第十一章 25

 まどろみの中、様々な映像が高速で浮かんでは消えていく。中には見たこともないような場所や人の顔があり、それを見たことは無いはずなのに、真は知っていた。


「……と夢の中で会うのはおかしなことではありません。誰でもあります。そして意味無く会うわけでもありません。そもそもこの世に無意味なことなど何一つありませんけどね」


 生えたままの木をそのまま削りとって作ったテーブルを挟んで座った男が、穏やかな口調で託宣のように告げた言葉。真はそれを何度も聞いた気がした。


 つばの広い灰色の帽子を被り、ゆったりとした灰色のローブをまとった、見るからに魔法使いといった格好をした長い金髪の男。夢の中では見慣れた人物だ。


「私が視た運命は可能性の一つ。私以上に仕組みを理解した者と巡りあう前に、貴方が果ててしまう可能性とてある。もちろん私はそれを望みませぬし、頑張ってこの試練を乗り越えてほしいものです。あの子のためにも。そして私のためにも」

「その先で、お前が僕に成り代わるつもりなのか?」


 男を見据えて真が問う。男は二重の意味で驚いていた。思ってもみなかったことを言われた事にまず驚き、真のその台詞が、事の本質を理解していなければ出てこない台詞であったという事に驚いた。

 男のルビーのような赤い瞳と、真の黒曜石のような瞳が、互いを見つめ合う。気持ち悪いことに、互いにこう思った。綺麗な瞳だと。相手も同じことを同時に思ったことが真にも伝わり、余計に気色悪かった。


「まさか。貴方の人生は貴方のものですよ。でも、私の願望とかつての意志を伝えることくらいのことをしても、構わないでしょう?」


 男の言葉に嘘は感じなかったが、気にくわなかった。嘘はついていないが、腹に一物あることを見抜いていたからだ。紳士的であるし、人を和ませる雰囲気をまとっていたが、同時に胡散臭い。

 これが前世の自分であるという事は理解していたが、だからこそ余計に気にくわない。そして今思い出したが、この男はこれまでにも相当何度も自分の夢の中に現れては、ちょっかいを出してきている。


「私はせいぜい言葉をかけるだけですよ。他の二人は言葉だけではなく、霊的にも精神的にも物理的にも干渉しますよ? まあ、それとて珍しい話ではありません。無意識下で誰の身にも起こっている事です。守護霊が人知れぬ領域で人を導いて守るかのように、前世の残滓も人の心には残り、時としてわずかながら干渉する。もちろん気づく人はほとんどいない。気づいたとしても、すぐ忘れてしまう。ま、我々の干渉は度を過ぎている感もありますが」

「この会話も忘れてしまうのに、無意味なことではないってのか?」


 意地悪く問う真に、男は悠然と微笑む。


「ええ。全ての記憶は忘却するのではなく、忘却領域へと飛ばされるだけのことです。引き出しの置くにしまわれていると言ってもよいでしょう。さらに言うなら、起こった事実の記録と記憶を消す事は不可能です」

「そういうことを聞いたんじゃないけどな」


 真はため息をついた。そろそろ意識が戻るのがわかる。そして突然理解した。自分の心が大分楽になっているのを。


「あんたと話したせいか?」

「一応そういう意図もありました。夢には抑圧の緩和のためという効果もありますから」


 男の顔に優しい笑みが広がる。彼の真紅の双眸が何を意味するかさえ、今の真は知っている。目が覚めたら全て忘れてしまうことを残念に思う。


***


 いろいろありすぎて疲れがピークに達していた真は、眠りにつく前の最後の方の記憶があやふやになっていた。どこで眠ったかすらも覚えていない。

 ただ、寝て起きてからは、自分でも奇妙に思うほど、気持ちが落ち着いていた。親友二人と母親を失い、自分の命も狙われている状況であるというにも関わらず、昨日ほどの悲壮感も混乱も無い。

 あれだけのことがあったのに、たった一度寝ただけでこんなに変わるものなのだろうかと思う。


「起きたか」


 真の寝ていたベッドに腰かけていた由美が、小さく微笑む。自分が寝ていたのがダブルベッドであったのを知ったが、あえて突っ込まなかった。


「僕、どうなったんだ?」

「道の真ん中で倒れたから、運んで寝かした。随分と寝ていたぞ。もう夕方だ」


 由美の言葉を聞いて真は小さく息を吐く。その間に計一が襲ってきたらアウトだったかもしれない。相手はどういうわけか自分の居場所がわかるようであるし。


「梅宮も寝ていたのかな。とりあえず場所を移して迎え討つ準備にかからないと」

「その前にな……」


 起き上がろうとした真の真上に、由美が覆いかぶさった。化粧っ気のない由美の顔が間近に迫り、真はぎょっとする。


「気つけに、しよう」


 言葉の意味はもちろん理解できる。心地好い体臭が鼻孔をくすぐり、柔らかい感触が真にのしかかり、真は男性として正常な肉体反応をしつつも、同時に悪寒を感じて首筋の体毛が逆立っているのが自分でもはっきりわかった。


