第九章 5
そっと扉を開けて、隙間から中の様子を伺う。
部屋の中は暗い。電気をつけていない。雪岡研究所は地下にあるので、昼間は電気をつけていないと真っ暗だ。その真っ暗な部屋の中、昼間から布団の中にこもっている人物がいた。
「ああなって何日目だ? 一番悪い時に戻ってしまったみたいだ」
真が後ろにいる綾音に話しかける。
「貴方に会う前の父上は、もっとひどい有様でしたよ」
「布団の中にこもりっきりで食事にも起きてこないよりひどい状態って、ちょっと考えられないけどな」
部屋の中の扉のすぐ近くにある食器を回収する真。一応全て食べてある。
「食欲があるだけ、ましなのかな。一時的なものであればいいけど」
「父上が面倒ばかりかけて申し訳ありません」
本当にすまなさそうに頭を垂れると、食器を受け取って綾音はその場を去る。
真は左腕にギプスをはめていた。バイパーとの戦いで単純骨折により全治四週間と診断されたが、研究所にある、骨折の治癒を速める怪しい超音波装置で治療しているので、治るのはもっと速いはずだ。
術試しでみどりに敗れた累は、その際にトラウマを刺激されたようですっかり落ち込んでしまい、一日中自室の中におこもり状態になってしまっている。
「そろそろいいだろ。入るぞ」
今日までは累を気遣って放っておいた真であるが、このまま放ってはおけない用事が出来たので――いや、正確には累の力を必要とする用事を思いついたので、引きこもり状態から無理矢理にでも連れ出すつもりでいた。
「真……」
意外にも累はあっさり反応し、ベッドから起き上がってよたよたとした足取りで、真に抱きつく。真も今回は累の事を気遣い、片腕でそっと抱き返してやる。
「お前は最強の妖術師じゃなかったのか?」
みどりに敗れた事を指して問う。少なくとも裏通りや超常関係の業界ではそう呼ばれているし、累が戦って負けたのを見るのも初めてだし、累が負けるとは真も思っていなかった。
「僕の絶頂期は三十年前でしたが……今の僕は弱体化してしまっていますから。あの頃の一割の力すらありませんよ。もしかしたら綾音より弱く……なってるかも」
「雪岡との戦いが原因か? あいつに何かされたとか」
「いや、それもあると言えばありますが……。それよりも……三十年間引きこもってたせいで運動不足が大きいかと……」
「いい敗因だな。綾音より弱い状態のお前が、何でわざわざ出向いたんだ……」
呆れ果てた表情の自分を脳内で思い浮かべる真。
「えーと……自分でもここまで体力無くなっているとは、思って……いませんでしたし。ていうか、綾音と真が行きたくない僕を無理に背中押したんじゃないですか。まあ……僕もみどりに興味がありました。昔の知り合ったこの転生ですしね。それと……引きこもっていようと、昔の自分に……罪悪感があろうと、戦うことまで……嫌いになったわけではないです……。雫野の名を冠する者としては、集団テロを企むカルト宗教の教祖など……しているのは、見過ごせない……という気持ちも、あの施設で……彼女が演説する様子を目の当たりにして、ちゃんと沸いてましたから……。だから、止めなくちゃならないって気分にもなっていましたし、これでも真面目に戦ったんです……」
話を聞いて、真は累を少しだけ見直した。ネガティブな一方で、己の意志や矜持、筋と良識はしっかり通そうとしたのだ。
「このまま引き下がるのは悔しいな。お前のためにも。いや、今度は僕がお前の仇を取ってやりたい」
「何言ってるんです……か。相手は過ぎたる命を持つ者ですよ?」
思いも寄らぬ発言を受けて、累は目を丸くする。
「あのみどりとかいう奴、許しがたい」
静かな怒りの火が、真の黒い瞳の奥で確かに揺らめいているのが、累の目から見てとれた。
「確かにお前はキモいし鬱陶しいし面倒な奴だが、殻を突き破ろうと頑張っているお前の事を侮辱して、心を覗く能力だかを使って、心の触れて欲しくない部分をえぐったり悪夢を見せたりとか。そんな下衆な真似をお前にした事が許せない。やっぱり僕が仇を取ってやる」
