第六章 23

 雪岡純子、霧崎剣と並び、この国で最も危険かつ優れたマッドサイエンティスト――三狂の一人、草露ミルク。その人物と真は接触を試みた。純子の遊びを壊してやるために。

 ネット上でしか姿を現さず、その正体は誰も見たことがないという話であるし、音声ソフトでも使ったかのような声からして、この場にいない可能性も高かったが、真の勘では、隠れているだけで近くにいるような気がした。


『千年前、この世で唯一愛した人の死を目の当たりにして、悲しみのあまり、その人以外、誰も恋することがなくなる呪いを自らかけた娘がいたのです』


 ミルクが唐突に朗々と語りだした。


『娘は千年以上の時を旅して、いろんな国、いろんな土地、いろんな文化に触れ、人類の歴史と共に歩み続けたのです。いつか愛した人の生まれ変わりと出会えると信じて、気が遠くなるような時間を、死を拒絶し、他の誰も恋することなく生き続けたのです』

「……だから、何なんだよ」


 ミルクのセリフを聞いているうちに、真は胸の中にドス黒い炎が噴出し渦まき始めたのを意識する。


『娘は悪逆非道の魔女と成り果て、世に災厄を振りまきながら途方も無い長い時を生き、千年越しにようやく大好きな人と巡りあいましたとさ。なのに、めでたしめでたしとはいきませんでしたとさ。まあ、このエピソードに関してはわりと私も同情してる。で、そういう背景があったからこそ、私もお前に興味を持ってこうして直に会いに来てやったのですよ』

「あいつが自分でぺちゃくちゃ周りに話したのか?」

『お前が生まれる前からな。過ぎたる命を持つ者の間では有名な話だし、世界のフィクサー気取りの糞虫共から、お前はわりと注目されている存在なんだぜ? 何しろあの雪岡純子と雫野累の共通の想い人だし。まあ、累の前世の恋人でもあるっていうのを知っている奴は、あまりいなさそうだが』


 話を聞いていて真は不快感を催して仕方が無かった。真には前世の記憶など無い。だが累と純子は真の前世を知っている。そして前世の真との縁があるからこそ、現世の真と接している。共に暮らしている。だが真は記憶の無い前世などを持ち出されるのが、嫌で仕方が無い。


『じゃ、前座はここまで。本題に入るかな』

 ミルクが告げた。


『何でお前は私に接触を試みた? 純子を裏切ってまでそうする理由がわかんねー』

「僕はあいつの邪魔をするのが趣味なんでね。最も近い場所にいて、ここぞという所で裏切るのが好きなんだ。あいつもそれを承知で僕を手元に置いている。僕と雪岡の間のゲームみたいなもんだ」

『むう……面白い答えですね。まあ純子の策謀にしておかしいとは思ってたし』


 ミルクが感心したような声を出す。


『もう一つ質問。どうして私がバイパーの主だとわかった? 純子さえ知らねーのに。情報屋を利用するにしても、それがわからなければ、私と接触には至らなかっただろう』


 知らないからこそ、純子は惣介の父親であるバイパーをおびき出そうとしている。もし知っていたら、こんな回りくどい方法で釣ろうとはしないだろうと、真もミルクも理解している。


「あてずっぽうだな。アルラウネの研究チームの中にはマッドサイエンティストの三狂が揃っていた。雪岡、霧崎剣、草露ミルク。惣介の父――バイパーがアルラウネを移植されたマウスだとしたら、余程の力を持った奴だろうと踏んだ。日本にいて、裏通りとの関わりを持つとしたら、三狂の誰かである可能性が高い。霧崎でないのは明白だな。あいつが作った芦屋は、かつてバイパーとやりあっている。そうすると消去法で絞られてくるのは、草露ミルク、あんたになる。そこまで考えた時点で、ただのあてずっぽうで確証がないんで、オーマイレイプに頼んで調査してもらった。そしたらそのあてずっぽうの推理が的中していたんだ」

