第十章 5
谷口陸は現在、日本で最悪の連続殺人犯とされている。しかし報道は一切されていない。裏通りでタブー指定された時点で、表通りでもその対象は文字通りのタブーと化す。知るのは警察関係者と裏通りの住人のみだ。
かつて陸は一日に数人~十数人単位というペースで人を殺めてきた。一切躊躇無く、誰であろうと殺す。我が身を盾として子をかばう母親を目にしても、笑顔で親子ごと殺す。むしろその光景を楽しみながら殺す。
陸はそれが実際の殺人だとは思っていない。クライムゲームの一環だとして、楽しみながら殺せる。
だが陸は二年程前から、なるべく殺人を潜めている。数日に何人かは必ず殺すが、以前のように手当たり次第には殺さなくなった。
行きがかりの理由、たまたま頭にきた相手がいた時、あるいは全くの暇つぶしによる戯れ等で、殺人を行う事は最近でもあるものの、一度やったら何日かは控えるよう心掛けている。
何故そうするようになったのかといえば、いちいち騒ぎが起こるのも面倒なのと、由紀枝の存在があるからだ。
騒ぎを起こして居場所がバレると、おそらくこの国で唯一陸より強い刑事である、芦屋黒斗(あしやくろと)がやってくる。それだけでも面倒なのに、由紀枝を抱えて逃げなければならない。これがひどく疲れる。また、由紀枝は陸とは異なり、あまり無用な騒動を望まぬ性格であったため、その点を気遣っているという理由もある。
「どこ歩いてんだーっ!」
狭い道に結構なスピードで走っていた車が、道の真ん中を堂々と歩く陸と由紀枝の姿を見て急ブレーキをかけ、窓からガラの悪そうな風貌の運転手が顔を覗かせて喚いた。カーステレオからは爆音が鳴り響いている。
「わめくチンピラが現れた。攻撃、銃、わめくチンピラ、顔」
呟きながら陸は悠然たる動作で銃を抜き、男の顔に向ける。まさかいきなり本物の銃など出してくるとは信じられず、一方で本物かもしれないという恐怖も覚え、男は硬直する。
銃弾が男の頬を撃ち抜く。衝撃で男の体が横に大きくブレて傾く。
「しばらく控えるんじゃなかったの?」
呆れ顔で由紀枝が声をかける。
「でもムカつくし、生かしておけないよ。攻撃、銃、腹」
車窓の中に手を入れ、宣言通り男の腹部めがけて銃を撃つ。
「ムカついたから、苦しんで死んでもらおうか。ていうか、苦しみ悶えて死ぬ所までリアルに表現されてて、本当こういう所はよくできてるんだよね。でも肝心のゲームバランスがいまいちすぎてさ。早くこのゲームクリアして終わらせたい。最近ダレ気味だし」
歩きだし、アンニュイな表情で語る陸。アメリカにいた時は由紀枝の前で不満を口にする事は無かったが、渡米前にそうであったように、帰国後はゲームに対する不満を事ある毎に愚痴るようになった。
「私は楽しいよ。陸と一緒にゲームしてるの」
言葉とは裏腹に、全く楽しそうではない、いつものぶっきらぼうな口調の由紀枝。陸に会話を合わせるため、由紀枝は自分もゲームをしているという設定にしている。
出会った頃、由紀枝は陸のことを狂人だと思い、彼の言葉など信じていなかった。だが今は、本当にこの世界はゲームの中なのではないかと、ふと考えてしまうことがある。陸と一緒にいすぎたせいでそんな風に錯覚してきたのだろうと、由紀枝は自己分析する。
「プレイしているって、由紀枝はちっともレベル上げようとしないじゃん。ただ俺といるだけだし。まあ、プレイスタイルは人それぞれだから、難癖つけるつもりはないけどさ」
己の人生をよく出来た仮想世界のゲームと信じて疑わず、自分の現れる者の多くはただのプログラムでNPCだと思い込んでいる陸であるが、そうではない特別な者もいるという認識がある。由紀枝もその一人だ。陸は由紀枝の事を自分と同じく、ゲームのプレイヤーだと思い込んでいた。
しばらく歩いていると、パトカーの音が鳴り響き、近づいてくる。
「忠犬ポリ公、早すぎだろー。まあ安楽市だから仕方ないか」
やってきたパトカー二台を見て、ぽりぽりと頭をかく陸。パトカーが止まり、警官が四名ほど降りて、ドアを盾にしてかがむ。
「芦屋はいないみたいだけど、流石安楽市配属のポリ公だけあって、レベル高めだな。見た目は使い回しモブだけど。ここは逃げておくかな」
言うなり陸は由紀枝を肩に担ぎ上げ、警察官達に背を向けた。由紀枝が背中をガードするような形で担がれているので、警察官達は発砲できずにいる。由紀枝も自分が盾の役割をしている事を承知しているし、それに不満も無い。
「逃がし屋も呼んでおこう。隠れ家の調達もセットでね」
走りながら陸が言った。
