第六章 12
電話をとった王秀蘭は、相手の最初の第一声もすでに予想していた。
『安楽市に潜伏させていた部隊の一つがやられた』
「存じています。出番ですね」
『応援は他にも送る。うまく連携を取れ』
最小限のことだけ言い残して、電話は切られた。ぶっつけ本番の適当な命令。作戦も全て現場組で回せということなのであろう。しかしその方が秀蘭にしてみれば好都合だ。
「というわけで、出番だそうです。私達は私達だけで動きますよ」
煉瓦の面々を前にして、秀蘭はそう宣告する。
「同胞がピンチだったら助けはするんでしょ?」
張強が全く緊張感の無い口調で尋ねる。久しぶりの任務に心躍らせているという風ではあるが、気負いのようなものは全く無く、まるでピクニックにでも行く前の子供かのようにそわそわとしている。
「そういう場面を見たら流石にね。あるいは助けを求められたら。けれども積極的に他の部隊と関わることもないでしょう」
と、秀蘭。
「足手まといにしかなりませんものね」
へらへらと笑いながら、どうでもよさそうに言う李磊。こちらは張以上に気の抜けた感じである。
「我々煉瓦は、煉瓦の人命を最優先して動けばよろしいでしょうな。任務の達成よりもね」
「最後の一言は、我々の前以外では慎むようにしてください」
李にやんわりと注意する秀蘭。李は皮肉で言っているのではない。本当にそう思っている。
任務であろうと、本当に危険となればとっとと逃げろと、李は常に口にしているし、立場的に上官である秀蘭もそれに同意していた。結局は我が身を最優先した結果生き残った方が、また別の任務に臨んで国にも貢献できるという理屈だ。
「やれやれ、こんな時に任務とか。昨日発売のゲームやりこめないのが残念すぎ」
「俺だって今夜生で見たいアニメあったんですよう。掲示板で実況しながら見られなくて超残念。ま、俺は任務の方が楽しいからいいですけどー」
李と張が軽口をたたきあう。
「雪岡純子とその専属の殺し屋相沢真は、現在別行動を取っているようですが、どうしましょうか」
李を見て意見を伺う秀蘭。指令を来ることを予期していた秀蘭は、指令が来るよりも前からすでにターゲットに関する情報を追って把握していた。
「とりあえず相沢真から当ってみましょうよ。単独行動をとっているのなら、潰しておくには好機ってね」
煉瓦における行動の方針は全て李が決めている。もちろん最終的な決定と命令は隊長である秀蘭が行っているが、李の提案や意見を秀蘭が受け入れなかったことはほとんど無い。李の判断に全幅の信頼を置いている。
(あいつがどれだけ成長したか、興味もあるしね)
だがその信頼されている李が、実は個人的な理由で方針を決めていたなど、煉瓦の誰一人として思いもよらなかった。
***
裏通りの住人の憩いの場であるタスマニアデビル。
夕方は夜に比べて人気は少ないものの、それでも賑わっている。この時刻にこの場所を利用するのは、仕事絡みによるケースが多い。
「よー、真」
ダウンジャケットのポケットに手を入れた女性が、タスマニアデビルに入ろうとした真に声をかける。
猫背でやや斜視が入っているが、文句無く美人の範疇に入る容姿の持ち主である。手を抜く動きが霞んで見えぬほどの神速の早撃ちの使い手という噂から、霞銃の異名を持つ始末屋――樋口麗魅だ。
「今来た所? あたしもそうよ。杏は先に来てるよ」
「ああ、そう」
内心、とんだお邪魔虫が来たなと思う真。取引も兼ねての杏との待ち合わせであったが、二人きりの時間も過ごせるかと期待していた所に、麗魅も同伴となってしまっては、それも期待できそうにない。実際以前に何度もそういうことがあった。
「杏と二人っきりとか期待してたあ? ま、あたしが邪魔しなくても今夜は無理だからね」
(自覚あってわざとお邪魔虫してたのか)
にやにやと笑いながら告げた麗魅の言葉に、真は苛立ちを覚えた。もちろんそれを表には出さないが。
「おーい、杏、お待ちかねの真がきたよー」
店内に入って杏の姿を見つけるなり、真の肩を強引に抱き寄せ、手を振って大声で杏を呼ぶ麗魅。杏は嘆息し、真は無表情とも憮然ともつかぬ顔で、されるがままに麗魅に連れられていく。
「どーしたよ、二人とも。ったく、こんくらいのスキンシップでそんな顔するとか、本当に頭固いよなー」
「そういうノリが苦手な相手もいるってことを考慮しなさいよ」
隣の席に腰を下ろし、無邪気な笑顔で言う麗魅を杏がたしなめる。真は杏の向かいに座わる。
