第十章 リアルをゲームと思って遊ぼう

第十章 二つのプロローグ

 それは由紀枝が小学生に上がったばかりの頃の話だ。


 公園にいた子猫。その両目は無残に潰れ、赤くグロテスクなかさぶたによって目が覆われているかのように見えた。

 子猫は助けを乞うように、しきりに鳴き続けていた。一緒に遊んでいた友達は皆、不安と憐みと絶望の入り混じった顔で猫と接していた。

 餌を与え、撫でながらも、普通に楽しく子猫と接して可愛がる気持ちにはなれない。愛情を惜しみなく注ぐ一方で、憐みと諦めのような観念がつきまとう。


「この子、一体どうなるの?」

 一人が泣き出しそうな顔で呟いた。


「目が見えないのに、まだ子猫なのに、捨てられたまま生きていけるの?」


 誰もが思っていた疑問。いや、疑問ですらない。幼心にもその答えはわかっている。その答えはわかっていても、どうにもできない。皆諦めている。


「うちじゃ飼えないよ」

「うちも……無理」


 言いづらそうに児童達は拒絶していく。普通の猫ならまだしも、目が潰れていて、容姿も大変気味の悪いものになっているので、そのせいで飼いづらいという本心がある者もいるであろうと、由紀枝は察していた。


「私の所で飼えるかどうか、聞いてみる」


 最後に残った由紀枝はそう言った。おそらく駄目だろうとは思う。それでもやるだけやってみてみようと思った。奇跡が起こって、この可哀想な猫なら、両親の心も揺り動かされるかもしれないと、そんな淡い期待を抱いた。


 三十分後、由紀枝の淡い期待は無残に打ち砕かれ、由紀枝は子猫を入れたダンボール箱を元の公園に戻した。


 由紀枝が立ち去ろうとした時、見えないはずの子猫はまるでその気配を察したかのように、一際切ない声でにゃあにゃあと鳴いていた。


『捨てないで……捨てないで……助けて……置いてかないで……』


 まるでそう言っているかのように聞こえて、由紀枝は目の端に涙をにじませながら、公園を立ち去った。


 翌日、公園に確かめに行くと、箱の中に子猫はいなくなっていた。

 親切な人に拾ってもらったのだろうと、由紀枝は思うことにした。そう思うことにすれば、少なくとも自分は救われるから。


 それが七年前の話。


***


 いつものように旅客であふれ返る羽根駄国際空港ターミナル。いつもと同じく平穏な光景。

 事件の始まりはほんの些細な出来事だった。もしこの些細な出来事が起こらなければ、命を落とさずに済む者も多かったかもしれない。


 チェックインカウンターで搭乗手続きを済ませた一組の男女が、便が来るまで待機するために、搭乗ゲートへと向かう最中、その些細な出来事は起こった。

 その男女はカップルと言うには歳が離れているように見受けられた。男の方は二十代の青年。女の方はまだ十代前半の少女だ。

 男は灰色のジャケットに赤いワイシャツと、ごく普通の格好だが、少女の方はというと、明らかにサイズの合わないぶかぶかのブラウスを着て、裾が太股まで伸びているため、下に何をはいているかわからないという、異様な格好だった。ブラウスだけしか身に着けてないようにも見えてしまう。


「あひゃーっ。うひゃひゃひゃひゃ。うえっうえっ」

「あばばばぶぶぶぶぶぶ。ぽぴゃーっ、ぽぴゃーっ」

「はあああああああっ!」

「ぷっぷーっぷっぷくぷーっ!」


 四人の子供が奇声をあげながら駆けてきて、丁度男女の前を塞ぐ形で立ち止まり、じゃれあい始めた。歳の頃はいずれも十歳にも満たないであろう。

 少女がそれを見てため息をつく。子供達を避けて進めばいいだけの話であるが、そうはしなかった。そうはならないとわかりきっていたからだ。


 少女がちらりと隣にいる青年を一瞥する。身長は180を超えており、肩まで伸びた髪はウェーブがかかっている。顔立ちは端正であるが、その双眸はずっと閉ざされていて、目の形はわからない。


