第五章 34

 夏子は純子から頼まれた仕事を実行するために、純子と美香がホテルを出た頃合いを見計らい、チェックインしている部屋を出た。


 日戯威はこの無差別爆破の犯人を、ディックランドに対して風当たりの強かったPTAの仕業ということに仕立てあげるつもりでいる。無茶苦茶な話にも思えるが、彼等は本気でそれを押し通そうとしている。

 赤城毅はこれまでに幾つもの強引な計画を立て、それを実行している。力霊を横取りして盲霊師に横流しにして、犯人を溜息中毒に仕立てあげたことも、遊園地を無差別爆破も、いずれも無茶な綱渡りだ。

 前者はすでに純子を敵に回しているようなものだし、後者の件もバレたら中枢からも警察からも全力で叩かれかねない。

 だがその無茶を真剣に通そうとしている日戯威を、純子は侮っていない様子であった。

 世の中どんなことが起こるかわからないものだと、小さい頃に純子から何度も聞かされている夏子からすると、純子の姿勢は理解できる。


 夏子は純子から、日戯威が犯人に仕立てるつもりであろうPTAの者を見つけ出し、解放するように言われていた。

 即座に犯人へと仕立てあげるには、現場で捕獲したという証明のために、すでに犯人候補が用意されていると見ていい。それも東京ディックランド内のどこかに。


 夏子の推測では、このホテル内のどこかだ。それ以外の場所ではこの有様では危険だし、逆に見つけやすい。自分が隠すとしても、最も見つけにくく、何かあった際にすぐに対処できるホテル内を選ぶ。


 問題はどこの部屋に監禁ないし軟禁しているかである。

 ホテル内は日戯威の構成員の多くが泊まっているが、観光客も多い。それらを片っ端から調べるというのも無理のある話だ。そんなことをしていたら、PTAの者を見つける前に、夏子の動きが日戯威側に――毅に悟られてしまうだろう。手早く見つけ出さないといけない。

 理想としては捕らわれている部屋を一発で当てて、彼等を解放したい。もちろん証人になってもらう約束も取り付けたうえで、だ。


 監禁されている部屋がどこかを推理する。おそらく犯人身代わり候補は複数。食事なども持ち込まれているだろうが、監禁されている部屋の客室の清掃は流石に無理だろう。

 つまり清掃が入っていない部屋があれば、そこが高確率で監禁部屋であると思われる。

 ホテルの客室の清掃は、外注で清掃会社に依頼しているケースもある聞いたことがあるが、ディックランドホテルの場合は、どちらに該当するかわからない。外注である場合は調べるのが困難になる。


「ちょっといいかしら」


 フロントに声をかける夏子。外がとんでもない騒動になっているにも関わらず、彼等は客の手前慌てるわけにも逃げるわけにもいかず、平静さを保たんとしている。


「ここ数日で清掃の入っていない――清掃もベッドメイクも一切拒んでいる客室は無いですか? この爆破騒ぎに関係していることだから、教えてください」


 誠意を込めた口調で言いつつ、しかし一方で夏子はサイレンサー付の拳銃を抜いてフロントへと銃口を向けていた。


「708号室です」

 緊張した面持ちでフロントの青年が答える。


「ありがとう。ついでに合鍵をくれない? 実はその部屋にこの爆破騒動を起こした犯人がいるの」


 夏子の要求に、青年は恐る恐る鍵を差し出す。夏子の言葉を信じたかどうかはわからないが、どちらでもいい。信じてもらえればラッキー程度の保険だ。

 青年に向かってすまなさそうに会釈すると、即座に該当する部屋へと向かう夏子。可能性としては低いが、部屋に着くまでの間に今の問答を日戯威に悟られた場合、厄介なことになる。もちろんすでに悟られている場合も。


 鍵を回し、部屋の扉を微かに開く。予想通りドアにチェーンがかかっていた。

 扉を微かに開けた現場を中の住人に悟られた場合、チェーンを切断するその動作分だけ、余計な行動で時間を消費してしまう事になるのが問題だったが、幸運なことに、鍵を開けたことも扉を開けたことも、中にいる人間には気付かれなかった。

 強力ニッパーでそっとチェーンを切断する。


 ここまでは全て順調だ。大きく息を吸い込み、夏子は拳銃を抜くとドアを蹴り、部屋の中に一気に飛び込んだ。

 瞬時に室内の状況を把握する。明らかに裏通りの住人と見える男が二人。だが夏子の乱入に驚愕しており、対応が明らかに遅れている。片方の男の喉の下を迷うことなく撃ち抜き、もう片方の男に銃を突きつける。


「銃を離して手を後ろに組んで」


 懐の銃を握ったまま硬直している男を見据えて命ずる。男は息を呑み、銃から手を離して、両手を後ろに組んだ。

 男の両手を縛り、手首に仕込みの銃が無いかを確認して、懐から銃を抜き取る。バスルームを確認すると、中年の男女三名が拘束されているのが確認できた。


「ビンゴ……」


 小声で呟き、夏子は男女の拘束を解きにかかった。


「ムッキーッ! 一体どうして私がこんな目にあわなくちゃいけないのッ!」


 夏子に拘束を解かれるなり、でっぷりと肥え太った中年女性が甲高い声をあげる。


「全くですわ! この人達一体何なの! 私達なんか誘拐したところでお金になんかなりゃしないのに! ていうか貴女、助けに来るの遅いじゃないの! 何時間私達縛られたと思っているのよ!」


