第六章 10

 正午――純子ら三人は朝に続いて目立つ場所で食事を行っていた。今度はデパートの屋上の食堂だ。襲撃を考慮してのことだが、選ばれる店からすればたまったものではないなと、真も惣介も思う。


「こんなこと続けていたら、そのうち安楽市中の店から締め出しくらうかもだぞ。その前に中枢や警察から叱られるだろうけれどな」


 裏通りの住人が狙われている立場で目立つ場所に立ち寄ることなど、通常有りえない。わざと餌となって、まだ見ぬ相手が食いつくのを待っているとはいえ、表通りにまで被害を出すような真似をしていることに、真はかなり抵抗があった。

 先程のカフェも滅茶苦茶にしてしまった。表通りの住人を傷つけなかったのは幸いだったが。もちろん純子は修理代と迷惑料とを、かなり色をつけて支払っている。そういう所はきっちりしている。


「ああ、もう中枢からお叱りのメールが来てるよ。さっきの広告が不味かったねえ。でもまあ、このメール見なかったことにしとけばいいよね」

「そういう問題じゃないだろ」


 言っても無駄だとわかりきってはいるが、純子のこのお遊びの巻き添えを食って、自分まで締め出されるのは御免だ。しばらく純子と行動を共にして様子を伺いたかった真だが、食事が終わったら早々に別行動を取ることに決める。


(また食事中に客が来なければいいけど)


 真が思った矢先、複数の敵意が下から接近してくるのを感じ取って小さく嘆息する。口に運びかけていたスパゲティを巻いたフォークを皿の上におろし、懐に手を入れる。

 純子の方はというと、臨戦態勢に入ろうとはせず、フランクフルトに執拗にトマトケチャップとからしをかけ続けている。フランクフルトが完全に赤と黄色で染め上げられて、皿の上に大量にケチャップとからしが垂れているのを見て、惣介は引いていた。


(敵意の質がさっきとはまるで違うな。足運びといい、これは訓練された軍人だ)


 屋上に上がってくる敵を分析して、真は懐かしさを覚える。

 機先を制して立ち上がり、階段の扉の横へと立つ。相手が軍人ということもあって、朝のように余裕をかます真似はしない。個人差もあるが、裏通りの荒事師などよりは手強いと判断した。


 扉を少しだけ開き、ベルトのバックルからユキオカブランド特製の超音波振動鋼線を抜き、片端を扉の内側のノブに巻きつけ、もう片端は外側へと通して己の手に持つ。

 もちろん素手で握っているわけではない。指の部分が露出した特性の黒い手袋をはめている。鋼線は緩めて床に垂れるようにしてある。


 扉が開かれた瞬間、真は鋼線を手にした手を引いた。灰色のロングコートに身を包んだ男がアサルトライフルの銃口を真に向けた直後、下から伸び跳ね上がった鋼線が、コート姿の男の股間から胸部にかけてまで引き裂いていた。

 男は何が起こったのかもわからず、致命傷を負ったということだけを認識して絶命した。銃の引き金を引くことさえ忘れていた。


 男は鋼線が体に食い込んだまま、屋上の入り口を塞ぐような格好で果てている。襲撃者達がそれを見て警戒したようで、そのまま一気に屋上になだれ込もうとはせず、その場で足を止める。

 相手のそのリアクションも計算していた真は、低い体勢で入り口へ――扉の先にいる敵の前へと身を躍らせる。


 一瞬だけ姿を見せた真に、襲撃者達は反応しきれなかった。数発の銃撃に、二人ほど倒れる。一人は頭を撃ち抜かれて即死。もう一人は防弾繊維により救われたが、衝撃に倒れこむ。襲撃者達が後退する。


(アサルトライフルで武装か。尋常な相手じゃないな)


 屋上へと続く階段にいる襲撃者達の得物を見て、真は思う。皆同じ灰色のロングコートで統一された格好であり、手にした銃器も同じだった。この国ではそうそうお目にかかる得物ではない。少なくとも裏通りの住人が携帯するには過ぎた得物だ。サブマシンガンですら滅多に無いというのに。


 デパートの屋上には表通りの人間が幾人もいる。鋼線によって絶命した男を見て、凍り付いている。

 襲撃者の得物を考えると、ここで銃撃戦となれば高確率で犠牲者が出そうである。純子は何とも思わないであろうが、真からするとそれだけは避けたかった。関係無い人間を――ましてや非戦闘員である表通りの住人を巻き添えにしたくはない。だが場所が場所だけに、うまく逃がすこともできない。


(ちょっと危険だけれど、他に手は無いか)


 意を決し、真は宙ぶらりんになっていた男の体を掴むと、男の体を盾にするような格好で扉の内へと一気に飛び込んだ。

 アサルトライフル相手にただのヒューマンシールドでは心もとないが、敵の武装具合からして、裏通りで出回っている貧弱な防弾繊維ではなく、かなり強力な防弾プレートを着込んでいる可能性が高いと踏んだ。


 銃声がとめどなく響く。盾にされた死体が壊れた操り人形の如く踊る。敵の姿を一瞬だけ目視した真が、男の脇の間から、男が持っていたアサルトライフルの銃口を突き出し、階段を駆け下りながら引き金を引く。

 撃つ際は目視していない。おおよその居場所だけで十分すぎる。この狭い空間で、アサルトライフルの連射をかわすなど不可能だ。

 前方にいる敵から一人ずつ倒れていく。盾を貫通した銃弾が真の腕をかすめるが、防弾繊維を多少引き裂いたに留まる。


(防弾プレートが優秀で助かったな)


