第七章 たまには江戸時代で遊ぼう
第七章 プロローグ
世界を受け入れられぬ者は、世界を憎む。世界に受け入れられぬ者も、世界を憎む。
世界は人によって作られる。世界の色は人によって染められる。染め上げられた色に染まらない者は、つまはじきにされる。故に憎む。迎合しなくてはならない。さもなくば生きられない。だがそれもまた辛い人生だ。故に憎む。
雫野累は世界を憎んでいる。日常社会を平和に暮らす人々を憎んでいる。平和そのものを憎んでいる。
だが同時に恐れている。引け目を感じている。罪悪感を抱いている。血塗られた過去を持つ自分が、平和な日常とは相容れぬ存在であり、彼等にとって恐るべき破壊者であるということを自覚するが故に、拒んでいる。
平和な日常から外れた人間相手には心が許せる。血の匂いを漂わせる者は同族と見なしている。世界からつまはじきにされている人間にも、優しい気持ちになれる。
累は己の過去が疎ましくて仕方が無い。何もかも憎み続け、罪を重ね続けた過去が、累の魂に重くのしかかっている。
不老不死の命を捨てて死んでしまえば――冥界へと旅立ち転生の枠に戻れば、罪の意識からも解放されるであろうにも関わらず、死ぬという選択肢を取る事もしない。カルマを背負いながら行き続けている。
何故なら累は幾百年の年月を生きながら、未だに掴んでいないからだ。納得しうる答えを得ていない。これだけの時間を生きてなお、求める真実へと辿り着けずにいる。
世界そのものが累にとっての脅威であり敵であると見なし、累は世界に災厄を撒き散らし続けてきた。累はそれを悔やんでいる。転生を経た想い人と悲願の再会を果たしても、自らが背負った罪業の苦からは逃れられずにいる。
世界の中にいながら、世界の中に存在しないとして、自分と世界との間に見えない壁を感じ、光の世界に背を向けた。
とはいえ、累はそのままでよいとはしていない。もっとまともな形で、世界の一部へと戻ることを願っている。それが今の累の最大の望みだ。何よりも、背負った罪から解放されたい。
その最も簡単な方法は、命を終えて積み上げてきた数百年分の全てを御破算にすることだ。死して生まれ変わればいいだけの話。だが累にはそれもできず、己の記憶と力に、己自身に、執着し続けている。
永遠の命など見苦しいと、かつて自分に向かって言い放った者がいる。それはある意味正しい。だが……
(せめて答えを得て、納得してから……満足してから逝きたい所です。もういいやって、素直にそう思えてから)
死ぬ前に答えを掴みたい。それが今の累の切なる願い。だが累の望む答えとはあまりにも茫漠としていて、あとどれだけの時間と苦痛を要すれば、そこに至るのか、累には全く見当がつかない。
「累君、今夜は出ないのー?」
雪岡研究所の居間にて、ソファーに腰掛けてテレビの前から動こうとしない累に、純子が声をかける。
時計を見上げる。いつもなら『タスマニアデビル』へと赴き、ピアノを弾いている時間だ。世界を恐れるようになった累が、せめて夜の世界だけでも表に出ようとしてのリハビリ。
累の中にある恐怖は、一つは罪悪感から、もう一つは疎外感から生じる。
裏通りの住人達は、表通りの日常社会からは外れた者であり、また何かしら罪を犯している者達であるが故、同胞意識を抱ける。安心できる。
「出ますよ。雪が降って……いますし……」
雪が降っていることは真から聞いた話だ。累自身が確認したわけではない。
累は雪が好きだった。深々と降り積もる雪が、街も野山もただ白く覆い尽くす光景は、何百年経ってもいい。特に夜の雪は格別だ。何よりも、雪にまつわる良い思い出は多い。
甚平を脱いで洋服へと着替え、雪岡研究所を出る。そのまますぐにタスマニアデビルには赴くことなく、カンドービルを出てしばらく夜の街を散歩するのが常だ。
タスマニアデビルから帰宅する際も、一直線には帰らない。夜という、累にとって安堵できる時間帯のみ、外の世界を堪能したい。
街は雪景色に染まっていた。車道の横に雪かきの跡が見受けられる。泥と排気ガスの混ざった汚らしい雪の山。風情があるとは言いがたいが、この光景も見慣れた。
(山の中の雪も見てみたいものです。もう何十年も見てないけれど……)
かつて山中に住んでいた時代を思い起こす。傍らに愛しき者がいた事もあった時代を。
過去に戻ることはできないが、記憶の中に焼きついた過去は色あせる事は無い。何百年という時間を歩んできた累は、人々の世の歴史の移り変わりを見続けてきた。それぞれの時代に思い出がある。
(人類が宇宙に飛び出して、別の惑星に移住したり宇宙人と戦争したりするまでは生きたいと、純子は言っていましたが、僕は未来に希望を抱くほど余裕がない)
純子のポジティヴな姿勢は昔から変わっていない。自分のネガティヴな姿勢も。
(僕は今をひたむきに生きるしかない。こんなリハビリでもね)
自嘲の笑みをこぼす累。歩いているうちに雪がやんでいたのに気付き、傘をとじた。
それが、現代の話。
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