「うるさい糞餓鬼が四匹現れた」


 不意に青年がそんなことを呟いた直後、目の前にいる子供の一人の腹部を力いっぱい蹴り飛ばした。子供の体が大きく1メートルも跳ね上がったかと思うと、床に落下し、口から血を吐き出し、痙攣しはじめる。

 突然の出来事――誰もが予想しえない、有り得ない暴力が行われた事に、その場に居合わせた者全員の時間が凍りついた。その中で青年と少女の時間だけが動いていた。


「リクの攻撃。うるさい糞餓鬼に会心の一撃。うるさい糞餓鬼をやっつけた。経験値4獲得」


 一人でぶつぶつと呟き続ける青年が、別の子供へと顔を向ける。その両目は閉じたままだが、顔の向きがしっかりと子供に向けられていたので、標的にされた子供が恐怖に大きく震え、尿道が緩む。


「どうする? 攻撃、キック、頭部」


 単語ごとに間を置いて呟くと、その呟き通りに、子供の後頭部に凄まじい勢いで回し蹴りを放った。子供は回転しながら吹っ飛び、首をおかしな角度に曲げて倒れたまま動かなくなる。


「や、やめろーっ!」


 子供達の父親と思われる人物が血相を変えて叫び、青年の方へと向かって駆ける。


「馬鹿親が新たに現れた。攻撃、銃、馬鹿親、頭」


 早口で呟いた直後、青年は懐から高速で銃を抜き様に撃った。呟きの宣言通り、親は頭を撃ち抜かれて倒れる。


「連続攻撃のチャンス!」


 小声で鋭く告げると、残る二人の子供も同様に頭を撃ち抜いて殺す。


 倒れた父親の死体に向かって青年はゆっくりと歩いていく。そして父親の前にしゃがみこんで、死体をまさぐり、財布を抜き取る。


「糞餓鬼共と馬鹿親をやっつけた。経験値25とお金を手に入れた。由紀枝、これいくら入ってる?」

 財布を開けて中身を少女に見せる青年。


「七万と……六千円かな」

「ナナマンロクセンエンを手に入れた」

 由紀枝と呼ばれた少女の言葉をなぞるかのように、青年が呟く。


 突然の惨劇に、連鎖的な悲鳴があがった。それが引き金となって、その場にいる全員が雪崩をうって逃げ出す。


「うるさいな。でも皆やっつけてまわるのも面倒だし、さっさと飛行機に乗ろう」

「乗れるかな?」


 青年が涼しい顔で搭乗ゲートへ向かうのに対し、由紀枝はこんな騒ぎを起こして果たして飛行機に乗れるのだろうかという、ごく常識的な疑問を口にしつつ、その後に従った。

 ゲートをくぐり、椅子に座って指定の便が来るまで待つ。ゲートの内側までは騒ぎが伝わってないようで、旅客達は落ち着いていたが――


『ターミナル内で発砲事件が発生しました。係員の指示に従って避難してください』


 突然のアナウンスに、日本人の旅客達は不安顔になる。一方で外国人の旅客達はあっさりパニックを起こし、ヒステリックな金切声をあげながらあっちこっちへと逃げていく。

 そんな中、青年と由紀枝だけが平然と椅子に座ったまま、指定便の飛行機の案内のアナウンスを待っていた。


「手をあげろ!」

 空港警察署から警官達が駆けつけ、二人を取り囲む。


「忠犬ポリ公が現れた」


 青年は瞑ったままの目で、まるで警官達の姿が見えているかのように顔を左右にゆっくりと振り、彼等と顔を合わせて回る。

 直後、青年が椅子を飛び台にして大きく跳躍した。あまりに突然すぎる行動と人間離れした跳躍力に虚を突かれ、警官達は全く反応できなかった。


「しかし忠犬ポリ公はビビって戸惑っている」


 空中で呟きながら、目にも留まらぬ速さで銃を撃つ。二人の警官は同時に額の真ん中を撃ちぬかれた。青年が着地した直後、二人の警察官が同時に崩れ落ちる。


 警官達が我に返り、至近距離での銃撃戦が始まった。警官の方はサブマシンガンすら持ちだして撃ってきているが、青年が手に持っているのは拳銃一挺のみ。常識的に考えれば青年に勝機などあろうはずがない。しかし彼は常識の枠の外にいる存在であった。