 全身から血を吹き出すヒューマンシールドを捨て、倒れている男二人の頭部を続けざまに撃ち抜いていく真。襲撃者の数は全部で六人だった。


「た、助けてくれっ。降参だ! 降参する! 君がとても強いのはよくわかった。ああ、私達が何者かも明かす! 死にたくはない。とてもかなわない。なあ、だから頼む! 私は生かしておいた方がいいぞ。私の持つ情報は君にとってかなり有益だからだ!」


 銃弾の衝撃で倒れた男の一人が銃を捨て、両手を挙げて身も世も無く命乞いを始める。生き残ったもう一人がそれを見て呆れたような顔をしたが、状況を考えればやむなしと悟ったのか、悔しそうに銃を捨てて両手を後頭部に回す。

 真は無言のまま躊躇無く引き金を引き、初めに命乞いした男の頭部を撃ち抜いた。最後に残った一人がそれを見て、己の死も覚悟して目を瞑る。


「お前は殺さない」


 だが直後にそう告げられて、男は意外そうに真を見た。


「どうして?」

「今の奴は油断させておいて反撃するつもりだったからな。殺気も隠しきれていなかったし、いきなり下手にでるとか饒舌になるとか、そういうのはパターンなんだよ。だけど、お前は完全に戦意を無くしている」


 真の言葉に男は妙に納得し、同時に感心もしてしまった。


「でも気が変わるかもしれないし、寝ていてもらうかな」


 言って真はアサルトライフルで男の後頭部を殴りつけた。当然手加減はしている。銃器で本気で殴ればそれだけで死に至らしめるには十分だ。


(後で尋問するためにも一人は残すのが定石だしな。いや、まだいるか)

 敵意と殺気は未だ消えていない。


 死体が無線機のインカムを装着していたのを見て、死体から外して己の耳にあててみる。明らかに日本語とは異なる言語による怒声が響く。


(中国語?)


 訝った直後に屋上から銃声が響いた。真はそこで気づいた。襲撃者は階段から来ただけではない。ビルの外側、壁伝いにも登ってきたのだと。時間差を置いて挟み撃ちにしようとしたのであろう。

 真が階段を上がり、屋上に戻ってみるとすでにケリはついていた。灰色のロングコートの男達四人が、銃を構えたまま氷の彫像と化している。屋上の隅に避難した他の客達を見て、巻き添えの犠牲者が出ていないことに胸を撫でおろす。

 純子は屋上のフェンスの外に出て、ビルの淵から下を覗いている。


「どうやら国内に潜伏している中国の工作員さん達みたいだねえ」


 ビルの外側の壁を上ってきた所で、屋上に到達する間際で手足を凍らされ、ビルの壁に張りつけにされた状態で震えている男を見下ろして、純子が言った。


「お前の流した情報に釣られてやってきたってことか?」


 アルラウネの研究は日本と中国による合同で行われていたものであり、その行方を中国が追っていることも裏通りでは知られている。純子の情報操作に釣られたとしても不思議ではないと真は考えた。


「うん。この子の父親がアルラウネのオリジナルか、それを移植された可能性があるってのを見て、私と同じことをしようとしているんだと思う。この子の父親を探りあてるために惣介君を奪おうとしているんだろうねえ。招かざる客ってところかなあ」

「招かざる客? お前にしてみればそういうのは大歓迎だろ」


 わざわざ殺さずに凍らせたのは、後で実験台に使うために他ならない。


「助けてっ、たすけっ」


 両手足だけ凍らされて、ビルの壁に大の字に張りつけられた男が、自分の身に起こっている異常事態に戦慄して、命乞いする。


「まあ、いいけどー」

 注射器を取り出し、工作員の前にかざしてみせる。


「ほら、これの中にアルラウネのコピーが入っているから、君の体内に注入してあげるよ。知ってのとおり、アルラウネは生物を急速進化させる可能性があるからね。死の危機に瀕した人が必死になって祈れば、何らかの進化を遂げるかもよー? たとえばここから落ちても、必死に助かりたいと念じて、手をバタバタさせれば、手が翼になって助かるって具合にねー」


 そう言って工作員の両手に注射をする純子。


「じゃ、ばいばい」


 純子が笑顔で指を鳴らした直後、凍結していた手足が一瞬にして解凍され、工作員の体が宙に投げ出された。


「おおおおおおおおっ!」


 落下していく工作員。


「とべぇええぇっ! とべよおおぉおっ!」


 喚きながら必死の形相で両手をばたつかせるが、何も起こらない。地面が迫ってくる。


「頼むから飛んでくれぇええぇ!」


 最後の絶叫と共に地面に激突する。大きな激突音が響き渡り、近くにいた人達が音のした方を向いて、スプラッタな飛び降り死体を目撃することとなる。


「あはは、駄目だったねー。あんなに手パタパタと振っちゃって。人間て、本当に死の恐怖に立たされると、藁にもすがる思いで必死になるから面白いよねー」


 地面に落下した工作員を見下ろして、無邪気に笑う純子。それを怖そうに見る惣介と、諦めた風に見る真。


「あれ? 違う。間違えた。これアルラウネじゃなかった。これはただのビタミン剤だった」


 注射器に目を落として、純子はやっちゃったと舌をペロリと出す。


「僕はしばらく別行動を取らせてもらうぞ」

「えー? 急にまたどうしたのー?」


 フェンスを乗り越えながら純子が尋ねたが、真は答えず屋上を後にして、階段を降りていき、途中にいた先ほど気絶させた工作員を起こす。


「さっさと逃げた方がいい。お前の仲間は全滅したし、ここにいるとあいつに捕まって玩具にされるぞ」


 真の言葉の意味を理解しつつも、自分だけ助けてくれる理由が理解できないまま、工作員は足早に階段を降りていった。

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