第七章 8

 先日の料亭にて、星炭闇斎と土御門泰重は再び会談していた。


「先程耶蘇会の者に、詳しく問いただしてきました。諸悪の根源たる術師の企てとは、南蛮妖怪『伝衛悶』をこの国で増産しようとしているとの事です」

「ほほう」


 泰重の言葉を聞き、闇斎は興味深そうに微笑をこぼす。


「聞いたことがありますな。全身黒く、山羊の角やら蝙蝠の羽が生えた化け物だと」


 超常の領域に携わる者であれば、他国の魔術妖術怪異の知識もそれなりに入ってくる。諸国を放浪し、多くの術師とも交流を持つ闇斎ともあれば猶更だ。


「昨夜、江戸の街の外れで目撃され、腕利きの妖術師が討伐してまいりました。耶蘇会の者は、初期の実験段階で作られたものが逃走したのではないかと言っておりました」

「耶蘇会の者の言葉を信じてよろしいのかな?」


 胡散臭そうに闇斎が問う。


「危険も承知のうえでわざわざ江戸まで出向き、潜伏しておりますしの。ただごとでない様子ですし、我々を欺くことはありますまい。ただ、偽りごとは無いものの、秘匿していることはあるように見受けられますがね」

「それだけでは信じられぬでござるよ」


 闇斎は切支丹も異人も信用に値すると思っていない。宣教師達は侵略の尖兵である。南蛮人は新たに発見した地には、先ず商人を送り、次に宣教師達を送って布教活動を行い、最後に軍隊を送って侵略するというのが定番となっていて、すでに多くの国が侵略されている。

 それだけではなく、神道、仏教は元より、陰陽師や表舞台に立たぬ妖術師流派にとっても脅威となりうる。この国ではそれらの理由から禁教令が出されたわけであるが、その判断は正解だと闇斎は見ている。


「されど耶蘇会の言葉が真実であれば、看過できますまい。実際にここ数年、妖しい気が立ちこめ、世は荒れているではないですか」


 闇斎の危惧と疑念を見てとり、泰重がたしなめる。


「実は耶蘇会の者と、伝衛悶を討伐した妖術師を呼んでおりまする。お、噂をすれば……」


 鳥の形を模した紙が襖の隙間から室内に入り込むと、宙を舞い、泰重の肩に乗る。泰重が手を叩くと、仲居によって襖が開かれる。

 男女二名が一礼し室内に入る。男の方は一見若い侍に見えたが、妖術師であることを闇斎は一目で看破した。それもそれなりの腕前の。

 もう一人、女の方も同様だ。漂う気から、女の方も相当強力な術師であることがわかる。女の方は灰色の地味な着物で身を包み、頭巾で頭部を完全に隠していて顔はわからない。


「お初に御目にかかる。草露香四郎と申します。草露流妖術五代目継承者候補です」

「ほう、あの草露の。これはとんだ大物じゃ。私は星炭闇斎。星炭流妖術九代目後継者をやっとります」


 破顔して、座したまま頭を下げる闇斎。


「ははは、拙者などよりそちらの方が余程大物ではござらんか」


 香四郎も笑い、泰重の向かいへと座る。


「はじめましてー。私のことはシスターと呼んでくださーい。しすたあ」


 女の方が奇妙な抑揚で自己紹介をすると、頭巾を取った。ウェーブのかかった赤い髪があふれでて、闇斎と香四郎を驚かせた。さらに異様に白い肌と水色の瞳。女は異人だったのだ。顔を隠していた理由はこれだったのかと両者理解する。


「この女人が耶蘇会の?」

 闇斎の問いに泰重が頷く。


「どーもこのたびは、いろいろとおさわがせして申し訳ありませーん。私達の追っている敵が、キリスト教を禁じたこの国に流れ込んで悪さをしているようでしてー」


 ようするにその敵とやらにとってこの国は、耶蘇会からの追撃をかわして逃げ込むにはうってつけだったのだろうと、闇斎は推察する。


「これはこれは、日の本の言葉が随分と達者でありますな」

 シスターと名乗った異人の女性の顔をじろじろと無遠慮に眺めながら、闇斎は社交辞令を述べる。


「私の顔に何かついてますかー?」

 特に不快を表すでもなく、不思議そうに問うシスター。


「いやいや、この国の女子とは随分と異なる顔つきなのでな。うん、別嬪じゃ」


 にやにやしながら臆面もなく言い放った闇斎の言葉に、シスターは顔を赤らめる。


「よしてくださいよー。てれーるじゃないですかー」

「ははは、器量の良い女子はちゃんと褒めてやらねばな。特にその緋色の髪、よいのお、まことよい。この国では見られぬ色の髪じゃしの」


 馴れ馴れしく手をのばし、シスターの髪を撫でる闇斎。


「そういうこと言うとですねー。私から見ても珍しいものだらけなんですよー。貴方で言えば、服についたこの玉とか、一体どういう意味があるものなんですかー? あとこの帽子とかも」


