第十四章 26

「ただいま!」


 日が暮れて、事務所に戻るなり、美香は大声で呼びかける。


(自宅を飛び出て三年以上になるが、この言葉をまた使う時が来るとはな!)

 それがおかしくもあり、嬉しくもある美香である。


「おかえリなサイ。オリジナルミカ様」


 自分と同じ顔をした――しかし表情の作り方はかなり異なる少女が、笑顔で出迎える。


「発音がおかしいのはどういうことだ!? 言葉もまともに教えてもらえなかったのか!?」

「ご、ごめンなサイ」

「責めているのではない! そもそも君が悪いわけでもない! ただ理由を聞いている!」

「舌に障害があルみたイデス。クローンの四人に一人くラいは、障害があってウマレルみたいデス」

「そうか! よく言ってくれた! 今度純子に治してもらおう! 保護したクローン達もそれぞれチェックして、何か障害が出ている子は全て純子に治してもらおう!」


 後日、美香は今口にした言葉を有言実行し、純子はその作業に忙殺されることになる。


「その発音では一緒に歌うのも厳しいしな!」

「夢みたイです。テレビの中で見たオリジナルミカ様と、一緒に歌エルなんて」


 うっとりとした表情で、熱っぽい視線を美香に注ぐ十三号。


「私はタダの劣化コピーで、御主人様ヲ満足させルためダケの存在だと、何度も言わレていましたし、私達皆そう思って諦めテいました。寿命も短イし、人にはなれないヒトモドキだと言わレてました。なノに、オリジナルミカ様が私達モ人間になっていいと言ってクダさったのが、まだ信じらレナイです。本当に私達、普通の人間になレルのデスか?」

「なれる! 大丈夫だ! 純子にやらせる!」


 不安げに尋ねる十三号に、美香は力強い口調で断言する。


「私、本当にオリジナル美香様とズット一緒ですか?」


 不安げな表情が変わらず、さらに確認を取る十三号。


「言ったろう! お前の面倒は私がみる! それとも不服か!? 私といるのは嫌か!? ありがた迷惑か!?」

「フフクって何デスか? ありがたいの迷惑って何デスか?」

「言葉もいろいろ学んでいかないと駄目だな! 私がいないうちに、国語の勉強をしておくように! わからないことがあったら、純子に電話して聞け!」

「はいっ、頑張りマすっ」


 調教施設とやらでは、本当に最低限の学習しかしてもらってないようだと、美香は察する。


 十三号に限った話ではなく、他のクローンの知識も似たり寄ったりなのであろう。そして他のクローン達の今後を憂いてしまう。

 自分のクローンだけ特別に気にかけて引き取った美香だが、他の子達は警察に一時的に引き取られ、今後はどうなるのだろうとも考える。流石に全てのクローンを美香一人で面倒をみるのは不可能だ。


「ああ、頑張れ! いろいろ大変かもしれないが、これから君が生きるために必要なことだ! 私に頼りっぱなしでは駄目だ! 共にライブで歌うためには幾つもの試練を乗り越えねば! しかし君は私の分身だから、絶対にできる!」

「叫ぶよウに喋るのも頑張りマスっ。前の御主人様の元では、中々ウマクできなくて、怒られてばかりデシたが、ちゃんとデキルように頑張りマス!」

「それは頑張らなくていい! むしろ真似するな! 頑張るな!」


 二人して叫んでいる様を想像し、美香はげんなりした。美香とて好きでこの喋り方をしているわけではない。


***


 美香が己の事務所に帰宅したのと丁度同じ頃、香も自宅へと戻った。


「義久と会ってきた。お前が生きている事も話してきた」

「はあ?」


 下着姿でソファーに寝転がっていた吹雪が、上体を起こして不機嫌そうな声を上げ、香を睨む。


「あたし、そんなことしろって言ったっけ? 何でそんな余計なことしてくれちゃったの?」

「バラしていいと言ったのはお前だろう」


 責める口調の吹雪に対し、香は悪びれることなく言い返す。


「バラしていいと言ったけど、会えと指示した覚えはないんだけど?」

「どれほどの違いがあるというんだ?」

「あたしがこのタイミングでバラせと、はっきり指示したわけじゃねーだろ。それに従わずに独断でバラすのはルール違反だよ」

「もういいだろう。ここまで接近したんだから。いずれはきっと辿りつく。それを早めただけだ」


 香のその台詞に、吹雪は黙った。不服ではあったが、やってしまったものをそれ以上責めても仕方がないとした。


「賭けの結果云々や、ルールどうこう以前に、吹雪も義久と会うのを望んでいるのだろう?」

「段取りを無視すんなよ。あたしにはあたしの考えがあったのにさ」


 もっとも吹雪のその考えとやらも、吹雪にとって絶対に実行したかったレベルのものではない。演出上盛り上げたいと思っていた程度の代物なので、邪魔されたからといって、香を真剣に非難するほどでもない。


