第九章 4
二十一世紀半ば、当初国民の過半数以上が反対していた大量の移民導入政策は、移民の八割以上を地方におしつける方針を打ち出し、移民を望まぬ都会の人間と、移民でも構わないから労働力を望む地方民の双方を、ある程度納得させる形で行われた。
生まれたその時から、身内以外の周囲は全て敵のようなものだと、グエンは受け取っていた。
安楽市の隣――隣の県の県境に位置する田舎の村で、グエンは生まれた。グエンの母親は移民だった。田舎の農家ではありふれた話。働き手と後継者欲しさに海外から嫁を募集する。よくある話。
そして発生する差別も、これまたよくある話。同調圧力がひどく、それに従わぬ者に排他的な田舎では特によくある話。
移民に宗教問題まで絡んでしまえばそれは特にひどくなるケースもある。おまけにその村に限っては移民と、移民の血を引く子供が現れるなど初めてのケースで、汚らわしい異物が紛れ込んだかのような目で、グエンの家族を見ていた。
父親や祖父母は、グエンにも母親にもよくしてくれた。村の者からかばってくれた。しかし村の者達はそれがまた気にくわないようで、一家に対して余計に辛く当たった。
物心つく頃には、グエンは村八分という言葉の意味を理解していた。
村の子供達からもグエンはいじめられていた。反撃すると親に言いつけられ、いじめっ子達の親が集団で家におしかけた。村の青年会までもが鬼のような形相で押しかけた。いじめられていた子供が刃向っただけで、何十人もの大人達が一斉に家に押しかけ、怒鳴り散らすのである。
それに対して、グエンの家族は震えあがって平謝りする。その様を見て、グエンの胸の中では恐れと怒りと悔しさが激しく渦巻いていた。
この村がどういう世界であるか、その世界の中にあってグエンの家がどういう存在であるかを嫌と言うほど思い知らされ、刃向う気持ちなど根こそぎ失われた。
以後、グエンは惨めさと諦めを受け入れた日々を送るようになった。
村の中の異物。村の中で最底辺の存在。村の中にいる限り、それはどうやっても覆せない。いずれ成長して村を出るまでは、受け入れなくてはならない。早く大人になって村を出ることだけを希望に、日々を過ごしていた。
村の中においてどんな扱いを受けても仕方がないと、諦めきったつもりでいたグエンであったが、それが自分の思い込みに過ぎないことを思い知らされる事態が起こった。
祖母が体を壊し、何度も倒れてはグエンの家に救急車が行き来し、病院に運ばれるようになった。
それに対して村の者達は、救急車のサイレンの音がうるさい、何度も救急車が走るなど村にとって恥ずかしいことだと罵った。
道を歩いているグエンに向かって、大人達がすれ違いざまに、肌の色の違う子だから疫病神を呼び寄せたと毒づいた。
全て諦めて、悔しくても我慢するしかない、諦めてしまえば嫌な気持ちは消え去ると思い込もうとしていたグエンだが、実際には怒りも悔しさも消え去っていなかった。昔以上にそれらは増大し、殺意すら伴ってグエンの中で大渦となって渦巻いていた。
(何で人種が違うってだけで、肌の色が違うだけでこんなに言われるんだろ。移民だとか何とか言われても、この国で生まれてこの国で育ってこの国の国籍もあるのに。どうして俺の家族だけ、こんなにいじめるんだ)
頭の中で問う。しかしその答えはすでにグエンも知っていた。いや、見透かしていた。彼等はそれが楽しいからやっているのだ。異なる者を忌み、忌まわしき者を迫害することに、彼等は明らかに喜びを見出している。
(殺してやりたい)
布団の中で毎晩そう思いながら、グエンは寝ていた。頭の中で何度も何度も殺意の言葉を呟いて、歯ぎしりしていた。
「イェア、殺してやればいいよ~」
夢の中に現れた美少女が歯を見せて笑い、あっけらかんとした口調で言った。
「今殺れっていうんじゃないよォ? そのうち時期がきたら、殺させてあげるよ。きっとすっとするぜィ。あんたの心の中は見させてもらった。うん、あんな奴等死んだ方がいいって。殺せ。みどりが許す。でも今はその時期じゃない」
