第十一章 31

 純子は気が付いていた。自分に向けてずっと放たれ続けている殺意を。

 何者かが自分の殺害を企んでいる。気が遠くなるほど長い年月を生き、その間幾度となく命を狙われ、その全てを退けてきた純子は、たとえ殺意を抱いた相手がどこにいようと、察知できるようになってしまった。


 しかし違和感がある。この殺意はひどく幼く、純粋な気がした。今まで自分に殺意を向けてきて、本気で殺しにかかってきた者の多くとは根本的に異なる。

 そしてその殺意は延々と持続しており、一時たりとも休まる事が無い。殺気が延々と垂れ流されている状態だ。


 物理的距離を超越して精神世界より殺意を察知している純子だが、研究所に帰還して、電磁波という形で物理的にも、殺気を感じ取る事ができた。殺意の主は研究所内にいる。


(累君はどうしたのかなあ。部屋に引きこもっていたら、ただの侵入者なら気づかないだろうけど、こんなに殺気むんむんなら、研究所内ならわかりそうなもんだけどなあ)


 壊されたドアをくぐりながら、純子は怪訝に思う。


 すでに敵がどの部屋にいるかもわかる。殺気や殺意を完全に消すなど困難であるし、完全に殺気無しで殺しにかかってきた者など、純子は今まで見たことがないが、それにしても抑える努力はするものだ。

 だがこの殺気の主には、それが全く見受けられない。それが不思議であり、興味をそそられた。


(さーてと、どなたさんかなー)


 微笑みさえ浮かべ、純子はわくわくしながら殺気の主がいる扉を開く。

 純子の笑みは、部屋の中にいた者の姿を目の当たりにして凍りついた。わくわく気分も一瞬でどこかへと吹っ飛んだ。


「真……君?」


 扉の真向かいにて、椅子に座り、扉に向かって銃を両手で構えていた真を見て、純子は呆然とする。


「動くな」


 鬼気迫る顔で純子を睨みつけ、冷たい声を発する真。当然だが純子は真のこんな表情を見るのも、こんな声を聞くのも初めてだった。


「全部知ったよ。僕を騙して、僕にこんな目をあわせて……。お前が……こんな奴だったなんてな……」


 真の口から出た言葉の意味は――自分の正体がばれたことはわかるが、他の言葉の意味がわからない。何か誤解しているようであり、その誤解の理由が、純子には見当もつかない。


「私が何を……」


 言葉は途中に銃声で遮られた。頭部を狙って撃った銃弾が、通路の壁を穿つ。純子はかわそうとすらしなかった。外れるのはわかっていたからだ。


「僕をずっと騙していた……。弄んで……ただの研究素材だった。そのうえ僕の大事な人間を全て奪って……」


 真のその台詞を耳にして、純子はからくりを看破した。


(そういうことかー。こんなことをするのは、彼女しかいないね)


 その彼女の存在自体を長年失念していたが故に、完全に無警戒で、ちょっかいを出してくるとすら思わず、結果、最悪の事態を招いた。

 純子は胸を痛めた。完全に自分の失敗だ。そのせいで真を傷つけてしまった。


(誤解を解く? でも……誤解だろうと、私のせいでこの子を傷つけたのは変わりないよね。それにこれは、ある意味好都合かもしれないかなあ。もうこの子は傷ついたし、その傷を癒すためには……)


 純子の頭の中で目まぐるしく計算が働く。


(こっちの世界に引きずり込む良いきっかけになったと、喜ぶべきなのかな。私は……ずっと躊躇っていたし、そこまで踏み切れなかったけれど、こうなったからには、今踏み切る事が、一番いい選択かな)


 そう決意して、純子は真の方にゆっくりと近づいていく。


 真は無言で銃を撃つ。純子は上体を軽くひねっただけでそれをかわしつつ、黙って近づいていく。それを見て一瞬真は臆したが、すぐに殺気を取り直して、三発目と四発目を立て続けに撃つ。


 真の銃は、真が撃った銃弾によって弾かれていた。純子は己と真の頭上の二か所に空間の扉を開き、自分に向かって撃たれた銃弾を真の持つ銃に当たるよう誘導したのだが、真には何が起こったのか全くわからない。


「話を聞いてよ。お願い」


 銃を弾き飛ばされて、痺れた手を押さえて睨みつける真に、純子は穏やかな笑みと共に優しい声音で声をかける。


 真は聞く耳持たず、ズボンの両ポケットに仕込んだナイフを同時に抜き、両手にそれぞれナイフを一振り握り、純子に飛びかかった。


 純子の喉元めがけて右手のナイフを繰り出す。かわされることも予期し、すぐに左手のナイフで刺しにいく心構えも出来ている。純子がここに来るまでの間、散々脳内でシミュレーションは行った。

 初撃は予想していたが、あっさりとかわされた。だがかわした後のパターンを幾つか頭の中に思い浮かべ、相手の動きにあわせて左手のナイフを振るう。


「んー、筋がいいねえ。これは将来有望だし、磨き甲斐もあるよー」


 左手のナイフは純子の右手にキャッチされていた。刃の部分を素手で。しかし血は一滴も出ていない。それどころか、真は左手が持つナイフの重さと感触が変化した事に気が付く。

 見ると、純子の手の中でナイフがぼろぼろと崩れ、塵となり、粉となり、霧となり、やがて刃は跡形もなく消失してしまった。


 その時、真の本能は理解した。何時間ものシミュレーションも、全てを失った自分のケジメのための復讐の強い覚悟も、全く無意味、全く通らない、歴然とした力の差を。


(駄目だ……。僕には……こいつを殺すのは無理……絶対に無理だ……)


 その事実を受け入れて絶望し、真の体から急速に力が抜け、右手に握っていたナイフを落とし、うなだれる。


(殺すのは無理だ……。でも……)


 心が折れるそのギリギリの所で踏み止まり、気力を奮い起こして顔を上げ、純子を睨みつける真。


(僕のせいで、こいつに殺された奴等の無念はどうなるんだ。僕が諦めたら、それで終わってしまう。かなわなくても、せめて一矢報いてやる。やれるだけやってやる)


 拳を握りしめる真。最後に残った、単純な肉体の暴力。それが通じるとも思えないし、そんなことをしても自己満足にしかならないとわかっているが、何もしないよりはましだと自分に言い聞かせる。


(んー……こりゃ一発か二発……いや、好きなだけ殴らせて、それで気分落着けさせた方がいいかなあ)


 真が自分に殴りかかろうとしていると見なして、純子はそう判断した。

 直後、真は純子の体を押し倒した。


「え?」

 予想外の行動に、純子は目をぱちくりさせる。


「体が駄目なら心を殺してみる。僕は異常性欲者らしいし、今でも準備は万端だからな。こんな状況でもおっ勃つぐらいに」


 純子に覆いかぶさる格好で、自分にしかわからない言葉を口にする真。かつて礼子が言っていた言葉を思い出していた。犯されて、心を殺されたと。


「ええっと~……」


 真のやろうとしている事と自分の置かれた状況を理解し、いつも冷静で滅多に動揺などしない純子が、自分でも驚くくらいかつてないほど混乱し、引きつった笑みを浮かべていた。

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