第十五章 3
その日の夕方。開店直後の『タスマニアデビル』に、俺とおっさんと日野は赴いた。
カンドービルの中にある広いバーで、裏通りの住人達が訪れる憩いの場。『中枢』より中立指定されたカンドービル内部にあるため、ここでの争いは御法度だ。平和的に交渉するにはもってこいの場と言える。
ちなみに俺はこの店に来たことがほとんどない。正直、あまり好みではない場所だ。さらに言えば、俺が訪れるには問題もある。
うちに和平を求めて呼び出した、放たれ小象の連中は、まだ到着していないようだった。それだけでも、なめくさった態度であると、俺もおっさんも受け取った。
六人以上座れるボックス席にて待つこと二十分程。放たれ小象の糞っ垂れの面々が姿を現した。
そのうち俺がわかるのは二人だ。一人は六十から七十くらいの歳の、ぶよぶよに太った禿頭の不細工な爺。顔にもたっぷりと脂肪がついていて、しかもたるみまくっている。細い目が凄まじくいやらしい印象。そのうえ赤ら顔と、見るからに狒々爺全開な、何から何まで印象最悪の容姿。こいつが放たれ小象のボスの、小金井龍魔だ。
もう一人は、三十代半ばくらいと思われる、これまた不細工な男で、しかも人相が非常に悪く、ギョロギョロと周囲をねぶるように見る目つきと、ひん曲がった口元は、常に誰かを恫喝しながら歩いているかのような奴だ。凶顔で悪相と言ったところか。武闘派幹部の立川一誠だ。
どちらも顔が変形しまくるほど殴ってやりたい面をしていやがる。神様の失敗作って所だな。人の出来損ないとでもいうか。
しかしこの小金井という男は、何十年と裏通りで生きてきただけあって、確かな風格を感じる。いや、それだけではない。見た目はブヨブヨの脂肪の塊ではあるが、相当腕が立つとみた。
最後の一人は知らん。きっと三下だろう。小金井や立川に比べ、オーラも無い。
「これはこれは、早く来たつもりでしたが、待たせてしまったかな? いやはや申し訳ない」
両手を広げ、気色悪い笑みを浮かべ、芝居がかった口調で社交辞令を口にする小金井。
「おい、豚が喋ったぞ。ていうか、この店っていつから豚の入店を許可するようになったんだ?」
挨拶に応じず、そんなことを口走るおっさん。言うねえ、おっさん。小金井は顔色を変えていないが、立川と三下は目に見えて怒りをあらわにしている。
「ふふふ、言ってくれますな。ここが中立指定区域でなければ、今頃抗争だ」
余裕ぶった態度で言いながら、おっさんの向かいの席に腰を下ろす小金井。立川もその隣に座るが、三下は立ったままだ。
「出来もしないこと口にすんなよ。みっともねー。ここが中立指定されていない場所なら、てめーらは即座に物言わぬ肉塊だ。俺達にはそうすることができるんだぜ?」
さらにおっさんが挑発し、グラスを呷る。
「いい加減争いは終わらせようや」
小金井は敬語を使うのをやめた。少しくらいカチンときたのか? しかし見苦しい笑顔はそのままだ。
「おお、いつでも終わらせてやるぜ。うちらが決めた縄張りからさっさと出ていけばな」
「あ? 欲張りすぎだろうが。実入りのいい絶好町の、半分近くも縄張りを主張するとはよ」
にべもないおっさんの物言いに、小金井の顔から笑みが消え、口調もがらりと変わった。
「旧態依然としたヤクザの生き残りらしい論法だ。いや、生き残りなんて言い方は失礼だな。くたばりぞこないと言った方がいいか?」
あくまで煽っていくスタイルのおっさん。
「褥通りは元々肉殻貝塚とうちら四つ葉の烏バー、それに小さな組織が幾つか、争い無くやっていた場所だ。自分らの力でどうにもできず、大金はたいて殺し屋雇って肉殻貝塚を落として、そしてうちらの取り決めを無視して縄張り主張ってのは、ムシがよすぎるぞ」
その大金はたいて雇った殺し屋というのは、少し間違った言い方だ。こいつらは『掃き溜めバカンス』という名の、殺しを専門とする組織を雇ったのだ。
「古今東西どこだって、負けた奴の陣地は勝った者がいただくだろうが。縄張り主張にムシがいいもクソもない」
小金井が言ったが、おっさんは軽く笑い飛ばす。
「聞いてなかったか? 耳と脳、どっちが腐ってるんだ? 肉殻貝塚はうちらとは争いなくやってたんだ。あいつらの縄張りでうちらの売人が混じっても、逆にあいつらの売人がうちらの縄張りに出張ってきても、気にしないくらいの間柄だった。隣接している地域だからな。今だって他の組織と、そうやって譲り合っている。だが、お前らはすげー気になって仕方ないな。ウザくてしょーがねえ。実際、うちらの売人に先に手を出したのはお前らの方だろう」
おっさんの声音に、若干だが怒気がこもった。おっさんは下っ端だろうが新人だろうが、組織の者を大事にするし、手を出された場合は絶対に許さない。そういう気性の持ち主である。
「それも含めて、手打ちをしたいんだ。これ以上血を流してどうする」
「ほほう、流石はヤクザの生き残り。いや、くたばりぞこない。そうやって逃げ回って生き延びたわけか」
せせら笑うおっさんに、小金井の顔が初めて怒りに歪む。だがそれ以上に怒りをあらわにした者がいた。
「てめえ……調子こきやがって」
立川が殺気を帯びて立ち上がる。それを察し、他の客にも緊張が走るのが俺にもわかった。店員達も俺等の席に注目している。
「ここでやってもいいぞぉ? 中枢からのお咎めも覚悟でな?」
「ぐっ……」
おっさんが立川に冷ややかな視線を浴びせて言い放つと、立川は悔しそうに呻き、怒りを納めて腰を下ろした。
「稲城の? 本当は俺があんたの娘にアプローチしたから、それでお冠なんじゃないのかい?」
は……?