 お返しとばかりにシスターが笑いながら、闇斎の服の前に四つぶら下がっている、大きな毛玉のような物を触る。


「実は私もよく知らぬのですよ。この服は頂き物じゃしの。何となく気に入って着ているだけでしのお」

「おっほん、本題に入ってよろしいかな」


 泰重が咳払いして口を挟み、シスターと闇斎も腰を降ろす。


「言うまでもないことですが、くれぐれもここでのやり取りは口外せぬように」


 鎖国令と禁教令がある最中、非常事態とはいえ、耶蘇会と密会をしているなどと知られれば、泰重と闇斎の立場も危うい。


「それではシスター殿、話を聞かせていただきたい。この国を蝕まんとする者の正体と目的を」

 促す泰重。


「この国に進入した魔女は、私達にとって不倶戴天の敵と呼べる子でーす。彼女はこの国の邪悪かつ強力な術師と手を組み、デーモンという魔物の製造法を伝え、何かしらよからぬことを企んでいます」

「その術師とは何者でござるか?」

 香四郎が問う。


「島原の乱の唯一の生き残りであるあの人でーす。切支丹の同胞を裏切り、徳川幕府軍にと通じていたあの男でーす」


 シスターの指す人物が何者であるか、三人ともすぐにわかった。山田右衛門作。島原の乱において、一揆軍の幹部だった男。


「山田右衛門作が妖術師であったと?」

「彼のもう一つの名は雫野右衛門作と言いまーす」


 雫野の名を出されて、闇斎と泰重は固まり、香四郎は身を大きく震わせた。

 破幻と封霊、他者の精神を侵す術に長け、怨霊を使役する外法や呪術の類にも深く精通する雫野流妖術。その開祖である雫野累は悪名高く強力な妖術師であり、幾人もの名だたる妖術師を打ち破っている。さらにはあの鬼辻の正体であることも判明した。

 その雫野の名を冠するということは、間違いなく雫野の妖術師であると見なせる。


「今まで言えなかったのは、身内の恥という側面もあったりなんたり、いろいろ複雑だったからでーす。どーもごめんなさいねー」

「身内ということは、未だ山田右衛門作は切支丹なのですかな?」


 謝罪するシスターに突っ込む闇斎。


「それは知りませーん。そういう意味ではなくて、彼が元々が切支丹だったから、私達も警戒されるんじゃないかなーと、そういう不安があって言い出せなかったのでーす」

「はっきり言わせていただくとな、そなたが異人かつバテレンという時点で、信用も糞もないのでござるよ。しかし国の危機と言われ、あえて話を聞いているにすぎんのです。なので余計な気遣いは不要でござる」

「そうですかー。なら逆に安心でーす」


 無礼にも聞こえる闇斎の物言いだが、シスターは気に留めた様子を見せず話を進める。


「私達と相対している魔女の目的は、今ひとつわかりませーん。バット、雫野右衛門作の目的は明白でーす。彼はこの国を乱すことを目論む行動を取っていまーす。実際にデーモンを産み出しているのは彼でーす。私達が追っている魔女は、デーモン製造の術を彼に授けたにすぎませーん。デーモンを創る製法は幾つかありますが、そのうちの一つとして、人間のゴースト、アストラル体、ソウル、精神、まあそんなものを材料にする方法を教えたようですねー」

「妖怪の製造における方法の一つではある……が」


 闇斎は顔をしかめて唸った。山田右衛門作という人物がその製造方法で伝衛悶を量産していることが、何を意味するかを察してしまったからだ。


「確かにこれは国の危機じゃのう」

「ええ。早急に手を打つ必要があるでしょう」


 苦々しい顔で言う闇斎と、真顔で言う泰重を見て、香四郎は疑問に思う。


「この国の危機と成りうるというのも大袈裟ではござらぬか? 私も昨今の気の乱れや、怪異の跋扈も承知はしておりますが」


 うっかりそう口走ってから、香四郎自身も生意気な口を叩いてしまったと気づいて、後悔する。このような失言も四代目の光次郎から疎まれるようになった原因の一つだ。香四郎の悪い癖だった。