 自分に向けて吐きだされる銃弾の全てが見えているかのような動きで、体をくねらせ、足を前後左右に何歩か動かすだけで、至近距離からの銃撃をひょいひょいとかわしていく。そしてかわす合間に淡々と警官に向かって発砲し、発砲の度に一人ずつ警官が倒れていく。


 警官達はあっという間に、一人残らず屍となって横たわっていた。

 空港で大勢の衆目の堂々と殺人をする者がいて、駆けつけた警察官ですら一瞬にして殺されるという異常事態。だがこれは青年と由紀枝にとっては何ら驚く事に値しない、ごく日常的な出来事だった。


「また同じ敵使いまわしだよ。本当糞ゲー。忠犬ポリ公ももう少しバリエーション増やしてほしいわ。かといって芦屋みたいなバランスぶっ壊れた敵が増えても困るけどな」

 銃を収め、つまらなさそうに吐き捨てる。


「そんなことより、こんな騒ぎ起こしちゃったら、アメリカ行きの飛行機に乗れなくない?」

 冷静な口調で由紀枝が指摘する。


「そっかー、ならハイジャックするってのはどうかな?」

「ハイジャックとか、そんなのうまくいく?」


 あっさりとした口調でとんでもない提案をする青年。だがそれが冗談で言ってるのではないことを由紀枝は知っている。


「いや、きっとこれはこういう内容のクエストなんだよ。だからハイジャックも出来るようにちゃんと設定されているんじゃないかな。うん、試してみる価値はある。何しろこのゲームって、やれることの幅の広さだけはすごいからね」


 青年は心底楽しそうな笑顔で、ターミナルの外へと向かって歩いていった。由紀枝も無表情にそれに付き従う。


 数時間後、青年は飛行機で空へと飛び立っていた。あっさりと達成されたハイジャック。指定の便とは異なるし、目的地とも異なったが、アメリカ行きの便がたまたま離陸前であったので、それに乗り込んで乗客を人質に取ったのだ。


「あ、性欲が100貯まった。そろそろ出したいなー」

 しばらく席で大人しくしていた青年が、そんなことを呟いて立ち上がる。


「フリーズ! 動くなよ!」


 乗客達に向かって、銃口を突きつける青年。通路を歩きながら、恐怖の表情を張り付かせて硬直する乗客達を品定めしていく。


「よし、こいつに決定。カモーン」


 その中から金髪碧眼のハイティーンの少女の腕を掴み、頭に銃口を突きつけて椅子から引きずり出す。

 その隣にいた、少女の父親と見られる中年の男性が、何やら英語で喚いて制止しようとしたが、青年は蝿でも払うかのように、その頭に銃弾を撃ち込んだ。娘が悲痛に満ちた絶叫をあげるが、青年はおかまいなしに鼻歌を歌いながら、彼女の衣服を破りにかかった。


「性欲放出完了。性欲が0になった。セックススキルが0.2上がった」


 少女を犯し終えた青年は、そう呟いた直後、陵辱されて放心している少女の額の真ん中に銃口を押し当てると――


「ばいばーい」

 軽い口調で別れを告げ、引き金を引いた。


「経験値30を手に入れた。ねー、あと何時間で着くー?」

 スチュワーデスに尋ねる。


「九時間ほどです」

「あー、しまったな。そんなにかかるなら生かしておけばよかった。ま、いいか。また性欲処理したくなってきたら、他のを使えばいいし」


 脅えるスチュワーデスに向かって、青年は目を閉じたままの顔を向け、にっこりと微笑んだ。


 それが七ヶ月半ほど前の話。

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