いつもの淡々とした喋り方ではなく、珍しく語気に力を込めて言う真に、累は再び涙ぐむほどの嬉しさを感じ、同時に性欲が昂ぶってきて勃起しだした。
「いいですよ……仇なんて。僕の心が弱くて負けた……それだけの話です。向こうだって……本気で僕の心を壊そうとはせず、手加減……してくれました。あの子は……雫野の妖術師であり、一応は……僕の子孫みたいなものですから、殺してほしくはないという気持ちも……あります。しかもその理由が、不甲斐無い先祖が理由での仇討ちっていうのも、どうかと思うんです……」
真にしなだれかかり、甘えながらも、累は真を静止する。
「それでも家族を傷つけられ、侮辱されたまま黙ってはいられないな。僕の性分としては。殺すまではしなくても、懲らしめてお前に謝らせてやる。ていうか、変な所押し付けるな」
股間の盛り上がりを露骨にこすりつけてくる累を、邪険に押しのける真。
「……口で言うのは簡単ですが、あの子の力だけでいえば、オーバーライフの中でも上位たるステップ2にも……匹敵するでしょう。実際、ステップ2の僕を……打ち破っていますしね。超常の領域の中でも、とてつもなく強大な力を備えています。生身の真ではどう足掻いてもかなわない……」
「たとえ超常の力を備えた者だろうと、知力と運気と勇気次第で勝機はいくらでもあるって、常日頃から言ってたのはお前と雪岡だろう。そして実際僕はそういう奴等に負けなかった」
「でも、みどりは次元が……違います。彼女は……僕や純子と同じくオーバーライフです。人という……種の中において、行き着く所まで……行った存在なんです。超常の力を持つ者もピンキリです。単純に異能の力を持つ者と、常人の寿命の何倍もの時間をかけて……その異能の力を練り上げた者では、蟻と像以上の……違いです。貴方が今まで見てきた術師、異能力者、超常の力を与えられたマウス等と、同じに考えては……駄目です」
「それはお前や雪岡を見てわかっているよ。そんな奴等に、何の力も持たない者が挑んで勝てるなんて、常識的に考えたらありえないってのもな。でもやってみないとわからない。数字の上下だけで絶対に勝負がつくようなゲームの類じゃないんだ。リアルの勝負だ。手段はいくらでもあるはずだ」
そこまで真の話を聞いたところで、累はふと思った。ひょっとして本当に真がしたい事は、自分の仇を討つだけが目的なのではなく、オーバーライフと戦って勝利する事ではないのだろうかと。
もちろん敵討ちのニュアンスもあるだろうし、みどりに怒りを覚えているのも本心であろうが、しかしそれをダシにして戦いたがっているような、そんな気がしたのである。
「それに今後、雪岡を完膚なきまでに打ち倒すためにも、雪岡が危機に陥るほどの敵と遭遇した際にあいつを護るためにも、超越者気取りの死にぞこないのろくでなし共と戦って、勝てるようにはしておきたい。あいつはその練習台だ。常人の僕でも超越者気取りを倒せることの証明も欲しいしな」
(あ、やっぱりそっちがメインですか……)
あっさりと本音を告げた真に、累が溜息をつく。
「何か考えがあるんですか?」
こうなったら真の性格上止めても聞かないであろうし、相手があのみどりであれば加減もしてくれるであろうから、真の命に危険も無いと判断して話を聞く構えの累。だが、それが間違いであったと、すぐに思い知る事になる。
「とりあえず思いついた策としては――」
その後、真の述べた策を聞いて、累は呆気に取られた。
「どうなんだ? 術は封じることができるんじゃないか?」
「できる……と思いますが」
「そうか。とりあえずどの程度で術が使えなくなるか、お前で実験してみよう」
「えっ……? 僕でって……?」
今度は呆気に取られるのを通り越して青ざめる累。
「当然だろう。お前の仇を討つんだから、お前が実験台となって協力するのは筋が通っている」
