第八章 3

 宗教団体薄幸のメガロドンが、一斉テロを企てていると噂される日――通称『解放の日』。

 それが実行される前に教祖を暗殺しようと、裏通り中枢、公安、政府の秘密機関、政府高官による独断、裏通り撲滅を掲げる組織『ルシフェリン・ダスト』、身内を殺された者からの復讐依頼等々、そこら中から刺客が送りこまれている。

 中枢に関しては刺客を何名か殺されて早々に諦めたうえに、タブー指定しようにも正体が掴めないため、完全に匙を投げた状態にあった。


 教祖の正体が杳として知れないのが何より厄介であった。プリンセスみどりいう呼び名だけがわかっているが、全く露出が無い。教祖の写真も一切無い。念写の能力や術さえも阻まれた。人工衛星からの撮影さえも超常の力によって妨害された。

 警察や政府筋の者が、妖術師や異能力者を幾人も潜入させたが、そのまま帰ってこないか、あるいは教団内に侵入してからの記憶を全て消された状態で放り出されていた。帰ってきた者は、ただ感覚として恐怖と危機感だけが残っており、二度目の潜入は頑なに拒んだ。


 そして今日もまた、超聖堂内部に侵入した刺客が一人、信者達の目につかない場所で撃退されていた。

 胸部を撃ち抜かれた亡骸の前で、たった今侵入者を撃退した猫背の女性が拳銃をしまう。


「こいつは中々のもんだったよ。かなり熟練した暗殺者だわ」


 不敵な笑みを口元に浮かべるのは、霞銃の異名を持つ神速の早撃ちの使い手、裏通りでも腕利きとして知られる始末屋――樋口麗魅だ。


「どんなに潜入や暗殺の腕が長けていても、精神波を飛ばして微かな殺気ですら察知するみどり相手じゃ無意味だがな。必要なのは、ガチでやりあえる方の強さだ」


 死体を挟んで麗魅の前方に立つ、褐色の肌の長身の男が嗤う。タブーの一人に数えられ、裏通りでも畏怖されている、バイパーという通り名の人物である。


「私にはそれが無いから、あまりボディーガードとしての意味は無いわね」


 心なしか自嘲気味にそう言ったのは、バイパーの背後にいるサングラスをかけた女性だった。最近売り出し中のフリーの情報屋、雲塚杏だ。


「みどり的にはお前にも最後まで側にいてもらいたいだろうよ。つーかあいつが一番心許してるのはお前なんだしよ。引け目に感じることはねーよ」

 バイパーが笑みを消し、真顔で杏をフォローする。


「最期……か」

 杏が一瞬陰鬱な面持ちになって息を吐く。


「私は最後にさせないために、ここにいるつもりなんだけれど」

「うんうん、あたしもだよ」

 杏の言葉に麗魅が大きく頷く。


「杏はみどりの説得を続けなよ。それが一番大事な役目だ。あんにゃろーも中々頑固だから、説得してどーにかなるタマじゃないけど、それでも続けなよ」


 言われずとも杏もそのつもりだ。友人が破滅に向かっていくのを黙って見過ごせはしない。だがこのままではいくら説得しても、どうにもならないように思える。


「解放の日を止めない限り、みどりは止められない。みどりを止めなければ、解放の日も止まらないのよね」

 暗い面持ちのまま言う杏。


「解放の日に集団テロが実際に起こっちまったら、もうどうにもならなくなるな。だがよ、みどりが止めなくても解放の日を止める方法を考え、俺達で実行すればいい」


 そう語るバイパーに、麗魅も腕組みしてうんうんと頷く。

 そんな二人を見つつ、その肝心の方法が今の所、具体的に思いつかないのだからどうしょうもないと思う杏だった。


***


 二千年の歴史を誇る由緒正しき秘密結社――『ヨブの報酬』。そのエージェントである杜風幸子(もりかぜさちこ)もまた、信者の振りをして薄幸のメガロドン内部に潜入していた。

 最近自分の名が知られてきてしまって、微妙に活動しにくくなってきた幸子だが、元々隠密活動に特化した力を備えているがため、一旦潜伏すれば容易に探し出すことはできなくなる。