「えっと、いきなりで悪いんだけれどね。この依頼は流石に私の手に余るわ」
杏が申し訳無さそうにそう切り出す。真もその返答を予想していなかったわけでもないので、別段落胆はしない。杏は情報屋としては優秀な方ではあるが、それでもフリーの情報屋に頼むには、荷の重い依頼であることもわかっていた。
「代わりの人を直接紹介するから、私を介してそちらへの依頼という運びでいいわね?」
「僕もそれを断らないと踏んで、僕を呼んだんだろう?」
その紹介した別の情報屋とやらもすでに呼んであるのであろうと、真は察する。
「ええ。もうすぐ来るはずよ。あの組織なら、私がお手上げだったあの情報を仕入れることもできるはず」
「杏が降参するほどの情報を仕入れられる組織となれば、限られてくるねえ?」
麗魅が口を挟む。真も同様のことを考えていたし、候補となる組織は二つしか思いつかない。純子が贔屓にしている『凍結の太陽』か、あるいは――
「ちょっと今たてこんでいるから、協力はこの程度しか出来ないかも」
言いづらそうに杏。真から依頼を受けることは、杏にとっても嬉しいことだ。だがせっかくの要望に応えきれないのが残念でならない。
「ああ、あいつ、明日から護衛サボりたいってさ。今夜はやるようだけど」
「サボるって……」
「わけありっぽいんで突っ込まなかったけれどね。てなわけで、明日からはしばらくあたしと杏で交代しつつ護衛かな」
「護衛?」
麗魅と杏の会話に興味を持ち、真が口を挟んだ。
「うちらのダチがさー、宗教なんかにハマっちまいやがって。しかも今騒がれているあの『薄幸のメガロドン』な」
『薄幸のメガロドン』の名は真も知っている。最近話題で持ちきりの、カルトの代名詞のような宗教団体だ。この世に生まれた者は何をしてもよい権利を与えられているので、法にも倫理にも縛られることなく、この世を己に与えられた遊び場として好き勝手に生きろという教義の元に、信者による犯罪が多発して社会問題化している。
しかも最近、彼等の無差別な犯罪行為がエスカレートし、自爆テロまで行われるようになった。どうやら教祖が『解放の日』というものを定め、その日に何かとんでもないことを起こすつもりでいるらしい。
詳しいことは信者達ですらもわかっていないが、信者達は解放の日を心待ちにしている。だが、解放の日を待ちきれないと、一部先走りする者達が現れるようになった。解放の日には、それこそ彼等による一斉無差別テロが起こるのではないかという噂が立ち、警察もその可能性を危惧して、解放の日に向けて警戒している。
「あたしらとしたら、そんな宗教やめてほしいんだけれどもねー。何とかやめるようにしつこく説得もしてんだけどもさ」
吐息交じりに麗魅。
「それは大変そうだな。使い古された言葉だが、宗教なんて麻薬みたいなんもんだし、ハマってる奴をそこから抜け出させるのなんて容易じゃないんじゃないか?」
「まーね。真も協力してくれよ」
麗魅は軽い口調だったが、冗談ではなく半ば本気のように真には聞こえた。
「ちょっと麗魅……」
「いいじゃん。後でこいつにも協力してもらえたらなーって考えてるし」
呆れる杏に、麗魅は悪戯っぽく笑う。
「杏だってこいつと一緒にいれる方がいいだろー? もっとお互い一緒にいる機会増やした方がいいよー?」
「麗魅……あんたね」
麗魅なりに気を遣ってくれているのは確かだろうが、それにしてもあけすけすぎていて、杏からするとはらはらしてしまう。
「まあ樋口の言うとおりかも……僕の方が中々機会を作ろうとしないから」
「苗字で呼び捨てすんじゃねーっての。名前で麗魅と呼んでいいっての」
「それでやきもきして絡んでくるんだろうし、余計な気遣いさせてすまないと思ってる」
麗魅の方を見て、いつもの淡々とした喋り方ではなく、真摯な口調で語る真。
「ダチならこんなの当然だし、余計な気遣いとかそんなこと言うなって」
背もたれに深く腰掛け、顔の前で手を振ってみせる麗魅。
「別に……無理して一緒に入れる機会作ってくれたりしなくてもいいよ。お互い忙しいんだしさ」
躊躇いがちに杏が言う。その忙しい部分の真の方の事情が、真の主である雪岡純子絡みであるということを考えると、杏はいろいろと複雑な想いに駆られる。
(私は一生異性と付き合えないんじゃないかなんて思ってたし。なのにこうして、私程度の女なんかにはもったいないくらいの素敵な子と……)