 由美が自分に気があるような素振りを見せていたのは、これまでも何度かあり、その度に真は拒否反応を起こしていた。

 その理由は真にもわからない。由美が好みではないとか、そんなこともない。むしろ人間的には好感が持てる。異性としても悪くはない。だが何か理屈を超越した部分で苦手と感じ、拒んでいる。


「何やってんだよ」


 由美の体を押しのけようとしたが、力が出せないように肩を抑えられていて、それもかなわない。文字通り足掻こうとした矢先、由美の唇が真の唇を強引に塞ぐ。


「彼女に悪いから駄目か? 別にばれなければよくないか? 皆やってることだ」


 キスの後で由美の口から発せられた言葉に、真は不快感をもよおす。


「そういう問題じゃあない」

「ならどういう問題なのかね?」

「知られなくても、裏切っているのと同じだ。バレなければ何をやってもいいってわけじゃあないだろ」

「そうだな。お前の言う通りだ。だが私はお前のそんな所にとても好感を抱く」


 再び無理矢理唇を奪う由美。真は顔を背けて拒絶するようなことはしなかった。精神的な拒否反応は未だあるものの、少しずつ薄れていっている。それよりも性欲の方が強い。

 命の危険に何度もさらされ、殺人後の異常性癖を自覚し、さらには長時間射精していなかったせいで、性欲自体は漲っている状態だ。


「私がお前のせいで死ぬかもしれないのなら、その前に想いを遂げさせろ」


 真を見つめ、真剣な口調で由美が訴える。


「私も菊池みたいに、片想いのまま死ぬことになるのか? それも、お前のせいで」


 その言葉で、真の心はあっけなく折れた。真にしてみればトラウマとも言える部分を突いた。


***


 それからはほぼ由美に成すがままに任せ、真はほとんど何もしなかった。

 由美の裸体を目の当たりにしても、何のときめきも覚えなかった。真の好みではない。エロの嗜好に真はかなりうるさい。


 初めての経験に、感動も無かった。それどころか純子に対する後ろめたさが何度もこみあげてきて、泣きそうにすらなる。だが体だけが素直に反応している。

 正直言って、思ったより気持ちのいいものでもない。それどころかこんなものかと拍子抜けしていた。自慰の方が余程刺激が強い。そのせいで随分と時間がかかってしまった。自分の手の方が、快楽のポイントを心得ているせいだろうと、冷静に分析する。


 精神的に何も満たされない行為が終わった後、真はしばらくぼーっとしていた。


「これで裏切り者になったが、どんな気分だ? バレなければいいって問題じゃあないのなら、どんな形にせよ、これも許されることじゃあないな?」


 冷めきった状態にある真の耳元で、由美がそんなことを囁いている。冗談のつもりであるのはわかるが、今の真には悪魔が嘲っているようにしか聞こえない。


 その後しばらく、一言として言葉を発せず虚空を見上げていた真。途轍もないけだるさに包まれ、罪悪感にちくちくと心を刺激され、心の整理がつかないまま、時間だけが流れていく。


「梅宮は私の前でも、自分が得た力を振るってみせたが、あれは何だかわかるか? 私は心当たりがあるんだがな」


 何も話さず、動こうともしない真に業を煮やしたのか、今ある問題の方に話を振る由美。


「心当たりというか、あくまで噂だがな。裏通りのマッドサイエンティストの実験台になる代償として、常人離れした身体能力や超常の力を手に入れられるという噂は知っているか?」


 その話は宗徳からも聞いた。確か宗徳は由美から聞いたと言っていた。


「雪岡研究所だったっけか? 名前と概要だけは昨日宗徳に聞いた」


 今この場でその名を口にする事に背徳感はあったが、由美がより詳しく知っているのなら、聞きだしたいとも思った。純子とは無関係だと思いたくて、確認を取りたいという気持ちがあった。


「雪岡純子という名のマッドサイエンティストがいてな。裏通りでも悪名高い人物だ。単に体を改造するだけではなく、実験台となった人間を騙して弄び、破滅させて楽しむという話もあるほどだ。見た目も特徴的でな、赤い目をしていて、いつも白衣をまとっている。安楽市内ではよく見かけられるそうだ」

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