「大袈裟ではござらんぞ。紅毛人の魔術師とやらと手を組んだ、かの妖術師はそれが出来うる。その下準備であろう。あの島原の乱は……な」

 と、闇斎。


「よくわかりませぬが……何故そのような判断を?」

 さらに突っ込んで問う香四郎。


「妖を作る材料をどこから調達していると思われます?」


 泰重に逆に問いかされて、香四郎はようやく気がつき、青ざめた。


「異国の妖――伝衛悶を作るにあたり、恨みの果てに死んだ魂魄が必要であれば、それは大量にある。即ち――島原の乱にて果てた三万七千にも及ぶ切支丹の魂。恐らくそれらは全て、伝衛悶を創るための材料として、山田右衛門作によって殺されるように仕向けたに相違あるまい」


 闇斎が確信を込めて言った。それで話が全て繋がる。他に考えられない。


「イエス。右衛門作の企みなのか、魔女の企みなのかはわかりませーんがー、そういうことなのは間違いないでしょうー。そしーて、デーモンを触媒として利用した秘儀でもって、超自然現象を意図的に引き起こすことも、不可能ではないということでーす。途方もない労力こそかかりますが、何せ術師の命令に従うだけのデーモンに秘儀をやらせるわけですし、数さえ揃えば可能なのでーす」

「島原の乱以後、それらは全て始まっていたのじゃな。数年間降り注いだ災害は天から送られた災いに非ず、人為的なもの――か」


 闇斎が不敵な笑みを浮かべる。その瞳に確かな怒気が宿っているのを、その場にいる他の三人は見てとった。


「存じあげておられるでしょうが、山田右衛門作は特に隠れもせず、松平低にて悠々と暮らしておりまする」

 泰重が言った。


「すぐにでも討伐に向かえませぬか?」

「バーット、迂闊に手出しはできまーん。お恥ずかしい話ですがー、右衛門作を見張っていた私の部下数名が、逆に捕らえられてしまいましたー」


 逸る香四郎に、シスターが沈んだ面持ちになってかぶりを振った。


「それでは代わりに私が右衛門作を見てきてみますかのう」


 不敵な笑みを張り付かせたまま闇斎が名乗り出て、立ち上がる。


「迂闊に手出しできぬと言っても、放置はできぬでござろう。討てる機会があるようなら討ちとってみせましょうぞ。もちろん、その魔女とやらもね」

「過信は禁物でーす。あの魔女の力はベリーベリー恐ろしいものですよー」

「正直、異国の術師とやりあうのが楽しみでの。術合戦による異文化との交流を味わえるなど、実に心躍るというもの」


 たしなめるシスターだったが、闇斎はあくまでも不敵な笑顔でうそぶいてみせる。


「相手は複数。さらに伝衛悶という強力な妖を相当数配下に置いているのですぞ。くれぐれも無理はしなさるな」


 鋭い声で警告する泰重。一人で行かせるなど気が進まなかったが、闇斎が勇猛果敢な人物であることは承知している泰重であるが故に、言い出したら止めても無駄であろうと思った。


「わかっておりますよ。私も無理ができる歳じゃないしの。もっと若ければ無理ができるところじゃが」

「それでは無理せぬ拙者が腑抜けのようでござるな」


 闇斎の言葉を受け、冗談めかす香四郎。


「ふはははは、若い者に手柄を譲りたくない年寄りの我侭よ。気になさるな」

 豪快に笑ってみせる闇斎。


「星炭さんはおいくつですーかー?」

「えーと、四十八かの」

 問いに答えた闇斎に、シスターはにやりと笑う。


「私の十分の一も生きておられませんねー。ベリーヤングでーす。でも私は若い者に手柄をお譲りしまーす」

「なんと……」


 絶句する三名。特に驚いていたのは香四郎だった。驚くと同時に歯噛みする。噂では不老の術が存在することは知っていた。それは彼が最も欲するものだった。目の前の見た目だけは若い異人の女性は、それを会得している。


「では早速行ってきますかな」

 襖を開ける闇斎。


「お気をつけて」

「本来私がすべき役目ですがー、私だとあの魔女に気づかれてしまう可能性が大きくて、申し訳ありませーん」


 その闇斎を送り出す泰重とシスターを見て、わざわざ偵察などせず、さっさと皆で討ち取りにいけばいいのではないかと思う香四郎。しかし彼等にも考えがあるのかもしれないとも考え、口に出さずにいた。

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