おまけにもう一つのプロローグ

 安生惣介は父親がラテンアメリカ系の移民で、母親が日本人だった。

 移民の常で、姓も国籍も日本のものとしたが、様々な人種の血が混ざったメスティソの父親の影響を受け、肌の色や顔つきは明らかに日本人のそれではなかったため、これまた移民の定番となっている学校でのいじめや差別を受けて育ってきた。


 しかしただ一人だけ、惣介に親しく接してくる同級生の女子がいた。名前はみどり。姓では呼ばず、いつも下の名前で呼んでいた。そう呼ぶように彼女の方から言われた。


 小学三年生にあがった時の事だ。いじめられている最中の惣介に、みどりは堂々と語りかけてきて、遊びに誘った。それを冷やかした同級生は、次の瞬間、少女の容赦ない裏拳がお見舞いされ、鼻血と前歯を空中に撒き散らして倒れた。


「あのさ~、いじめられっぱなしでいないで少しは反撃しなよ~。やられっぱなしだから、あいつらはいつまでも調子にのっていじめてくるんだぜィ。やられてて嫌だと思ったんなら、勇気出して反撃しなくちゃだめよ。あいつらが何もしなくなるまで何度でもやり返せ」


 校舎の隅で、惣介はみどりに諭された。


 惣介は女子にそんなことを言われたという事実が惨めで、なおかつそこまで言われて何もしないでいるのは余計惨めな気がして、翌日、いじめを受ける前に、いじめっ子達の顔を見た瞬間、自分の方から彼等に殴りかかった。

 突然の襲撃にいじめっ子達はうろたえ、みどりの目が光っているのも気にして、一方的に惣介に殴られる結果で終わった。そしてその日からピタリといじめはやんだ。


 その後惣介は常にみどりとつるんで行動するようになっていた。自分を助けてくれたというだけでなく、みどりの気風のよさや大人びた物言いの多さに、強く惹かれるようになっていった。恋愛感情のようなものとは違う、相棒のような意識が働いた。


 だが五年生になったクラス替えがあった際、惣介は初日にまたいじめにあった。以前から同学年の間でも大層評判の悪い児童で、小学生でありながら、親の頭の悪さまで丸出しな金髪パーマをかけて、人を恫喝する表情を作るのに慣れている糞餓鬼だった。

 当然惣介は黙っておらず、逆に打ちのめしてしまった。元々嫌われ者だった児童であるが故に、金髪パーマが床を這う姿を見て喝采が挙がった程だ。


 それでいじめは無くなるだろうとたかをくくっていた惣介であったが、金髪パーマは執念深く陰険な性格の持ち主だった。惣介にかなわないと見るや、惣介の周囲を狙うことにしたのである。

 それも単身ではなく、元いたクラスの自分のグループの六人を引きつれて、惣介の見ている前で惣介と仲の良い者を嬲ってやろうという算段だった。


 五年生でも同じクラスとなったみどりと仲が良いのを見て(普通仲のいい児童は別クラスに振り分けられると聞いたのに、そうならなかったのが不思議だった)、まずみどりを狙ったが、これは当然失敗に終わった。

 二人が惣介を取り押さえて、残り五人がかりであったにも関わらず、みどり一人によって、瞬時に返り討ちにされた。惣介は何もせず、みどりの無双っぷりを武者震いと恐怖との両方で震えながら見つめていた。


 それでもなお金髪パーマは懲りなかった。次に狙ったのは惣介の弟だった。幼稚園通いでまだ五歳の弟と一緒にいる所を取り囲み、先日と同様に惣介を押さえ込み、残りが幼い弟に容赦ない暴行を加えた。

 特に金髪パーマは金属バットまで持ち出し、加減無く弟を打ち据えた。地べたに押さえつけられて顔だけ上げ、惣介はその光景を見つめながら、怒りと悔しさと絶望に打ち震えていた。一生忘れられぬトラウマとなって残った。