時期とやらが何なのかはわからなかったが、殺意を肯定し、殺人を促す少女の言葉は、グエンの心をこのうえなく癒し、勇気づけた。
やがてグエンは眠る度に夢の中でその少女と出会った。彼女はグエンの怒りも悔しさも恨みも全て認めてくれた。励まし、慰めてくれた。村の人間を否定し、グエンの負の心を肯定してくれた。
グエンは夢の中の少女――みどりと出会うのを心待ちにするようになっていた。自分の都合のいい妄想の産物なのだろうと考えてはいたが、それにしても毎晩同じ夢を見るなど、頭がおかしくなったのかと疑ってもいた。
「君が本当にいてくれたら……」
夢の中でみどりに向かってグエンが躊躇いがちにそう零すと――
「いるよぉ~。つーか、もうすぐ会いに行くから」
即座にそう告げ、口を横にひろげて歯を見せ、いつもの笑みを見せた。
翌日、夢は現実となり、グエンは村を後にした。
家族を置いていくのは心配だった。自分が蒸発したことにより、またそれをネタに村の者に家族がいびられるとわかっていたからだ。
しかしそれでも、どうしても夢が現実となった事への喜びを抑えきれなかったし、ましてやその誘いを拒むなどできなかった。
家族以外の全てから冷たく扱われていたグエンであったが、薄幸のメガロドンの信者達に優しく接されて、最初は戸惑った。
だが自分のこれまでの境遇を話して涙してくれる人達や、自分と動揺にひどい境遇にいた人達の話を聞いて、ここがどういう場所なのか、みどりがどういう存在なのかを理解した。
そういった人々を集め、救おうとしているみどりの存在が、グエンには女神にも等しいものと思えた。
「俺もお前と似たようなもんだったわ」
グエンと同じく、明らかに移民の血を引く長身の男が、グエンの話を聞いて寂しげに笑った。
「世界は敵だと思い込んでた時期もあった。でもそっから抜け出られたのは、救いの手があったからだ。俺の場合、それはみどりであったり今の主であったりしたわけだがよ。救われた命は大事に扱って、人生楽しんだ方がいいぜ」
グエンはその男――バイパーの事を兄貴分のように慕うようになった。初めて出会った尊敬できる大人の男性だった。
しかしその一方で、バイパーは教団に対してあまりよい感情をもっていないような発言が時折あった。みどりの知己ではあるが、教団を出入りしていても教団の人間では無いと否定していた。
「お前もここにいる奴等みたいに、誰かに復讐してやりたいのか?」
ある時バイパーは、グエンの迷いを見透かしたかのような言葉を投げつけてきた。
「その気持ちがあるからこそ、ここにいるのはわかってるさ。別に復讐そのものは否定しねーよ。でもお前はそれだけじゃあ済まないんじゃねーか? うまく言えないけどよ、何かお前はここの奴等と、少しばかり違うように見えるな」
「俺の家族が……悲しむかなって。それだけが気がかりなんだ」
バイパーの指摘を受けて、みどり以外の相手に初めて、グエンは本音を零した。
「みどりの奴は何て言ってるんだ」
「俺の人生は俺のものだし、家族に捉われなくてもいいんじゃないかって。でもどうしても辛いなら辞めても誰も責めないって」
「あー……、はんっ、あんにゃろーらしいわ。で、お前はどうなんだ?」
その時、グエンは何も答えられず、バイパーもそれ以上は突っ込んでこなかった。
グエンの迷いとは裏腹に、みどりはグエンを武闘派の幹部の座に据え、解放の日に大勢の信者を指揮する権限を与えた。グエンは喜び戸惑いを覚えながらも、与えられた大役を務めんとしている。
みどりが自分の迷いを見抜いたうえで、背中を押すかのように幹部の座に祭り上げたという風に、グエンも感じていた。
それこそが、自分が信奉する教祖の出した答えだと、グエンは受け取った。だがそれでグエンの決意が固まったかというと、全然そんなことはない。むしろプレッシャーとして大きくのしかかってしまっている。
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