と縄張りも欲しいって奴だ。それに――」
そこで軽く咳払いする俺。今から言うことは、ちょっと照れる。
「俺はおっさんを褒めてやりたいぞ。組織のために娘を敵対組織に譲り渡すような屑がボスだったら、俺はそんな奴の下にはいねーよ」
「遼二さん……」
唐突にほのかの表情が変化した。今まで真顔だったのが、口元をきゅっと引き締め、ただでさえ大きな目をさらに大きく見開いて身を乗り出し、俺のことをあからさまに尊敬する表情で見つめてくる。
「私は貴方のその一言で確信してしまいました。貴方は口が悪いですが、心は透き通るバイカル湖のように綺麗な方だと」
「摩周湖にしろよ。ていうかさあ、湖の名前で例えられても全然心に響かないぞ」
「うっ……」
俺の指摘に、ほのかは呻いて押し黙った。何か知らんが、今の一言がこいつには堪えたようだ。
「私は詩人。戦う詩人。詩は心。その心を否定されること、未熟と断じられること、それは私の心をとてもとても深く深くえぐりにえぐります」
十数秒くらい経ってから、心なしか恨みがましい視線で俺を見る。
「そりゃ実際未熟だし、お前の修行が足りないからだろ。言葉が十分に洗練されていないんだ。今までにその辺をちゃんと突っこんでくれる奴がいなかったのか?」
「うっ……」
俺の指摘に、ほのかは呻いてのけぞった。今度はかなり堪えたようで、露骨に表情が歪んでいる。
「自分一人で踊っていても、その踊りが人にどういう印象をもたれるか、わからない。歌も絵も詩も小説も全てそうだ。おっさんはその辺、甘やかしたのかな?」
「返す言葉がありません。しかし父を悪くは言わないでください」
「悪く言ったつもりはねーよ」
「いえ、私が良い気分ではないから悪いです。私の父どうこうまで触れるのは、余計です」
頑として退かないほのか。
「わかった。俺が悪かった」
相手が引かないんだから俺が折れるしかねーな。ていうか、確かに余計だった。そしてこいつは、ちゃんと父親のこと慕っているんだな。
「でも遼二さんが私と真面目に向かい合い、評価してくださったことはとても嬉しいですよ。詩そのものに無関心な人や、馬鹿にする人もいますから」
微笑をこぼしてフォローする。ここで初めてこいつの笑顔を見た気がする。可愛い笑顔だな。この汚い部屋の中で、ほのかだけが輝く存在のように見えた。
「世界はとても綺麗に輝いているけど、私にはその光が痛い。闇の中から見た光は眩しすぎる」
久しぶりに俺は思いだして、詩を吟ずるかのように、かつてこの部屋にいた女の言葉を口にした。
俺が口にした言葉に、ほのかは目を丸くしていた。
「遼二さん、今のは?」
「詩というのか? 俺が唯一覚えていて、忘れられない……詩……か?」
アパートの横の路地裏を意識しながら、俺は答える。
「しゃーないからかたすとしよう。女を泊めるには確かに汚すぎる」
大きく溜息をつき、部屋の整理をしだす俺。
「私、ここで貴方と一緒に暮らすのでしょうか?」
特に不安げでもなく、むしろあっけらかんとした面持ちで尋ねるほのか。
「暮らすってのは大袈裟だけど、護衛するなら寝る場所も同じ部屋の方がいいな。布団は二人分ある。高級ホテルがお望みなら、場所を変えよう。経費はおっさん持ちだがな。何だったらラブホテルにするか? 実の娘に手出していいとか、おっさんも言ってたしな」
意地悪い笑みを浮かべて俺が言う。
「遼二さんがそういう方ではないのは、父から話を聞いて承知済みですが、男女が同じ部屋に泊まるとなれば、そのような事態が起こるのも覚悟しなければならないということも、ちゃんと教わっています。また、父が見合いまで勧める人物でありますし、そのような事態になったとしても、予定が早まっただけという話で、私の中で折り合いをつけたいと存じます」
あれこれと理屈づけているが、ほのかは実際の所、確信しているだろう。俺が容易く欲情して女に手を出すような、そんな男ではないことも。
そしてほのかがそう思って油断していることにつけこんで、手を出せるような男でもないんだ、俺は。据え膳食わぬは男の恥と言うが、別にほのかは誘っているわけでもないしな。
それより気になったのは……だ。おっさん、娘にも見合いしろと言ってたのか……ったく……
「つーか、護衛するのに護衛対象とセックスとか、そこからして非常識だろ。やっている間に襲われたらどうするんだって話だ」
「なるほど、説得力ありますね」
有るか? 俺は無理矢理こじつけたんだけどな。照れ隠しに……
「私も片付けの手伝いをしてもよろしいですか? お世話になるのですから、それくらいはさせてくださいな」
「気持ちはありがたいが、どこに何をどうまとめればいいか、お前にわかるわけでもないだろ」
ほのかの申し出をやんわりと断る俺。
「ところで、布団が二人分あるということは――」
片付けている間にほのかが口にした言葉に、俺は苛立ちを覚える。
「そういう詮索をすると俺が喜ぶと、おっさんに教わったのか?」
「マグカップもお揃いで二人分ありますね? 気に障ったら謝ります。このあふれ出る興味と好奇心が、ついつい私の舌を不必要に稼動させてしまった模様です」
謝ると言いつつ、全然悪びれてないな。
「無闇に触れて欲しくない領域というのが、誰にでもある。それはわきまえてくれ。な?」
「ごめんなさい」
真剣な口調で訴える俺に、ほのかも頭を深く下げ、真剣に謝った。
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