第十章 10

「正義の味方さ」

 丸眼鏡関西人の声を意識して、彼――芦屋黒斗は不敵な笑みを浮かべて答えた。


「オカマかい!」

 丸眼鏡関西人が突っ込み気味に叫ぶ。


「芦屋……嫌なタイミングで現れやがって。マジ糞ゲー」


 忌々しげに天敵の名を口にすると、陸は真と美香がいるステージの方めがけて走り出した。


「今度こそ逃がさん」


 日本警察のリーサルウェポンと呼ばれ、裏通りにおいて最大級の畏怖の念を抱かれている男――芦屋黒斗は、決意を込めて静かに呟き、大きく上体を倒してかがむ。

 スーツの背中の部分に切れ目が入り、内側からロケットエンジンの噴射口が現れ、点火した。

 凄まじい勢いで黒斗の体が飛来し、ステージへと飛び込んできた。陸を追い越し、陸が向かっている方向とは微妙に異なる場所――真のいる場所へと突っ込む。

 当然、真はかわす。黒斗はそのまま床に激突した。


「何をやっているんだ!」


 思わず美香が黒斗に向かって叫ぶ。一方で陸はステージに上がると、三人に目もくれずにステージの裏へと向かう。


 逃げる陸めがけて美香と真が背後から二発ずつ撃つが、あっさりとかわす。


「逃がさんと言ったろう?」


 起き上がった黒斗が、逃げる陸の背めがけて右手をかざした。

 かざした右の掌が中心からぱっくりと割れて左右に広がる。割れた手の内側からは血も出ず、肉も骨も見受けられない。全て無機質な機械だ。そして中から砲身がせり出す。

 腕から伸びた砲身から、陸の頭上めがけて続けざまに何発も、何かを投射する。銃弾では無い。肉眼でもどうにか追える速度で、無数の黒い塊のようなものが弧を描き、陸めがけて飛来したかと思うと、空中でそれらは弾け、幾つもの網が広がり、上空から陸に降り注いだ。


 だが陸は降り注ぐ無数の網の切れ目がどこか、見なくてもわかっているかのように器用に合間を縫って尽くかわすと、そのままステージの裏へ回り、グラウンドを駆けていく。


「逃げられたか」

 口惜しそうに顔をしかめる黒斗。


「諦めるのが早い! 逃げられてはいないだろう!」

 グラウンドを走る陸の後ろ姿を指して美香が叫ぶ。


「いや、もうあの距離では無理だ。糞っ……今度こそと思ったのに」

「あいつは上や後ろにも目があるのか? 今のはそうとしか思えない動きだったぞ。あれは一体何なんだ? 僕とのドンパチでも、動きが尋常でなく正確すぎた」


 黒斗が陸のことをよく知ってそうだと踏んで、訊ねる真。


「お前や私だってそれに近い動きはできるだろう! 後ろにいる敵の攻撃もかわせるし、狙って撃つことすらできる!」

「いや、違うんだよ。そんなのはコンセント飲めば誰でもできるし、スポーツ選手にも可能な領域だ。でもあいつはそれを超越していた。僕等が気配や直感で相手の動作や居場所を察知しているのとは、まるで次元が違う。あいつは完全に何もかも見えていたかのようだ。自分の周囲の全てのものを全ての角度から見るかのように」


 口を挟む美香に、真は自分の感じたことを述べる。


「うん、そうだな……動体視力と言うのも変だけど、あいつはどんな猛スピードの動きでも見切ってしまう。そのうえ体もそれに対応して動く。だからこの俺ともあろうものが、何度も逃がしている。これでもいろいろやってきたんだぜ?」

 真の問いに、苦笑気味に答える黒斗。


(本当に超常の力を備えているのかな?)

(当たりだよぉ~、真兄)


 真の脳裏に浮かんだ疑問に答えるかのように、みどりが声無き声をかけてきた。


(あいつは目が見えないけど、色の無い世界がばっちりと頭の中に映し出されているのよ。常人と違う感覚で世界が見えてるんだね~。そのおかげで、物質の運動を普通の人間以上に追えるってわけ。銃弾の動きそのものまでしっかり見えてるぜィ。後ろから飛んできたボールも見えてたし、読んでいたもん。あたしもあいつと感覚共有してあいつの世界を見てみたけど、いやはや、言葉では説明のしようがない別世界だわさ)

(そいつの動機はわかるか?)


 質問してから愚問だと真は思った。何のために美香を殺そうとしているのかも、みどりにかかれば全てお見通しなはずだ。


(うん。わかったけどわからないっていうか、後で話すよぉ~。いろいろとややこしい奴なんだわさ~)

 何故か言葉を濁すみどり。


(何か伝えたくない理由でもあるのか?)

(真兄の一番嫌いなサイコタイプだからねぇ~。聞いても気分悪くなるだけだし、肝心の動機にしてみても、別の人間の指示に従っているだけっぽいしさァ)


 それだけではなく、陸に指示を出している人間に関する記憶も見たみどりである。その人物のことを語るのが躊躇われた。


(あいつの精神と直結したまま、あいつの動きは探れないか?)

(みどりだって万能じゃないよぉ~。多少のマインドコントロールや、精神状態のチェックくらいは出来ても、視点や思考まで常に共有ってのは、今の真兄とあたしの関係みたく、深い部分で繋がった相手でないとしんどいんだなあ、これが。そもそもみどりと真兄が繋がっているのは、みどりが生来持つ能力と、雫野流の妖術にある双方の合意のうえでの精神の一部を連結する秘術をミックスした代物なんだ。薄幸のメガロドンの信者達に夢の中で干渉したのとか、政府のお偉いさんや警察官にかけていたマインドコントロールとは、全然別物なんだぜィ。真兄からは似たような代物に見えるかもしんないけどさァ)

(残念だな)


 もし陸の心の中にみどりの分裂した精神を入れたままにできるのなら、陸の情報をリアルタイムで全て引き出せるかと期待した真であったたが、そこまでうまいことはいかないようだ。


「それはそうと久しぶりだな、真。また腕上げたみたいじゃん。感心感心、その調子で精進するんだぞ」

 黒斗が愛想のいい笑みを浮かべ、真の頭の上に手を置く。


(相変わらず何様だって感じだな)

 そんな黒斗のノリに、真は心の中で溜息をつく自分を想像する。


「あいつに全然かなわなかったがな。ところで何でここに?」

「匿名のタレコミがあったのさ。谷口が美香を襲うってな」


 黒斗の言葉に、真と美香が互いに一瞥しあい、視線が重なる。


「僕のケータイにもあった。警察なら通話の相手もわかりそうなもんじゃないか?」


 期待できそうにないと考えつつも、一応は訊ねてみる真。匿名でタレこむからには、その辺は徹底しているだろう。


「今や死滅しかけている公衆電話からだったけどな。しかも非常用の回線だ。電話ボックスに仕掛けられていた監視カメラの記録を見ても、フードで顔隠していてわからずだ。背丈や体型からすると、未成年か女にも見えたな」

「何者か、心当たりは!」

「さっぱりだ。むしろ俺がお前達に聞きたいことだな」


 心なしか苛立たしげに叫ぶ美香に、黒斗は肩をすくめて言った。


「つかさー、そのズボンはちょっとどうかと思うな。言っちゃ悪いが、お前背低いから小学生にも見えるぞ」


 黒斗のその指摘に真は無反応だったが、頭の中では絶句する自分を思い浮かべていた。

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