 現に教団の支配者であるプリンセスとやらも、亜空間結界の中に身を潜めている際には幸子の存在を察知できていないようだ。

 これまで幸子は何人もの刺客が場所を割り出されて、麗魅やバイパーに屠られているのを目の当りにしている。プリンセスが己に敵意を抱く者の居場所や正体を察知する力があるのは、明白であった。

 幸子はできるだけ彼等との接触を避けるようにしていた。そしてある時気が付いた。逆に言えば敵意や悪意を抱かないことには、結界の外にいても敵として認識されないようだと。


 幸子は教団敷地内のあちこちに複数の亜空間結界を作り上げ、それら結界を拠点として動いている。移動する際には、他の信者達が目につく場所に限る。

 プリンセスの護衛は、他の信者の巻き添えを避け、なるべく人目につかない場所で刺客を始末しているからだ。しかしプリンセスが生活しているであろう区域は、麗魅らボディーガード三名以外の立ち入りを禁止されているため、近寄る事が難しい。

 どうにかして麗魅とバイパーを出し抜けないものかと、機会を伺っている幸子だが、中々その機会が訪れない。

 ブリンセスが信者達のいる区域に降りてくる事も多いが、その際には麗魅、バイパーのどちらかが必ず護衛についている。それ以前にプリンセスが降りてくると、たちまち信者がたかってくるし、信者に紛れて暗殺の強行が出来るようなぬるい相手でもない。ターゲットのブリンセスにせよ、ボディーガードにせよ、全く警戒を解かない。


「あら、幸子さん」


 本院内をうろついていた幸子に声をかける者がいた。知り合った信者の一人で、花山知恵(はなやまちえ)という名の中年女性だ。


「貴女いつもどこにいるの? 分院では全然姿を見かけないし」


 出会い頭にそう問われて、幸子は失敗したなと思った。薄幸のメガロドンの信者の大半は、この敷地内で集団生活を行っており、分院と呼ばれる生活居住区たる建物で寝泊りをしている。幸子はそちらにほとんど足を運んだことはなく、寝る時は本院の結界内で寝ている。知り合いを作ればその辺を疑われるのは当然だ。

 こういう場所に潜入する際は、内部に知り合いを作っておくと、情報収集にもカモフラージュにも役立つものだが、その結果怪しまれては本末転倒だ。


「えっと、実はね。私はプリンセスから直接特殊な任務を授かっていて、ここを離れるわけにはいかないんです。あ、もちろんこれは秘密ですよ」


 とっさの嘘にしても上出来とは思えなかったが、自分のことを口外させないためのものとしては、この相手にはこれで十分だと判断した。


「まあ、偉いのねえ。皆プリンセスのために頑張っているのよねえ。私は解放の日に暴れるだけだけど、頑張らなくっちゃ」

 朗らかな笑顔を見せる知恵に、幸子も愛想笑いを返す。


「こんなおかしな世界、滅茶苦茶になってしまえばいいのよね。私達の手で少しでも滅茶苦茶にしてあげなくっちゃ。プリンセスがそう仰っていたから、絶対にそうすべきなのよ。嗚呼、もっと早くにプリンセスに会っていれば、そしてあの子をプリンセスに引き合わせることができれば、あの子も死ぬことは無かったのに……。あの子の命の代価を……あの子の魂の尊厳のために、あんな糞極まりない社会に巣食う糞虫達に支払ってもらわないとね」


 狂気と怨念に満ちた熱弁を振るう知恵。見た感じ、どこにでもいそうな普通のおばさんだ。いや、実際ここに来る前は普通のおばさんだったのだろう。だがどこかで何かが狂ってしまった結果、日常からドロップアウトして、身も心もおかしな世界へと堕ちてしまった。


(救いを求めた相手が悪かったのね。よりによってこんな破壊的な教義の宗教なんて)


 痛ましく思う幸子。同時に、そんな人間らを集めて破滅への片道キップを握らせ、社会へと矛先を向けさせ、さらなる悲劇をもたらそうとしている教祖に対し、怒りを覚える。

 できることならこの人も救ってやりたいと思うが、たとえ解放の日前にプリンセスの暗殺に成功したところで、信者達の暴走を止められる保証は無い。むしろ余計に事態は悪化しそうな気さえする。

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