 金髪パーマの手にした金属バットが弟の頭に振るわれ、ひどく歪な音が鳴り響いたかと思うと、弟はぐったりとして動かなくなった。頭からはとめどなく血が流れだし、金髪パーマの仲間達は流石に恐怖し、暴行の手を止めた。

 だが金髪パーマはそれを見て小馬鹿にしたような顔をして、動かなくなった弟の体になお、何度も何度もバットを振り下ろした。そうすることで仲間達に、そして惣介に、己の凄さを誇示しているつもりだった。


 惣介の弟は死亡したが、翌日も、さらにその翌日も、金髪パーマとその仲間達は何くわぬ顔で登校していた。

 惣介は警察に駆け込んだし、教師にも事情を説明した。だが彼等が捕まる気配は無く、三日後、教師に「警察は事故として処理したし、あれは事故だ」と告げられて、愕然とした。金髪パーマの親が地元の有力者で裏から手を回したという噂も聞いた。

 いずれにせよ、彼等には一切咎が無い形で済まされたのは明白だった。教師の発言後、金髪パーマはあからさまにけたたましい声をあげて笑ってみせた。


「この人殺し!」


 我慢ならず、惣介は叫びながら金髪パーマに殴りかかった。数発殴った所で教師が後ろから羽交い絞めにして、惣介を制した。


「別に俺ら人殺しなんかしてないし」


 憎々しげな笑みを浮かべ、金髪パーマは言った。


「だって死んだの移民だろ。人殺しとか笑わせんなよバーカ」


 この言葉に、惣介の頭の中は殺意で彩られた。


「殺せ。あたしが許す」


 惣介の殺意を察知したかのように、クラスの児童が見守る中、教師もいる前で、みどりが堂々と告げた。


「殺られたら殺りかえす。シンプルでいいじゃん。法で裁かれないってんなら今ここで殺してオッケーだよォ? みどりが許す。みどりが守ってやる」


 みどりが力強い口調で言った直後、惣介を取り押さえていた教師が突然白目を剥き、呆けたような面持ちとなって力を抜き、その場に立ち尽くした。惣介にも何が起こったかわからなかったが、疑問に思うより先に、金髪パーマへと掴みかかっていた。


「ひゃああぁ! やめやめやめろぉお!」


 本気で命の危険を感じ、金髪パーマは甲高い声で喚き、力の限り抵抗して惣介の手をすり抜け、脱兎の如く教室の外へと駆けて行った。後を追おうとして惣介であったが、勢い余って転倒してしまい、追いつきようがないほど距離が開いてしまった。


「ふえぇ~、しょうがないな~」


 みどりがにやにやと笑いながら呟く。その呟きを惣介は耳にしたし、その表情も確かに見た。それが何を意味するかは、後を追ってから悟る事になる。


 逃げ出したはずの金髪パーマは廊下で叫び声をあげ続け、七転八倒していた。小便を漏らし、見えない何かに怯えて喚き続けていた。

 金髪パーマだけではない。別のクラスにいる彼の仲間達にも動揺の事が同時に起こり、他の教室から一斉に叫び声があがっていた。金髪パーマ同様、突然苦しみだしてのたうちまわり、それぞれの教室で児童も教師も狼狽していた。


 それがみどりの仕業であるという事を、惣介らはわかってしまった。あの笑みと呟きと同時に、得体の知れない力を彼女が行使した事を直感的に理解した。

 いや、直感だけではない。皆の前であんな台詞を口にして、それと同時に担任教師がおかしくなり、そのうえ金髪パーマ達もこの有様。

 それでいて廊下に様子を見に来た児童達が、金髪パーマの姿を見て、他のクラスの叫び声も聞いて、呆然としたり混乱したりしているにも関わらず、みどり一人だけは、惣介に向かって、口を広げて歯を見せるいつもの笑顔を向けているのだ。