 飛蝗を連想させる容姿の中年女性が、助けた夏子に向かって怒りの形相で文句を並べ立てる。流石に温厚な夏子もむっとする。


「ありがとう。本当に助かった」


 バーコードヘアーの痩せた中年男性だけが、泣きながら夏子に感謝の言葉を述べる。


「あのー……大声出さないでいただけますか? 彼等の仲間が来ちゃうかもしれないので」

「何よ! 私に命令する気! そうなったら貴女で何とかしなさいよ! 当たり前でしょう! 無責任よ!」


 助けてくれた夏子が何者かすらも深く考えず、飛蝗顔の女性が居丈高にふんぞりかえって言い放った。


「ああっ、畜生っ! 絶対こいつら訴えてやる! 人権侵害よ! 暴行罪よ! ついでにセクハラも加算ねっ!」

「帰ったらすぐに団体動員して運動の開始よ! デモもしなくちゃ! 記者会見の準備も! あと、責任者の自宅突き止めて朝から晩まで抗議の電話もするのよ!」


 自分本位に喚きたてる中年女性達の足元に向けて、夏子は無言で銃を撃った。サイレンサー付きなので迫力に欠けるかと心配になったが、足の指のすぐ間近の床に穴が開いて硝煙が漂っているのを見て、二人共顔を恐怖に引きつらせていたので、夏子はほっとした。


「暴力って人類の礎ともいえるものですよね? 静かにしてもらえますか? 私の手で静かにされる前に、そうしていただけますよね?」


 銃口を向けてにっこりと笑ってみせる夏子に、つい数秒前までヒステリックに喚いていた中年女性二名は、一転して泣き顔になって、こくこくと何度も頷いた。


***


 死を意識させずに死を与える。それが最も重要だ。


「殺しはしないわ」


 今の言葉は嘘である。本当は殺す。けじめをつけてもらうには、殺すしかない。しかもただ殺すだけでは足りない。これほどの惨劇をもたらした元凶たる極悪人には、相応の報いとしてまた己の力の糧として、盲霊となってもらわねばならない。


「う、嘘だろ……こんな……」


 大上段に刀を構えた幸子を見上げ、恐怖に震える瞬一。殺しはしないと言われても、信じられない。どう見ても殺すつもりにしか見えない。


(こんな所で死ぬのかよ。何もできずに、ただ殺されに俺はここに来たのかよ)


 恐怖に勝る悔しさが沸き立つが、どうにもできない。どうにもならない。

 刀が振り下ろされる刹那を、瞬一は確かに見た。幸子のその動作が記憶に焼きついた。


「うああああっ!」


 目を切り裂かれたことを意識して、パニックを起こす。永遠の消失。もう何も見えない。テレビも見られない。漫画も読めない。ゲームもできない。何度も妄想した夏子の裸もとうとう拝めぬままだった。そんなくだらないことが頭の中をよぎっていく。今まで当たり前のように可能だった行為、備わっていた器官が失われた事への絶望。

 その絶望の絶頂を見てとった幸子が、瞬一の頭部周囲に設置していた爆弾を起動させるために、その場を離れようとしたその時――


「そいつは僕の友人だ。殺したら、絶対にお前を殺す」

「私の弟でもある! 同じく、殺したら絶対に殺す!」


 続け様に声がかかる。無表情の相沢真と、憤怒の形相の月那美香。

 いや、その二人だけではない。真の横には先程交戦して雫野累がおり、三人より一歩進んだ場所には白衣姿のショートヘアの女の子が佇み、真紅の双眸をこちらに向けて悠然と微笑んでいた。それが誰であるかは、初対面の幸子にもわからないはずがない。


「人違いで殺人はよくないことだと思うよ? まずは話し合わない? それともまたその子を人質にして逃げる? シスターはそんな悪い子を認めないと思うけれどなあ。おしりぺんぺんされちゃうよー?」


 雪岡純子の口からシスターの名を出されて、狼狽する幸子。

 兄妹友人のいる前での殺害にも抵抗があるし、実行すれば彼等は宣言通り自分を許さないだろう。加えて言えば、彼等の登場により瞬一の絶望が和らぎ、良質な盲霊を作ることはもう出来なくなった。


「素直に降参した方がいいと思うよー?」

「わかった……降参するわ」


 両手を上げて後ろを向く幸子。確かにもう勝ち目が無い。いちかばちか逃げてみるという手もあるが、相手がすぐ殺しにかかろうとしない事に対しての疑問がある。何より純子の人違いという言葉が気になった。

 純子達四人に背を向けた格好で、夜空を見上げる。踊り狂うかのごとく、凄まじい勢いで空を不規則な動きで飛ぶ力霊の姿がそこにあった。そう遠くはない距離だ。こちらに来る可能性もある。


「あの力霊を……どうする気? あれの封印は、何十人という術師が命がけで行ったって話なのよ?」


 解放された今となっては、雪岡純子や雫野累でも、どうにもできないものではないかというニュアンスを込めて、幸子が言ったが、


「あははは、私と累君がいるんだよ? ま、私一人でもいけると思うけどねー」


 余裕たっぷりに純子は笑い、幸子同様に夜空を見上げ、飛び回る力霊を見つめた。


「やっと会えたねー。千年越しの因縁の相手に」


 力霊を見つめ、いつもと異なる不敵な笑みをこぼして、純子は呟いた。

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