小金井が再びいやらしい笑みを浮かべ、口にしたその言葉に、俺は呆気に取られる。
「もちろんそれもある。いい歳こいてロリコンとはね」
吐き捨てるように言うおっさん。
「もうあんたの娘は十七歳だろ。ロリコンとは言わん。そして恋に歳は関係無い」
十七だったのかよ……。なのに俺と見合いさせようとしていたのか? どーかしてるぞ、おっさん。
「ふざけろ。どこの親が、六十過ぎた醜い狒々爺に、大切な娘を差し出すってんだ。妄想は二次元だけにしとけ」
言い返すおっさんだが、裏通りの組織の構成員と見合いさせる親もいねーよと、突っ込みたい。
「親の許可など必要は無い。本人同士が恋仲であるのに、親が引き裂くなどそれこそ醜いわ」
何だか話がおかしなことになってるぞ。ていうか、まるっきり初耳な話題だ。ようするにおっさんの娘に、敵対している小金井の爺がホの字ってわけか? しかもこの年齢差で……
小金井が女と見れば節操の無い絶倫爺で、見境無いという話は有名だ。女子高校生、人妻、高級売春婦、OL、小学生、AV女優、女とあれば何でも食う。実の娘が赤ん坊の時にもヤッたと自分で豪語しているほどだ。アブノーマルな嗜好も数々持ち合わせており、ハードSM、薬、露出プレイ、スカトロ、強姦、何でもござれ。
安楽市では放たれ小象という組織よりも、小金井の女喰いの方がずっと悪名高い。オイタが過ぎて、売春組織である『アストラルワイフ』からは、出入り禁止どころか、殺し屋まで放たれたという噂までもある。
おそらくは、おっさんの娘に惚れたのではなく、気に入った女だから食ってみたいという、それだけなんだろう。
たとえ敵のボスの娘であろうと執着する節操の無さと、それを直に敵のボスに伝えるナメくさった態度。おっさんからすればそりゃ殺したくてうずうずしてる事だろうな。さっきから敵意剥き出しな理由もわかった。
「何が恋仲だ。ほのかは――うちの娘は、はっきりとお前に不快感を示していたぞ。当たり前だけどな。今度うちの娘に近づいてみろ。お前の体中の脂肪を切り取って、そいつを燃料にしてお前の内蔵を丸焼きにして、お前の組織の下っ端に食わせてやる」
おっさんが珍しく怖い顔で凄む。ていうか、おっさんが怒ったところなんて、俺はほとんど見たことが無い。
「交渉決裂か。後悔することになるぞ」
小金井が立ち上がる。立川もそれにあわせて立ち上がる。
「みっともない捨て台詞はいらねーから、とっとと消え失せろ。あとな、お前とお前、あまり外を出歩くな。お前等の見苦しい顔はそれだけで公害だ。人の視界に入れば、確実に不快感催すからよ」
小金井と立川を指差して、おっさんは言った。小金井達はそれ以上何も言わず、店を出て行った。
「なあ、おっさん……。今の話は……」
「奴が言ってた通りだよ。目的は縄張りだけじゃねーんだ。うちの娘を気に入ったらしくてよ。おぞましいったらありゃしねー。だから遼二、お前がうちの娘とさっさと見合いをだな……」
「いや、その話はもういいから」
正直もう、女はいいんだ……。もう女とは……
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