「なら服の調達もお願いしといてよ」
担がれたまま、無表情に由紀枝が要求する。見た目はいつも同じだが、実際にずっと同じ服ばかり着ているというわけでもない。
警察の追跡がしつこい時や、指令があってクエストを優先したい際に警察から確実に逃れるために、陸は専属で裏通りの逃がし屋と契約してもいた。だが金がかかるので、使うのはできるだけ最小限にしている。また、それとは別に裏通りの移動ロッカー屋に、二人分の衣服他所持品は預けてあり、こちらは定期的に利用している。おかげで荷物は最小限に移動ができる。
「おやおや、前方T字路の両脇にポリ公がさらに四匹待ち伏せしてるわ」
陸が足を止め、不敵な表情で呟いた。
常人には視覚的にわからない配置で取り囲まれていようと、陸にはどこに何人潜んでいるのか大抵わかる。完全に遮断された個室に潜まれるとわからなくなってしまうが、物陰に隠れている程度であれば認識できる。
たとえ数人がかりで跳びかかられても、その数人の動きも容易にわかってしまうので、一人ならば、避けるのも突破するのも容易い。相手の動きが完全に読み取れるのであるから、それに合わせて動けばいいだけの話だ。かつて何度も厳重な包囲網を敷き、ありとあらゆる手で捕縛を試みた警察であったが、陸の持つ空間把握能力の前には無力だった。
ただし、由紀枝を担いでいるとなると話は別だ。流石に陸の動きも多少鈍る。彼女と行動するようになってから、複数に包囲された状態からの逃走は少々しんどくなった。
「一戦するにしても、前にいるポリ公もかなりレベル高めだしな。ちと迷う」
陸の空間把握能力は、逃走だけではなく戦闘面でも大いに役立つが、戦闘となるとどうしても陸自身にも微かな隙が生じてしまう。
相手が手強く、しかも複数となればそれが致命的にもなりかねないし、敵の数が多ければ多い程、隙が生まれやすいと陸は考えている。実際にはその隙すらも滅多に見せない陸であるが、かつて痛い目を見たこともあるので、数が増えすぎて面倒と感じたら即座に逃げるようにしている。
「逃げるの?」
陸の言葉を受けて、怪訝な表情で訊ねる由紀枝。相手の数が多い時や、強敵相手に不利な場合等、陸が逃走を選択する事は珍しくもないが、今回は敵の数も少ないし、戦って対処できるような気がしたのだ。
「何か捕獲用の道具持ってるみたいなんでね。多分、網だ。T字路に出た瞬間、両側から一斉に投げつけられたら、いくら俺でもかわしきれるか微妙な所だよ」
実際の所、由紀枝さえ担いでいなければかわせる自信はあったが、陸は口にしなかった。
「だったら引き返して、後ろから追ってくる方を突破すればいいんじゃない?」
担がれたまま顔を上げ、後方からゆっくりと迫ってくるパトカーを見て、由紀枝が言った。
「なるほど。難易度的にはそっちのが低いね。じゃあ、それでいくわ」
にやりと笑い、陸は体を反転させながら銃を抜き、追ってくるパトカーの方を向いた時にはもう銃を構えていた。
「攻撃パトカー窓」
早口で呟くと、二発撃つ。二台のパトカーの運転手を狙った銃撃だが、かわされるのは陸も予想している。シートベルトをしていない警察官達は、身を翻した陸が銃を手にしているのを見て、即座に身をかがめるか、パトカーの外に脱出していた。
警察官達が体勢を崩した隙をついて、陸は駆け出す。もちろん警察官達もすぐに体勢を立て直すが、その一瞬の隙で十分だった。
陸がすぐ横にある住居の庭へと入る。庭に面した窓が開いていたため、家の中の構造も陸には全てわかった。洗濯物を取り込んでいた最中の主婦の横を通りぬけて、庭の窓から家の中に入ると、二階へと上がり、その一室の窓を開け、そこから器用に屋根へと上がる。ここまで来れば、もう逃走は完全に達成したも同然だ。
隣の家の屋根へと飛び移ると、すぐに下へと降りる。常人の視界には決して映らないであろう位置にいる警察官達の動きは、ここでも把握できている。その後の動きも大体予想できる。相手が自分の位置に気づいてない動きをしている事もわかる。あとは道路に出るのを極力避けて、住所の庭や住居内や屋根を逃走経路にして逃げるだけだ。
「ああ、面倒くさい。やっぱ大人しくしてるべきだなー。メインクエスト達成するまでは」
「そう何度も言ってるじゃない。同じポカ繰り返して同じ面倒臭いこと繰り返してないで、いい加減中の人のレベル上げた方がいいよ?」
うんざりした口調でぼやく陸に、由紀枝が冷めた声で告げた。
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