「いや、仇討ちするって……息巻いているのは真であって、別に僕はそんなこと望んでいませんし……」
「そうだよ。お前が侮辱されて傷つけられて僕がムカついているからやるんだ。でもお前だって無関係じゃないんだし、ここは僕のやる事に合わせるべきだろう」
あまりに滅茶苦茶な理屈に、絶句する累。
(こういう単純さと強引さは前世から変わってない……いや、変わってないどころか、真の方が御頭よりずっとひどいですね……)
つい今しがた、出来ると言った事を激しく後悔する。時間を巻き戻せるなら巻き戻したいとすら思った。
「確かに一時的に術は……封じられると思います。けれど……みどりが生まれついて……いや、魂そのもので継承して備えている、彼女の能力そのものは……封じられませんよ」
気を取り直し、説明する累。
「術とは、呪文、儀式、呪紋、印などといった手順を用いて、精神を集中させる事で超常の領域へのチャンネルを開いて起こす奇跡です。けれども肉体や精神が供えた純粋な超常の力は、そうしたものを必要とはしない。普通に手足を動かす感覚と同じです。即座に発動します。そのために、術より力が劣るケースもありますが、みどりの持つ力は確実に強大です」
「累の敗因となった、人の心を読み取ったり夢の中に引きずり込んだりする力か」
真の言葉に累は頷く。
「それは耐えるしかないな」
具体的にどう耐えるのかなど、真は特に考えていない。そもそもどういうものか全くわからない。気合いでどうにかなるものであれば自信はあるのだが。
「でも……雫野の術師でもない限り、あれほどの精神攻撃には……」
「雫野の開祖のお前でも耐えられなかったじゃないか」
本当は、「豆腐メンタルのお前が耐えられなくても全然不思議じゃないし、比較する指標にならない」と言いたい真であったが、それを口にしたらまた落ち込んでややこしいことになりそうなので、黙っておく。
「いえ……精神防御の方法の一つとして、雫野の妖術師は第二の脳……というものを用い、本体の脳がクラッシュしても、バックアップである……第二の脳で、肉体も精神もコントロールできる……のです。僕は……それを純子に破壊されていて、それが無かったから負けてしまったわけでして」
「一度破壊されるとそれはもう作れないのか? それとも三十年以上もの時間を費やすのか?」
「最小規模ならば、三週間もかからずできます……けど、その……もう一度作るのが面倒臭くて……」
「最近お前と話しているとイライラしてくる事が多いんだが、身を張ってウケ狙いでもしているつもりか?」
堪えきれずに皮肉を口にする真。
「まあ、それだけ強力無比な奴だというのなら、いい模擬戦になるだろう。雪岡や、まだ名も顔も知らない復讐相手とのな」
真の言葉を聞いて黙りこくる累。累の反応を見て、真は心の中で溜息をつく。
「お前も雪岡も知ってて教えてくれないが、いずれ必ず相見える。確信している」
「真にケリをつけて欲しいという気持ちはありますけれど……ね。だからこそ僕――きっと純子も……口にしないんです。真相を知るのは僕達の口からではなく……真が自分で見つけて、確かめるべきです……」
そう告げる累は、珍しく真剣な眼差しで真の目を真っ直ぐ見据えていた。
「僕は、疑ってはいけない者を疑い、裏切り、傷つけ、壊してしまった。僕の存在意義はその贖罪だ。そのためには然るべき力がいる。でもそれは雪岡の改造手術じゃ駄目だ。それだけは絶対に認められない。ただの意地だけどさ」
暗い決意を込めて語る真。
「完全に壊しきったわけではないしょう……。また取り戻せますよ」
慰めとも励ましともつかぬ言葉を投げかける累だが、真は無反応。
(何も壊れてなんて……いない気がしますけど……。真が勝手にそう思っているだけで……)
物憂げになり、累は思った。
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