「あれはお前がやったんだよな?」

「ふわぁ、気づいたんだ~。ま、君にならバラしてもいっか~」


 パトカーや救急車が来て騒ぎが一段落した所で、惣介が問い詰めると、みどりは飄々とした感じで、あっさりと認めた。

 それからみどりは、己が如何なる存在であるか、惣介に全て語って聞かせた。転生を繰り返す妖術師であること。人の精神に干渉する能力を持つことを。


「あいつらはもう一生病院から出てこれねーよ~。たとえガキだろうが、面白半分に命を奪うような真似してなお笑っているような奴等に、容赦なんていらないさァ」


 金髪パーマとその仲間達は、精神病院へと入れられた。みどりの話では、惣介の弟に殺される幻覚をエンドレスで繰り返し見続けるようにしたらしい。


「これでいいのよ。復讐は虚しい行為とか、したり顔で語る奴もいるけどさァ、んなこたーないよ。だって年月が過ぎて、人殺しの糞ったれのあいつらが何くわぬ顔で就職して家族作って幸せな人生送りました~とか、考えると癪じゃん? でもさァ、あいつらの人生にリセットボタン押して御破算にしちまえば、少なくともそんなこと考えなくてすむんだぜィ」


 その復讐もみどりが惣介の代わりに行ったわけだが、惣介はそれで溜飲が下がった。みどりのその言葉にも救われた。


「田沢をいじめた奴もお前が殺したのか?」


 惣介が訊ねる。クラスメイトの一人が他のグループによっていじめにあっていたが、それらのいじめっ子が一斉に十五階ビルの屋上から身を投げて死んだ事件が数ヶ月前にあった。それもみどりの仕業かと勘繰った。


「ふわぁ、ありゃ違うよ。田沢本人がやったの。やるようけしかけたのはあたしだけど」


 無邪気に笑うみどりを見て惣介は呆れた。


「惣介~、いろいろ楽しかったけど、そろそろお別れだよォ~」


 そしてある日、みどりは惣介に別れを告げた。


「あたしはもうすぐ死ぬ予定なの」

「病気なのか?」

「ううん、ちがーう。自殺するの」


 愕然として訊ねる惣介に、さらに愕然とする答えがみどりの口から返ってきた。


「あたしはそうやって何回も自分で自分を殺して、生まれ変わってきたんだわさ。悲しまなくていいよぉ~。運がよかったらまた会えるかもしれないから。惣介のこと見つけたら、あたしから声かけるね。惣介とは久しぶりに凄く仲いい友達になれたし、あたしの素性もバラしちゃったから、その……何だ、かなり特別な友達だと思ってるしさ」


 頬をかき、照れくさそうに言ったみどりのその表情は、その後何度も夢の中で再現されるほど、惣介の記憶に強く焼きついた。

 惣介は必死にみどりを思い留めようと、説得し続け、最後には泣き落としすらしたが、みどりは寂しげに微笑むだけで、惣介の言葉を聞き入れようとはしなかった。


「田沢はお前にホの字みたいだし、あいつも悲しむだろうな」


 クラスにいた、明らかにみどりに気があるであろう児童の名を口にする。


「イェアー、哀しき別れもまたよきかな。それもまた人生の醍醐味の一つだもん」

「そんなの違うだろ。俺は弟が殺されてもいいなんて思えない」


 自分を睨みつける惣介に、みどりは珍しく鼻白む。


「いやいや、殺されるのはまた話が違うよぉ~。つかまあ、あたしの場合は殺されるわけじゃないんだし、あんたのことも忘れたりしないから、気にすんなって。また会える可能性だってあるんだしさァ」


 何を言っても決意の変わりそうにないみどりに、惣介はうなだれる。流石にそれを見て気の毒に思ったのか、みどりはおもむろに惣介を抱きしめた。


「あ、そうそう。あんたにはあたしの本当の名字を教えてあげてもいいかな。マジでこれは特別だよォ」


 惣介の耳元でみどりは、小さな声で本当の名前とやらを告げた。


 それが三十年程前の話。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る