多くは望まず、現状の幸福だけに満足しておこうと杏は心がける。ともすれば溢れ出そうになる嫉妬や独占欲を抑えるために、常にそう意識せずにはならないというのも、それはそれで虚しく思えるが。
「遅れちゃって申し訳ありません」
杏達のいるボックス席に、一人の小柄な女性が現れて声をかけてきた。心持ち息が荒い。走ってきたのかもしれない。
(こいつは……)
現れた人物と直接会ったのは初めてであるが、真はその人物の容姿だけならネットで幾度となく見ている。かなりの有名人だ。
「前に入っていた仕事が長引いてしまって。で、今ここに来て杏さんに連絡するのも忘れてたなーと気づいて。何かもう今日は失敗ばかりで……初めてのお客様なのに」
あたふたとした様子で女性が弁明する。非常に声が高いが、耳に不快な響きはしない。それどころか柔らかく心地よい。
スーツ姿で、あどけなさを残した顔立ちの二十歳前後のかなりの美人。腰まで伸ばした艶やかな黒髪が魅力的だ。前髪も後ろ髪も切りそろえてある。小柄ではあるが、スタイルが悪いというわけでもなく、少なくとも外見は非の打ち所が無い。柔和で優しげな雰囲気の女性だ。
「始めまして~。『オーマイレイプ』の黒崎奈々です。よろひ……って、噛みました。よく噛むんですけれどね。あはは。いや、その、こんな調子だから頼りなげに思われるかもですけれど、仕事はしっかりしますからね。よろしくお願いします」
愛想よく自己紹介した後、真に向かって深々とお辞儀をする奈々。その朗らかさは大抵の者の目から見てよい第一印象として映るであろうが、真はそんなことに注目はしていなかった。
(オーマイレイプの大幹部の一人じゃないか。わざわざこんなのが出向いてくるってことは、警戒されているわけか?)
真の方でも逆に警戒してしまう。『オーマイレイプ』は情報組織の中でも最高峰の規模と力を持ち、『ヨブの報酬』や『妊婦にキチンシンク』同様、ワールドクラスの地下組織であり、各国政府からも警戒されている存在である。
純子とはあまりよい関係ではないようで、過去に幾度かいざこざも起こしているらしい。雪岡純子の専属の殺し屋である自分が依頼者ともなれば、たとえ杏を間に通したとしても、警戒されるのも無理は無い話だと真も納得する。
「かなりドジだけれど仕事に対しては誠実だし、義理堅い子だからね。信じていいよ」
「杏さん、かなりドジとかそんな本当のことを前置きされるのもちょっと」
冗談めかす杏と、それに笑顔でのる奈々。杏とそれなりに親しい間柄であるのを見て、真は安心した。
「じゃあ例の件はその子にお任せするってことで。奈々、後はよろしくね」
「はいっ。ではこちらへ」
真に向かってにっこりと微笑んでみせ、席を移るようにと促す奈々。異性の容姿はさして意識しない真でさえ、かなり高ランクの美人だと意識してしまう。そのうえ愛想がよく柔和な物腰で、傍にいるだけ空気が和む。
「では調査の件ですが」
真が依頼した調査依頼はデータファイルや用紙で譲渡されることもなく、口頭で伝達された。それで十分な内容だ。ネットや電話上でのやりとりであっさり済ませていいほどの内容だが、情報屋との初見の売買で直接接触してのやりとりを行うのは、その後も贔屓にするという儀礼的なニュアンスがある。
「アルラウネの日中合同研究チームの主要メンバーは以上です。その気になれば、オリジナルのアルラウネの行方を追うことも請け負いますが、それはかなり代金を要します」
「いや、それはいいよ」
奈々の言葉を聞く限り、オーマイレイプもアルラウネのオリジナルの行方を知っているわけではなさそうだが、真はそれを知る必要も無いと思った。そもそもいくらオーマイレイプでも、オリジナルの居場所を割り出せるとは思えない。
主要メンバーの名さえ聞けば大体の判断はつく。たとえオリジナルを所有していなくても、純子が興味を抱くレベルの研究を行っている者を割り出すのは、そう難しくはない。
「多分必要は無いと思うけど、より突っ込んだ調査をしてもらいたい時には、また連絡するよ」
「はいっ。今度とも是非御贔屓に」
営業用スマイルとは思えないくらい爽やかな笑みを浮かべる奈々。気分は和むが、正直苦手なタイプだ。純子と出会ったばかりの時もそうであったが、あけすけに朗らかな人間に、真は引け目を感じてしまう。自分が常に愛想無しの無表情であるが故に。
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