『なるほど、お前って見た目のわりにはアバウトな性格みたいね。そのアバウトさが功を奏した感じですか』


 おかしそうに言うミルク。


「もちろん三狂とは全く別人の可能性もあった。雪岡はアルラウネの共同研究にも参加していたから、バイパーが誰のマウスなのか、僕よりもずっと見当がつくんじゃないかと思ったし。三狂とも知己だから、わざわざ餌で釣ろうとするような事をするのなら、雪岡は三狂以外の誰かと判断していたのかもしれない。常識的に考えれば、知り合いの玩具と知っていてそれを勝手に実験台にはしないだろうと。でも常識外れな雪岡の性格を考えると、作ったのが誰であろうと構わないんで、実験材料としてのバイパーを手に入れるために、とりあえず餌を撒いただけと考えた方がいいから、そのことは考慮から外してみたんだ」

『いやいや、いい推理してるよ。実際ドンピシャだったわけだし』


 ミルクが笑い声で称賛した。


「で、取引に応じてくれるのか?」

『お断りだ、ボケ』


 真の問いに鼻を鳴らして、笑い声のままミルクは即答する。


『ま、バイパーに加勢するのではなく私に目をつけたのは評価するし、いろいろ考えて頑張ったとは思うが、私には何の得もねー。お前の情報なんて必要も無かったし、元々私は出向くつもりだった。その先のことも期待できない。もっと興味を引く土産があれば別だったですけどね。まー、次はせいぜいうまくやるんだな』

「土産は僕の話だけでは駄目ってことか」


 小さく息を吐く真。話しているうちに――取引を拒否されたことも含め、このミルクという人物の性格が少しわかった気がした。


『甘い。世の中そんなノリのいい奴ばかりじゃねーんですよ』

「でも僕の取引を拒否するってことは、あんたのマウスを見殺しにするってことになるんだぞ。取引云々以前に、あんたがバイパーを雪岡から奪還しても、僕の目論見通りだ」

『それも甘い。お前はあくまでお前が動いた結果、純子の妨害をできればゲームの勝ちなんだろ? だったらそれも邪魔してやんよ。お前をここでボコボコにすれば、お前はここでゲームオーバーだ。お前はただのピエロになるだけで、ざまーないことです』


 ミルクの底意地の悪さに、怒りを通り越して呆れる真。今の言い様で、この人物のことがある程度わかり、大きく息を吐く。流石に純子と同列扱いされるだけはあると、人格面の方からまず納得してしまう。


 真が銃を抜く。その数秒後、繭とは異なる気配を感じた。何者かが繭の後方にいる。


『姿を見せてやるのは大サービスですよっと。本当は姿も見せず一方的にぶち殺してやりゃいいんだが、私は性格よくてお人好しだからな』


 からかうような声と共に、繭の足元から、気配の元が現れた。


「本当にそれが本体か? マウスとか使い魔とか幽体離脱して憑依とかではなく」


 綺麗な毛並みの白猫を見下ろして、真が問う。


『嘘だと思うのなら後で純子に確認すればいいだけの話だボケ。あいつは私の正体を知ってるからな』


 白猫が真を見上げる。白猫の口は動いていない。どういう手段で声を出しているのかは不明だが、猫の口の構造で、人間の言葉を喋るというのは確かに無理そうだ。


『サービスで、こいつも教えてやっかな』

 ミルクは言った。


『私は妖術師だけど、術とか面倒だし必要ねーと思うので、戦闘ではもっぱら念動力のみで戦う。それだけで十分ですし。極めてシンプルだろ。ただの不可視な圧倒的パワー。でもこの単純さに勝る者がほとんどいない。破る方法はこの力を上回る力があればいいだけですがね。ま、解析と抵抗の力をデフォで備えた、過ぎたる命を持つ者相手には一番有効だし』

「ひょっとして声も念動力で空気を震わせているのか?」

『御名答。猫の舌で人の言葉は喋れないしな。じゃ、あばよ小僧』


 ミルクがそう告げた直後、真の意識が途切れた。

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