「真実を知った兄貴の顔を拝みたかったのにさ。実は生きてましたの衝撃と感動の再会のつもりが、台無しだよ」

「まだ知られざる真実はあるから、問題無いだろう」

「一番肝心な所バラしたから問題だっての。しかしまあ……いよいよって感じで楽しみだね。兄貴は相変わらず純粋な感じだったろ?」

「ああ、あいつが変わるわけがないさ。変わらなかったからこそ、十年近くずっと追い続け、とうとう裏通りにまで踏み込んできたんだ。俺達が撒いた餌を辿ってな」

「回りくどいことしやがってーとか、怒るかなあ」


 けらけらと笑う吹雪。


「兄貴と久しぶりに会ってどうだった? コンプレックスがウズウズうずきまくった?」


 吹雪のその言葉が、小さな刺となって香の心に深く突き刺さる。


「オリジナルのあたしも気付いてたよ。兄貴の正義感の強さと純粋真っ直ぐさは、香にはすげえ眩しかったし、羨ましかったんだろ? いや、それだけじゃない。香は何もかも兄貴に劣るとして、劣等感と憧れを持っていて、兄貴を越える方法が何かと考えた結果が、裏通りに堕ちることだったわけだ」


 香に顔を寄せ、いやらしい笑みを満面に広げて、嫌味たっぷりに語る吹雪。


「情けないねえ、全くよー。そんなことで兄貴を越えたつもりになって、安心してやがるなんて。そんな情けないあんたに、あたし達が惚れるわけがない。少なくともオリジナルのあたしは、香と一緒にいるなんて選択はしなかったろうよ。あたしがあんたとずっといてやったのは、お情けだ。あんただってその目的であたしを造ったんだし、あたしはニーズに答えてやったの。それくらい理解してわきまえてるよね?」

「ああ……」


 暗い面持ちで香は頷く。


「あたしもそんなあんたに付き合ってやったんだ。感謝してほしいね。兄貴を越えられたかどうかはともかくとして、分不相応な権力と財を得た。幸せだろう? え?」

「どうでもいい。俺はそんことより、吹雪と一緒にいたかった。できれば仲良く……」

「キャハハハハっ! 笑わせんなっ! ばーか! 身の程を知れ!」


 消え入りそうな香の声を――紛れもない香の本心からの告白を、吹雪は無残にも笑い飛ばした。心の底から嘲笑を浴びせた。


 香は自分の頭の中に、氷の塊をブチこまれたような気分になっていた。頭の中の氷の霊気は全身へと駆け巡り、特に指先に留まって冷気を集中させているように感じられた。泣きたいけど、冷気が強すぎて涙も出ない。体が動かないのはもちろんのこと、表情も凍り付いて固まってしまった。

 こんなやりとりが十年以上も続いていた。愛する者と共にいながら、相手はそれを知りつつ、自分を弄び、嘲り、蔑み続ける。決して自分を受け入れてはくれない。吹雪も香の気持ちを知っているからこそ、香の前で犬と交合うような真似をして、香の心を切り刻んで喜ぶ。しかしそれでも香は吹雪とは離れられない。


「で、兄貴はもうすぐここに来るの?」


 吹雪に尋ねられ、香の魂の凍結は解除された。


「その前に井土ヶ谷の所へ行くよう促した。あいつの性格だ。途中でやりだしたことを放り出すような真似をしないし、奴の追っているクローンスレイブ事業の責任者と出会えば、何か大きな進展があるだろう。うまくいけば、井土ヶ谷に引導を渡してくれるかもしれない」

「あんた、井土ヶ谷のことがそんなに妬ましい?」


 間近で意地悪い笑みを浮かべてみせる吹雪に、香は視線を逸らす。


(ああ、妬ましい奴だとも。あいつは私が欲して手に入れられないものを手に入れているからな。偶然とはいえ、とんだ皮肉だ)


 口には出さず、香は吹雪の忌々しい指摘を認めた。

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